悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(9)思惑

「うぅ~ん、どうしよう。あの本では、ああいう風に書いてあるけど、さすがにちょっと無理っぽいわよね……。でも、なんとかしてもっと、殿下の私に対する好感度を上げたいし……」
 自習室で一人、グラディクトを待ちながら、自室に置いてある《クリスタル・ラビリンス》の内容を思い返して無意識に小さく呟いていたアリステアは、急に背後から聞こえた声に慌てて振り返った。


「私がどうかしたのか?」
「あ、グラディクト様! 何でもありませんから! 独り言です!」
「そうか」
 下心丸出しの発言をなんとか誤魔化し、いつも通り隣に座る彼を眺めながら、アリステアは彼女なりに真面目に考えた。


(でもやっぱり、画期的な催し事とか企画できる位じゃないと、王太子妃として周囲に認めて貰えないわよね。とにかく言うだけ言ってみよう!)
 それから早速二人で勉強を始めたが、一区切り付いたところで、アリステアは控え目に話を切り出した。


「あの……、グラディクト様?」
「何だ? アリステア」
「最近、周りの方から、私の事で色々言われたりしていませんか? ここで勉強を教えて頂くようになってから、結構経ちますし。それなりに人目に付きますから」
 それを聞いたグラディクトは一瞬顔を顰めたが、すぐに何でもないように答えた。


「ああ……。確かに側付きの奴らが、どうこう言っていた事はあったが、特に問題は無い」
「そうですか……、申し訳ありません」
 ひたすら恐縮しているように見える彼女を見て、グラディクトは気の毒になった。


「アリステアが謝る筋合いでは無いのだがな……。全く、頭が固くて融通が利かない奴らは、これだから困る」
「でもグラディクト様の周りの皆様に、私がもう少し有能な人間だと認めて貰えれば、殿下が色々言われなくても済む筈ですから……。でも私の取り柄は、ピアノ位ですし」
 そんな事を如何にも残念そうに言われて、グラディクトは意外そうに問い返した。


「ピアノ? アリステアは結構弾けるのか?」
 その途端、彼女が勢い込んで答える。
「はい! ピアノだったら、少しは自信があります! 教えて下さった先生も、誉めて下さっていましたし! でも学園内では、それを全校生徒の前で披露する機会とかはありませんから……」
「確かにそうだな……」
 しかしすぐに意気消沈して項垂れた彼女に、咄嗟にかける言葉が見つからなかった為、グラディクトは曖昧に頷いた。するとここで彼女が、何気ない口調で言い出す。


「昨年グラディクト様が剣術大会を発案されて大成功を収めたと聞きましたが、そういう催し物が音楽の分野でもあれば、皆さんに私の事を少しでも認めて貰えるかと思うのに……。残念です」
「音楽で?」
「はい」
 その意外性に正直驚きながら尋ねたグラディクトに、アリステアは素直に頷いてから慌てて説明を付け足した。


「あ! 勿論演奏をするわけですから、大会などと仰々しく銘打って、技量を競って勝敗を決めるのではなく、日頃の練習の成果を発表するような、生徒全員が楽しめるような音楽祭みたいな名前で、開催できたらなぁと思いますが……」
「…………」
 そこで表情を消して黙り込んだグラディクトに、アリステアは幾分不安そうに声をかけた。


「グラディクト様? ……あの、変な事を口走って、申し訳ありません。無理ですよね? 新しい行事を立ち上げるなんて、そんな難しい事」
「いや、そうじゃない。ちょっと感動しただけだ」
「え? どうしてですか?」
 自分の台詞を遮って力強く告げてきたグラディクトにアリステアは困惑したが、彼は顔を僅かに上気させながら興奮気味に語り出した。


「確かに、満遍なく秀でた生徒の陰に隠れて、目立たない生徒は多数いる。しかしその中には光る一芸を持っている者も、数多くいる筈だ。そのような者達に配慮し、更に単なる優劣を競うのではなく、皆で楽しめるような行事を企画したいとは……。君は本当に無私の人間だな。感動した」
「まあ……、グラディクト様。私はそのような、大それた人間ではありません。ただ、皆で楽しく音楽に触れて貰って、その良さを再認識して欲しいと思っただけです」
「いや、普段から他人を蹴落として、自分の地位を高めようなどと浅ましい考えの人間からは、間違っても出ない崇高な考えだ」
「グラディクト様……、そこまで言って頂けて嬉しいです!」
 直前に「ピアノだったら周囲の人間に認めて貰える」的な、私利私欲以外の何物でもない矛盾した発言をしていた事を、都合良く綺麗さっぱり忘れ去った二人は、自己陶酔気味の会話を続けた。そしてグラディクトが満面の笑顔で告げる。


「分かった。君のその真摯な心がけを無駄にはしない。今年、音楽祭を開催しよう」
「本当ですか? でもグラディクト様はお忙しいのに、大丈夫ですか?」
 一応心配して尋ねたアリステアに、彼が鷹揚に頷いてみせる。


「大丈夫だ。私が企画するとは言っても、自分一人で全てを行うわけにはいかないからな。任せる所は他の者に任せる。それは為政者としては当然の事だ」
「さすがは王太子殿下ですね! 凄いです、グラディクト様!」
 感激したアリステアが、更に称賛の言葉を惜しげもなく贈ると、グラディクトは満更でもない顔付きで立ち上がり、何事かを彼女に囁いてからその場から離れた。それを見送った彼女は、心の中で歓喜の叫びを上げる。


(凄い凄い!! やっぱり言ってみて良かった! 本当に音楽祭が開催される事になるなんて! さすがはグラディクト様、人の上に立つ方は行動力がおありなんだわ。それに書いてある事が次々実現するなんて、マール・ハナーって凄い人!! 予知能力者なんじゃないかしら!?)
 首尾良く音楽祭開催に賛同して貰ったばかりか、即座に動いてくれたグラディクトを見て、アリステアは感激しきっていた。そして《クリスタル・ラビリンス》の作者であるマール・ハナーを再度称えながら、今後の展開に胸を躍らせる。


(無事に音楽祭が開催されたら、そこが私のお披露目の場になって、周囲から一目置かれる事になるんだわ。それで婚約者のエセリアが私に嫉妬して、色々邪魔をしてくるのよ。でもグラディクト様は完全に私の味方よ! 絶対に負けないんだから!!)
 そんな勝ち誇った笑顔を浮かべている彼女の背後で、一人の女生徒が怒りと呆れをない交ぜにした表情で立ち上がり、静かに自習室を出て行った。





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