その華の名は

篠原皐月

(23)着々と進行

「それではこちらでお過ごしください」
「ありがとうございます」
(さてと……。首尾良く入り込んでくれていると思うけど、あまり時間に余裕はないはず。それに私がおとなしくしているのは幾らなんでも不自然だから、ここら辺で怒ってみせないとね)
 神妙に先導に続いて伯爵邸の廊下を進んだカテリーナは、応接室の一つに通されて案内役の執事が部屋を出ていくと、早速行動に移った。


「ところでお義姉様、先程お伺いした件ですが、こちらに着替えを持ってきていただけるのですか?」
 平然と尋ねたカテリーナに、エリーゼがとぼける。
「はぁ? カテリーナ、着替えとはなんの事かしら?」
「午餐会の前に、ダマール様と立ち合う時の着替えです。このドレスではまともに動けませんから」
 答えが分かりきっていたものの、そ知らぬ顔で質問を続けたカテリーナに、エリーゼは如何にも馬鹿にした口調で言い返した。


「まあぁ! カテリーナったら、一体何を言い出すの? 招待客の前で剣を振り回すなんて、そんな野蛮なことができるはずないじゃない!」
「それでは、昨夜お渡しした衣装と剣はどうしたのですか?」
「一体なんのことを言っているやら、さっぱり分からないわ。ジェスラン、あなたは分かるかしら?」
「さあ、カテリーナは何か勘違いをしているのではないか? こんな祝いの席で立ち合いなど、できる筈がないだろう」
 せせら笑うように応じた兄夫婦を、カテリーナは眼光鋭く睨み付ける。


「……そうですか。二人揃って、私を騙したわけですね。堂々と嘘を並べ立てるなど、恥ずかしいとは思わないのですか?」
「だから、何の事を言っているのか、分からないと言っているじゃない」
「そうですか。それでは単に、昨夜嘘をついた事実すら覚えていられないほど、お義姉様の記憶力が残念すぎる代物だったということですね」
「なんですって!?」
「落ち着け、エリーゼ」
 素っ気なくカテリーナが言い放った言葉に、エリーゼが顔色を変える。そんな妻を宥めてから、ジェスランは妹に向き直って断言した。


「カテリーナ、いい加減に諦めるんだな。お前がここで何を喚こうが、婚約が解消になることは無いぞ。こんなところでお前が騒ぎを起こしたら、確実に父上と母上が激怒するからな。もうお前の自由にはさせないだろう」
「仰りたい事はそれだけですか? ジェスラン兄様。後悔しますよ?」
 冷静に言い返したカテリーナだったが、ジェスラン達はそれを鼻で笑った。


「私が、どう後悔すると? 私達に悪態を吐くより、カモスタット伯爵夫妻とダマール殿に、どうやって気に入られるようにするか、考えておいた方が良いだろうな」
「ジェスランのいう通りね。あなたはこれまで散々、勝手気ままに振る舞ってきたけど、これからはそうはいかないでしょうから」
「…………」
 くすくすと笑っている兄夫婦を、カテリーナは黙って目をすがめて眺めた。するとノックする音に続いてドアが開けられ、メイド姿の女性が現れる。


「失礼いたします」
「どうかしたの?」
「ガロア侯爵家の、ジェスラン様とエリーゼ様でいらっしゃいますね? ガロア侯爵様から『ダトラール侯爵ご夫妻がお出でになりましたので、一緒にご挨拶するように』と言付かっております」
 エリーゼの両親である夫妻の来訪を聞いたジェスランとエリーゼは、顔を見合わせて頷いた。


「もういらしたのね」
「それでは義父上と義母上にご挨拶しないといけないな。それではカテリーナ、ここでおとなしくしているんだぞ?」
 ここでエリーゼは、やって来たメイドに声をかける。


「あなた。ダマール様が迎えに来るまで、ここでカテリーナに付いていて貰える?」
「はい。お嬢様のご用を承るように、ここで控えている指示を受けております。ご心配なく」
「それではよろしくね」
「カテリーナ、他家のメイドに面倒をかけるなよ?」
 恭しく頭を下げたメイドにカテリーナの監視を任せ、二人は機嫌良く応接室を出ていった。その途端、カモスタット家のメイドに変装していたティナレアが、床に崩れ落ちるように座り込む。


「……っ、はぁあぁぁっ! 緊張したぁあぁぁっ!」
 部屋に入ってきた瞬間からそ知らぬふりを貫いていたカテリーナは、急いでティナレアに駆け寄って声をかける。
「ご苦労様、ティナレア。変なことに巻き込んでしまってごめんなさい」
「そんなことより、さっさと着替えるわよ! 騎士団の制服や剣を持って屋敷内を歩けないから、さっき合流したアルトーさんに渡しておいたけど……、来たわね」
 へたり込んでいたのはほんの数秒で、窓ガラスが微かに叩かれたのを聞き取ったティナレアは、猛然と窓の一つに駆け寄ってそこを開けた。すると予想通りアルトーがおり、窓越しに布袋を2つ差し出す。


「お待たせしました。どうぞこちらを」
「ありがとう。さあ、カテリーナ。早く着替えて!」
「分かったわ」
 袋を受け取ったティナレアが一度窓を閉めて振り返り、カテリーナに手渡した。その中から取り出してソファーの上に騎士団の制服や剣を並べていると、短いノックに続いてサビーネが姿を現す。


「ティナレア様、カテリーナ様、取り敢えず廊下に人はいません。万が一誰かが来ないように、鍵をかけておきますね。ここまでは順調です」
「ええ、良かったわ」
 そして二人の手を借りてドレスを脱ぎ捨て、アクセサリーも全部外して身支度を整えていたカテリーナは、ふと疑問に思った事を尋ねた。


「ティナレア。そういえば、このドレスとかはどうやって持ち出すの? さすがに屋敷内の使用人達の目に留まってしまうのではない?」
「これで洗濯物に偽装するのよ。普通に持ち歩いていたらかさばって隠密行動はできないし、確実に怪しまれるもの」
「なるほどね」
 サビーネが持ってきたシーツを広げ、ティナレアがその中に畳んだドレスや靴、アクセサリーを纏めて入れて包み込んでいるのを見て、カテリーナは納得した。そしてカテリーナは靴も履き、剣も腰から下げて身支度を終わらせる。


「よし、完璧ね」
「アルトーさん、準備ができました」
 先程の閉めた窓を再び開けて呼び掛けると、窓のすぐ下にいたアルトーが立ち上がり、指示を出す。


「それではカテリーナ様、こちらへ。午餐会開始時間まで、植え込みに隠れていましょう。適当な場所を探しておきました」
「分かりました、案内をお願いします。応接室が一階で助かったわ。ティナレア、サビーネ様、気を付けてね?」
「大丈夫よ。任せて」
「カテリーナ様、頑張ってください!」
 ティナレアとサビーネに見送られ、カテリーナは軽々と窓枠を乗り越えて庭に降り立った。そしてアルトーと共に周囲を警戒しながら植え込みの中を進んで、瞬く間に姿が見えなくなる。


「さあ、長居は無用ですから、私達もさっさと抜け出しましょう」
「そうですね」
 傍目にはシーツの塊を抱えて応接室を出たティナレアとサビーネだったが、もうすぐ外に出る使用人用の通用口という所で、背後から声をかけられる。
「あなた達、そこで何をしているの?」
 その訝しげな年配の女性の声に、ティナレアとサビーネは慌てて振り返りながら、相手に顔を見られないように頭を下げた。


「え、ええと……、申し訳ありません!」
「一部、洗濯物の回収を忘れておりまして!」
「もうお客様がいらしているのに、何を見苦しい事をしているのです! さっさとランドリー室に持っていきなさい!」
「はいっ! ただいますぐに!」
「失礼いたしました!」
「廊下は走らない!!」
 再度深々と頭を下げてから、ティナレアとサビーネは脱兎のごとく駆け出し、その背後で聞こえてきた金切り声を無視して、通用口から飛び出して行った。











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