悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(18)困惑と動揺

 一方のアリステアは、サビーネと別れてからいつも通り統計学資料室に向かったが、ドアを開けようとして室内から響いてくる声に、一瞬手足の動きを止めた。
「しかし私は、これ以上我慢できん!」
「そうは仰いましても、万事慎重に事を運びませんと!」
(どうしたのかしら? 随分騒がしいけど……)
 ちょっとだけ不思議に思いながら、彼女は躊躇わずにドアを開けて室内に入った。


「あ! アシュレイさんの声は聞こえましたけど、モナさんも居たんですね!」
「お邪魔しております」
「お変わりはありませんか?」
「ええ、元気よ。それより、何か言い争っていたみたいだけど、どうしたの?」
 笑顔で挨拶してきたローダスとシレイアに、アリステアが嬉しそうに応じると、ここでグラディクトが不満を訴えた。


「聞いてくれ、アリステア。私は証拠も証人も十分集まったから、卒業記念式典の場でエセリアの悪行を暴露して、婚約破棄に持ち込もうと考えていたんだ。それについて意見を求めたら、こいつらが強硬に反対するものだから」
「え? 二人とも、エセリア様の非道な振る舞いを、黙って見過ごせって言うんですか?」
 驚いて問い質したアリステアに、ローダスが首を振って説明する。


「そうは言っておりません。ただ卒業記念式典はあくまでも学内行事で、列席者は学園関係者のみ。生徒の保護者も参加しない状況下では、事を起こしても最悪隠蔽される可能性があると、指摘しただけです」
「あ、そうか……。それもそうよね……」
「ですから、卒業記念式典では無く、王宮で再来月開催予定の建国記念式典の場で、エセリア様の断罪をしてはどうかと、対案を出していたところなのです」
 ローダスがそう主張したが、グラディクトはなかなか頑なだった。


「だが私はこれ以上、エセリア達の増長した振る舞いを傍観する事など無理だ!」
「ですがグラディクト様!」
 そこで再び押し問答に突入した二人を眺めながら、アリステアは考え込んだ。


(確かに、学園長達はエセリア達に丸め込まれているみたいだし、何も無かった事にされる可能性はあるわよね……。どうしたら良いのかしら? あの本だと家族とかも参加して、卒業記念パーティーが華やかに催されているのに)
 そこでシレイアがさり気なく彼女に向かって、独り言のように囁く。


「エセリア様を排除すると言う事は、同時にアリステア様の存在を周囲に知らしめると言う事。卒業記念式典では制服着用ですから、どうしても華やかさに欠けますもの。ですが建国記念式典をその場に選ぶなら、正装をしたアリステア様が殿下と並び立つ姿を、国内外の貴族達の目に焼き付ける事ができると思うのですが……」
(パーティー、正装……。そうよ! 私が最高に輝く場所は、学園の中じゃなくて王宮でしかあり得ないわ! 悪逆非道なエセリア様を糾弾して、私の正当性を知らしめて、華麗なるデビューを果たすのよ!)
 そう決心したアリステアは、早速グラディクトに訴えた。


「グラディクト様! やっぱりエセリア様の断罪は、建国記念式典の場で行いましょう!」
 それを聞いた彼はローダスとの論争を止め、困惑気味の顔を向ける。


「アリステア? しかし……、それでは私が卒業した後、誰も君を守らなくなってしまうだろう? 建国記念式典は、年度が変わってからの開催だし」
「私の事を心配してくれているんですね……。ありがとうございます。でも、心配しないで下さい。卒業記念式典が終わったらすぐに年度末休暇に入りますし、建国記念式典は再来月ですから、年度が変わってからそれほど日数はかかりませんよね?」
「それは……、確かにその通りだが……」
 まだ納得せずに渋い顔をしている彼に、アリステアは誇らしげに笑ってみせた。


「ですから私の事は心配せず、エセリア様がどうやっても言い逃れできない状況で、確実に断罪して下さい。それが、これまであの人に散々虐げられてきた皆さんに対する、グラディクト様の誠意の表し方だと思います」
 そう言われたグラディクトは僅かに目を見開き、次いで静かな声で呟く。


「そうか……。アリステアは、そう考えるのか……」
「はい」
「言われてみればその通りだ。私は焦るあまり、本質を見落としていたらしい。一番重要なのは、確実にエセリアを断罪できる事。この一事に尽きる」
「そうですよ! それを指摘してくれたアシュレイさんとモナさんは、本当に私達の事を考えてくれているんですよね? 感動しました!」
「……え?」
「あ、はぁ……」
 そこでいきなり話の矛先が向いた為、ローダスとシレイアは動揺しながら曖昧に頷いてみせた。するとグラディクトが、名案を思い付いたとばかりに言い出す。


「そう言えばモナは、騎士科だったな? 女性騎士は人数が少ないから、ちゃんと近衛騎士に内定しただろう。正式にアリステアをエセリアに代わる私の婚約者に認定させたら、騎士団長に言ってお前をアリステア付きの専属騎士に取り立ててやるからな!」
「わあ! 嬉しい! それに心強いです!」
 そんな事を満面の笑顔で二人から告げられたシレイアは、内心で狼狽した。


(冗談じゃないわよ! 名簿を調べられたら、モナ・ヴァン・シェルビーなんて人間が存在していないのがバレるじゃない! ここは何とか誤魔化さないと!!)
 隣のローダスからも、目で(何とかしろ!)と訴えられながら必死に考えを巡らせた彼女は、傍目には落ち着き払って口を開いた。


「恐れながら殿下。大変嬉しいお話ですが、それは辞退させて頂きます」
「何だと? どうしてだ」
「そうですよ! グラディクト様が、せっかく好意で言ってくれているのに!」
 せっかくの申し出を固辞されてグラディクトは不快そうに、アリステアが不思議そうに問い返したが、シレイアは冷静に話を続けた。


「大して後ろ盾の無い私が、いきなり王族やそれに準ずる方の専属護衛となれば、近衛騎士団内で軋轢が生じるのは必至です。すぐにアリステア様のお側に侍れないのは残念ではありますが、必ずや近いうちに実力でお側に参ります。その時には親しくお声をかけて頂ければ、私はそれで十分なのです」
 彼女のそんな心にも無い、しかし端から見れば殊勝な物言いを聞いたグラディクトは、感心しきった表情になった。


「聞いたかアリステア。これぞ、真の忠臣の言葉だ。大抵の者は世辞と追従しか口にしないのに、私は心から感動したぞ!」
「はい! 本当ですね!」
「そういう心掛けであれば、私の配慮は却って余計だな。分かった。必ず実力で這い上がって来い」
「モナさん、その時は宜しくお願いします!」
「はい、必ず。お任せ下さい、アリステア様」
 アリステアも笑顔で頷き、シレイアがホッとしながら頭を下げたところで、ローダスがさり気なく会話に割り込んだ。


「それでは殿下。その建国記念式典ですが、普通であればアリステア様は参加できませんから、殿下お一人でエセリア様を糾弾する事になるのですが」
 その途端、アリステアが強く主張する。


「え!? それは駄目よ! 私はどこまでもグラディクト様を支えて、一緒にエセリア様と戦うんだから!」
「アリステア……」
(やっぱり、引っ込んでいてはくれないか……)
(そうよね。さっき正装で晴れ舞台って言葉を口にした途端、話に飛び付いたものね)
 どこまでも付いていくと言う発言にグラディクトはまたも感動したらしいが、ローダス達は予想通りの展開に些かうんざりした。しかしこうなったからにはさっさと済ませようと、事務的に話を進める。


「それでは、それに向けて準備しなければいけないと思われる事を、纏めて書いてきましたのでご覧下さい」
「用意が良いな。さすがだ」
「本当にそうですね。でもやっぱり色々大変そう……」
「ご安心下さい。既に去年の卒業生で王宮内で勤務している者達の中にも、数多くの私達の同志がおります」
「私達の総力を上げて、アリステア様のお支度と準備を整えてみせますわ」
 力強く請け負ったローダス達に、二人が満足げに頷き返す。


「よし、お前達に任せた。宜しく頼むぞ」
「頼りにしています」
「お任せ下さい」
「この国の未来の為、全身全霊をかけて務めさせて頂きます」
 エセリア断罪の場を、卒業記念式典から建国記念式典の場に誘導させる事に何とか成功したローダス達は、そんな白々しい台詞を口にしながら、密かに胸をなで下ろしていた。





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