悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(18)下げて上げるは処世術

 様々な思惑を抱えた、剣術大会初日。クレランス学園に出向いたディオーネが正面玄関の馬車寄せに降り立つと、待ち構えていた二人が恭しく頭を下げた。


「ディオーネ様、初めてお目にかかります。学園長のリーマンと申します。本日は当学園にご足労いただき、誠にありがとうございます」
「ディオーネ様、お久しぶりです。グラディクト殿下は開会の挨拶の準備と、その段取りの打ち合わせで忙しく、代わりに私がお出迎えする事をお許し下さい」
 それに対してディオーネは、笑顔で鷹揚に頷いた。


「学園長とエセリア様のお出迎えで十分ですわ。グラディクトが人の上に立つ役割を、きちんとこなしているのですもの」
「それではお席にご案内します。近衛騎士団の方々と同じく、試合場全体を見渡せるように、雛壇の席をご用意致しました」
「ディオーネ様には剣術の試合は少々退屈かもしれませんが、参加者は容姿端麗な側妃のお姿を見て、その前で無様な姿は晒したく無いと戦意を高めると思いますので、お付き合い下さい」
「まあ、エセリア様はお上手ですこと。学園の生徒から見たら、幾ら見た目が良くとも私のような年増など、目もくれませんよ?」
 そして二人に先導されながら、ディオーネは機嫌良く歩き出した。そして適当に話題を出し、更に彼女の話に相槌を打ちながら、エセリアは密かに笑いを堪える。


(殊勝な事を言ってはいるけど、どう見ても満更では無い顔付きだし、見た目が良いってしっかり自分で言ってるわね。自己評価が高い所は、息子と同じか)
 そんな事を考えながらも、エセリアは何食わぬ顔で観覧席に彼女を案内し、既に着席していた近衛騎士団の幹部に挨拶をしてから、席に落ち着いたディオーネに断りを入れた。


「申し訳ありません。準備の為に、少々席を外します」
「ええ、構いません」
 そして学園長や騎士団の者達と楽しげに話し出した彼女の側から離れ、エセリアは競技場の周りを取り囲む通路に入った。するとそれを待ち構えていたように、ナジェークが声をかけてくる。


「エセリア。準備は全て整ったよ」
「ありがとうございます、お兄様。申し訳ありません。開会式と閉会式の司会進行までお願いしてしまって」
 申し訳なさそうに言われた彼は、笑いながら妹を宥めた。


「さすがに平民の生徒が大会を仕切ると、色々言ってくる馬鹿な輩がいるだろうからね。それからこれを、刺繍班から預かってきたんだ」
 そう言われて差し出された箱を、エセリアは笑顔で受け取った。


「分かりました。貰って行きます。ところで例のあれは?」
「演台の側に準備済みだよ」
「それなら大丈夫ですね。盛大に近衛騎士団とディオーネ様の前で、グラディクト殿下の名前を高めて差し上げますわ」
「下げながら上げるとは、我が妹ながらなかなか器用な事だな」
 計画内容を既に知っているナジェークが苦笑いで応じると、彼の横に居たイズファインが手にしている書類を軽く持ち上げながら、生真面目にエセリアに告げた。


「エセリア嬢。これが依頼されていた、例の物です。これから一緒に観覧席に出向いて、父に渡します」
「宜しくお願いします、イズファイン様」
 そして幾つかの最終的な打ち合わせをしてからナジェークと別れた二人が、各部署の最終確認をしながら観覧席に戻ってくると、丁度朝礼台の上に乗ったナジェークが、既にそこに上がっていたグラディクトを紹介しながら声を張り上げたところだった。


「それでは時間になりましたので、今大会実行委員会名誉会長であられるグラディクト殿下から、開会のお言葉を頂きます」
「お待たせしました、ディオーネ様。ちょうど開会の時間になりましたね。グラディクト殿下の開会宣言ですわ」
 エセリアが静かにディオーネの席に歩み寄って声をかけると、彼女は如何にも満足そうに頷いた。


「本当ね。やはりあの子は、人の上に立つべくして生まれてきた人間だわ。立っているだけで、周囲の人間との格の違いが分かりますもの」
「本当にそうですわね」
(本当に、親の欲目って怖いわ)
 すかさず相槌を打ちつつ、エセリアが内心で呆れていると、晴れがましい役割を担って上機嫌なグラディクトが、静まり返った会場全体に向かって、得意げに声を張り上げた。


「今回の剣術大会実行委員会、名誉会長のグラディクトだ。この大会は生徒によって企画、運営、開催される事になっているが、外部から来賓もお呼びしている。決して気の抜けた試合や運営をしないように心がけて、各自励んで貰いたい。……それで」
「それではここで、今大会優勝者にグラディクト殿下から贈られる事になる、記念品のマントを披露します。君達、前に出て」
「はい、こちらです!」
「皆様、ご覧下さい!」
「あ、おい! 私の話はまだ」
 グラディクトの話に一区切りついたところを見計らって、ナジェークが声を張り上げて会話に割り込み、更に後ろに控えていた女生徒二人を促す。すると彼女達は遠慮なくグラディクトの前に割り込み、更に二人がかりでマントを掲げ持ち、彼の姿を半ば隠してしまった。
 当然グラディクトが憤慨してそこで文句を口にしたが、それを打ち消すどよめきが会場全体から沸き起こった。


「うおぉぉっ! 凄いぞ、あれは!」
「あんな立派な刺繍、そうそう見かけないぞ」
「それに職人に頼むとなったら、どれだけの金額と日数がかかるんだ?」
「優勝したら、本当にあれが貰えるのか?」
「いや、あれはなかなか……」
 盛り上がる生徒と同様、騎士団の者達も学園章と剣、加えて鳥と蔓草が精巧に刺繍されたマントを興味深そうに見やったが、ディオーネも興味津々でエセリアに尋ねた。


「エセリア様、あれはどこかの工房に作製を依頼しましたの?」
「いえ、在校生の中で刺繍が得意な方にお願いして、作って頂きました。五人がかりの力作です」
「まあ……、それは凄いですわ……」
 本心から感心した声を出したディオーネだったが、まさか生徒の手によるものだとは思っていなかったらしい騎士団の面々も、口々にマントの出来を褒め称えた。


「あれは本当に見事だ」
「あれを貰えるとなったら、参加者のやる気も高まるでしょうな」
「本当に。私も欲しい位だ」
「はい、記念に壁に飾っておきたいですね」
「おいおい、あれはマントだぞ? それは邪道だろうが」
「しかしあのような見事な刺繍、外に出して汚すのが勿体ないです」
 楽し気に話し合う彼らに向かって、エセリアは微笑みつつ手にしていた箱の蓋を開けた。


「確かに実用的では無いですが、単に試合に参加しただけでは無く、記憶に留めて頂けるように、記念品についても考えてみる事に致しましたの。例えば、こちらの記章もそうですわ」
「あら、エセリア様。それは何かしら?」
「一回戦から負けた方に、お配りする記章です。要するに参加賞みたいな物ですわね」
 目ざとく箱の中身を覗き込んだディオーネが、ピンが付いた微妙に大きさやデザインが異なる幅広のリボン状の記章について尋ねてきた為、エセリアは笑顔で答えた。しかしそれを聞いた彼女が、怪訝な顔になる。


「負けた方にお配りになる? 勝った方にでは無くてですか?」
 通常であればそういう類の物は、勝った方にもたらされる故の質問だったが、その想定内の質問に、エセリアは冷静に答えた。


「ええ。常に勝利を目指しておいでの、れっきとした騎士様達からはおかしいと思われるでしょうが、勝った方に渡していたら、勝ち上がる方ばかりが賞賛されます」
「はぁ、それが何か、拙いのでしょうか?」
「正直に申しまして、グラディクト殿下は剣術も槍術も弓術も馬術も、人並みに行う事はできますが、特に何かに秀でているわけではございません」
「…………」
「エセリア様。失礼ではございません?」
 きっぱり言い切った彼女に、騎士団の者達は表情を消して無言になり、ディオーネがはっきりと顔を顰めて彼女を睨んだ。しかし彼女は落ち着き払って話を続ける。


「そのような殿下ですから、生徒主体での剣術大会では勝ち負けの結果ではなく、物事に真摯に向き合う姿勢を評価したいと、お考えになったのでは無いかと推察致します」
「それで、負けた方に記章を授ける事をお考えになられたと?」
「常に周囲を圧倒されているような方からは、このような発想は出ないと思われますが」
 イズファインの口利きで何人かの幹部を引き連れて視察にやって来た、騎士団長のラドクリフ・ヴァン・ティアドが、エセリアの発言を聞いて真顔で考え込み、重々しい口調で述べる。


「なるほど……。確かに、これはあくまで学園内での行事。生徒同士の親睦と団結力を高める為に、健闘を讃え合う事は素晴らしい」
 そう感想を口にすると、彼の部下達もこぞって同意した。
「自分の至らない所をしっかりと認識しつつ、弱者への配慮も忘れないとは」
「さすがは王太子殿下。この国の未来は安泰ですな」
「そうですとも。国王たる方が、誰よりもお強くある必要はありません。もしそうなら、我ら近衛騎士団の立つ瀬がありませんよ」
「殿下をそのような配慮ができる方にお育てになられた、ディオーネ様こそ真っ先に賞賛されるべきですわね」
 ここでさり気無くエセリアがディオーネを称賛する言葉を口にすると、すかさず彼らから賛同の声が上がった。


「誠にその通り!」
「いやぁ、さすが陛下のご寵愛深いお方なだけはありますな!」
「まあ……、皆様。私など、王妃様の足下にも及びませんのに……」
 口々に褒められて忽ち機嫌を直したディオーネを見て、エセリアは一人ほくそ笑んだ。


(ヨイショはこれで完璧ね。さて、次はイズファイン様の出番だわ。お願いします)
 そしてこの間後ろに下がってタイミングを窺っていたいたイズファインに、合図の目配せを送った。





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