悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(8)新画材の用途

「これって……、クレヨンよね!? 本当に作っちゃったの!?」
 ミランの話を聞いて予想はしていたものの、前世の記憶の中にあるそれの再現っぷりを目の当たりにしたエセリアは、勢い良く立ち上がりながら叫んだ。その驚愕ぶりに、周りの者達が揃って驚く。


「エセリア様?」
「何ですか? その変な棒は」
「今、『くれよん』とか仰いました?」
「え、ええと……、こちらの話よ。気にしないで。ところで……、それの名前は何と言うの?」
 かなり苦し紛れに話を誤魔化すと、ミランは大真面目に答えた。


「実はまだ、名前を正式に決めていません。そもそもの発案者たるエセリア様に決めて欲しいと、クオール兄さんが言っていますので。何か良い案はありませんか?」
「そうね……、そのまま過ぎるけど、簡易画材クーレ・ユオンなんてどうかしら?」
「それが無難かも知れませんね。子供にも分かり易いと思いますし」
(相変わらず、変に前世の記憶の中の発音と似てるのよね。変にシンクロして困るわ)
 エセリアがしみじみとそんな事を考えていると、ミランが話を元に戻した。


「七年前にエセリア様が『子供が気軽に、楽しく絵を描ける画材が無い。こういう物があったら探すか作って欲しい』とアイデアを出されましたが、覚えていらっしゃいますか?」
 それに素直に頷きながらも、エセリアはまだ少し呆然としながら問い返す。


「ええ。だけどそれから一年位後に、『なかなか思うような物が出来上がりません』と言われて、それきりになっていたから、その話は立ち消えになっていたと思っていたわ……。まさかあれからずっと、ワーレス商会で開発を続けていたの?」
「いえ、ワーレス商会としてではなく、下の兄が絵を描くのが趣味なので興味を持って、使う材料や配合を変えながら、試作品を作り続けていたんです」
 それを聞いたエセリアは、以前ワーレス商会を訪れた時に紹介して貰った、彼の家族について思い返した。


「下のお兄さんって……、確かクオールさんの事よね? そう言えば偶にお店でお会いした時も、販売や販路拡大よりは、商品開発の方に興味をお持ちだった気がするわ。私がアイデアを出した商品について、改善点とかを事細かく尋ねられた記憶があるし」
 その言葉に、ミランが苦笑しながら頷く。


「そうなんです。クオール兄さんは、とんでもない凝り性で。父に『こいつに店を任せたら、すぐに潰すに決まっている』と言われながら、こつこつ試作品を作っては廃棄するのを繰り返して、今年に入って漸く完成したんです。それで、再来月から大々的に販売する事になりました」
「見上げた職人魂ね、感動したわ! しかも私が口頭で説明した、画を描く為の厚みのある紙まで作ってあるなんて!」
 箱の底に重ねてある白い紙についても、エセリアが感嘆の声を上げたが、それでミランの苦笑が一層深まった。


「これはどちらかと言うと、副産物ですが。エセリア様が本を出し始めた頃、『紙の用途は文章を書くだけじゃ無くて、他にもあるでしょう? もっと色々な可能性を探って販路拡大するのが、優れた商人じゃないの!?』と叱責されたのを受けて、ワーレス商会で様々な厚さや材質の紙を作り始めましたので」
「え? ええと……、叱ったつもりでは……。むしろ、激励のつもりだったんだけど……」
「…………」
 冷や汗をかきながら弁解したエセリアに、周囲から物言いたげな視線が集まる。しかしそれには構わず、ミランが話を続けた。


「既に包装する為の包装紙や、飾り付けに使用する色紙を販売して需要が伸びていますが、この厚紙もこの画材と組み合わせて上手く販売すれば、売り上げは伸びる筈です」
「ええ、そうよ。これを使えば、まず第一に、小さな子供が絵を容易く描けるようになるわ。一々顔料を油と練り合わせて描かなければならないなんて、手間暇のかかる事を子供ができないし、道具一式を揃えるだけでも高額になるもの」
「はい。それ故にこれまで絵画を趣味とできるのは、貴族、もしくは裕福な商人のみでした」
 真顔でミランが同意し、エセリアがなお一層熱を込めて語り続ける。


「だけどこれなら、机と紙があるだけで気軽に絵を描く事ができて、子供の情操教育向上に貢献できる。しかも忙しい母親の手を煩わす事無く、雨の日でも子供が家の中で一人で遊べる。世の母親のイライラ解消にも、一役買うのよ! 問題は、子供が紙以外の所に落書きしてしまった場合だけど……」
 そこでトーンダウンし、難しい顔になったエセリアだったが、ここでミランがおかしそうに口を挟んできた。


「エセリア様、お忘れですか? この画材の話をされた時に、『気楽に描けるのは良いけど、主に子供が使う事になるから心配なの。できればその油性の汚れを綺麗に落とす洗剤も、一緒に開発すれば良いのだけど』と仰っていたのですが」
「え? そうなると、まさか……」
 それを聞いたエセリアは、信じられないと言った顔つきで瞬きした。そんな彼女に、ミランが誇らしげに告げる。


「クオール兄さんは平行して、油汚れを綺麗に落とせる洗剤を開発しました。これを発売する時には、それを試供品として、少量を無料配布する事になっています」
 その計画を聞いたエセリアは、歓喜の叫びを上げた。


「さすがクオールさん! さすがワーレス商会! いける、いけるわ、絶対売れるわよ!? それじゃあ、幾つかアドバイスをするわ。これは剥き出しのままじゃなくて、手を汚れにくくする為に、薄い紙を巻いておけば良いと思うの。短くなったら、それをちぎって使えば良いし」
「ああ、なるほど。言われてみればそうですね。そう言えば『こんな薄い紙、何に使うんだ』と、父さんが呆れていた紙があったな……」
「それから、これは絵を描くだけじゃなくて、手軽なアイキャッチとしても使えるのよ」
「は? 『あいきゃっち』とは何ですか?」
 ここで完全に当惑したミランだったが、エセリアの口の動きは止まらなかった。


「店で物を売り出す時、その商品をお客に知って貰わなくてはいけないでしょう? だけどお客一人一人に、店員を張り付かせて説明するわけにはいかない。そんな事をしたら、人件費がとんでもないわ」
「はい、正にその通りです。ですから必要な内容や宣伝文句は、紙に書いて貼り出すか、説明文書を付けています」
「どこを読んでも代わり映えしない、黒一色のインクでね」
「…………」
 そこで何となく相手の言いたい事が分かってきたミランが、無言になって彼女の顔を凝視すると、エセリアは溜め息を吐いて話を続けた。


「ええ、本当に。当時どうしてインクに黒しか無いのかと、絶望したわよ。勿論、店舗の看板とか内外の装飾に使う顔料はあったわよ? だけどそれだと、作るのも手間暇がかかって気軽に作れないし、一度作ったら簡単に廃棄できないもの」
「それではエセリア様は、これを看板の代わりに使うと仰る?」
「看板と言う程まで、大袈裟な物じゃないのよ。店内に並べてある商品の横に『売れ筋新商品』って太い赤字で書いてあれば、嫌でも目に付くでしょう? そして改良商品が出たら、今度は『型落ちにより割引品』の紙と、取り替えれば良いわ」
 そこまで聞いたミランは、慎重に確認を入れた。


「つまり……、画材としてだけではなく、人目を引くのに有効な、筆記具としての可能性ですね!?」
「そう! それでこまめにポップでアートなアイキャッチを最大限に活用する事で、最小の人員と労力で最大の利益を確保するのよ! これぞマーケティングの基本理念だわ!」
「素晴らしい発想です、エセリア様! 感動しました!」
「感動したのはこっちよ! 子供の戯れ言だと放置されていたのかと思ったら、まさかここまでやってくれているなんて……。もうこれの販売利益については、私に渡さなくて良いわ。その分、クオールさんに権利を全部あげるから!」
「本当ですか!?」
「ええ、あなたの方から、家族に知らせておいて頂戴」
 そして満面の笑みでミランと盛り上がっていたエセリアだったが、急に真顔になって勢い良く立ち上がった。


「そうだわ! こうしちゃいられない。他にも色々改良や販売方法についてのアイデアがあるのよ。今から部屋で手紙を書くから、明日ワーレス商会に届けて貰えるかしら?」
「はい、分かりました」
「それじゃあ、これは貰っていくわね!」
「はい、どうぞお持ち下さい!」
 そして元通りクーレ・ユオンを箱にしまい、大きな箱ごと抱えて走り出したエセリアを見送ってから、ミランも我に返ったように立ち上がった。


「そうだ! 家に、エセリア様にお渡しする予定だった権利分は、全てクオール兄さんへと渡すように言われた事を連絡しないと! 製造工程に紙を巻き付ける作業も、できるだけ早くやって貰おう」
「私も実家に、できるだけの増産体制を敷くように、急ぎ伝えないと! 失礼致しますわ!」
「え、ええ」
「はぁ」
「気にしないで」
 ミランに釣られるようにカレナも立ち上がり、他の者に断りを入れてきた為、他の三人は曖昧に頷き、エセリアと同様駆け出して行った二人を見送った。
 そして再びその場に静寂が戻ってから、ローダスがぼそっと口にする。


「シレイア……。エセリア嬢の終盤の話、半分位意味が分からなかったんだが……」
「『あいきゃっち』とか『ぽっぷ』とか『あーと』とか『まーけてぃんぐ』とかの事? 安心して。私にも全然分からなかったから」
「そうか……」
 そこで小さく笑いながら、サビーネが言い出す。


「エセリア様、凄くいきいきしていらしたわね。すっかり婚約破棄の事なんか、お忘れだったみたい」
 それを聞いたローダスとシレイアが、顔を見合わせて肩を竦める。
「あの方にとっては殿下との婚約自体が、本当にどうでも良い事みたいだからな」
「確かにそれより、ご自分の提案が何年もかかって実用化された事の方が、はるかに重要でしょうね」
「それでは絵画展に関しては、あのクーレ・ユオンとやらでなんとかなりそうですから、私達はこのまま傍観を決め込みましょうか」
「ええ」
「そうね」
 そこであっさり話が纏まり、絵画展の話は終わりになった。



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