悪役令嬢の怠惰な溜め息
(12)美術展開催
絵画展初日。美術担当の教授達が、生徒達から提出された絵を美術室から運び出し、授業時間内に中央校舎の一番広いホールに展示して体裁を整えた。
当然グラディクトは初日のうちに見に行くつもりだったが、人が集まって来てから鑑賞しに行こうと、放課後にまずカフェに移動してゆったりとお茶を飲み始めた。すると二人の女生徒がカフェにやって来て、カウンターからお茶を受け取りながら、賑やかに喋り始める。
「絵画展の作品、本当に素晴らしかったわ」
「美術の授業では、同じクラスの方の作品しか目にする機会は無いから、ああいう催し物も良いですわね」
それで既に展示物を見て来た生徒だと分かったグラディクトは、無言でほくそ笑んだ。
(そうだろうとも。何故今まで、こんな企画が無かったのか、理解に苦しむぞ)
そして彼は素知らぬ顔でカップの中身を飲み続け、近くの席に座った彼女達の会話に耳を傾けながら、すっかりご満悦だった。
「それにしても、あの肖像画の出来映えは随一でしたわ」
「こう申してはなんですが、他の作品は全て、あの肖像画の引き立て役ではなくて?」
「そう言ってもおかしくありませんわね。あの絵ほど、モデルの魅力を最大限に引き出している物はありませんもの」
「何をしていなくても周囲に滲み出る高貴さと聡明さを、余す事なく表現しきっていますわ」
(正にその通りだな。後でエドガーを誉めてやらないと)
彼女達の会話に出て来た肖像画が、自分を描いた物だと信じて疑わなかったグラディクトは、傍らに座っているエドガーを横目で見ながら顔を緩めたが、彼の機嫌が良かったのはここまでだった。
「本当に素晴らしい作品でしたわ……。マリーリカ様は歌だけではなく、絵の才能もおありですのね」
「ええ、エセリア様と言いマリーリカ様と言い、さすがは王子殿下の婚約者になられる程のお方ですわ。アーロン殿下も今回の事では、鼻が高いでしょう」
「何だと!?」
「……え?」
「何事ですの?」
「殿下?」
「どうかされましたか?」
聞き捨てならない内容を聞いたグラディクトは、怒声を発しながら勢い良くカップを置いた。そして側付き達が唖然とする中立ち上がり、彼女達のテーブルに駆け寄って問い質す。
「おい、お前達! 今、何の話をしていた!?」
そう尋ねられた彼女達は、困惑顔を見合わせながら答えた。
「『何の話』かと言われましても……。美術展に出品されていた、マリーリカ様が描かれたエセリア様の肖像画の話ですが」
「もうその話で持ちきりですわよ? その絵の前で、新しい画材の宣伝もしておりましたし」
「はぁ!? 新しい画材とは、何の事だ!」
「確か『クーレ・ユオン』とか言いましたか……。マリーリカ様は今回、それを使ってエセリア様の絵を描かれたそうです」
「ふざけるな……。新しい画材だと?」
そこまで話を聞いたグラディクトは、詳細を確かめるべく、絵画展の会場となっているホールに向かって駆け出した。
「あ、殿下!」
「お待ち下さい!」
「何かしら?」
「さあ。最近グラディクト殿下のなさる事は、良く分かりませんもの」
「本当にそうですわね」
そんな彼を、側付きの生徒達が慌てて追いかけ、その様子を呆気に取られて眺めた彼女達は、顔を見合わせて苦笑した。
そして会場に到達したグラディクトは、数多くの絵が飾られている中で、その一角だけ人だかりがしている事で、目的の場所を察知した。
「あそこか!」
そして追いついた側付き達と共にその人垣に近づくと、その向こうの壁に飾られた絵を認めた全員が、驚きに目を見張った。
「何だあれは……」
「凄い……。これは絵の具など使用せず、しかしきめ細やかな表現ができている。特に透明感や陰影、細部の表現が素晴らしい。正に逸品だ。これをマリーリカ様が描かれたとは……。確かに、天才と呼ぶに相応しい……」
クーレ・ユオンで描かれたエセリアの肖像画の秀逸さに、皆が声も無く立ち尽くす中で、エドガーはそれなりに画才があるだけに、よりその技巧の高度さを理解した。そんな感嘆の呟きが漏れると同時に、人垣の向こうから声が上がる。
「それでは、今のマリーリカ様の実演をご覧になった方で、このクーレ・ユオンを使ってみたいと仰る方は、こちらをお持ち下さい。販売元のワーレス商会が専用の紙をお付けして六本セットを、今から無料配布致します!」
そのミランの声がホールに響き渡ると同時に、一斉に人垣が崩れて動き始めた。
「え? 本当に!?」
「是非欲しいわ!」
「俺にもくれ!」
「皆様、慌てないで下さい。希望する方に、順番にお配りします」
「欲しい方は、こちらに一列にお並び下さい。数は十分に準備してありますので、ご心配無く」
カレナの誘導でミランの前に長い列が整っていき、それでこれまで人垣の向こうに机と椅子が出してあり、そこでマリーリカが今まで実際にクーレ・ユオンを使って絵を描いて見せていたのが分かった。そして未だマリーリカがいる机の周囲に何人かの生徒が残り、色々と問答をしながら彼女が手を動かしているのを見て、グラディクトが悔し気に歯ぎしりする。
更にホール内に学園長のリーマンが笑顔で佇んでいるのを認めたグラディクトは、憤怒の形相で彼に詰め寄った。
「おい、リーマン!」
「おや、グラディクト殿下。いらしていたのですか」
「何を傍観している! 学園内で商売など、以ての外だろう! さっさと止めさせろ!」
エドガーとの共同作品としてアリステアが出品した作品が、割と目立つ位置に飾ってありながら、皆がマリーリカの新画材での実演と作品に夢中になって見向きもされていない実態を見て、グラディクトは話題となっている物を排除しようとしたが、リーマンは落ち着き払ってそれに答えた。
「殿下。これは販売ではなく、無料配布です。それに予め出された申請に従って私が許可を出し、念の為に私の監督下で行わせております。別に問題はございません」
「問題ないだと!?」
「はい。新たな画材を世間に広め、幼い頃から、または貧富の差無く芸術を貴ぶ精神を育もうとするワーレス商会の姿勢に、私は感銘を受けて心から賛同致しました。美術担当の教授達も同様で、来期からあのクーレ・ユオンを授業で取り入れようかと検討しております」
それを聞いたグラディクトは、小さく歯ぎしりして学園長相手に凄んでみせる。
「……あのような得体の知れない物を。本気か?」
しかし仮にも王立学園のトップである彼は、そんな彼の様子を歯牙にもかけなかった。
「はい。しかし今回、マリーリカ様の才能には本当に驚かされましたな。さすがは王家に認められて、王子殿下の婚約者になられるだけの事はある。エセリア様も出品されましたが、ごく平凡な作品であられたので、今回はマリーリカ様の陰に隠れてしまいましたな」
「…………っ!」
「まあ、誰にも得手不得手と言う物がございますし、今回は偶々エセリア様よりマリーリカ様の方が……、殿下?」
平然とにこやかに微笑まれながらの感想に、グラディクトは顔色を変えた。それはエセリアよりもマリーリカのような才能あふれる婚約者を持つアーロン殿下の方が、王太子に相応しい。また、エセリアと張り合うなら、マリーリカ程度の才能がある女性ではないと王子殿下の婚約者としてはふさわしくないと、暗にアリステアを貶された気がしたからである。
しかしそれは全くの邪推でしかなく、そんな意図は欠片もなかったリーマンは、グラディクトが何故急に顔色を変えて自分の前から離れて行ったのかが分からず、不思議そうにその背中を見送った。
(ふざけるな、たかが一学園長の分際で!! 私が王になったら、いや、人事での実権を握ったら、即刻懲戒解雇にしてやる!!)
しかし今現在の一生徒の立場では、そんな横暴がまかり通らない事は理解していたグラディクトは、そのやり場のない怒りをいつの間にかマリーリカの前に立って、彼女と色々技術的な事を話し込んでいたエドガーに向けた。
当然グラディクトは初日のうちに見に行くつもりだったが、人が集まって来てから鑑賞しに行こうと、放課後にまずカフェに移動してゆったりとお茶を飲み始めた。すると二人の女生徒がカフェにやって来て、カウンターからお茶を受け取りながら、賑やかに喋り始める。
「絵画展の作品、本当に素晴らしかったわ」
「美術の授業では、同じクラスの方の作品しか目にする機会は無いから、ああいう催し物も良いですわね」
それで既に展示物を見て来た生徒だと分かったグラディクトは、無言でほくそ笑んだ。
(そうだろうとも。何故今まで、こんな企画が無かったのか、理解に苦しむぞ)
そして彼は素知らぬ顔でカップの中身を飲み続け、近くの席に座った彼女達の会話に耳を傾けながら、すっかりご満悦だった。
「それにしても、あの肖像画の出来映えは随一でしたわ」
「こう申してはなんですが、他の作品は全て、あの肖像画の引き立て役ではなくて?」
「そう言ってもおかしくありませんわね。あの絵ほど、モデルの魅力を最大限に引き出している物はありませんもの」
「何をしていなくても周囲に滲み出る高貴さと聡明さを、余す事なく表現しきっていますわ」
(正にその通りだな。後でエドガーを誉めてやらないと)
彼女達の会話に出て来た肖像画が、自分を描いた物だと信じて疑わなかったグラディクトは、傍らに座っているエドガーを横目で見ながら顔を緩めたが、彼の機嫌が良かったのはここまでだった。
「本当に素晴らしい作品でしたわ……。マリーリカ様は歌だけではなく、絵の才能もおありですのね」
「ええ、エセリア様と言いマリーリカ様と言い、さすがは王子殿下の婚約者になられる程のお方ですわ。アーロン殿下も今回の事では、鼻が高いでしょう」
「何だと!?」
「……え?」
「何事ですの?」
「殿下?」
「どうかされましたか?」
聞き捨てならない内容を聞いたグラディクトは、怒声を発しながら勢い良くカップを置いた。そして側付き達が唖然とする中立ち上がり、彼女達のテーブルに駆け寄って問い質す。
「おい、お前達! 今、何の話をしていた!?」
そう尋ねられた彼女達は、困惑顔を見合わせながら答えた。
「『何の話』かと言われましても……。美術展に出品されていた、マリーリカ様が描かれたエセリア様の肖像画の話ですが」
「もうその話で持ちきりですわよ? その絵の前で、新しい画材の宣伝もしておりましたし」
「はぁ!? 新しい画材とは、何の事だ!」
「確か『クーレ・ユオン』とか言いましたか……。マリーリカ様は今回、それを使ってエセリア様の絵を描かれたそうです」
「ふざけるな……。新しい画材だと?」
そこまで話を聞いたグラディクトは、詳細を確かめるべく、絵画展の会場となっているホールに向かって駆け出した。
「あ、殿下!」
「お待ち下さい!」
「何かしら?」
「さあ。最近グラディクト殿下のなさる事は、良く分かりませんもの」
「本当にそうですわね」
そんな彼を、側付きの生徒達が慌てて追いかけ、その様子を呆気に取られて眺めた彼女達は、顔を見合わせて苦笑した。
そして会場に到達したグラディクトは、数多くの絵が飾られている中で、その一角だけ人だかりがしている事で、目的の場所を察知した。
「あそこか!」
そして追いついた側付き達と共にその人垣に近づくと、その向こうの壁に飾られた絵を認めた全員が、驚きに目を見張った。
「何だあれは……」
「凄い……。これは絵の具など使用せず、しかしきめ細やかな表現ができている。特に透明感や陰影、細部の表現が素晴らしい。正に逸品だ。これをマリーリカ様が描かれたとは……。確かに、天才と呼ぶに相応しい……」
クーレ・ユオンで描かれたエセリアの肖像画の秀逸さに、皆が声も無く立ち尽くす中で、エドガーはそれなりに画才があるだけに、よりその技巧の高度さを理解した。そんな感嘆の呟きが漏れると同時に、人垣の向こうから声が上がる。
「それでは、今のマリーリカ様の実演をご覧になった方で、このクーレ・ユオンを使ってみたいと仰る方は、こちらをお持ち下さい。販売元のワーレス商会が専用の紙をお付けして六本セットを、今から無料配布致します!」
そのミランの声がホールに響き渡ると同時に、一斉に人垣が崩れて動き始めた。
「え? 本当に!?」
「是非欲しいわ!」
「俺にもくれ!」
「皆様、慌てないで下さい。希望する方に、順番にお配りします」
「欲しい方は、こちらに一列にお並び下さい。数は十分に準備してありますので、ご心配無く」
カレナの誘導でミランの前に長い列が整っていき、それでこれまで人垣の向こうに机と椅子が出してあり、そこでマリーリカが今まで実際にクーレ・ユオンを使って絵を描いて見せていたのが分かった。そして未だマリーリカがいる机の周囲に何人かの生徒が残り、色々と問答をしながら彼女が手を動かしているのを見て、グラディクトが悔し気に歯ぎしりする。
更にホール内に学園長のリーマンが笑顔で佇んでいるのを認めたグラディクトは、憤怒の形相で彼に詰め寄った。
「おい、リーマン!」
「おや、グラディクト殿下。いらしていたのですか」
「何を傍観している! 学園内で商売など、以ての外だろう! さっさと止めさせろ!」
エドガーとの共同作品としてアリステアが出品した作品が、割と目立つ位置に飾ってありながら、皆がマリーリカの新画材での実演と作品に夢中になって見向きもされていない実態を見て、グラディクトは話題となっている物を排除しようとしたが、リーマンは落ち着き払ってそれに答えた。
「殿下。これは販売ではなく、無料配布です。それに予め出された申請に従って私が許可を出し、念の為に私の監督下で行わせております。別に問題はございません」
「問題ないだと!?」
「はい。新たな画材を世間に広め、幼い頃から、または貧富の差無く芸術を貴ぶ精神を育もうとするワーレス商会の姿勢に、私は感銘を受けて心から賛同致しました。美術担当の教授達も同様で、来期からあのクーレ・ユオンを授業で取り入れようかと検討しております」
それを聞いたグラディクトは、小さく歯ぎしりして学園長相手に凄んでみせる。
「……あのような得体の知れない物を。本気か?」
しかし仮にも王立学園のトップである彼は、そんな彼の様子を歯牙にもかけなかった。
「はい。しかし今回、マリーリカ様の才能には本当に驚かされましたな。さすがは王家に認められて、王子殿下の婚約者になられるだけの事はある。エセリア様も出品されましたが、ごく平凡な作品であられたので、今回はマリーリカ様の陰に隠れてしまいましたな」
「…………っ!」
「まあ、誰にも得手不得手と言う物がございますし、今回は偶々エセリア様よりマリーリカ様の方が……、殿下?」
平然とにこやかに微笑まれながらの感想に、グラディクトは顔色を変えた。それはエセリアよりもマリーリカのような才能あふれる婚約者を持つアーロン殿下の方が、王太子に相応しい。また、エセリアと張り合うなら、マリーリカ程度の才能がある女性ではないと王子殿下の婚約者としてはふさわしくないと、暗にアリステアを貶された気がしたからである。
しかしそれは全くの邪推でしかなく、そんな意図は欠片もなかったリーマンは、グラディクトが何故急に顔色を変えて自分の前から離れて行ったのかが分からず、不思議そうにその背中を見送った。
(ふざけるな、たかが一学園長の分際で!! 私が王になったら、いや、人事での実権を握ったら、即刻懲戒解雇にしてやる!!)
しかし今現在の一生徒の立場では、そんな横暴がまかり通らない事は理解していたグラディクトは、そのやり場のない怒りをいつの間にかマリーリカの前に立って、彼女と色々技術的な事を話し込んでいたエドガーに向けた。
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