悪役令嬢の怠惰な溜め息
(16)駄目押し
「先程のあなた方の発言を、今一度確認したいのですが。殿下はその女生徒が『うつぶせで倒れていた』と申しましたね?」
「はい、それが何か?」
「うつ伏せで倒れていたのに、どうやったら背後から突き飛ばした人物が逃げ去る所を、目撃できるのですか?」
「…………」
あまりにも初歩的な矛盾点をマグダレーナから指摘されたグラディクトが口を噤み、我に返ったアリステアが床に座り込んだまま、それに対して弁解した。
「あ、あのっ! 転がりながら落ちた時に、チラッと見たんです!」
「先程殿下は『階段の踊場から少し下りた所で』と言っていましたが、それならば何度も転がったわけではありませんよね? せいぜい一回転では?」
「ですから、チラッと見ただけなんです!」
「それから、『目撃した人物と髪色と髪型が合致するのは、エセリアしか有り得ない』とも発言しましたね?」
「それは……」
あからさまにアリステアを無視して質問を続けるマグダレーナからの問いに、グラディクトは口ごもりながら視線を彷徨わせたが、ある一点で目を止め、一人の女性を指さしながら喚いた。
「そうです! 同じ髪色の者なら、当日茶話会に参加していました! あの女、ブリュワーズ侯爵家のイレーヌが、万が一事が露見した時の為に、わざわざエセリアと同様の髪形にして、アリステアを襲撃したのです! 何と悪辣な! 王妃陛下もそう思われませんか!?」
「…………」
必死の形相で同意を求めたグラディクトに、マグダレーナは怒りを隠そうともせずに睨み付け、エルネストは悪化する一方の事態に無言で額を押さえた。それと同時に、レオノーラと共に立ち上がっていた上級貴族令嬢達から、怒りを通り越した冷笑が彼に向かって投げかけられる。
「まあ……。言うに事欠いて、何て事を……」
「今度こそ、呆れ果てましたわ」
「今までこんな方を王太子殿下に据えていたなど、本当に我が国の恥ですわね」
口調だけは穏やかに、こぞって嘲笑する彼女達を見て、周囲の者達は揃って肝を冷やした。そんな中、グラディクトに名指しで犯人扱いされたイレーヌが、彼に向かって怒りに任せる事無く、冷静に言い返す。
「王太子殿下におかれましては、私の名前と家名を覚えていてくださいまして、感謝の念に堪えません。ですが……、覚えていていただいたのは、本当に名前と家名のみであったみたいですわね」
「どういう意味だ?」
途端に不審そうな顔になったグラディクトに、イレーヌは綺麗に編み込んでいる髪を留めている、リボンやヘアピンを次々に外し、抜き取りながら説明を続けた。
「我がブリュワーズ侯爵家の人間は、代々癖が強い髪質なのです。その血を引く祖父、大叔父、大叔母、父、叔父叔母、従兄弟に至るまで、全員見事な癖毛です。まかり間違ってもストレートヘアーの人間など、一人も存在しておりません」
「確かにそうだな」
「現侯爵も、見事な癖毛でいらっしゃいますね」
それを聞いた国王夫妻が、彼女の身内を思い出しながら頷き合う中、怒りを内包させた声音のイレーヌの話が続く。
「故に櫛でどれだけ時間をかけてとかしても、そのままにしているとすぐに絡まって、悲惨な事になるのです。自然に流す事など、夢のまた夢。他人の前で見苦しく無いように、泣く泣く毎日編み上げて髪を整えていると言うのに……。この私がどうやったら、エセリア様と同様のストレートのハーフアップにできると言うのです! やれるものならやってみなさい! この大ぼら吹き王太子!!」
最後のヘアピンを髪から外したイレーヌは、怒りのあまりそれを前方に投げ捨てながら、グラディクトに向かって叫んだ。憤怒の形相で放たれた淑女にあるまじきその叫びを耳にし、それと同時に盛大に波打ちながら広がる彼女の髪を目の当たりにした者達は、彼女の怒りの程が分かり、一斉にグラディクトに非難の目を向ける。
「彼女はあの髪質の為、学園入学以来、一度として髪を下ろした事がございませんのよ? それ位、同じ貴族科に所属していた殿下なら、ご存知かと思っていましたが」
「…………」
「グラディクト様……」
レオノーラが冷ややかに事実を付け加え、特にその事実を知っていた貴族科の者達は、男女問わずはっきりと咎める視線をグラディクトに送った。
(うん、もう私、空気で良いかな? 私抜きで、どんどん話が進んでるし。だけどどうしてこう余計な事を口走って、墓穴を掘るのかしら?)
悪あがきにも程があるとエセリアは本気で呆れたが、マグダレーナの追及は容赦が無かった。
「話を戻しますが、先程殿下は『一歩間違えば大怪我だったが、捻挫で済んだ』と仰っていましたが、彼女は大して転がり落ちてもいないみたいですし、捻挫もしていないのではありませんか?」
そう問われたグラディクトは、瞬時に気を取り直して反論した。
「そんな事はありません! 現にアリステアは、もの凄く痛がっていたのですから。医務官にも診て貰いましたし。アリステア、そうだな!」
「は、はい! 確かに左足首が腫れて、もの凄く痛くて!」
「それはおかしいですね。私がその時処置したのは、右足首だったのですが?」
「え?」
「誰ですか? 今発言したのは?」
グラディクトに険しい表情で念を押されて、アリステアが慌てて答えると、それにどこからか第三者の声が上がった。それにマグダレーナが講堂内を見回しながら尋ねると、一人の男が教授陣の後方から前に進み出ながら名乗り出る。
「失礼いたしました。私は医務官のアバルトと申します。朝から騒ぎになっているので、興味津々でこちらに冷やかしに来ましたら、何やら面妖な話になっておりましたので、つい口を挟んでしまいました」
「構いません。そうなると、あなたが当日彼女の治療をしたのですね?」
マグダレーナが発言を許可して尋ねると、アバルトは軽く首を振ってそれに答えた。
「いえ、治療ではなく、処置と言った方が正しいですね。彼女は全くの無傷でしたが、殿下が『アリステアの怪我を見抜けないとは、とんだ藪医者だな!』と罵倒するので、言われるまま意味のない湿布を施しただけですから」
「……無傷ですか」
「はい」
一層冷ややかな視線になったマグダレーナを真っ直ぐに見据えながらアバルトが断言すると、講堂内が静まり返った。しかしその不気味な静寂を、グラディクトの怒声が引き裂く。
「ふざけるな! 貴様、自分の技量の無さを棚に上げて、アリステアを嘘吐き呼ばわりする気か! けしからん」
「あ、あの、グラディクト様! 私は構いませんから!」
「何を言う! これは名誉に関わる事だぞ!」
「それはそうかもしれませんけど!」
さすがに後ろ暗い所があるアリステアが、これ以上事を荒立てては拙いと慌てて宥めようとしたが、アバルトは淡々とマグダレーナに対して報告を続けた。
「王妃陛下。彼女は私が湿布を施し、痛み止めの飲み薬だけを持たせた後、歩いて寮の自室に戻ったのです」
それを聞いたマグダレーナは、眉間に更に皺を増やしながら問いを重ねた。
「持たせたのは、本当に飲み薬だけですか?」
「はい」
「普通に歩いて?」
「その通りです」
「杖の使用は?」
「特に申し出が無かったもので、持たせませんでした」
「その後の診察は?」
「彼女はそれ以来、医務室に顔を見せておりません」
それに対してグラディクトが何か言おうとする前に、エルネストが不思議そうに口を挟んだ。
「それは、どう考えてもおかしいだろう。普通捻挫をしたら、怪我をした当初は湿布を数時間おきに替えなければならないから、医務室に複数回出向くか自室に湿布剤を持ち帰って、自分で処置しなくてはならない筈だ」
「え?」
「それは……」
まさか国王が捻挫について言及してくるとは思わず、グラディクトを含めてその場に居合わせた殆どの者が唖然としたが、エルネストのどこか懐かしむような話は続いた。
「この学園在学中に、剣術の授業中に捻挫した事があって、治るまでは難儀したものだ。足首だったから、暫くは杖も使ったしな」
そこでマグダレーナが、横に座る彼を軽く睨む。
「陛下は不自由されただけで済みましたが、周りの方々や教授方は、皆真っ青になられておられましたわよ? 当時に周りの迷惑を、少しは考えて欲しかったですわ」
そう言って溜め息を吐いたマグダレーナに、エルネストは少々照れくさそうに笑いながら謝った。
「いやあ、本当に面目ない。しかしあれで懲りて、だいぶ慎重になったからな。無茶な訓練も控える事にしたし」
「全くです。怠けてはいけませんが、やりすぎはもっといけません」
「マグダレーナは、本当に手厳しいな。だが正論だから反論できない」
「当然です」
「…………」
手厳しいと言いながらも、エルネストは変わらず穏やかな笑みをマグダレーナに向けており、彼女も苦笑を浮かべながら二人でほっこり和んでいる光景を見て、エセリアは何も言えずに黙り込んだ。
(両陛下の間の空気が、場違いな位に穏やかなのに比べて……。本当にあの二人に対する視線が、冷え切ってきたわね。本当に下手な悪あがきをするから、益々事態が悪化するのに)
エセリアは処置無しというように、軽く額を押さえると、ここでエルネストが憂い顔で息子に語りかけた。
「はい、それが何か?」
「うつ伏せで倒れていたのに、どうやったら背後から突き飛ばした人物が逃げ去る所を、目撃できるのですか?」
「…………」
あまりにも初歩的な矛盾点をマグダレーナから指摘されたグラディクトが口を噤み、我に返ったアリステアが床に座り込んだまま、それに対して弁解した。
「あ、あのっ! 転がりながら落ちた時に、チラッと見たんです!」
「先程殿下は『階段の踊場から少し下りた所で』と言っていましたが、それならば何度も転がったわけではありませんよね? せいぜい一回転では?」
「ですから、チラッと見ただけなんです!」
「それから、『目撃した人物と髪色と髪型が合致するのは、エセリアしか有り得ない』とも発言しましたね?」
「それは……」
あからさまにアリステアを無視して質問を続けるマグダレーナからの問いに、グラディクトは口ごもりながら視線を彷徨わせたが、ある一点で目を止め、一人の女性を指さしながら喚いた。
「そうです! 同じ髪色の者なら、当日茶話会に参加していました! あの女、ブリュワーズ侯爵家のイレーヌが、万が一事が露見した時の為に、わざわざエセリアと同様の髪形にして、アリステアを襲撃したのです! 何と悪辣な! 王妃陛下もそう思われませんか!?」
「…………」
必死の形相で同意を求めたグラディクトに、マグダレーナは怒りを隠そうともせずに睨み付け、エルネストは悪化する一方の事態に無言で額を押さえた。それと同時に、レオノーラと共に立ち上がっていた上級貴族令嬢達から、怒りを通り越した冷笑が彼に向かって投げかけられる。
「まあ……。言うに事欠いて、何て事を……」
「今度こそ、呆れ果てましたわ」
「今までこんな方を王太子殿下に据えていたなど、本当に我が国の恥ですわね」
口調だけは穏やかに、こぞって嘲笑する彼女達を見て、周囲の者達は揃って肝を冷やした。そんな中、グラディクトに名指しで犯人扱いされたイレーヌが、彼に向かって怒りに任せる事無く、冷静に言い返す。
「王太子殿下におかれましては、私の名前と家名を覚えていてくださいまして、感謝の念に堪えません。ですが……、覚えていていただいたのは、本当に名前と家名のみであったみたいですわね」
「どういう意味だ?」
途端に不審そうな顔になったグラディクトに、イレーヌは綺麗に編み込んでいる髪を留めている、リボンやヘアピンを次々に外し、抜き取りながら説明を続けた。
「我がブリュワーズ侯爵家の人間は、代々癖が強い髪質なのです。その血を引く祖父、大叔父、大叔母、父、叔父叔母、従兄弟に至るまで、全員見事な癖毛です。まかり間違ってもストレートヘアーの人間など、一人も存在しておりません」
「確かにそうだな」
「現侯爵も、見事な癖毛でいらっしゃいますね」
それを聞いた国王夫妻が、彼女の身内を思い出しながら頷き合う中、怒りを内包させた声音のイレーヌの話が続く。
「故に櫛でどれだけ時間をかけてとかしても、そのままにしているとすぐに絡まって、悲惨な事になるのです。自然に流す事など、夢のまた夢。他人の前で見苦しく無いように、泣く泣く毎日編み上げて髪を整えていると言うのに……。この私がどうやったら、エセリア様と同様のストレートのハーフアップにできると言うのです! やれるものならやってみなさい! この大ぼら吹き王太子!!」
最後のヘアピンを髪から外したイレーヌは、怒りのあまりそれを前方に投げ捨てながら、グラディクトに向かって叫んだ。憤怒の形相で放たれた淑女にあるまじきその叫びを耳にし、それと同時に盛大に波打ちながら広がる彼女の髪を目の当たりにした者達は、彼女の怒りの程が分かり、一斉にグラディクトに非難の目を向ける。
「彼女はあの髪質の為、学園入学以来、一度として髪を下ろした事がございませんのよ? それ位、同じ貴族科に所属していた殿下なら、ご存知かと思っていましたが」
「…………」
「グラディクト様……」
レオノーラが冷ややかに事実を付け加え、特にその事実を知っていた貴族科の者達は、男女問わずはっきりと咎める視線をグラディクトに送った。
(うん、もう私、空気で良いかな? 私抜きで、どんどん話が進んでるし。だけどどうしてこう余計な事を口走って、墓穴を掘るのかしら?)
悪あがきにも程があるとエセリアは本気で呆れたが、マグダレーナの追及は容赦が無かった。
「話を戻しますが、先程殿下は『一歩間違えば大怪我だったが、捻挫で済んだ』と仰っていましたが、彼女は大して転がり落ちてもいないみたいですし、捻挫もしていないのではありませんか?」
そう問われたグラディクトは、瞬時に気を取り直して反論した。
「そんな事はありません! 現にアリステアは、もの凄く痛がっていたのですから。医務官にも診て貰いましたし。アリステア、そうだな!」
「は、はい! 確かに左足首が腫れて、もの凄く痛くて!」
「それはおかしいですね。私がその時処置したのは、右足首だったのですが?」
「え?」
「誰ですか? 今発言したのは?」
グラディクトに険しい表情で念を押されて、アリステアが慌てて答えると、それにどこからか第三者の声が上がった。それにマグダレーナが講堂内を見回しながら尋ねると、一人の男が教授陣の後方から前に進み出ながら名乗り出る。
「失礼いたしました。私は医務官のアバルトと申します。朝から騒ぎになっているので、興味津々でこちらに冷やかしに来ましたら、何やら面妖な話になっておりましたので、つい口を挟んでしまいました」
「構いません。そうなると、あなたが当日彼女の治療をしたのですね?」
マグダレーナが発言を許可して尋ねると、アバルトは軽く首を振ってそれに答えた。
「いえ、治療ではなく、処置と言った方が正しいですね。彼女は全くの無傷でしたが、殿下が『アリステアの怪我を見抜けないとは、とんだ藪医者だな!』と罵倒するので、言われるまま意味のない湿布を施しただけですから」
「……無傷ですか」
「はい」
一層冷ややかな視線になったマグダレーナを真っ直ぐに見据えながらアバルトが断言すると、講堂内が静まり返った。しかしその不気味な静寂を、グラディクトの怒声が引き裂く。
「ふざけるな! 貴様、自分の技量の無さを棚に上げて、アリステアを嘘吐き呼ばわりする気か! けしからん」
「あ、あの、グラディクト様! 私は構いませんから!」
「何を言う! これは名誉に関わる事だぞ!」
「それはそうかもしれませんけど!」
さすがに後ろ暗い所があるアリステアが、これ以上事を荒立てては拙いと慌てて宥めようとしたが、アバルトは淡々とマグダレーナに対して報告を続けた。
「王妃陛下。彼女は私が湿布を施し、痛み止めの飲み薬だけを持たせた後、歩いて寮の自室に戻ったのです」
それを聞いたマグダレーナは、眉間に更に皺を増やしながら問いを重ねた。
「持たせたのは、本当に飲み薬だけですか?」
「はい」
「普通に歩いて?」
「その通りです」
「杖の使用は?」
「特に申し出が無かったもので、持たせませんでした」
「その後の診察は?」
「彼女はそれ以来、医務室に顔を見せておりません」
それに対してグラディクトが何か言おうとする前に、エルネストが不思議そうに口を挟んだ。
「それは、どう考えてもおかしいだろう。普通捻挫をしたら、怪我をした当初は湿布を数時間おきに替えなければならないから、医務室に複数回出向くか自室に湿布剤を持ち帰って、自分で処置しなくてはならない筈だ」
「え?」
「それは……」
まさか国王が捻挫について言及してくるとは思わず、グラディクトを含めてその場に居合わせた殆どの者が唖然としたが、エルネストのどこか懐かしむような話は続いた。
「この学園在学中に、剣術の授業中に捻挫した事があって、治るまでは難儀したものだ。足首だったから、暫くは杖も使ったしな」
そこでマグダレーナが、横に座る彼を軽く睨む。
「陛下は不自由されただけで済みましたが、周りの方々や教授方は、皆真っ青になられておられましたわよ? 当時に周りの迷惑を、少しは考えて欲しかったですわ」
そう言って溜め息を吐いたマグダレーナに、エルネストは少々照れくさそうに笑いながら謝った。
「いやあ、本当に面目ない。しかしあれで懲りて、だいぶ慎重になったからな。無茶な訓練も控える事にしたし」
「全くです。怠けてはいけませんが、やりすぎはもっといけません」
「マグダレーナは、本当に手厳しいな。だが正論だから反論できない」
「当然です」
「…………」
手厳しいと言いながらも、エルネストは変わらず穏やかな笑みをマグダレーナに向けており、彼女も苦笑を浮かべながら二人でほっこり和んでいる光景を見て、エセリアは何も言えずに黙り込んだ。
(両陛下の間の空気が、場違いな位に穏やかなのに比べて……。本当にあの二人に対する視線が、冷え切ってきたわね。本当に下手な悪あがきをするから、益々事態が悪化するのに)
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