悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(3)噂話の内容

 その日、貴族科上級学年の教室では、数人の女生徒達がエセリアを囲み、楽しげに談笑していた。


「この前発売されたエセリア様の新作には、久々に心踊らされましたわ」
「本当に。早く続きが読みたいのは山々ですが、学業に励んでおられるエセリア様を催促するのは、申し訳ありませんし……」
 殊勝な物言いながらも、その瞳には期待の色が満ち溢れており、それをしっかり見て取ったエセリアは、幾分困ったように微笑んだ。


「皆様、そう言いながら私を囲んで本の話をしているのは、無言で圧力をかけているのと同じ事ではないのかしら?」
「まあ、私達そんな事は」
「夢にも思っておりませんのに」
 周囲が朗らかに笑うのに合わせて、エセリアも笑いながら、さり気なく教室のほぼ対角線上にいるグラディクトの様子を盗み見た。


(都合良く、こちらを見ているわね。邪推でも何でもすれば良いわ)
 そんな事を考えながらほくそ笑んでいると、サビーネが予め打ち合わせしておいた話題を出してくる。


「ところでエセリア様に、お伺いしたい事があるのですが」
「あら、何かしら?」
「話を作る時に、誰か特定の方をモデルにして、登場人物を作る事があるのですか? いつも存在感溢れる方ばかりなので、実在の方を見ながら書いているのかと思いまして」
(さすがサビーネ、良いタイミングで話題を出してくれたわ)
 心の中で密かに彼女を賞賛しつつ、エセリアは真面目に考え込むふりをしながら、その問いに答えた。


「そうですね……。確かに創作意欲が湧く方を目にした時は、その方をモデルにする事はありますわ」
「そうですか。それならあの《リーガル王子》のモデルは、やはりアーロン殿下ですか?」
「残念ながら、彼のモデルはいないのよ」
 それを聞いた周囲から、落胆の声が挙がる。


「まあ、そうでしたか。残念です」
「ひょっとしたら、この学園にいらっしゃるかと思ったのに」
「私も、グラディクト殿下ではあり得なくても、アーロン殿下の可能性はあるかと、お伺いしてみたのですが」
 如何にも残念そうにサビーネが呟いた為、周りから失笑が漏れると同時に、彼女達の視線が離れた場所にいるグラディクトへと自然に集まった。


「確かに申し訳ありませんけど、グラディクト殿下ではあり得ませんわね」
「ええ、本当に」
 そして少し笑い合ってから次の話題に移り、彼女達はすぐにグラディクトの事など頭の片隅に追いやってしまったが、当の本人は不満げな表情でエセリア達を睨み付ける。


(先ほどは何だったんだ? エセリアやその取り巻き達が、こちらを見て変な笑い方をしていたが……。本当に王太子を王太子とも思わない、失礼な奴らだ)
 苛立たしげにそんな事を考えたグラディクトは、不機嫌なままその日一日を過ごした。


「お前達はもう良い。付いて来るな」
 授業を全て終えて、側付きを従えて教室を出たグラディクトは回廊まで進んでから、背後を振り返って指示を出した。すると側付きの三人は、特に言い返す事も無く頭を下げる。


「畏まりました」
「それでは明朝、お迎えに上がります」
 頭を下げた彼らに背を向け、アリステアと待ち合わせをしている資料室に向かったグラディクトだったが、その姿が見えなくなったところで、三人は忌々しげに囁きあった。


「また、あの女に会いに行くんだろう? あんな下級貴族でも末端の女の、どこがそんなに良いのやら」
「良いじゃないか。朝から晩まで、ああしろこうしろと言われなくなったんだから」
「そうそう。どうせ意見しても逆ギレされるだけだし、こっちだって空いた時間を好きにさせて貰えば良いさ。坊ちゃんのお守りは、女に任せておけよ」
「それはそうだな」
 側付き達はそんな辛辣な事を言い合い、面倒を回避しつつ自分達が楽をする為、敢えてアリステアの事を身内にも漏らしてはいなかった。


「グラディクト様、少しお時間を頂いても宜しいですか?」
 廊下を歩いている時、唐突に背後からかけられた声に、グラディクトは最初険しい表情で振り返ったが、相手を確認してすぐにそれを緩めた。
「ああ、ユーナか。久しぶりだな。この前は世話になった」
 アリステアの危機を伝えてくれた相手でもあり、彼にしては珍しく素直に礼を述べると、《ユーナ》の扮装をしたカレナは恭しく頭を下げた。


「勿体ないお言葉。加えて私如きの名前を記憶に留めて頂き、恐縮です」
「そんなにかしこまる事は無い。それで、どうかしたのか?」
 グラディクトは機嫌良く尋ねたが、カレナはキョロキョロと周囲の様子を窺って人目が無いのを確認してから、声を潜めて言い出した。


「実は……、最近貴族科の女性達の間で、アリステア様に関する噂が、密かに広まっておりまして……」
「それはまさか、エセリアが広めているのか?」
「ご明察です。実に聞くに耐えない噂で、殿下のお耳に入れるべきかどうか、迷ったのですが……」
 如何にも気が進まないと言った風情でカレナが言葉を濁すと、グラディクトが真顔で促す。


「事実を正直に語ったとしても、お前にどうこう言うつもりは無い。構わないから言ってみろ」
「はい。それではお伝えしますが……、『長い学園の歴史でも、これまで個別授業を受けた生徒など皆無なのに、なんて恥曝しな』とか、『問題児を押し付けられたセルマ教授がお気の毒』とか、『そんな取るに足らない生徒を側に寄せておく殿下の品格を疑う』とか、その他にも色々と殿下とアリステア様を誹謗中傷する内容を……」
「何だと?」
 忽ち怒気を露わにした彼に、カレナが制服のポケットから折り畳んだ紙を取り出して差し出す。


「私は騎士科ですから、直接耳にしたのは数える程ですが、貴族科の友人が耳に入れた内容を書きとめて、私に渡してくれました。こちらをご覧下さい」
「ああ」
 そしてそれを広げて目を通したグラディクトは、怒りのあまりその紙を握り潰しかけ、何とか踏みとどまった。


「これは……。エセリアの奴、よくもここまで陰険な事を……。そういえば最近、教室内で女達が集まって、こそこそと何かを話ながら私の方を見て含み笑いをしていたが、そういう事か。私とアリステアを陰で愚弄しているとは許さん!」
(全く、言ってなんかいませんけどね。殿下が言った内容って、大方、エセリア様の本の話題で、紫蘭会の皆様が盛り上がっていただけなのを、邪推したのではないかしら?)
 ほぼ正確に事態を推測したカレナは、このままグラディクトに暴走されては困る為、冷静に用意しておいた台詞を口にした。


「殿下。あの方々を許し難い気持ちは十分理解できますが、その前にアリステア様への配慮をお願いしたいのです」
「どういう事だ?」
 グラディクトが怪訝な顔で尋ねると、カレナは真顔で説明し始めた。


「心無い噂をアリステア様が耳にしても、そんな事を殿下に訴えたら激怒なされると思って、密かに胸の内に秘めておられるのではないかと推察いたします」
「だが事実なのだろう? 怒って何が悪い!」
「失礼を承知で申し上げますが、あくまでも噂は噂。例え殿下が訴えたとしても、実際に言った言わないで水掛け論になるだけです。それによって殿下の立場を悪くしてはならないと、アリステア様が考慮されているのではないでしょうか?」
「……なるほど。そういう事か」
 その如何にも尤もらしい主張に、グラディクトは思わず考え込んだ。それにカレナが力強く頷く。


「はい。ですから、それについてアリステア様を無理に問い詰めるような事は、控えて頂きたいのです。ご自身からお話しされない限りは、大した問題では無いかと思われますので」
「……分かった。これから腹が立つ事を耳にしても、下手に事を荒立てないようにしよう」
 少し考え込んでから神妙に頷いた彼を見て、カレナは安心したように微笑んだ。


「ありがとうございます。本当にアリステア様は、控え目でいながらも芯の強い、真の貴婦人でいらっしゃいます。私は騎士科に属しておりますから、卒業後は近衛騎士として女性王族の護衛の任に就く事になりますが、できる事ならあの傍若無人なエセリア様などではなく、アリステア様のような思いやり深い方に付きたいものです」
 その世辞を真に受けたグラディクトが、晴れやかな笑顔で断言する。


「安心しろ。いつまでもエセリアの好き勝手にはさせん。卒業までに、必ず目に物を見せてやる!」
「何と力強いお言葉! 感動致しました。これからも心ある者は、殿下達にご助力致します」
「ああ、頼りにしている」
「お引き留めして、申し訳ありませんでした。それでは失礼致します」
「ああ、それではな」
 そして上機嫌に立ち去ったグラディクトとは反対方向にカレナは歩き出し、すぐ近くの曲がり角で待機していたシレイアに歩み寄った。


「お待たせしました」
「カレナ、上出来よ! 凄い演技派だったのね、知らなかったわ!」
 一部始終を見ていた彼女から、満面の笑みで誉められたカレナは、照れくさそうに笑った。


「この前みたいに、すぐ別れるわけでは無かったので、結構冷や汗ものだったのですが、シレイア様にそう言って頂けたなら合格点ですわね」
「合格点どころか、満点よ。これで殿下はアリステアが誹謗中傷を受けていても、自分の立場を考えて秘密にしていると思い込んだわよ? サビーネ様とあの女が会う為の時間稼ぎとしても、十分だったし」
「それなら良かったです。後でサビーネ様からお話を伺うのが楽しみですわ」
「ええ、私もよ」
 そんな事を口にしながら、彼女達は楽しげに廊下を歩いて行った。





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