悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(18)華麗なる反撃

「殿下。先程から証人が一人も現れない事もそうですが、殿下が私を糾弾する拠り所としている、その宣誓書に重大な疑わしい点がございます」
 落ち着き払った様子でエセリアが指摘した途端、グラディクトは猛然と食ってかかった。


「何だと!? 証人が出て来ないのは、貴様が密かに手を回したからだろうが!!」
「いいえ、そもそも殿下が今まで名前を上げた人物は全て、実在する人間ではありません」
「はぁ? 何を馬鹿な事を言い出すんだ。その根拠は?」
 端的にエセリアが述べた台詞を、グラディクトが馬鹿にした口調で言い返したが、彼女は冷静に話を続けた。


「今まで出た家名には、全て『ヴァン』が付いておりました。然るに、全員が貴族である筈です」
「当然だ。それがどうした」
「ですが、今まで殿下が口にされた家名は、一つとして貴族簿に記載がございません。従って、それらの名前は貴族としてはありえず、存在していない人物という事になります」
 それを聞いたグラディクトは、呆れたように言い返した。


「はっ! お前はどこまで、不遜な女だ! 彼らは全て下級貴族出身だ。自分に聞き覚えが無いから貴族では無いと断言するなど」
「私は、全貴族の家名を記憶しております」
 そこで自分の台詞を遮って断言したエセリアに、グラディクトが怒りの目を向ける。


「……何だと? 口からでまかせを言うのも、いい加減にしろ。貴族と言っても、どれだけの家があると思っている。完全に覚えているわけが無い」
「公爵位十五家、侯爵位十五家、伯爵位二十家、子爵位三十家、男爵位四十家、全て記憶しております。王太子殿下の婚約者であるならば、それ位は当然でしょう。その貴族達より、上の立場になるのですから」
 悠然と構えながら当然の如く言い切ったエセリアに、グラディクトは苛立ちながら挑発した。


「そこまで言うなら、この場で全て言ってみろ!」
「畏まりました」
 するとエセリアはその言葉に慌てず騒がず、舞台側に陣取っている書記官達に向き直った。


「それでは書記官の皆様。本来の審議の内容とは少々逸脱しますが、記録を宜しくお願いします」
「お任せ下さい」
「それから学園長。どなたかに図書室へ行って貰って、最新の貴族簿をこちらに持って来させていただけますか?」
「すぐに持って来させます。ついでに、昨年の全生徒名簿も確認致しましょう」
「確かにそれと照らし合わせていただければ、手間が省けますわね」
「……え? あ、おい! お前達!」
 そして必要な手筈を済ませたエセリアは、グラディクトが僅かに顔色を変えたのを無視して、徐に貴族の家名を挙げ始めた。


「それではまず……、公爵家と侯爵家から参ります。ターミルド、クレスター、ソルタラ……」
「はっ! 普段付き合いのある家々なら、余裕で出てくるだろうな!」
 そしてエセリアは淀みなく公爵家と侯爵家、合わせて三十家の家名を挙げてから、少し息を整えて次に移る。


「ここからは、伯爵家になります。ナスタント、デイリーズ、アジェンダ……」
「浅ましい事、この上ないな! 実益に繋がる家の名前は、忘れないらしい!」
 尚もグラディクトは悪態を吐き、聞き取りをしている書記官達に冷ややかな目で見られていたが、その間もエセリアはつかえる事無く二十家の家名を口にし終えた。


「続いて子爵家になります。ユンゲル、ピーシア、アドラ……」
「虚勢を張るのもいい加減にしろ! 子爵家だけでも三十家あるのに、全て間違えずに言えるわけが無いだろうが!」
 グラディクトはむきになって罵声を浴びせたが、エセリアが成功するかどうか、観覧席の者達は固唾を飲んで見守っており、彼の悪態など綺麗に無視された。


「最後に男爵家です。チェンバー、リドム、テラズーマ………」
「く、口からでまかせを! 恥をかくのは貴様だと、まだ分からないらしいな!?」
 恥をかいているのはそっちだろうと殆どの者は思ったが、突っ込みを入れるのも面倒だったらしく、誰も余計な事は口にしなかった。


「……メルティア。以上、全貴族百二十家、暗唱致しました」
「はったりだ! 全て暗唱できる筈など、無いだろうが!」
 そうこうしているうちにエセリアが終始淡々と暗唱を終え、先程図書室から持ち出されてきた貴族簿と、彼女の述べた家名の照らし合わせが行われる。そしてグラディクトの喚き声が講堂内に響く中、書記官が恭しくエセリアに報告した。


「確かに全百二十家、エセリア様が暗唱された内容には、一家たりとも欠けたり間違った所はございません。私どもが確認いたしました」
「そんな馬鹿な!」
 その瞬間、グラディクトの驚愕の叫びと、大多数の者のどよめきが講堂内に反響した。


「エセリア様、凄いわ!」
「やっぱり格が違うわね!」
「家同士の付き合いがあるところは、さすがに覚えているが……」
「私が知らない家名も、たくさんありましたわ」
「だが確かに王太子妃、ひいては王妃になる位の人間だから、これ位は当然なのか?」
 そんなエセリアを賛美する内容から、自然にこれまで醜態を晒し続けて来たグラディクトへと話題が移る。


「でもそれを言ったら、王太子殿下はどうなるんだ? エセリア様がすぐに『貴族ではない』と分かった名前が書かれた宣誓書を、自信満々で持ち出してきたんだぞ?」
「エセリア様が暗唱している最中も、何やら色々負け惜しみじみた事を仰っておられましたし」
「婚約者のエセリア様が覚えている家名を、殿下は全く記憶しておられなかったと言う事よね?」
「情けないにも程があるぞ」
「全くだわ。恥さらし以外の何物でも無いわね」
「…………っ!」
 もはや何もはばかる事無く堂々と口にされている為、そのような台詞がグラディクトの耳に入り、彼は怒りと屈辱のあまり、顔を赤く染めた。
 一方のエセリアはマグダレーナに顔を向けると、視線の合った彼女が満足そうに頷いたのを見て、自らも軽く頭を下げた。


(二年前、王妃様から渡された《全家名記憶術》が、こんな所で役に立つ事になるとはね……。だけど代々の王妃に伝わっているという、この語呂合わせを考えた初代王妃陛下って、マジ天才!! これを初めて目にした時からずっと、私の尊敬する人物の不動の一位はあなたです!)
 そして肖像画でしか見た事が無い初代王妃に、エセリアが尊敬の念を新たにしていると、その後も何か確認していた秘書官達が、恭しく舞台上の主君に報告した。


「国王陛下、王妃陛下。先程から殿下が口にしていた生徒の名前ですが、昨年度の学園在籍者名簿には、一人も記載がありません」
 それにエルネストが、深く頷いて同意を示した。


「そうだろうな……。最初から、全く聞き覚えの無い名前だった」
「ここまで一応、殿下の主張に耳を傾けて参りましたが……」
 国王夫妻から突き放すような視線を向けられたグラディクトは、激しく動揺しながらエセリアに向かって喚いた。


「なっ!? それでは彼らは、どこの誰だと言うんだ!?」
「それをお聞きしたいのはこちらです。どこの誰が証言したと言うのですか」
 完全に呆れ果てながら、エセリアは次の要求を口にした。


「それでは次に、その宣誓書を直に確認したいので、こちらにお渡しください」
「何だと!? 貴様、破り捨てて証拠隠滅をする気か!」
 長机に乱雑に置かれたそれらを指さしながらエセリアが要求したが、グラディクトはすぐに邪推した。それに心底うんざりしながら、エセリアが妥協案を提示する。


「偽名でどこの誰ともしれない人物が書いた物など、まともな証拠になるわけが無いでしょう……。それなら書記官の方に持っていただいて、私に披露してくだされば宜しいわ。それすらできない、疚しい事でもおありだと?」
「そこまで言うなら見せてやる! これを持って行け! くれぐれもエセリアには、指一本たりとも触れさせるなよ!」
「……畏まりました」
 言い付けられた秘書官もうんざりしながら立ち上がり、グラディクトの方の長机に歩み寄って、宣誓書を纏め始めた。その背中が怒りのオーラを醸し出しているように感じたエセリアは、もう何度目になるのか分からない溜め息を吐き出す。


(まだ自分の置かれた状況を、理解できていないのね。いい加減諦めれば良いのに。正直、これまで指摘する羽目になるとは思わなかったわ。馬鹿馬鹿しい)
 エセリアはそう思いながらも、いい加減事態の幕引きを図るべく、次の一手に移った。





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