悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(21)お気の毒な王太子殿下

 マリーリカの誕生日に合わせたパーティーに、ローガルド公爵家から招待されたグラディクトは、マリーリカが弟の婚約者でもある為、パートナー同伴で出席する事になった。この場合同伴するのは、どう考えても自身の婚約者であるエセリアでしかあり得ず、シェーグレン公爵邸に彼女を迎えに来た時点で、彼は既に不機嫌になっていた。


「グラディクト殿下、ようこそお越し下さいました」
 同様に招待を受けているシェーグレン公爵夫妻は、既に屋敷を出た後であり、グラディクトを玄関で出迎えたのは、使用人を除けばナジェークだけだった。


「……ああ。エセリアの準備はできているか?」
「はい、抜かりなく。今、部屋に呼びに行かせておりますので、少々お待ち下さい」
 恭しく頭を下げた彼を見て、グラディクトは小さく舌打ちして、苛立ちを隠さないまま文句を言おうとした。


「私を待たせるとは」
「先程までエセリアはこちらのホールで待機しておりましたが、殿下のご到着が遅れましたので、一度部屋に戻しておりまして。誠に申し訳ありません」
 笑顔で自分の台詞を遮りながら、落ち着き払って事情を述べたナジェークにたじろぎながらも、グラディは尚も言い募ろうとする。


「仮にそうでも」
「我が家では、定刻前行動を常としておりまして。時間が押した場合の対処には慣れていないものですから、何卒ご容赦下さいませ。今後は殿下が幾ら遅られても、それに応じた対処ができるよう心がけておきます」
「……っ! そうしておけ!」
 慇懃無礼としか言えない、穏やかな笑みを浮かべながらのナジェークの申し出に、グラディクトは忌々しげに吐き捨てた。そしてそっぽを向いている彼に笑顔を見せながら、ナジェークが心の中で罵倒する。


(はっ! 自分が指定してきた時間に遅れて来たくせに、大きな顔をするな。せめて詫びの一つも口にしたなら、大目に見てやったものを)
 二人の間に微妙に緊迫した空気が漂い、周りにいる使用人達が顔を見合わせていると、僅かな衣擦れの音を立てて、エセリアがその場に現れた。


「殿下、お待たせしました」
「遅い! 行くぞ!」
 挨拶もそこそこに、グラディクトはさっさと踵を返して外に待たせている馬車に向かったが、エセリアは落ち着き払って兄に笑いかけた。


「それでは行って来ます」
「ああ、気を付けて」
 そして兄妹が並んで玄関を出て、馬車寄せに停めてあった王家の紋章入りの馬車にエセリアが乗り込みんで去っていくのを見届けてから、ルーナが思わずと言った感じで感想を述べた。


「あれが、王太子殿下ですか……。初めてお目にかかりましたが、お気の毒な方ですね……」
 それを耳にした周囲の使用人達が、怪訝な顔で問い返す。
「ルーナ? どうして殿下がお気の毒なの?」
「そうよ。あれだけ見目の良い方だし、ちょっと気難しい方みたいだけど、貴族からの支持も多い方でしょう?」
「何かにお困りとか、悩んでいるような事も無いと思うが?」
「そういう意味では無くて……、何と言っても“あの”お嬢様の婚約者に、なられてしまいましたし……」
 ぼそぼそとルーナが理由を述べると、周囲は一瞬ポカンとしてから破顔一笑した。


「ああ、そういう意味か。でも大丈夫だろう? 確かにエセリア様は“あれ”だけど、能力的には問題ないし」
「そうそう。対外的には全く問題ないし。王太子妃になっても大丈夫よ」
「ルーナは心配性ね。まあ、エセリア様付きで、色々とんでもない事に遭遇していれば、仕方がないかもしれないけど」
「……はぁ、そうかもしれません」
 励ましてくる周囲に、ルーナは引き攣った笑顔で返しながら、何とか話を終わらせた。


(そうじゃなくて、お嬢様が婚約破棄に向けて、着々と小細工を進めているからなんだけど……。お嬢様が王太子殿下を毛嫌いしているなんて、誰も信じないわよね)
 そこで何となく視線を感じた彼女が、何気無くそちらの方に顔を向けると、どうやら先程から自分達のやり取りを眺めていたらしいナジェークと目が合った。すると彼が、思わせぶりににこりと笑いかけてきた為、ルーナの強張った笑顔が更に固まる。


(この屋敷の中でも、お嬢様が殿下からの婚約破棄を目論んでいる事を知っているのは、お嬢様本人の他はナジェーク様と私だけ。こんな事を口にしても誰も信じてくれないだろうけど、万が一表沙汰になったら大騒ぎだわ。絶対に周囲にバレない様にしないと)
 そして用は済んだとばかりに、さっさと自室に戻るナジェークの後姿を見ながら、ルーナは密かに気合を入れ直した。 


「…………おい」
「はい、何でしょうか?」
「…………」
 二人きりの馬車の中で両者は暫く無言だったが、不機嫌そうにグラディクトが声を発した為、エセリアが笑顔で応えた。しかし再び相手が無言になった為、彼女はそ知らぬふりで、馬車の壁面に描かれている蔓草模様の葉の数を数えるのを再開する。


「おい! 何を黙っている! それにこっちを向け!」
 そんな理不尽な言い方をされたエセリアだったが、相手が腹を立てたり怒るのは願ったり叶ったりなので、余計に神経を逆撫でる物言いをしてみた。


「先程、何のご用でしょうかとお尋ねしました。ですが特にご用命がおありでは無かったので、考え事をしていただけなのですが。何のご用ですか? 早く仰ってみて下さい。もうすぐ公爵邸に到着しますので。ご挨拶の文面を忘れてしまいましたの? それでは私が適当に、考えて差し上げますわ」
 そう言って満面の笑みを振り撒いた彼女に、グラディクトは怒声を浴びせた。


「挨拶位、何とでもできる! お前は私を馬鹿にしているのか!?」
「そうでしたか。それではどんなご用でしょう?」
「お前は、気の利いた話題の一つも出せないのか?」
 そんな嫌みを口にしたグラディクトに、エセリアは余裕の笑みで返した。


「まあ、私と会話がしたかったのですか? それならそう仰って頂ければ、いつでも殿下に相応しい話題を提供いたしましたものを。殿下は随分と、内向的であらせられますのね」
「はぁ!? それとこれとは話が違うだろうが! 大体、そちらから相手に相応しい話題を出すのが礼儀だろう!」
 しかしそんな非難などさらりと流した彼女は、少々困った顔を装いながら申し出る。


「ですが内向的な殿下と盛り上がる話題など……、私には咄嗟に思いつきませんわ。ですが殿下は仮にも王太子でいらっしゃるのですから、もう少し内政なり外交なりに造詣を深めた方が宜しいと思います」
「何だと!? 貴様!!」
 思わず声を荒げて腰を浮かせたグラディクトだったが、ここで馬車が僅かな振動と音を立てて停止した。


「到着したみたいですね。殿下、お先にどうぞ」
 そして彼は、穏やかに降りるように促したエセリアを睨み付けてから、些か乱暴に馬車から降り立った。当然エセリアが降りるのに手を貸す事も無く、控えていた近衛騎士が手を差し伸べて、ドレス姿の彼女が降りるのを手伝う。


(何て高慢な女だ、人を馬鹿にして! アリステアならどんな時でも、楽しい話題を幾らでも出してくるし、いつでも私を立ててくれるぞ。容姿や血統ではなく人間性で婚約者を選べたら、こんな奴は死んでも選ばん!)
 腹立たしい気持ちのグラディクトは、手助けしてくれた騎士に礼を述べるエセリアを、眼光鋭く睨み付けていた。



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