悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(17)浅はかな考え

 年度末を翌月に控え、アリステアは密かに焦り出していた。


(もうすぐ卒業記念式典の時期なのに、どうしよう……。あの本みたいに、ヒロイン役の私の存在を、他の生徒達に広く認識して貰えなかったわ。それもこれもエセリア様のせい。本当に悪役令嬢の肩書きに相応しい、暗躍ぶりよね!)
 彼女の劣等生ぶりなら既に大半の生徒に認識されていたが、周囲から遠巻きにされている彼女は、未だにそれを認識できていなかった。


(グラディクト様が卒業してしまったら、会う事すらままならなくなっちゃうし、やっぱり本に書かれてあるみたいに、今度の卒業記念式典で行動を起こすのが理想的よね! 今日にでもさり気なく、グラディクト様に言ってみよう)
 そう決意しながら廊下を歩いていたアリステアだったが、《クリスタル・ラビリンス》と現実の間の、ちょっとした相違に気が付く。


(それはそうと……。卒業記念式典までもうあまり日は無いけど、これまで私に対する直接的な攻撃は無かったわよね? 決定的な証拠として、怪我を負わされた事にでもしてみようかしら?)
 そんなろくでもない考えに至った彼女は、真顔で小さく頷いた。


「……うん、そうよね。あれだけ陰険に根回ししてるんだから、取り巻き連中の間では、誰かが私を突き飛ばした話位は出ているわよ」
 そこで背後から控え目な声がかけられた為、アリステアは足を止めて振り返った。


「アリステア様、今宜しいですか?」
「リアーナさん! 久しぶり。ええ、大丈夫よ」
 嬉々として応じた彼女に、サビーネが神妙に頭を下げる。
「年度末も近く、バタバタしておりまして、お伺いするのが遅れて申し訳ありません。先日の剣術大会での人気投票開票日、アリステア様が接待係のお仕事中にお茶を零されたと耳にしましたが、火傷などはされなかったのでしょうか?」
 心配そうにそう尋ねると、アリステアは感激したように言葉を返した。


「心配してくれたの? ありがとう。本当に怪我とかは無かったから、安心して」
「それは良かったです。とかく上級貴族の方々は、無駄にプライドが高くて排他的でいらっしゃいますので」
「本当にそうよね! 馬鹿馬鹿しくて呆れちゃうわ!」
「そんな保守的な社交界を変革できるのは、全く枠に捕らわれない、自由奔放なアリステア様しかおりません。お心を強く持って、ご自分の信じる道を突き進み下さい」
「ええ、勿論よ! 私が時代の変革者になってみせるわ!」
 胸を張って宣言したアリステアを見て、サビーネは少しうんざりした。


(非常識で破天荒だって、暗に言ってみたのだけど……。やっぱり伝わらなかったわね)
 するとここで、唐突にアリステアが問いを発した。


「ちょうど良かったわ。リアーナさんにちょっと聞きたい事があるんだけど」
「何でございましょう?」
「卒業記念式典の前に、毎年上級貴族のご令嬢だけ集まって、卒業記念の茶話会をするって聞いたんだけど、今年もするのかしら?」
「はい、毎年執り行われておりますし、特に中止になったとも聞いておりませんね」
「そこには勿論、エセリア様も出るわよね?」
 最初は素直に答えていたが、何やら探るようにアリステアが尋ねてきた途端、サビーネは注意深く問い返した。


「はぁ……、当然出席されるとは思いますが……。それがどうかしましたか?」
「その茶話会の、詳しい開催日時と場所を知っていたら教えて欲しいんだけど」
 益々きな臭い話になってきた為、サビーネは慎重に言葉を返した。


「大体のところは耳にしておりますが……、どうして詳細な日時をお知りになりたいのですか? 接待係のようにそちらに参加なさりたいのであれば、殿下を通してお頼みになれば宜しいかと思いますが」
 その申し出に、アリステアは慌てて手を振りながら否定する。


「ううん、違うの! そんな怖い人達が集まっているところに遭遇したく無いから、一応予定を聞いておいて、当日その周囲には行かないようにしようと思っただけだから!」
「……そうでございますか」
「そうなの! 女の人達だけの集まりだから、グラディクト様は知らないだろうと思ったし、わざわざ周りの女の人に聞いて貰う程の事でも無いと思ったから」
 一応、筋は通っているように思えたサビーネは、それ以上問い詰めたりはせず、取り敢えず頷いておく事にした。


「分かりました。それではきちんと日時と場所を調べて、明日までにお伝えします」
「ありがとう。お願いね!」
「はい、それでは失礼します」
 そこで彼女と別れて歩き出したサビーネだったが、どうにもすっきりしないまま、エセリアがいる図書室に向かった。


(いきなり茶話会の事を持ち出すなんて、何だったのかしら? エセリア様の意見を聞いてから、あの人に教えた方が良いわよね?)
 どうにも不安を拭えなかったサビーネは、エセリアが一人で本を探している所に押しかけ、つい先程の出来事について報告した。


「茶話会の日時……」
「別に教えても構わないとは思ったのですが、何となく気になりまして。あの人は参加する気も無いのに、どうしてそんな事を聞いてきたのかと……」
 そこで少しの間、難しい顔で考え込んだエセリアは、とある可能性を口にした。


「そうね……、茶話会には私が出席するのは確実。それを考えると一番可能性があるのは、茶話会の開催中に、その近くで騒ぎが起こる事かしら?」
「騒ぎ、ですか?」
「ええ。その場合、その原因や犯人が、茶話会の出席者と目される可能性が、濃厚にならないかしら?」
 それを聞いたサビーネは、呆気に取られた表情になった。


「彼女はまさか本当に、それを狙っているんですか? ですが茶話会を不自然に中座したら、誰だって覚えていると思いますが。そんな危険を誰が犯すと?」
「でもあの二人は、レオノーラ様を初めとして、上級貴族の主だったメンバーは、皆私の配下だと信じ込んでいるみたいだし。『誰も出て行った者はいなかったと、口裏合わせを命じたのだろう』と、言いがかりをつければ良いと考えそうだわ」
「とんでもない話ですね。それでは彼女には、違う日時を伝えておきましょうか?」
 すっかり憤慨したサビーネだったが、エセリアは苦笑しながら首を振った。


「いいえ、正確な日時を伝えて構わないわ。どうせ大した事はできないでしょうし。それよりも私の断罪の場を、確実に建国記念式典にする事の方に集中したいから」
「それもそうですね。分かりました。彼女には正確な日時を伝えておきます」
「ええ、お願いね」
 そして笑顔でサビーネを見送ったエセリアは、手にした本を見下ろしながら呟く。


「茶話会……。それに関わるイベントとかは、特に《クリスタル・ラビリンス》には書かなかったわよね?」
 心配要らないと断言したものの、微妙に気になってしまったエセリアは、それから少しの間、難しい顔をしながら今後の事について考えを巡らせていた。



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