悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(25)ヒロインと悪役令嬢の決意

 生活している修道院の面会室に大恩人が入ってきた途端、アリステアは満面の笑顔で椅子から立ち上がり、彼を出迎えた。


「ケリー大司教様! お忙しいのにこちらまでわざわざお出でいただいて、ありがとうございます!」
「アリステア、久しぶりだね。入学準備は滞りなく進んでいるかな?」
「はい、大丈夫です、大司教様」
「そうか。折に触れ、君やここの院長からも手紙で近況を知らせて貰っていたが、寮に入ると余計に連絡は取りにくくなるだろうし、やはり入学前に一度、直に顔を見ておきたくてね。まずは座ろうか」
 ケリーも微笑みながら彼女を促し、二人は飾り気の無い木製の椅子に向かい合って座った。すると彼女が、改めて感謝の念を口にする。


「ありがとうございます。今、心穏やかに過ごせるのも、全て大司教様のおかげです」
「いやいや私のした事など、大した事ではない。全ては、あの財産信託制度を考案された、あの方の功績だろう」
 人望厚く謙虚な人柄のケリーが、脳裏にエセリアを思い浮かべながら口にすると、アリステアが目を輝かせてテーブル越しに身を乗り出してくる。


「大司教様は、あの制度を考え出された方をご存じなんですか!? 教会内で研鑽を積まれた、お年を召した思慮深い賢者様でいらっしゃるんですか!? それともあれだけ革新的な制度を考え出された方ですから、新進気鋭の若い学者様なのでしょうか!?」
 その食い付きっぷりを目の当たりにしたケリーは、以前のエセリアとのやり取りを思い返しながら、彼女の意見に深く同意した。


(確かにこれでは入学した途端、アリステアがエセリア様に纏わりついて余計な憶測を呼んだり、要らぬ嫉妬を受けかねない。やはり彼女が言っていた通り、あの制度が誰の発案によるものなのか、アリステアには伏せたままにしておいた方が良いな)
 そう結論を出したケリーは、些か苦しげにその場をごまかした。


「ああ……、ええと……、誰と言うか……、複数人の合議で、案を練り上げたと耳にしているが……、詳しい名前とかは知らなくてね……。教会内部の事だから、さも良く知っているような口振りで話してしまったが」
「そうですか……、でも、そうですよね! その皆様に、日々心から感謝しております!」
 それを聞いたアリステアは少々気落ちした風情になったものの、すぐに自分を納得させて笑顔で頷いた。その反応に安堵しながら、ケリーはここに顔を出した本来の目的を切り出す。


「取り敢えず、預かった管理財産から入学時に必要な備品などは揃えたが……、他にも個人的に細々した物は必要だろう。これは私個人からの入学祝いだから、これで好きな物を買って揃えなさい」
 そう言って幾らかの金貨が入った袋をケリーが取り出してアリステアの前に置くと、彼女は慌ててそれを彼の方に押し返した。
「大司教様、そんな! これまでも色々良くして頂いたのに、このお金までいただけません!」
 しかしケリーはここですこぶる真面目な顔つきで、彼女に言い聞かせた。


「いや、学園を卒業するまでには、君の今後の身の振り方をきちんと考えなくてはいけない。このままだと卒業と同時に、父親の子爵が有無を言わさず、ろくでもない男に縁付かせるかもしれないからな」
「……はい」
 忽ち項垂れた彼女を見て、ケリーは心底気の毒に思いながらも、厳しい口調で話を続ける。


「だからこれは、激励も兼ねている。在学中に官吏科で勉学に励んで優秀な成績を残せば、官吏として王宮で働かせて貰えるからな。そうなると、れっきとした陛下の臣下。例え親でも、勝手に仕事を辞めさせて結婚させるなどできない」
 これまでにも何度か説明を受けてきた内容を聞いて、アリステア明るい表情で力強く宣言した。


「はい、頑張ります! 絶対在学中に、自分の人生を掴んでみせますわ! それではこれは、ありがたく頂戴致します!」
「その意気で頑張りなさい。幸い同学年にはアーロン王子殿下が、一学年上にはグラディクト王太子殿下が在籍なさる。かの方々の覚えめでたくすれば、官吏としての立場がより揺るぎなくなるだろう」
「はい! きっと卒業までには、大司教様をご安心させてみせますから!」
「ああ、朗報を楽しみにしているよ」
 入学を前にして緊張したり不安に陥ったりしてはいないかと、心配して様子を見に来たケリーだったが、アリステアがこれまでにも増して意気軒昂に叫んだ為、心から安心して微笑んだ。


(それにクレランス学園には、エセリア様もいらっしゃる。きっと陰ながらアリステアの事を気にかけて下さるとは思うが、一応念の為にお手紙を書いて、改めて彼女の事をお願いしておこう)
 そんな算段を立てながら、ケリーはアリステアとの面会を終え、笑顔で帰途についた。
 その彼を見送り、与えられている質素な自室に戻ったアリステアは、手にしている袋の重みをありがたく思いながらも、困ったように溜め息を吐く。


「ふう……。大司教様が悪い方では無いのは分かっているけど、考え方がどうしても保守的と言うか、柔軟性がおありでは無いのよね。お仕事柄、仕方が無いとは思うけど……」
 アリステアはそう呟きながら、多いとは言えない私物を収納している棚に袋をしまい込んでから、既に縁が擦り切れている程読み込んだ、一冊の本を取り出した。


「クレランス学園の官吏科なんて、国中から我こそはと学力に自信がある平民の人達がこぞって試験を受けて、選抜されて入るのよ? 私は子爵令嬢として貴族簿に籍があるから、なんとか無試験で入学させて貰ったのに、そんな優秀な人達と張り合って官吏を目指すなんて、不可能に近いじゃない……。もう少し、現実を見て欲しいわ」
 愚痴っぽくそんな事を呟いた彼女は、その直後、左手に持っていた本を顔の高さまで持ち上げながら誇らしげに笑った。


「それを考えたらこちらの方が、よほど成功する可能性があるわよ」
 そう自信満々に口にした彼女が手にしていたのは、エセリアが最初に小説として世に送り出した《クリスタル・ラビリンス~暁の王子~》だった。しかしその作者マール・ハナーがエセリアである事、更に彼女とケリーとの間でやり取りがあった事など、当然全く与り知らないアリステアは、感慨深くそれを眺めながら呟く。


「ここに書いてあるヒロインの境遇は、本当に私とそっくり……。実母の病死後に、浪費家の父親と愛人上がりの継母や異母弟妹に迫害されるところなんて、もう自分の事としか思えない……」
 そこで涙ぐんだ彼女だったが、次の瞬間右手で乱暴に両目を擦って涙を拭きながら、力強く断言した。


「それにクレランス学園で、私と同時期に王子様が二人も在籍するなんて、もうこれは運命よ! 思えば死ぬ前、最後にお母様がこれを買って下さったのも、神様から何らかの啓示を受けたとしか思えないわ!」
 他人が聞いたら思い込みとしか思えない内容を、大真面目に発言したアリステアは、決意に満ち溢れた表情で中空を見上げながら、亡き母親に誓った。


「見ていて、お母様! 私はクレランス学園で真実の愛と揺るぎない立場を手に入れて、絶対に私を蔑んだ人達を見返してやるわ!」
 アリステアが、そんなある意味不純な動機で入学を心待ちにする中、エセリアに一通の封書が届けられた。


(すっかり忘れていた、ケリー大司教様からの私信。そうだろうとは思ってはいたけど、やっぱりアリステアのフォローをお願いする内容だったわね)
 差出人の名前を確認した時点で中身を予想したエセリアは、自分の机でそれを開封し、想像通りだった内容に、憂鬱な気分になるのを抑えられなかった。


「以前さり気なく誘導した通り、私には自ら近付かないように配慮して下さったみたいだし、一応安心させる為に、お返事を書いておきましょうか」
 大司教には悪気は無いのだしと思いながら、彼女は当り障りのない返事を書き上げて、最後に溜め息を吐く。


(既に私が、元々のキャラからかなり外れた存在になっている筈だし、本来のヒロインである彼女が、どこのルート攻略に血道を上げるかは、現時点では全く予測不可能だけど……)
 色々と考えを巡らせたエセリアは、一通り考え尽くしてから窓の外を見やりつつ、やる気満々で誰に言うともなく宣言した。


「どこからでも来るなら来い。バッドエンドなんて、完膚無きまでに叩き潰してやるわ」
 すると背後から盛大に溜め息を吐く気配が伝わり、聞き慣れた声が聞こえる。


「…………エセリア様」
「あ、あら。今、何か聞こえた? ルーナ」
 慌てて椅子に座ったまま振り返り、愛想笑いを振り撒いたエセリアだったが、対するルーナは無表情に近い表情で淡々と応じた。


「いえ……、何も耳にしてはおりません。ええ、決して、果たし状を叩きつけられるのを、笑顔で待ち受ける剣士の如き鼻息荒い宣言など、耳にしてはおりませんわ」
「……しっかり聞いているじゃない」
 その嫌味交じりの台詞にエセリアはがっくりと項垂れ、ルーナは再度溜め息を吐いてから主が書き終えた封書を受け取り、早速届ける手配をするべく部屋を出て行った。





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