悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(11)偽りの陰の支持者

 グラディクトに「話を付けてくるから、このまま少し待っていてくれ」と言われたアリステアは、おとなしく自習室で彼を待ちながら、勉強もせずに笑み崩れていた。


(さすがはグラディクト様。王太子なだけあって、行動力も抜群なのね。早速音楽祭実現の為に、自ら動いて下さるなんて)
 アリステアが満面の笑みで一人頷き、時折薄気味悪い含み笑いの声が聞こえてくるとあって、自習室内の生徒は一人二人と席を立ち、それほど人が居なかった室内は忽ち彼女だけとなった。


(やっぱりグラディクト様は、私にとっての《暁の王子》なのよ! これからもきっと上手くいくわ!)
 周りから気味悪がられた事にも気付かず、上機嫌に考えを巡らせていた彼女に、ここで背後から控え目に声がかけられた。


「アリステア様、ちょっと宜しいですか?」
「はい、何でしょう?」
 不思議そうに彼女が振り返ると、そこには面識の無い一人の女生徒がいた。


「いきなりお声をかけて、失礼します。私はシェルビー男爵家のモナ・ヴァン・シェルビーと申します」
 明るい栗色の髪の上に漆黒のウィッグを装着し、口元にほくろを付けたシレイアが堂々と偽名を名乗ったが、当然そんな事は分からなかったアリステアは素直に頷いた。


「はい。それで何のご用でしょうか?」
「実は先程、グラディクト様がエセリア様の所に出向いて、音楽祭とやらの仕事を任せようとされた事はご存知ですか?」
「え? グラディクト様は、あの人に仕事をさせるつもりなの?」
 アリステアが驚いて問い返したが、エセリアを「あの人」呼ばわりした事でシレイアは僅かに眉根を寄せたものの、落ち着き払って言葉を返した。


「エセリア様は、優秀な方でいらっしゃいますので」
「それで?」
「……はい?」
「だから、それがどうしたの?」
 心底不思議そうに、それがどうしたと問い返されたシレイアは、呆気に取られた。


「問題だとは思われませんの? エセリア様の立場や都合を考えずに、一方的にお命じになったのですよ?」
「どうして問題なの? 婚約者なんだから、グラディクト様の為に働くのは当然でしょう?」
 微塵も疑っていない風情で当然の如く言われた台詞に、シレイアは何とか通常の表情を取り繕いつつ、胸の内で激怒した。


(何なの、この女!? どこまで頭が悪いの? それにエセリア様と張り合うつもりなら、普通その本人にやらせずに、自分でやるわよね!?)
 そして厳密にはその場を目撃していないものの、エセリアがそんな仕事を引き受ける筈が無いと分かりきっていた彼女は、その事実を告げた。


「エセリア様は既に剣術大会の実行委員長を引き受けておられますし、お断りなさいましたわ」
 それを耳にした途端、アリステアが驚愕した。
「嘘!? 信じられない!! 何て失礼なの!? グラディクト様が直々にお願いしたのに、あっさり断るなんて失礼極まりないわ! なんてお気の毒なグラディクト様!」
 本気でそう思っているらしく、涙目になってグラディクトの不遇を嘆く言葉を垂れ流している彼女を見ながら、シレイアは必死に喚き出したいのを堪えた。


(エセリア様に失礼極まりなくて、頭の中身が気の毒なのはあんたでしょ!?)
 しかし拳を握り、爪で掌に跡を付ける位に力を込めながら、自分自身に言い聞かせる。


(これ以上腹を立てたら駄目よ、シレイア。平常心、平常心。ここからが勝負なんだから)
 そして軽く息を整えてから、穏やかな口調でアリステアに話しかけた。


「今年入学されたばかりのアリステア様はご存知無いかと思いますが、エセリア様は貴族出身の生徒の殆どを、学園長や教授陣には分からないように、巧妙に支配下に置いているのです」
「それは本当なの!?」
「はい。現に王太子殿下の申し出を、取るに足らない話の如く、即座に却下致しました。それは貴族出身の生徒の殆どを掌握しているので、『何か問題になったらそれらの生徒達の家に働きかけて、グラディクト殿下の王太子の座を奪えば良い』との考えからです」
「なんて悪逆非道な人なの! そんな人が婚約者で、蔑ろにされているなんて! グラディクト様が可哀想だわ!」
 もうここまでくると、シレイアは怒りを通り越してしらけ切ってしまい、するすると用意してきた台詞を口にした。


「ご安心下さい、アリステア様。自らエセリア様にすり寄っている日和見の者が殆どですが、中にはこの状況を憂いたり、はっきりと反発している者も存在しています」
「本当に?」
「はい。今日はその事をお伝えしようと思い、アリステア様にご挨拶に参ったのです」
「そうなのね……。でも、どうして私に?」
 そこで不思議そうに尋ねた彼女に、シレイアは満面の笑みで、その理由を述べた。


「それは貴女が王太子殿下にとって、かけがえのない存在でいらっしゃるからです。心ある者ならお二方の様子を見れば、一目瞭然ですもの」
「いえ、私なんて……、そんな大それた者では……」
 面と向かって言われて恥ずかしそうにアリステアが視線を逸らしたが、そんな彼女の左手を両手で軽く包み込むようにしながら、シレイアが切々と訴える。


「アリステア様、お願いします。これからもエセリア様が持ち得ない、他者を思いやる優しく尊いお心で、殿下を支えて下さいませ」
「勿論よ。王太子殿下を蔑ろにする、貴族の風上にも置けない恥知らずな女から、殿下を守ってみせるわ!」
 力強く宣言しつつ、アリステアが空いている右手をシレイアの手に重ねた為、彼女は(馴れ馴れしくするんじゃないわよ!)と舌打ちしそうになるのを我慢しながら、神妙に話を続けた。


「なんて心強いお言葉……。感動致しました。公の場でアリステア様や殿下の前に姿を現せませんが、これからも密かにお見守りしますし、追々時期を見て他の者もご挨拶に参りますので」
「え? どうして? 私モナさんと、普段色々殿下のお話がしたいわ」
 怪訝な顔で如何にも残念そうに告げられた台詞に、シレイアは痛恨の表情で返す。 


「申し訳ありません。実は私の兄が王宮で、エセリア様の兄君の部下として働勤務しております。そのせいで度々エセリア様から、無理難題を言い付けられておりまして……」
 そこで言葉を濁した彼女を見て、アリステが深く頷いた。


「それだと、殿下や私と一緒にいる所を、誰かに見られたら拙いのね?」
「はい……、誠に申し訳ありません」
「ううん、気にしないで。それなのにわざわざ挨拶に来てくれて、ありがとう。クラスに会いに行かないし、すれ違っても無視する事にするから」
 励ますように手に力を込めながら、そうアリステアが告げると、シレイアは笑顔を見せながら手を解いた。


「なんという寛大なお言葉! 他の者達が耳にすれば、感涙する事確実ですわ! それでは私はそろそろ、失礼致します」
「ええ。また会えるのを楽しみにしているわ」
 そして微塵も疑わずにアリステアが彼女を見送ってから、幾分暗い表情でグラディクトが戻って来た。


「アリステア……」
「グラディクト様。お帰りなさい」
「その……、音楽祭の話だが……」
 隣の席に座った彼が、言い難そうに口を開いた瞬間、アリステアがそれを遮った。


「殿下が大任を任せようとしたのに、エセリア様が無礼にも断ったのですよね?」
「どうしてそれを知っているんだ?」
「モナさんに教えて貰ったんです」
「……モナとは誰の事だ?」
 本気で驚いたグラディクトが尋ねてきた為、彼女は満面の笑みで、シレイアから聞いた嘘八百の話を彼に教えた。それを聞いたグラディクトも、その内容を微塵も疑わずに、唸る様に応じる。


「そうか……。昨年あの女が、急に剣術大会など訳の分からない物の開催を言い出した時、どうして多くの生徒が率先して仕事をこなしていたのか、漸く分かったぞ。それに常に人に囲まれている理由もな。そんな風に、常に自分の権力を誇示していないと気が済まないとは、なんて俗物だ」
 剣術大会が問題なく運営できたのは、エセリアのオリジナル新作に目が眩んだ紫蘭会会員の働きが大きく、その他にも大多数の生徒も楽しんで自分の仕事に取り組んだせいであったのだが、自分の考えに固執しているグラディクトには、知りようもなかった。


「でも良かったです。モナさんが教えてくれたお陰で、あの人に不満を持っている人がいる事が分かりましたし」
「ああ。幾らあの女が金や権力に物を言わせて他人を従わせようとしても、心ある者は完全に屈していないのだな」
「そういう方々は大っぴらに殿下の味方はできませんけど、きっと力になってくれますわ! それに私はいつでもグラディクト様の味方です!」
 エセリア達が聞いたら、鼻で笑いそうな事を真顔でグラディクトが口にすると、アリステアが明るく励ますように宣言した為、彼は心からの笑顔を返した。


「アリステア……。ありがとう。今の私には、その言葉だけで十分だ」
「それで私、考えたのですが。何も音楽祭の企画運営を、生徒に任せなくても良いのではありませんか? 学園内の行事ですし、教授方にお手伝いして貰えれば良いでしょう?」
 彼女の台詞を聞いたグラディクトは、一瞬、虚を衝かれた表情になってから、ゆっくりと顔を緩めて頷いた。


「考えてみればそうだな……。すまない、昨年の剣術大会の事が頭にあって、生徒主体で行う事ばかり考えていた。私はまだまだ考えが浅いな。これからも私に助言してくれ」
「そんな……、グラディクト様、光栄です!」
 穏やかに頼んできた彼にアリステアはすっかり感激し、何度も頷いた。


(やっぱり心と行いの正しい者には、あの本の通り、陰ながら支持してくれる人達が出てくるのよ! 私が全力で、グラディクト様を支えてみせるわ!)
 そして、あくまでも自分達が正義だと疑わないこの二人によって、周囲が多大な迷惑を被る事になるのだった。





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