悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(10)筋違いにもほどがある

「お帰りなさいませ」
「……ああ」
 ジムテール男爵邸で帰宅した主を出迎えたテレンスは、その生気のない顔つきから体よく追い払われた事を察したが、余計な事は言わずに淡々と仕事をこなした。そしてそのまま応接室に向かったグラディクトは、そこでそのまま待っていたらしいアリステアに声をかける。 


「アリステア」
「お帰りなさい。随分遅かったけど、どうかしたんですか?」
「それが……、金を調達できなかったんだ」
 面目なさげにそう報告したグラディクトに、アリステアは軽く目を見開いてから慰めるように言葉を返した。


「まさかそれを気にして、帰って来れなかったんですか? そんな事、気にしなくて良いですよ」
「そうは言っても……」
「ちゃんと作って貰った例のドレスはありますし、一度着た物を何回も着たら駄目だなんて規則はありませんから! それにあれを着た時は、会場に入ってからずっと後ろの壁際に居ましたから、殆どの人は記憶していませんよ。あれを着れば大丈夫です!」
「そうか……、本当にすまない。今後はこの家の財政を見直して、こんな事で不自由をかけないようにする」
「はい、本当に気にしないでくださいね? それじゃあ夕食にしましょう」
「ああ」
 その一連のやり取りを、帰宅した主人にお茶を出す為に顔を出した侍女が聞いていたが、(さっきまで散々、あんなドレスが良いこんなドレスが良いとか言ってたくせに、それなら最初からそう言えばいいじゃないの)と密かに呆れていた。そんな事とは知らないグラディクトは、一見殊勝な物言いのアリステアに対して、感謝の念を覚えた。


(やはりアリステアは、健気で優しいな。これがエセリアだったら、『ドレスの一着も作れないなんて、不甲斐ないにも程があるわね!』と罵倒した挙げ句、哄笑するに決まっている)
 そして連れ立って食堂に向かって歩きながら、彼は自分のささやかな幸運を実感していた。


(確かに、氏素性の知れない者達を盲目的に信じ込み、騙されたのは完全に私の落ち度だったが……。少なくともエセリアではなく彼女を選んだ事に関しては、私の選択は誤りでは無かった)
 彼らの処分が厳しい物になったのは、彼女の虚偽の発言や周囲に迷惑をかけた事も大いに影響していたのだが、グラディクトはそれらを綺麗に忘れ去り、自分からすれば不満たらたらな生活にも文句を言わないアリステアに、感動すら覚えていた。しかしそんな彼の思いとは裏腹に、アリステアは内心で、かなり遠慮のない事を考えていた。


(本当は学園から返して貰ったお金が有るから、それでドレスを作ろうと思えば作れるけど、何回も着ないのにお母さんの遺産を使うのは無駄よね? これからは不自由させないって言うし、そうなったらドレスをたくさん作って貰えば良いわ。それに王様に許して貰ったら、もっと上の爵位とか広い領地を貰えるでしょうし、そうなったらお姫様じゃなくてもそれに近い生活ができるわよ! それまで少しの辛抱よね!)
 そんな微妙にすれ違った事を考えていた二人は、機嫌よく会話をしながら夕食を食べ進めたが、中盤にさしかかった所で、アリステアがいきなり言い出した。


「あ! そう言えば、エセリア様ってワーレス商会からマール・ハナーの名前で、本を出しているんでしたよね!?」
「ああ、審議の時に、そんな事を言っていたな。前々から、ワーレス商会で玩具やらゲームとかを考案して、売り出しているとも言っていたが。所詮、貴族の令嬢が遊び半分でやっている事だし、大した事はないだろう」
 途端に不機嫌になったグラディクトが、全く興味が無さそうに返したが、アリステアは真剣な面持ちで言い募った。


「とんでもないですよ! マール・ハナーの著作は何冊もありますし、前々から人気なんですよ!? お金が無くて買えなかったですが、修道院併設の孤児院とか本を寄付して下さる方が何人かいて、その方達が言ってましたし。本専門の店舗に、買わなかったですけど行ってみた時にも、壁に貼り出してあった売り上げランキングに、何冊も本のタイトルが載ってましたから!」
「ほう……、そうなのか」
 義務的に頷いてみせただけのグラディクトに、ここで少々焦れたようにアリステアが声を張り上げる。


「グラディクト様! その時、偶々自作の原稿を持ち込んだ方に、店員さんが説明していたのを聞いたんですけど、本の売り上げによって、作者の方に支払われるお金が変わるそうなんです。最初に売り物になりそうな原稿に原稿料を支払いますが、それに追加して、売れたら売れただけお金が入るそうなんです!」
「それがどうかしたのか?」
「だから、あれだけ本が売れているエセリア様は、そもそも最初の原稿料の金額が高く設定されている上、黙っていても手元に、相当のお金が入ってきている筈なんです!」
「……何だと?」
 自分は商売人風情に馬鹿にされた挙句、全く用立てる事が出来ずに店から叩き出されたのに、何の苦労もせずに大金を手にしているのかと、グラディクトは腹を立てた。実際には、エセリアは時間をかけて原稿を作成し、玩具を始めとした生活用品のアイデアを提案し、改良に努めて正当な対価をワーレス商会から受け取っているわけであり、全く労せず大金を手にしているとは言いがかりとしか言えなかったが、彼にはそんな事は知る由も無かった。
 そんな彼の不満を煽るような、アリステアの考えなしの発言が続く。


「もの凄く不公平ですよね? エセリア様は公爵家で何不自由のない生活をしているのに、何もしないで大金を手に入れているなんて。それに加えて、今度は爵位に領地まで貰えるんですよ? おかしくありませんか? そもそもエセリア様がそれらを貰える事になったのは、グラディクト様との婚約が破棄になったせいじゃありませんか。それならグラディクト様に少し位融通してくれても、良くありませんか?」
 第三者が聞けば全く筋が通らない話ではあったが、現状に対する不満が著しかったグラディクトは、あまり深く考えずにそれに力強く頷いた。


「なるほど、それもそうだ。どうせ金が入っても、エセリアなら不必要な物を買いあさるか、ただ溜め込んで腐らせるだけだろうからな」
「そうですよ! それに比べて、うちだったら幾らでも有効活用できますし!」
「全くその通り。やはりアリステアは、目の付け所が違う。私は単にエセリアが、楽に儲けているとしか思わなかったぞ。そうすると今度の祝賀会は、その話をつける絶好の機会だな」
「ええ、ドレスなんかより、そっちの話をする事の方が重要ですよね!」
 エセリアが利益の殆どを寄付と国教会での貸金制度の運用資金に供出している事などは、事情を知る関係者にしか分からない事ではあったが、それを抜きにしても祝賀会でそんな言いがかりを付けたら拙いだろうとの判断がついた食堂内に控えていた侍女は、能天気に笑っている主夫妻を見ながら即決した。


(この家、完全に終わったわ。ここの紹介状なんか貰っても、却って就職難になるわね。給金未払いでも、明日とっとと辞めよう。巻き添えを喰うのだけは御免だわ)
 そしてその夜、彼女は早速その屋敷を辞める旨をテレンスに申し出た。いきなりの話に翻意を促した彼だったが、暫く押し問答をしてもその決意は固く、とうとう押し切られたところで、夕食後は書斎に籠って領地に関する資料を精査していたグラディクトが呼んでいると、別の侍女から報告を受けた。


「旦那様、お呼びでしょうか?」
 突発的に生じた面倒事の直後で、忌々しく思いながら彼が書斎に出向いて声をかけると、グラディクトは用意しておいた分厚い封書を手渡しながら、横柄に言い付けてくる。


「テレンス。領地の管理官に、大至急これを送れ」
「何でございましょう?」
「領地管理の指示内容だ。ジムテール男爵領の運営権は、私にあるからな。今までとは違い、私の意向で進めるのは当然だろう。これまで無駄な支出が多過ぎた項目を、抜本的に見直していく事にした」
「左様でございますか……。確かにお預かりいたします」
 それを恭しく受け取ったテレンスは、書斎を出てから苦々し気に手の中の物を見下ろした。


(恐らく領内で行われている公共事業を停止したり、各種の補助を凍結する気だろうな。それに手っ取り早く税収を上げる為に、税率を上げるつもりかもしれん。実状も知らないくせに、一方的にそんな指示を受けて、現地の管理官がおとなしく言う事を聞くとでも?)
 しかし親切に解説などする気も無かった彼は、肩を竦めて歩き出した。


「まあ、それ位だから、廃嫡などされたのだろうが」
 そんな事を呟きながら自分の仕事部屋に戻った彼は、それがどのような混乱を引き起こすか冷静に分析しながらも、早速翌日領地に向けて、送り届ける手配を済ませた。



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