悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(22)頭痛の種

「あの……、ローダス、本当にごめんなさい。申し訳ないけど、今の内容を簡潔に纏めて、もう一度言って貰えるかしら?」
 盛大に顔を引き攣らせながらのエセリアの訴えに、ローダスは嫌そうな顔を見せず、淡々と報告を繰り返した。


「はい。あのアリステア嬢が『礼儀作法の教室に忘れた教科書を、誰かにズタズタにされた』と言った上で、『エセリア様に良く似た後ろ姿の人が、教室を出て行くのを見た』と口からでまかせをほざいて、殿下に『犯人はエセリア様』と思い込ませていました」
「その……、ズタズタと言うのは、もう少し具体的に言うと、どんな感じなのかしら?」


 周囲が不気味に静まりかえる中、エセリアが何とか声を絞り出すと、ローダスがすこぶる冷静に、客観的に告げる。


「何かの刃物で結構切り付けていて、何とか原形は保っていると言うレベルです」
「…………」
 詳細な状況報告を聞いたエセリアは、強張った顔のままシレイアに尋ねた。


「シレイア……。ごめんなさい。ちょっと自分の記憶に自信が無くなってきたものだから、教えて欲しいのだけど……。私、《クリスタル・ラビリンス》の中で、そんな嫌がらせの場面を書いたかしら?」
「いいえ……、そもそも切りつけたりなどは……。インク瓶の中を空にしたり、ノートに悪口を落書きしたり、教科書のページの端を全て折ったりしてはいましたが。後は、見つけにくい所に隠すとか……」
「やっぱりそうよね。それなのにどうしてそんなに、教科書をボロボロに……」
 顔を青ざめさせながらシレイアが口にした内容に、エセリアは呻くように呟いてから、錯乱気味に叫んだ。


「しかもセルマ教授が担当している、礼儀作法の物だなんて最悪だわ! よりにもよって、なんて事をやらかしてくれてんのよ、あのお馬鹿!!」
「エ、エセリア様!?」
「落ち着いて下さい!」
「どうしたんですか!?」
 叫ぶなりテーブルに両肘を付き、文字通り頭を抱えた彼女を見て、周りの者達は動揺したが、エセリアはすぐに平常心を取り戻して顔を上げた。


「ごめんなさい、少々取り乱しました」
 それを見て安堵してから、サビーネが要領を得ない顔付きをしている三人に向かって、説明を始めた。


「貴族科以外の生徒はご存じないと思いますが、実はセルマ教授は授業が厳しい事は勿論、学園長に次ぐ実力者として恐れられているんです」
「そうなんですか?」
「ええ。貴族科の生徒は、殆どが入学前に、親から言い聞かせられてくる事があるの」
 それにカレナも、真顔で説明を加える。


「私も言われました。『他の教授は誰を怒らせても構わないが、セルマ教授だけは本気で怒らせるな。そんな事になれば即退学だ』と。私達の親世代の殆どが、セルマ教授の薫陶を受けていますから。今年、専科になってから直に教授にお会いしましたが、本当に話に聞いていた通りの方で……」
「専科での礼儀作法の授業が、前年の教養科の時のそれと比べて段違いに厳しくなるのは、セルマ教授が担当するからなのよ」
 再びサビーネがそう説明すると、他の三人は半ば呆然としながら頷いた。


「それは知りませんでした……」
「……そんな怖い方でしたか」
「私、官吏科で良かった」
 そんな三人を見ながら、エセリアがある事実について言及する。


「以前、少し話した事があると思うのだけど……。そもそも礼儀作法の授業に、教科書などと言う物は存在していないの。毎回指示された内容を、教授の目の前で実践して、チェックを受ける事になっているから」
 それを耳にした三人は、揃って当惑した顔になった。


「え? それでは、そのアリステア嬢の教科書と言うのは何ですか?」
「セルマ教授が用意した特別な本か、アリステア嬢に身に付いている礼儀作法のレベルに合わせて、教授が手書きで纏めた物ではないかと思うのだけど」
 エセリアの推論を聞いたローダスは、真剣な顔で考え込んだ。


「言われてみれば……。あれはきちんと装丁された本では無くて、表紙と裏表紙は厚紙を使っていましたが、普通の用紙を紐で綴じてありましたね……」
「やっぱり……。そんな物が滅茶苦茶に切られていたのを目にしたら、セルマ教授が激怒する事確実だわ」
 思わず漏れ出たサビーネの呟きに、エセリアが深く頷く。


「当然、本格的に犯人探しが始まるでしょうけど、そこでアリステア嬢が能天気な発言をしても、そもそも私がイドニス教授から講義を受けている情報自体が嘘なのだし、その現場の教室近辺で私を見かける筈が無いわ。それに普通だったら存在しない『礼儀作法の教科書』の存在なんて、どうやって私が知るの? 主張が矛盾だらけで、即自作自演を疑われて一発で退学決定じゃない……。いえ、そんな事より! 殿下が怒鳴り込むとか糾弾してやるとか言って、激高したんじゃない!?」
 遅れてその可能性に気が付いたエセリアが顔色を変えたが、ローダスがそんな彼女を落ち着かせるように報告した。


「確かにそのような事を喚き出しましたが、明確な証拠ではないし、第三者の目撃者もいないので、まともに訴えたら『これ幸いと、自作自演で誹謗中傷する気かと反撃されます』と言い聞かせたら、殿下は取り敢えず納得してくれました。彼女も自作自演と口にしたところで、微妙に顔色が変わっていましたから、滅多な騒ぎは起こさないでしょう」
「助かったわ……。ありがとう、ローダス」
「いえ、すぐに手を打てて良かったです」
 それを聞いて、心底安堵した彼女に向かって、ローダスが提案する。


「それで、適当な偽名を使って宣誓書でも作って、あの二人を宥めておこうかと思うのですが。『数は力』だと言い含めておきましたので、これから殿下は躍起になって、証人を集めようとする筈ですし」
 相手の言わんとする所を察したエセリアは、即座に頷いた。


「ああ……、なるほどね。了解しました。それはこちらで準備しておくわ」
「宜しくお願いします」
「だけどこれに味をしめて、アリステア嬢がこれからも、色々やってくれそうな予感がするわ……」
「本当に。もう少し限度と言うものを、考えて頂けないものでしょうか?」
 エセリアの愚痴っぽい呟きに、サビーネの呆れ果てた口調での台詞が続き、他の面々も無言のまま、うんざりした顔を見合わせたのだった。





コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品