悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(5)新たな展望

「ソレイユ教授、居るか!?」
 いつも通りノックもせずにドアを開けて押し入って来たグラディクトを、音楽科主幹教授のソレイユは、自分の机で仕事をしながら出迎えた。


「はい、おりますが。殿下、何用でしょうか?」
「お前が言っていたアンケートとやらで、全生徒の意見集約をしてやったぞ! これで音楽祭を開催する意義が分かっただろう? さっさと準備を進めろ」
 机の上にバサッと用紙の束を置かれたソレイユは、それを一瞥してから冷静に問い返した。


「殿下。仕分けはどうなさいました?」
「『仕分け』だと? どういう意味だ?」
「分からなければ結構です。私が致しますので、そのままそちらでお待ち下さい。音楽祭開催の可否は、それが済んでからのお話です」
「何だと? 貴様!」
「そのままお待ち下さいと申しました!」
 詰め寄ろうとしたグラディクトだったが、音楽科の最高責任者であるソレイユの胆力はそれなりであり、眼光鋭く乱入して来た二人を睨み付けた。それを見たアリステアが、控え目にグラディクトの袖を引っ張る。


「……グラディクト様。教授をあまり怒らせるのは」
「ちっ! 早く済ませろ!」
 苛立たしげに言いつけたグラディクトだったが、彼女はアンケート用紙に一枚ずつ目を通し、二つに分けて重ねていった。その間、机の前に立って待っていたグラディクトは、苛々しながらその作業を睨み付ける。
「いつまでかかっている!」
 その何度目かの催促に、ソレイユが漸く顔を上げて答えた。


「終わりました」
「それなら」
「残念ながら、音楽祭を開催する意義はございません」
「何だと? どうしてだ!」
 嬉々として開催を命じようとした彼は、出鼻を挫かれて声を荒げた。しかしソレイユは冷静に二通りに分けた用紙を指し示しながら、堂々と主張する。


「こちらの山が『音楽祭は不要』と断言されているアンケート用紙、こちらの二十枚程が『音楽祭開催を望む』方のアンケート用紙です」
「何だと!? そんな馬鹿な!」
「それではどうぞご自身で、お確かめ下さいませ」
「ええい、寄越せ!」
 険しい顔でアンケート用紙を引き寄せたグラディクトは、素早く用紙を捲りながら内容を確認し始めた。しかし彼女が主張した通りである事が分かり、次々に捲りながら愕然とした顔付きになる。


「これも、これも! 一体どういう事だ!?」
「そんな……」
 アリステアも予想外の事態に困惑する中、ソレイユが淡々と説明を加えた。


「付け加えて申しますと、参加を表明しているのは、そちらのアリステア・ヴァン・ミンティアただ一人。それなら全校生徒が参加する学校行事にするまでもなく、もっと音楽に親しみたいとするその二十人程と共に、音楽室で独演会を開催すればよろしいでしょう。使用申請を出して頂ければ、放課後の空いている時間であれば許可を出しますので、こちらに記入して下さい」
 そう言いながら申請用紙を差し出したソレイユに、アリステアは不本意そうに言い返した。


「そんな少人数相手に演奏しても、私の顔や名前が全然知られないじゃない!」
(あなたの非常識ぶりなど、既に全校生徒に知れ渡っております)
 ソレイユは内心で呆れ果てながら、しかし主幹教授としての威厳を醸し出しながら断言した。


「そう言われましても演奏する者が一名では、とても学園全体の行事として申請する訳には参りません。学園長もお認めにならないでしょう」
「分かった。出演者を集めれば文句は無いのだな! それならすぐに、昨年以上の人間を集めてやる!」
「そうでございますか。それではその後に、改めてお話を伺います」
 グラディクトの宣言にソレイユが慇懃無礼に頷くと、彼は怒りの形相でアリステアを引き連れて出て行く。


「アリステア、行くぞ!」
「はい!」
 そして入室した時と同様に荒々しくドアが閉められてから、ソレイユは隣の部屋に繋がるドアに向けて呼びかけた。
「全く騒々しい事……。もう出て来られても大丈夫ですよ?」
 するとそこから申し訳なさそうな顔でエセリアが現れ、彼女に頭を下げる。


「ソレイユ教授には、またご迷惑をおかけする事態になりまして、申し訳ございません」
「まあ、とんでもない! 私、エセリア様に助けて頂いた事はあれ、迷惑をかけられた事など一度もございませんわ!」
「そう言って頂けると気が楽です」
「しかし……、本当に手書きでアンケート用紙を準備しましたのね。ご苦労様ですこと」
「全くですわ」
 アンケート用紙に目を向けて女二人で苦笑してから、ソレイユはある懸念を口にした。


「ですが……、これから十分な技量を持つ生徒達が、殿下から参加を無理強いさせられないかどうかが心配です」
「そこは手を打ってありますので、ご心配無く」
「そうでしたか。それを聞いて安堵致しました」
 即座に返ってきた言葉にソレイユは安堵し、そんな彼女に対してエセリアが説明を加える。


「教授達は『生徒が開催を希望しない行事などできない』と拒否し、生徒達は『公式行事でも無い物に協力する気は無い』と固辞。もうこれは『鶏が先か卵が先か』と言う論争と同様で、決着がつきませんわ」
 澄まし顔でそんな事を口にしたエセリアに、ソレイユは思わず笑ってしまった。


「鶏と卵……。なるほど、さすがエセリア様。洒落た物言いをなさいますね」
「そんな堂々巡りで時間稼ぎをする間に、自然に生徒達の関心も薄れますし、準備が本格化してくる剣術大会の方が話題に上るでしょう。音楽祭の話題など、自然消滅します」
「年間行事予定でも、今後は詰まっておりますし、日程的にも難しくなるのは確実ですしね。ですが……、エセリア様は本当にご苦労が多いですわね。本来なら生徒達は学園在学中に、その環境と生活を謳歌致しますのに。エセリア様は、度々こんな些末な事に、時間と労力を割かれる事になって」
 その心底同情する口ぶりに、エセリアは何か言いかけたが口を閉ざし、当り障りのない事を口にした。


「私もそれなりに、学園生活を楽しんでおりますから。それでは、そろそろ失礼致します」
「はい、またお好きな時にいらして下さい。今度は是非、演奏をお聴きしたいですわ」
 ここにはアンケート回収後に押しかけて来るであろうグラディクト達の様子を、確認しに来ただけだった為、エセリアはあっさりとそこから立ち去った。


「さて、殿下達は早速、去年の出場者に個別に当たっているでしょうね。私のところに怒鳴り込んで来るのは、明日の放課後辺りかしら?」
 そんな独り言を口にしながら廊下を歩いていると、幾人もの談笑している生徒達とすれ違う。その楽し気な様子に、彼女は無意識に羨望の眼差しを送った。


(本当だったら、私だってあんな風に色々交友関係を増やして、ガールズトークとかしたかったんだけどね……。さすがに立場上、制限のないガールズトークなんて無理だけど、殿下やヒロイン対策をする必要が無かったら、教授が仰っていたように、もう少し貴重な学園生活を謳歌できていたわよ。本当に、どうしてくれようかしら?)
 そんな八つ当たりをしていた彼女の脳裏に、その時、天啓が閃いた。


(そうだわ! 無事、殿下との婚約破棄を済ませたら、私は晴れてフリー! だけど同年配の貴族の子弟は、殆ど売約済み。ともなれば、すぐに私に新しい婚約者が決まる筈も無く、当然結婚なんか先の話になるじゃない! 年齢の問題があるからまた学園には戻れないけど、国内漫遊の旅に出るとか、外国に留学って手もあるわよね! よっしゃ、俄然やる気出てきた!! 頑張って婚約破棄して貰うように持ち込んで、第二の青春を謳歌するわよ!!)
「そうと決まれば早速、そこら辺をお兄様に調べて貰っておきましょう」
 機嫌良くそんな事を口にしながら、エセリアはやる気満々で次の目的地に向かって、足取り軽く歩いて行った。





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