その華の名は

篠原皐月

(33)最後の仕上げ

 1日寮に籠った翌日、カテリーナは何食わぬ顔で出勤したが、既にカモスタット伯爵邸での騒動は一部の者達の間では密かに広まっているらしく、王宮内を歩いていると自分を遠巻きにしながら囁いている者達が散見された。しかしそれらを綺麗さっぱり無視し、同僚達にまでは噂が到達していないのを幸い、平常心で勤務したカテリーナだったが、昼休憩で食堂に足を踏み入れた途端、自分の間の悪さに溜め息を吐いた。


(騎士団用の食堂は広いし、人数は多いし、業務内容によって勤務時間帯が多岐に渡るし、勿論所属が異なっているから普段は滅多に遭遇しないのに……。どうして事が起きた直後に、あの人と遭遇するのかしらね)
 進行方向と視線の先にいたダマールとしっかり視線があったと思ったら、彼が一気に顔を険しくし、周囲にいた者達を置き去りにしてまっすぐカテリーナのところに向かってくる。そしてカテリーナのすぐ目の前で足を止めた彼は、盛大に歯軋りをして唸るように言葉を発した。


「貴様……、よくもやってくれたな」
「ダマール殿、お疲れ様です」
「ふざけるな! 俺は貴様のせいで!」
「危ない!」
「カテリーナ!」
 問答無用で声を荒らげながら拳を振り上げたダマールを見て、一緒に食堂に来たカテリーナの同僚達は悲鳴を上げたが、彼女が身構える間もなく、その手首を後ろから素早く捕らえた者がいた。


「やあ、ダマール。元気そうで良かった。一昨日、婚約披露の場である午餐会で妹に倒されて、それが原因で昨日は休んでしまったと聞いて心配していたんだ。もう大丈夫みたいで安心したよ」
「ジャスティン隊長……、お疲れ様です」
 穏やかな笑みを浮かべながら声をかけてきたジャスティンに、振り返ったダマールが相手が目上の為に舌打ちを堪えながら応じた。


(ジャスティン兄様……。タイミングが良すぎませんか? まるでダマールが昼食に来るのを、暫く前から待ち構えていたような出現ですね)
 半ば呆れながら口を閉ざしていたカテリーナだったが、先程のジャスティンの言葉を耳にした周囲のあちこちから、囁き声が伝わってくる。


「え? なんだって?」
「今、妹に倒されたとかなんとか……」
「確かにダマールの奴が、ジャスティン隊長の妹と婚約した話は聞いているが」
 するとジャスティンはカテリーナに向き直り、渋面で微妙に声を張り上げつつ説教し始めた。


「カテリーナ。前々からお前には、他人を思いやる気配りとか女性としての慎みに欠けると思っていたが、それらをもっと早くに指摘して、きちんと矯正しておくべきだった。まさか婚約披露の場で婚約者との剣での立ち合いを強行した上、招待客が居並ぶ前で相手を破り、見事に勝利してしまうとは。少しは相手に花を持たせようとかの、殊勝な考えは無かったのか?」
 カテリーナを叱責するとみせかけて、実はダマールの醜態を晒しているわざとらしい台詞に吹き出しそうになりながらも、カテリーナは精一杯真面目な顔を作りながら言い返す。


「そんな必要がありますか? 近衛騎士として最重要の任務は、王族の皆様の安全確保です。賊は圧倒的に男性が多いですし、女だから男の賊に負けて良いなどの世迷い言が通じるわけありません」
「それは確かにそうだがな」
「それはダマール殿も同じでしょう。そんな近衛騎士として常日頃鍛練しておられる方相手に、どうして私が手加減する必要があるのですか。寧ろあっさり勝ってしまって理不尽な叱責を受ける羽目になった事について、ダマール殿に抗議したいくらいです」
「なんだと!?」
 面白くなさそうにカテリーナが反論すると、ダマールが屈辱と怒りで顔を赤らめた。しかしジャスティンが半ば彼を無視しながら話を続ける。


「たしかにそうかもしれない。しかしそれはそれ、これはこれだ。一昨日の一件で著しく名誉と体面を傷つけられたダマール殿は、廃嫡される事になったのだぞ?」
「別によろしいのではありませんか? ダマール殿は近衛騎士団でご活躍著しい方ですし。ジャスティン隊長も兄上に家督後継者の地位を譲って、《ヴァン》を返上して近衛騎士団でご活躍ではありませんか。ダマール殿も貴族簿から籍を抜いて、これまで以上に活躍してくれるでしょう」
「俺は廃嫡などされていないぞ!」
 カモスタット伯爵家内で相当揉めているのか、単なる悪あがきか、ダマールがそんな叫び声を上げたが、ジャスティンとカテリーナは笑顔で言葉を交わした。


「ああ、今はまだそうらしいな。だが安心してくれ。騎士団長は家門などに拘って、判断を誤る愚かな方ではない。君がダマール・ヴァン・カモスタットではなく単なるダマール・カモスタットになったとしても、きちんと実力で評価して貰えるだろう」
「その通りですね。騎士団長は我が家と家族ぐるみの付き合いで、一昨日の午餐会に出席されていましたが、ダマール殿が私に叩きのめされても『女に負けるとはなんと恥さらしな』などと、つまらない文句をつけて罰するような方ではありませんもの。ダマール殿も団長から呼び出しを受けて、叱責されてなどいないでしょう?」
「…………」
 大声では無いものの、周囲が静まり返って三人のやり取りに耳を傾けているため、自身の廃嫡話まで広まってしまった事で、ダマールは二人を殺気の籠った目で睨み付けた。しかしジャスティンはそれを真っ向から受け止めながら、傍目には彼を激励する。


「君のようなやる気に満ちた将来有望な騎士と、義兄弟になれなくて残念だ。しかし破天荒な妹と一緒にならない方が、ある意味君のためだろう。今後の一層の活躍を期待している。頑張ってくれたまえ」
「……失礼します」
 明るい笑顔で心にもないことを言ってのけたジャスティンから視線を逸らし、ここで上役相手に抗議や乱闘に及ぶことなどできないダマールは、怒りを押し殺しながら踵を返して離れて行った。


「おい、今の聞いたか?」
「本当に、あの女に負けたらしいぞ」
「これまで、貴族の嫡男であることを持ち出して、貴様らとは立場が違うとか言って威張っていたのにな」
「団長が出席していたと言っていたから、誰か詳細を聞いてみないか?」
「止めろ。叱責されるだけだぞ」
 確実に近衛騎士団全体に噂が広がるであろうざわめきを聞き流しながら、カテリーナはジャスティンを見上げつつ確認を入れた。


「ジャスティン兄様……、待ち構えていましたか?」
「ああ。お前の顔を見た途端、乱闘騒ぎになったらまずいからな。あいつはともかく、お前まで処分されかねない」
「それにしても、容赦ありませんね?」
「うん? カテリーナ、なんの事を言っているんだ? 俺はただ、ちょっとした汚点を作ってしまった同じ騎士団所属の仲間を、親切心から激励しただけだぞ?」
 真顔で言い切ったジャスティンを見て、カテリーナはがっくりと肩を落とした。


「白々しいです……。お兄様、これまでのダマールのやり口に、相当腹を立てていましたね?」
「さあ……、どうかな?」
 平然と惚けたジャスティンにカテリーナはそれ以上物を言う気は失せ、兄と別れて同僚達と一緒に昼食を食べ始めたが、当然の如く同僚達を初めとして周囲から質問攻めにあい、暫くは心が休まらなかった。更にダマールは一気に噂が騎士団内に広まったことで肩身が狭い思いをする羽目になり、ほどなく騎士団を去って何処へと消えることになるのだった。



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