悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(18)熱唱、マリーリカ

「マリーリカ、どうかしら? その歌に詳しい者が言うには、この曲のメロディーにその歌詞を合わせる事はできるらしいのだけど」
 手の動きを止め、ピアノ越しにエセリアが尋ねてきた為、マリーリカは彼女の演奏を褒め称えたいのは山々だったが、ぐっと堪えて手元の用紙に意識を集中した。


「……ええ、そうですね。原曲とはかけ離れた、かなり型破りなメロディーにはなりますが、ちゃんと歌えると思います。歌詞が余ったり、逆に足りなくなったりもしない筈ですわ」
「それは良かったわ」
「ただやはり、きちんと練習する必要はあると思いますが。何と言っても、これまで耳にした事の無いメロディーですし、従来とは比べ物にならない位、広い空間で歌う事になるわけですから」
 マリーリカが現実的な問題を口にすると、それにはエセリアも真顔で頷く。


「そうね。講堂の端まで、きちんと聞こえるように。だけど声を張り上げたり無闇に叫んだりはせず、響き渡るような発声を考えないといけないでしょうね」
 そこで難しい顔をしていたマリーリカが、何気なく頼み事を口にした。


「お姉様、今の曲の楽譜を頂けますか? 自分の部屋でもそれを見ながら、歌う練習をしたいので」
「ごめんなさい、楽譜は無いのよ。私、弾くのは構わないけど、楽譜を読んだり書くのは苦手で……」
 心底申し訳無さそうに言われて、先程聴いた曲は、てっきり誰か有名な作曲家の新曲かと思い込んでいたマリーリカは驚愕した。


「まさかお姉様が、今の曲を作曲されたのですか!?」
「ええ、まあ……、一応……」
「本当に素晴らしいですわ、お姉様! こんな才能溢れる方を、誰かの風下に立たせようと考えるなど、到底許せません! 殿下は本当に、何を考えていらっしゃるの!?」
 自分を誉めちぎった流れで、グラディクトを非難し始めたマリーリカを、エセリアは冷静に宥めた。


「マリーリカ、私はそれほど気にしてはいないのよ? 現に国王陛下には何人もの側妃がいらっしゃるけど、王妃様は一度だって取り乱したりせず、しっかりと王宮内を取り仕切っていらっしゃるでしょう?」
「ですが!」
「だからと言って、私を蔑ろにしても構わないと言う事では無いから、この際、公の序列と言う物を、きちんと実感させてあげようと思うの。話を聞く限りではアリステア嬢は、言い聞かせて分かっていただけるような方では無いみたいだしね」
 そう含み笑いで告げると、マリーリカは満面の笑みで頷いた。


「分かりました。全力で取り組みます! 絶対成功させましょう、お姉様!!」
「ありがとう。心強いわ、マリーリカ」
「そうと決まれば、早速練習致しましょう!」
「そうね」
 嬉々として立ち上がったマリーリカに苦笑しながら、エセリアは少し離れた場所で待機しているルーナに指示を出した。


「ルーナ、この部屋の窓を全て開けてくれる? その後、庭の花壇の端まで行って、私の演奏とマリーリカの歌声がそこできちんと聞こえるかどうか、一回毎に感想を聞かせて欲しいの」
「……畏まりました」
 微妙に顔を引き攣らせながら応じたルーナは、庭に面している窓を全て開け放ち、部屋を出て行った。そして窓から庭を眺めて、彼女が所定の位置に着いたのを確認したエセリアが、マリーリカを振り返って促す。


「それでは、歌ってみてくれる?」
「はい、お任せ下さい!」
 そして先程と同じ曲をエセリアが弾き始め、それに合わせて窓際に立ったマリーリカが歌い始めた。そして歌い終えてからそのまま待っていると、少ししてルーナが戻って来る。


「ルーナ、どうだった?」
「ピアノは聞こえましたが、歌声の方は微かに聞こえる程度で……。何を歌っていらっしゃるのかまでは、聞き取れませんでした」
 申し訳無さそうに、しかし正直にルーナが報告すると、エセリアが真剣な表情で考え込む。
「普通に歌うと、やはり難しいみたいね……。伴奏のピアノの音量を、少し抑えるべきかしら……」
 しかしマリーリカの意欲は衰えず、寧ろやる気満々で声を上げた。


「大丈夫ですわ、お姉様! いきなり歌ってしまいましたし、きちんと発声練習をしてから、もう一度歌ってみます!」
「そう? それではお願いね。ルーナも庭に戻って頂戴」
「はい……」
 エセリアは従妹を頼もしげに見やり、ルーナはげっそりしながら再び庭へと出て行った。
 結局、それから十数回歌ってみて、エセリアが今日はここまでにしておきましょうとストップをかけ、マリーリカは少し休憩してから屋敷を辞去する事となった。


「お姉様。今日でメロディーは完全に頭に入れましたし、今度お会いする時までに研鑽を重ねて、何としてでもお姉様の期待に応えてみせますわ!」
 その鼻息荒い宣言に、エセリアは若干引きながら笑顔で言い聞かせる。


「ええと……、それはとてもありがたいのだけれど……、無理だけはしないでね? 喉はきちんと労って頂戴」
「はい、留意致します。それでは失礼致します」
 そしてマリーリカが笑顔で乗り込んだ馬車が走り去るのを見送ってから、屋敷内に戻ったエセリアは、玄関ホールでもの凄く疑わしげに、ルーナに問いただされた。


「エセリア様……、本当に大丈夫なのですか?」
「え? 何の事?」
「本当にマリーリカ様に、学園内で変な事をさせたりはしないでしょうね!? マリーリカ様はエセリア様とは違って、本物のお嬢様なのですから!! 大丈夫だと信じて、宜しいんですね!? 余所様のお嬢様を巻き込んで、取り返しがつかないような事態には、なりませんよね!?」
 マリーリカの見送りに出ていた他の使用人達は、そんな主従のやり取りを見なかった事にして立ち去って行き、エセリアは不本意そうに言い返した。


「何をそんなに心配しているのか分からないけど、本当に大丈夫だから。だけど、どうして私がまともなご令嬢ではないような言われ方を、されなくてはいけない」
「まともではございませんから」
「…………」
 台詞を遮った上、きっぱりと断言されてしまったエセリアは、(ルーナは私の専属侍女だったと思うけど、主人たる私にこんな事を言って良いのかしら?)と、もの凄く今更な事を考えてしまった。


「はて……。今日は何やらさっきから、屋敷の方が騒々しくないか?」
 庭の一角で枝の選定をしながら、ドルパが若い同僚の庭師に尋ねると、彼は笑いながらその理由を告げた。
「ああ、それはきっとエセリアお嬢様が、昨日からお屋敷にお戻りになっておられるからだよ」
 当然の如く言われた台詞に、ドルパが深く頷いて納得する。


「なるほど、そうだったな。すっかり忘れていた。儂も年を取ったなぁ……」
 この頃には既に、「エセリア様がおられる所に騒動有り」と、シェーグレン公爵邸の使用人達は一人残らず認識しており、多少の事では動揺しない猛者ばかりとなっていた。





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