悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

第7章 “暴走”は、傍迷惑な所業です:(1)アンケートの提案

「ソレイユ教授、居るか!?」
 いきなりノックも無しに、乱暴にドアを開けて押し入ったグラディクトを見て、その部屋の主であるソレイユは呆れ顔になった。
「まあ……、グラディクト殿下。随分と騒々しい登場ですわね。一体、何事ですか?」
 予想しながらも平然と惚けた彼女に対して、グラディクトは苛立たしげに詰問する。


「どうして長期休暇が明けてから、いつまで経っても音楽祭参加者の希望を募らないんだ! まさか準備もしていないなどとは、言わないだろうな!?」
「勿論、準備などしておりません。音楽祭など、年度当初に決定された年間行事予定にはありませんから」
 グラディクトの恫喝紛いの問いかけにソレイユが冷静に応じると、いつの間にか彼の背後に立っていたアリステアが、信じられないと言った声を上げた。


「そんな! 本当に全く準備をしてないんですか!? だって去年はちゃんと開催したじゃありませんか!」
「そうだ! 現に剣術大会は、二年目も自動的に開催が決定しただろうが!」
 尤もらしい主張を繰り出した二人だったが、昨年散々この二人に振り回された挙げ句、最後に一人だけ五曲も弾きまくったアリステアに好印象など持てる筈も無かったソレイユは、それを一刀両断した。


「それは学園の上層部が、剣術大会での生徒の技量と意識向上を認めている上、生徒が自主的に運営組織を立ち上げているからです。音楽祭は昨年試しに開催してみましたが、学園長をはじめとする学園幹部の方々には、定例開催の必要性を認められなかったのでしょう」
「そんな……」
 ここで愕然としたアリステアを見たグラディクトが、ムキになって言い募る。


「『必要性を認められない』だと!? 音楽祭は、多くの生徒が開催を望んでいる行事だぞ!」
「そう仰られましても、殿下がそう仰るだけでは……」
 そこでソレイユが困ったような含み笑いで応じた為、グラディクトは益々頭に血を上らせた。


「無礼な! 貴様は私の言葉が、信用ならないとでも言うつもりか!?」
「それほど自信がおありなら、実際に数多くの開催を望む生徒の声を、殿下が集めて頂けませんか?」
「声を集めるだと? 何を言っている?」
 途端に怪訝な顔になった彼に、ソレイユが言葉を重ねた。


「最近、巷で流行っている、アンケート方式ですわ」
「『あんけーと』だと? 何だそれは?」
 聞いた事の無い言葉に彼が本気で戸惑っていると、ソレイユは笑みを絶やさないまま説明を続けた。


「昨年、ワーレス商会で商品開発や顧客対応の為に、開発した手法だそうです。一々店員が対面しながら顧客から話を聞く必要が無く、更に項目を絞り、選択項目を予め印刷しておくことで、回答を容易にする画期的な仕組みです。最近では、他の商会もその方式を取り入れているとか」
「商会の話など良い! それがどうした!」
 全く話が見えなかったグラディクトが怒鳴りつけたが、ソレイユは落ち着き払って、机の引き出しから一枚の用紙を取り出した。


「このような内容の印刷物を全生徒数分準備しておき、各クラスで放課後の時間を使って、全員に記入して貰うのです。そうすれば一人一人意見を聞く手間が省ける上、集約し易くなるかと思われますが」
 そう言いながら手にした用紙を彼女が差し出した為、グラディクトは面白く無さそうな顔のまま受け取ってそれに目を通したが、意味が分からかった為、すぐに問い質した。


「『設問1、あなたは昨年開催された音楽祭は、有意義な企画だったと思いますか? 有意義だったと思う 無意味だったと思う』、……これはどういう意味だ?」
「自分の気持ちに当てはまる方を、丸で囲むようにすれば宜しいのです」
「なるほど! これなら一々質問を聞いたり、答えを長々と書き込まなくて済むんですね!? 確かに楽だわ!」
 淡々とソレイユが答えると、横から手元を覗き込んできたアリステアが感心した声を上げ、グラディクトも機嫌良く頷いた。


「そうだな。他の質問は……、『あなたは今年も音楽祭の開催を望みますか?』『開催される場合は、参加したいと思いますか?』『参加を希望する場合は、名前と曲名をお願いします』『あなたが推薦する演奏者はいますか?』か……。確かに妥当な質問ばかりだな。一人ずつ聞き取るよりは、楽かもしれない」
「どうですか? それを印刷室に持ち込んで人数分印刷して貰い、全生徒の意見を集約してみては。参加を望む声が多ければ、学園長もそれを無視できないでしょう」
 ソレイユが穏やかに促すと、グラディクトは語気強く彼女に言いつける。


「分かった。すぐに手筈を整えて、意見集約してやる。今からすぐ、準備に取りかかっておけ!」
 そしてアリステアを引き連れてグラディクトは足音荒くその場を立ち去ったが、ソレイユは全く恐れ入る様子を見せないまま呟いた。


「するわけありません。勝手に無駄骨を折っていなさい」
 そして何事も無かったかのように仕事を再開したソレイユだったが、少ししてから控え目にドアがノックされる。
「失礼します。ソレイユ教授、今、お時間は宜しいですか?」
 礼儀正しくお伺いを立ててきたエセリアを、ソレイユは笑顔で出迎えた。


「あら、エセリア様。どうかされましたか?」
「殿下達が血相を変えてこちらに怒鳴り込んだと、廊下を通りかかった方が教えて下さいまして」
「そうでしたか。ですが体よく追い払う事が出来ましたので、ご心配無く。長期休暇前にあなたから頂いていた、“あれ”が役に立ちましたわ」
 にこやかに述べたソレイユに、エセリアも安堵しながら質問を続けた。


「それは良かったです。目の前であの項目を、書いて見せたのですか?」
「いえ、あれをそのままお渡ししました」
「え?」
 予想外の事を聞いて、軽く目を見開いたエセリアに、ソレイユは鼻で笑いながら告げた。


「普通であれば、『何故予期していたように準備していたのか』と訝しむ所ですが、見たところ随分と頭に血が上っておられるようなので、そのまま渡してもばれないかと思いましたから」
「……教授は意外に、大胆でいらっしゃいましたのね」
「あの短い文章を書く手間を労する事すら、馬鹿馬鹿しくなってしまいまして」
 そんな事を苦笑いで告げた彼女を見て、エセリアは溜め息を吐いた。


「本当に、露見しなくて良かったですわ。それで殿下達は……」
「あれを持って、印刷室へ直行したと思われます。ですが活版印刷担当のドルツ係官は、色々な意味で融通が利かなくて厳しい方ですから。話が通じなくて、難儀されるでしょうね」
 その予測に、エセリアが真顔で頷く。


「はい、実は私もそう思いまして、ドルツ係官には事前に何も話をしておりませんの」
「そうでしたの? それはそれで、面白そうですわ」
 そこでおかしそうに笑い出したソレイユを見ながら、エセリアは(教授を怒らせると大変だけど、実権を持っている事務係官を怒らせるのも、面倒な事になるのよね。それ位普通に接していれば分かるかと思うけど、あの二人には無理か)と、冷静に事態の推移を考えていた。





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