その華の名は

篠原皐月

(13)意趣返し

 ジャスティンと踊った後、何人かの女性と話し込んでいたエセリアは、どこか所在なげに一人佇んでいる兄を認めた。それを不思議に思った彼女は周囲に断りを入れ、一人でナジェークのもとに向かう。


「お兄様? カテリーナ様とご一緒ではなかったのですか?」
 踊った後はそのまま二人で一緒にいると思っていたエセリアが怪訝な顔で尋ねると、ナジェークも困惑顔で事情を説明する。


「それが……、一曲踊った後は、フィリス夫人と連れ立って広間を出ていってね。暫く経つが、二人ともまだ戻ってきていないようだ」
「あら、どうしたのでしょう?」
「それが……、カテリーナが何やら企んでいるみたいだったから、その関係かもしれないな。どうやら主催者のフィリス夫人も、ご承知の様子だったし」
 考え込みながらナジェークが告げた途端、エセリアは顔を輝かせて応じる。


「まあ、楽しそう! さすがはカテリーナ様ですわね。お兄様が振り回されるなんて」
「振り回されたりはしていないが?」
「そう思っているのは、本人だけかもしれませんよ?」
「…………」
 おかしそうにクスクスと笑っているエセリアにナジェークが渋い顔をしていると、偶々広間の出入口方向を向いていたエセリアが、入室してきた人物を見て口を開いた。


「あ、お兄様。フィリス夫人が戻っていらして……」
「…………ああ、カテリーナも戻ったみたいだな」
 不自然に声を途切れさせたエセリアに続き、ナジェークもドアの方に向き直ったが、フィリスに続いて入室してきたカテリーナが、先程までのドレス姿から純白の近衛騎士団正装に着替えているのを認めて、半ば呆れ気味の声を漏らした。


「凄くお似合いですわね……」
「そうだな……」
「そういえば以前お兄様は、男装のカテリーナ様と踊ったことがあったとか……」
「……ああ」
「ところでお兄様。あの状態のカテリーナ様と、どういう風に劇的な恋愛展開に持っていくつもりですか? 下手をするとナルシスト疑惑に加えて、男色疑惑まで追加されそうですが」
「…………」
 困惑顔でエセリアが指摘してきたことで、ナジェークは深い溜め息を吐いた。それとほぼ同時に、会場のあちこちから若い女性達の歓声が上がる。


「きゃあっ! カテリーナ様が男装されているわよ!」
「カテリーナ様の凛々しいお姿を、再び目にすることができるなんて!」
「本当に久し振りだわ!」
「しかもあれは、近衛騎士団の正装よね!?」
「私、初めて目にしましたわ!」
「カテリーナ様! 是非私と一曲踊ってくださいませ!」
「ちょっとあなた、抜け駆けしないでよ! 最初に男装されたカテリーナ様を見つけたのは私よ!」
「なんですって! 一番最初にこちらに来たのは私よ!」
 歓喜の声を上げた後、彼女達は一様にカテリーナに歩み寄ったが、ダンスの順番を巡って一触即発の気配を醸し出し始めた。しかしここでフィリスが、穏やかに周囲に言い聞かせる。


「皆様、申し訳ございませんが、まず私から彼女と踊らせていただきますね? 今回の夜会で華やかさを演出するために、カテリーナにこの姿をお願いしたのは私ですので。勿論私の後は、皆様全員と踊ってくれますから。カテリーナ、そうでしょう?」
 そこでフィリスが傍らのカテリーナに微笑むと、彼女は負けず劣らずの笑みを振り撒く。


「ええ、勿論です。女性からのお誘いをお断りするなど、そんな失礼なことはできませんもの」
「そういうわけですから皆様、安心してお待ちください。それではサビーネ、この場をお願いね?」
「はい、お任せください。皆様。踊る順番を待ちながら、普通の殿方からは感じることのできないカテリーナ様の魅力的なお姿を観察しつつ会話を花を咲かせるのも、よろしいかと存じます。それではこちらの壁に沿って、一列でお待ちください。このような並びでお願いします」
 カテリーナとフィリスの台詞に続いて、いつの間にやらその場に来ていたサビーネが手を動かして説明しながら促すと、周囲の女性達は先程までの険悪な空気を一転させ、笑顔でその指示に従った。


「そうですわね。久し振りにカテリーナ様の凛々しいお姿を目にして、見苦しい姿を曝してしまいました」
「私も同様ですわ。カテリーナ様がお約束を反故にするような方ではないのは分かっておりますし、おとなしく待たせていただきましょう」
「私はこちらに遅れて来ましたから、どうぞそちらからお先に」
「あら、私よりはこちらの方の方が先にいらしたとはずですから、私はこの辺りで」
 女性達が自然に一列になっていくのを確認してからフィリスとカテリーナは広間の中央に進み、流れるような動きで踊り始めた。 


「男装は久し振りの筈ですけど、男性パートの踊り方まで忘れたわけではないようで何よりだわ。何回足を踏まれるかと、実は少しビクビクしていたのよ?」
 間違っても心配しているようには見えない顔で茶化すように言われてしまったカテリーナは、苦笑しながら言葉を返した。


「ご心配おかけして、申し訳ありません。それに予め正装一式をお預かりしていただき、ありがとうございました」
「それくらい、何でもないわ。現に夫も息子も、全く気がついていませんでしたしね」
「そのようですね」
 躍りながら横目で確認すると、ランドルフとイズファインはどちらも唖然とした表情で固まっていたことで、使用人達への影響力は二人よりもフィリスの方が遥かに強いことが確認でき、カテリーナは苦笑を深めた。




「お兄様……。この場でカテリーナ様との事を進めるとか仰っていましたが、何をどうするおつもりですか? あの女性達を蹴散らして事を進めたら無粋すぎますし、皆様の恨みを買うことは確実ですよ?」
 踊っているカテリーナ達と壁際に一列で待機している女性達を交互に見ながらエセリアが問いかけると、ナジェークが渋面になりながら応じる。


「……そうだな。それは分かっている」
「これはどう考えても、カテリーナ様の意趣返しではありませんか? 思えばお兄様から聞いた話では、これまでにカテリーナ様への無茶ぶりがあれこれありましたし。この間に怒りを溜め込んでいたカテリーナ様から最後の最後で倍返しされて、一気に難易度が上げられたとしか思えません」
「倍ですむのか? 十倍返しの気がするな……」
 呆れ顔のエセリアに、ナジェークはうんざりとした様子で深い溜め息を吐いた。しかしすぐに不敵な笑みを浮かべながら、不穏な台詞を口にする。


「だが、それくらいでなければ面白くない。その挑戦受けた。相手にとって不足なし」
 小声ながらも、その力強い宣言を耳にしたエセリアは、僅かに顔色を変えて兄に問い返した。


「……え? あの、お兄様? 別にカテリーナ様から、試合を挑まれたわけではありませんのよ?」
「そうなったら、カテリーナが彼女達と踊り終えてからが勝負だな。さて、どう話を持っていくか……」
「ちょっと待ってください、お兄様! 勝負って、交際とか結婚の申し込みの場面からはほど遠い言葉ではありませんか!? まさか、変に揉めたりはしませんよね!? どうしてその場に居合わせたのに止めなかったと、後から私がお父様とお母様に叱責されそうな気がして仕方がないのですが!?」
「それは彼女の出方次第だ。できるだけ穏便に済むように、今のうちに祈っておくんだな」
「お兄様!」
 エセリアの、切羽詰まった抗議の声もなんのその。それからナジェークは目線でカテリーナの動きを追いながら、ひたすら黙考していた。









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