悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(2)知られざる関わり合い

「ところでエセリア様は、再来月から王立クレランス学園に入学されますね?」
「はい。それでそれ以後は、こちらに出向く回数は減るかと思いますので、今日はこれから他の主だった方々にも、一言ご挨拶をしてから帰るつもりです」
「そうでしたか。それで実はエセリア様に、個人的にお願いしたい事があるのですが……」
「何でしょう?」
 いかにも申し訳無さそうに言い出したケリーに、エセリアは(そんなに面倒な事なの? ケリー様らしく無いわ)と首を傾げた。


「先程お話しした子爵令嬢の事なのですが、来年十五歳になったらエセリア様同様、クレランス学園に入学する事になります。例の契約時に亡き夫人から、『娘の入学手続きと委託財産で費用の支払いをお願いしたい』と依頼を受けましたので。『そうしないと夫が、金になるかどうかで娘の結婚相手を選んで、売り払うように嫁に出しかねない』と仰いまして」
「確かに伯爵家以上の子女には入学義務がありますが、子爵家以下の家には学園に入らず、結婚する方もいらっしゃいますね……。それに婚約していても学業優先の方針の為、在学中の婚姻は認められておりませんし。その子爵は、本当に妻からの信用が無かったのですね」
 心底呆れ果てたと言った口調で感想を述べたエセリアに、ケリーは軽く頷いてから話を続けた。


「そのアリステア嬢に、学園在学中に自ら身を立てられる様に勉強して貰い、官吏の道を目指して貰えればと期待しているのです。幸い一学年上に王太子殿下とエセリア様、同学年に第二王子たるアーロン殿がいらっしゃいますので、皆様に彼女の有能さを認めて頂いて後見して頂ければ、父親である子爵が何を言ってこようとも、彼女の意志に反する事はできないかと思いますので」
「なるほど……。それで私に、一年後に入学してくる彼女に目をかけて欲しいと仰る」
「はい。こんな事をお願いするのは、筋違いだとは重々承知してはおりますが」
 ひたすら恐縮しているケリーを見て、彼が件の令嬢の為にできるだけの配慮をしているのだと分かり、その人となりを改めて尊敬したが、同時に話の内容に引っかかりを覚えた。


(さすが総主教会内でも、人格者と名高いケリー様。それにしても……、アリステアってどこかで聞いたような名前だけど……)
 そこでエセリアは、漸くその違和感に気が付いた。


(ちょっと待って!! それって《クリスタル・ラビリンス》のヒロインの名前、そのままじゃないのよ!?)
 激しく動揺したものの、エセリアはそれをなんとか面には出さず、ケリーにさり気なく問いを発した。


「あの……、因みにその子爵令嬢のフルネームはどのような……」
「はい、アリステア・ヴァン・ミンティア嬢です」
「そうですか……」
 即座に返ってきた名前を聞いて、彼女はがっくりと肩を落とした。


(終わった……。ストーリー通り、ヒロインが順調に入学する事になっているなんて。しかもそれって、私がついでの様に提案した財産信託制度のおかげだなんて、何て皮肉なの)
 無言で打ちひしがれていたエセリアを不審に思い、ここでケリーが控え目に声をかけてきた。


「あの……、エセリア様。どうかされまさたか? 急にご気分でも悪くなられましたか?」
「あ……、いいえ。何でもありません。少々考え込んでいただけですから」
「そうですか」
 声をかけられて我に返ったエセリアは、怪訝な顔のケリーに愛想笑いを向けながら、頭の中で必死に考えを巡らせた。


(まだ大丈夫、こんな事で諦めちゃ駄目よ、エセリア。彼女が入学するまで、まだ一年以上あるわ。その間に、なんとか手を打てば良いのよ。取り敢えず彼女との接点は、できるだけ少なくしておくに越した事はないわ)
 素早く今後の方針を立てた彼女は、ケリーに視線を合わせながら、申し訳無さそうに口を開いた。


「大司教様のお考えは分かりましたが……、私が彼女と直接接するのは、いかがなものでしょうか?」
「と仰いますと?」
「大司教様のご依頼を受ける事に異存はありませんが、これまで全く接点も交流もない公爵令嬢と子爵令嬢が一緒にいれば、確実に周りに不審がられます。理由を問われた場合、大司教様からの話を秘密にしたままでは却って憶測を呼びますし、かと言って事情を正確に告げた場合、ミンティア子爵家の醜聞が表沙汰になりますから。彼女が学園内で、後ろ指を差される事になりはしないかと思いまして……」
 いかにももっともらしい口実を告げると、ケリーも考え込んでそれに同意した。


「確かにそうですな。これは私が配慮に欠けておりました。アリステア嬢の立場を考えて頂いて、ありがとうございます」
「勿論、公に力にはなれなくとも、何か問題があった場合には、陰ながら助力致しましょう。ただアリステア嬢が変に私を頼りにしない様に、大司教様からは彼女に、私の事を言及しないでおいた方が良いかもしれません」
「そうですね。彼女は財産信託制度に関してはかなり感謝の念を露わにしておりますし、その提案者がエセリア様と知ったら、学園内で身分も考えずに盛大に抱き付いて、感謝の言葉を声高に唱えそうです」
「そうですか。さすがにそれは、礼儀作法の上でも少々問題がありますし」
「回避しなくてはいけませんね」
 そこで互いに苦笑してその話題を終わらせ、エセリアは密かに安堵の溜め息を吐いた。
 それから先刻の宣言通り、ケリーと別れた後は他の総主教会の主だった面々に挨拶をしてから、帰宅の為に馬車に乗り込んだ。


(取り敢えず積極的な係わり合いは、これで防げたかしら? もう本当に、冗談じゃないわ。うっかり忘れかけていたけど、バッドエンド回避に本腰を入れないと)
 そんな決意も新たに、早速俯きながらブツブツと呟き始めた主を見て、教会に同行していたミスティは向かい側の座席から訝し気な声をかけた。


「エセリア様。先程から一人で、何を仰っておられるのですか?」
「何でもないわ、気にしないで。ちょっと考え事をしているだけですから」
「そうですか……」
 いつもの事であり、もうすっかり慣れてしまった彼女は一つ溜め息を吐いてから、顔つきを改めてエセリアに申し出た。


「お嬢様。後ほど奥様か侍女長からお話があると思いますが、私の結婚が決まりましたので、側仕えを辞めさせて頂きます」
「え? ミスティ、本当!? おめでとう!」
 既に二十歳を過ぎて久しい彼女の嫁ぎ先は、屋敷内でも色々と心配されていた為、エセリアは笑顔で顔を上げ、心の底から祝いの言葉を述べた。それにミスティが、苦笑いで応じる。


「ありがとうございます。お嬢様のお陰で、多少の事では動じない太い神経を身に付けられたと思います。結婚相手の母親は、近所では強欲で偏屈だと評判の方ですが、破天荒なお嬢様のなさりようと比べたら、やることなすこと殆ど予想が付きますので、落ち着いて対処できますし。本当に、可愛い位です」
「…………」
 穏やかに、何か悟りを開いたかのような表情で告げて来たミスティに、エセリアの顔が微妙に引き攣った。そこでミスティが若干険しい表情になって、主に切々と訴える。


「近日中に後任の者と引き継ぎをする予定ですが、今度はエセリア様とさほど年の変わらない、若い娘が付く予定だそうです。くれぐれもその者に迷惑をかけたり驚かせたりしないように、公爵令嬢の自覚を持っておふるまい下さい。これが私の、唯一、最後の願いです」
「ええ、ごめんなさいね……。これまで散々、苦労とか心労とか、色々かけてしまったみたいで……」
 まぎれも無く本気のその訴えに、エセリアはほんの少しだけこれまでの自分の常識外れな言動の数々を、反省したのだった。



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