悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(9)目から鱗

「ドルパァァァァァッ!!」
「はっ、はいっ! 何でしょうか、お嬢様!」
 いきなり叫びながら両腕を伸ばして掴みかかってきたエセリアに、ドルパは本気で恐れおののいたが、彼女は涙目になりながら激しく訴えた。


「私はっ!! 今っ!! も――れつにっ、感動してるわっ!!」
「へ?」
「素晴らしいわ、ドルパ! その先入観が無い故の、自由な発想!! 誰にでも真似できる物じゃ無いわよ!?」
「……どうも」
 他に何も言いようが無く、ドルパは曖昧に頷いたが、ここでエセリアは彼から手を離し、中空を見上げながら力強く吠えた。


「そうよ! 紙で駄目なら板で! 立てられなければ刺せば良いんじゃない! 何を固定観念に捕らわれているのよ、エセリア!! 停滞は破滅の序章!! 常に一歩でも半歩でも、前進あるのみだわ!!」
 そこでエセリアは漸くいつもの口調になり、唖然としていたドルパに向かって笑顔で礼を述べた。


「ドルパ! 話し相手になってくれてありがとう! おかげで何とかなりそうよ! それじゃあね!」
「あ、エセリア様! 足元にお気を付けて」
 慌ただしく用紙や駒をバスケットにしまい込み、それを手に提げて走り出したエセリアを見て、ドルパは慌てて注意を促したが、それは一瞬遅く、彼女は盛大に転んでしまった。


「ふぎゃあぁっ!」
「お嬢様!?」
 しかし血相を変えて駆け寄ろとした彼の前でエセリアは勢い良く立ち上がり、屋敷内に向かって再び駆け出す。


「何のこれしき! 倒れる時は、前のめりよっ!!」
「エセリアお嬢様、お待ち下さい! どちらに行かれるおつもりですか!?」
 どうやら本当に近くに控えていたらしいミスティが、狼狽しながら主人の後を追うところまでを見てから、ドルパがしみじみと呟く。


「お嬢様は大怪我をなされてから、本当に賑やかになられたなぁ……」
 そして少ししてから、彼は予定通り植え込みの剪定を再開した。するとエセリア達、公爵家の者達が午後のお茶を楽しむ時間帯になってから、庭園に出て来てドルパに声をかけてきた人物がいた。


「ドルパさん。すみません。今、宜しいですか?」
「ロージアさん? はい、構いませんよ。どうかしましたかね?」
 普段はあまり庭に出て来ない、侍女長のロージアが現れた為、ドルパは作業の手を止めて振り返った。すると彼女が、予想外の事を言い出す。


「ちょっと休憩にしませんか? エセリア様からドルパさんに、言付かった物がありますので」
「はぁ、休憩するのは構いませんが、何でしょうか?」
「今日のお茶の席での、エセリアお嬢様の分のケーキです」
「は?」
 さらりと言われた内容にドルパは一瞬呆けてから、その申し出を慌てて固辞した。


「いやいやいや、貴族のお嬢さんの食べるような物、この儂が食べるなんて勿体ないですよ!」
「ですが、これはお嬢様なりの、感謝の気持ちの現れですので。『お金や物は基本的にお父様の物だから、他人に勝手にあげるわけにはいかないけど、私の分として取り分けられた食べ物は、確実に私の物だから好きにして構わないわよね?』と、筋が通っているのかいないのか、良く分からない主張をされまして」
「儂にも良く、分かりませんなぁ……」
 説明したロージアもそれを聞いたドルパも、顔を見合わせて揃って苦笑いした。そのままの表情で、彼女が説明を続ける。


「それにお嬢様は『のんびりお茶なんかしてる暇は無いのよ! 図案と構想を纏めて、今日中にワーレスさんに届けて貰うんだから!』と仰って、部屋に籠もってしまいましたから」
「お嬢様も、色々大変そうですなぁ……」
「そういう訳ですから、ドルパさん。お嬢様の分のケーキを食べて下さい。お茶は、私も一緒にいただきますから」
 そこまで言われて固辞するのは、却って失礼だと思ったドルパは、ありがたくその申し出を受ける事にした。


「そうですか? それではせっかくですからいただきます」
「それなら向こうの空いている場所に、テーブルをセットしておきますので、もう少ししたら来て下さい」
「分かりました」
 そこで一度二人は別れ、ドルパは仕事に一区切り付けてから、先程彼女に言われた場所に出向いた。すると時間を計った様に、ティーセットとケーキ皿を他の侍女に持たせたロージアがやって来る。


「お待たせしました」
「いや、儂も今来たところですから」
 そして既に出してあった椅子にドルパが腰を下ろし、ロージアがお茶を淹れ始めたが、その如何にも高級なティーカップを見て、彼は冷や汗を流した。


「大丈夫ですよ? 薄く見えますが、しっかり作られている物ですし」
「はぁ……、恐縮です」
 恐る恐る手を伸ばすドルパを、彼女は笑って宥める。その彼は目の前の皿に乗せられたケーキをしげしげと眺めてから、感嘆の溜め息を吐いた。


「いやぁ……、こんな上品で上等な菓子なんぞ、生まれてから一度も食べた事は無かったですなぁ……」
 そしてフォークでケーキを取り分けたドルパは、それを口に運んで味わってから、恍惚の表情で呟く。


「いやぁ、本当に美味い。もっと学のあるお方なら、もっと気の利いた事が言えるんでしょうが……」
「あなたが大変喜んでいたと、エセリア様にお伝えしますね」
「宜しくお願いします。しかしお嬢様は怪我をされてから、本当に人が変わったようですな」
 ドルパがしみじみとそんな事を言い出した為、ロージアの笑みが深くなった。


「確かにそうですが、悪い方向に変わったわけでは無いと思いますから、良いではありませんか」
「尤もです。子供は元気なのが一番ですな!」
 そう言って豪快に笑いながら食べ進める彼を見ながら、ロージアはほんの少しだけ(公爵家のお嬢様が、元気過ぎるのも困るのだけど……)と思いながらも、口に出したりはしなかった。







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