悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(5)音楽界の改革者

「はぁ……、いつまで続くんだよ。かったるいな……」
「おい、目を開けて拍手しろよ。マリーリカ様とエセリア様の番だぞ?」
「はっ! 俺は誰が演奏したって、音楽なんかどれも同じに聞こえるんだよ。そんな人間に何を聞かせようって言うんだ。誰だよ、こんなくだらない行事を企画したのは」
「しいっ! お前、聞いて無かったのか? グラディクト殿下だろうが!」
「あぁ? 何で殿下がこんな行事を?」
 音楽祭は当初から、普段音楽などに興味が無い生徒達にとっては、退屈極まりない行事だった。加えて大した目玉の発表もない、やる気のない発表ばかりを聴かされて、音楽に対して造詣が深い生徒達も内心でうんざりとしていた所で、エセリアが彼らの目を覚ます特大の隠し玉を放った。


(さあ、行くわよ!! 《光よ、我と共に在れ》ラデツキー行進曲バージョン!! 前世の発表会の時期も情景も記憶が無いけど、指の動きだけは完璧に覚えていたのって、本当に奇跡よね!?)
 その事にしみじみと感謝しながら、エセリアは力強く鍵盤に指を叩き付け、力強いメロディーを奏で出した。


「なっ、なんだ!?」
「え? このメロディーって!?」
 出だしのワンフレーズに講堂内の全員が度肝を抜かれ、慌てて舞台に意識を向けると、主旋律に乗せてマリーリカが、通常は教会で讃美歌として静かに歌われている《光よ、我と共に在れ》を力強く歌い始める。


「遥か遥か高みから 我に降り注ぐ光 その素晴らしい恵み 胸に刻み込んで」


 狭い室内での独唱ではさほど声量は必要としないものの、講堂のような場所で歌う対策として長期休暇の間に特訓を重ね、エセリアの指導で腹式呼吸もマスターしてしまったマリーリカは、エセリアの早いテンポの曲に合わせながら堂々と歌い上げる。
 これまでにも独唱や合唱の発表があったが、広い講堂の後部までにははっきりとその歌声が届かず、それがさほど関心のない生徒を余計に飽きさせる原因にもなっていた。しかし金切り声をあげている訳ではないのにしっかりと隅々まで響き渡る彼女の歌声に、聴き慣れない速さと旋律のメロディーとも相まって、殆どの生徒が目の色を変える。


「凄い……、こんな速い、しかも力強い旋律なんか、聴いた事が無いわ」
「でも耳障りではなく、心地良いなんて」
「それに、マリーリカ様の歌も凄いですわ」
「ええ、なんて伸びやかな歌い方でしょう」
 普通の生徒はエセリアとマリーリカの技量に対する、純粋な賛美の言葉を囁き合っていたが、曲が進むにつれて難しい事を議論し合う生徒達も増えてきた。


「神の身下に侍る時 光よ我と共にあれ なぜならそれが 真実そうあるべきなのだから」


 曲の調子が変わり、当初の明るく快活な調べから、微妙に音量を落とした流れる様なメロディーに変化すると、講堂内のあちこちで先程までとは異なる感嘆の声が上がり始める。


「これは……、本来の《光よ、我と共に在れ》は、煌めく光を崇拝し、静かに降り注ぐ空間に身を置くような情景の歌だが、歌詞は全く同じなのにもっと力強い意志を感じる。これではまるで、光を自分に従えるような……」
「ああ、解釈の違いでこれほどの差が出るなんて、思いもよらなかったな」
「さすがは次代の王室を担う、お二方ですわね。古くから伝わる讃美歌を引用しつつ、その表現方法に新しきを求めるなど、誰にでもできる事ではございませんわ」
「全くその通りだな。いや、本当に素晴らしい」
 そんな風に講堂内にいるほぼ全員が、二人の発表に聴き入っているのを見たグラディクトは歯ぎしりし、そんな彼にアリステアは、不安そうな顔を向けた。
 そして無事に演奏を終えたエセリアが立ち上がり、マリーリカの横まで行って二人並んで一礼すると、講堂内が割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。殆ど全員が椅子から立ち上がってのそれに、マリーリカが満面の笑みでエセリアに囁く。


「お姉様、大成功ですわね」
「ええ。マリーリカ、とても素晴らしい歌声だったわ」
「いいえ、お姉様の演奏が画期的で素晴らしかったので、これほどの反応が得られたのですわ」
 笑顔でお互いを称え合っていると、グラディクトが憤怒の形相で舞台への階段を駆け上がって来る。


「エセリア! さっきの演奏は、何のつもりだ!?」
 その剣幕に驚き、顔を強張らせたマリーリカを半ば背中に庇う様にしながら、エセリアが彼に向き直った。


「何のつもりかと言われましても……、私流にアレンジした《光よ、我と共に在れ》ですわ」
「あんな無茶苦茶な曲があるか! 貴様には常識と言う物が!」
「エセリア様! 素晴らしい、最高の演奏でした! 感動のあまり、涙が出てきてしまいました!!」
「……え?」
 しかし彼の言いがかりに近い非難の声は、彼と同様に階段を駆け上がって来たライナスの歓喜の言葉によって搔き消された。それにグラディクトが戸惑い、エセリアが苦笑で応じる。
「まあ、ライナス教授。それは少々大袈裟なのでは?」
 しかしそれは、続けて舞台に上がって来た教授達によって全面否定された。


「大袈裟な物ですか! 先程のあの演奏は停滞している音楽界に、画期的な変革をもたらす神の調べです!」
「誠に、ドリー教授の言う通り! あの曲はどなたの作曲ですか? 是非、創作活動に至る構想について、激論を交わしたいものです」
 ドリーに引き続きレストンまで嬉々として尋ねてきた為、エセリアは困ったように口ごもった。


「ええと……、その、大した構想などは無くて、感じるまま頭の中で鍵盤上の指の動きを考えたと言うか……。それで、きちんと楽譜も作っていませんし……」
(正直に「前世で弾いた曲の指の動きを覚えていただけ」なんて言ったら、頭がおかしいと思われるし、これで引き下がって欲しいんだけど)
 冷や汗もので弁解したエセリアだったが、それを聞いた教授陣は、更に熱狂的な声を上げた。


「何ですって!!」
「まさか、エセリア様の作曲!?」
「しかも旋律を、楽譜にしてもいらっしゃらない!?」
「素晴らしいですわ! 正にエセリア様は、真の天才! 音楽界の改革者です!」
「そんなわけがあるか! あんな変な音楽で」
「音楽の何たるかが分からん者は、雑音など口にせずに黙っていろ!!」
 思わず声を荒げて反論しようとしたグラディクトだったが、完全に我を忘れたライナスが怒りの形相で怒鳴りつけた。それに彼が怒りのあまり顔を紅潮させながら、言い返そうとする。


「……っ!? 貴様、たかが教授の分際で、私にそんな口をきいて良いと思っているのか!」
 しかしここで、足音荒く階段を駆け上がって来たアリステアが、焦った様子で彼に声をかけた。


「あ、あのっ! グラディクト様!」
「どうした、アリステア?」
「皆が、どんどん外に出て行っちゃってるんです!」
「何だと!?」
 慌ててグラディクトが講堂内を見回すと、確かに生徒達の大半が席を立ち、続々と出入り口から出て行くのが目に入った。


「いやぁ、最後の発表は凄かったなぁ」
「本当に。鳥肌が立ったぞ」
「さすがエセリア様ですわね」
「マリーリカ様との息もぴったりで」
「最後を飾るに、相応しい発表でしたわね」


 エセリアはソレイユ達に音楽祭についての助言をした時、敢えてプログラムの作成や会場内に進行予定の紙を張り出すなどの工夫について言及しなかった。それで全体を把握している教授陣や発表順を知らされている発表者以外の生徒達は、エセリアの次にアリステアの発表があるなどとは、知る由も無かった。そもそもアリステアが最初から長机の実行委員長席に座り、発表者席の並びには座っていなかった事で、その発表者席の一番端に座っていたエセリアとマリーリカの発表が済んだ事で、もう音楽祭が終了したのだと誰もが思い込んでしまったのだった。
 更にそれまで名誉会長の席から動かなかったグラディクトが、わざわざ舞台まで上がって彼女を称賛した事(教授陣が大声で褒め称えていたので、大方の生徒にはそう見えた)、更に彼女達の発表が最後を飾るに相応しい発表だった事で、音楽祭が終了したと判断した生徒達が口々に感想を述べ合いながら出て行こうとする光景を目にして、グラディクトは総責任者たるソレイユ教授を叱り付けた。


「まだアリステアの発表が終わっていないだろう!? ソレイユ教授! 何故次の発表者の紹介をしない!?」
 それにソレイユが、無表情で当然の如く言い返す。
「殿下が指示を出さずに、舞台に上がって来られましたので。これから続けるのですか? それならそう指示して頂かないと、分かりませんわ」
「このっ……」
「あの、グラディクト様、どうしましょう?」
 一々指示を出されていた事を逆手に取って堂々と反論したソレイユに、エセリアは勿論、彼女の部下である教授達も笑いを噛み殺す。それを目にしたグラディクトは、怒りに任せて目の前の者達を怒鳴り付けようとしたが、ここでアリステアが不安そうに呼びかけてきた為、何とか怒りを押さえ込み、出て行こうとする生徒達に向かって声を張り上げた。





「悪役令嬢の怠惰な溜め息」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く