その華の名は

篠原皐月

(8)ティナレアの決意

「ジャスティン隊長! 失礼します!」
 ティナレアがノックもそこそこに入室の許可を得ずに押し入った先は、ジャスティンに与えられている隊隊長室であり、机を挟んで直属の上司と話していた隊員は、彼女を見るなり苦言を呈した。


「なんだね君は? 本当に失礼だな。せめて名のりたまえ」
「第十五隊所属のティナレア・ヴァン・マーティンです! カテリーナ・ヴァン・ガロアのクレランス学園時代からの友人と言えば、こちらへの訪問の理由はお察ししただけると思いますが!?」
「……隊長?」
 最初から喧嘩腰の彼女の口調と表情に加え、ごく最近上司の妹に関する噂を耳にしていた彼は、対処に困って上司にお伺いを立てた。するとジャスティンは、溜め息を吐いて彼に指示を出す。


「悪い。十分だけ外して貰えるか? ただ彼女の名誉の事もある。ドアの外で待っていて、時間が来たら戻ってくれたら助かる」
「了解しました。君の気持ちは分かるが、あまり隊長を困らせないようにな?」
「……分かりました」
 仕事でもないのに密室で男女二人きりだと、どこでどんな噂を立てられるか分からないと上司が配慮したと分かった彼は素直に頷き、ティナレアを軽く嗜めてから退室した。


「君の名前は、カテリーナから聞いている。以前から仲良くしてくれているそうだね。礼を言うよ」
 二人きりになってからジャスティンが切り出すと、ティナレアは二人の間にある机を拳で力任せに叩きながら訴えた。


「そんな呑気な事を言っている場合ではありませんよね!? カテリーナとあの男との縁談なんて、さっさと撤回してください!」
「私一人の力でそれができたら、さっさとやっているさ。ダマールがどんな奴か、君より良く知っているつもりだからな」
「そもそも、どうしてこんな縁談がまかり通ったんですか? その口ぶりだと、隊長は存じなかったんですよね?」
 その問いかけに、ジャスティンは渋面になりながら答える。


「当たり前だ。カテリーナを目の敵にしている、長兄夫婦の差し金だ。俺もあの二人には快く思われていないからな。久しぶりに実家に顔を出したら、こんな事態になっていて驚愕したぞ。しかも奴の実態を両親に告げたら『技量も人望にも恵まれたお前から見れば、甚だ見劣りするのは確かだろうが、周囲の無責任な噂を鵜呑みにして他人を誹謗中傷するのはどうなのか』と逆に説教された」
「はぁ? なんですかそれは?」
「どうやら、奴の欠点は隠しようがないから、それを自ら過小申告すると同時に控え目な好人物と印象操作して、両親を誤魔化したらしい」
 それを聞いたティナレアは呆気に取られ、思わず遠慮が無さすぎることを口にした。


「隊長のご両親について、目の前ではっきり言及するのは申し訳ありませんが……、二人揃って馬鹿なんですか?」
 その容赦がなさすぎる台詞を聞いたジャスティンは、溜め息を吐いて項垂れる。


「弁解させて貰うが、二人は普段、他人の話を鵜呑みにするタイプではない。だが元来人が良くて、今回は偶々兄夫婦の口車に乗せられてしまったんだ。……しかし、今回ばかりは相手が悪かったな」
「当たり前ですよ! 結婚相手が、あのダマールだなんて!」
「違う。兄夫婦は自分達の保身の為に、カテリーナにろくでもない結婚相手をあてがおうとして、決して怒らせてはならない人間を怒らせてしまったんだ」
 怒り心頭に発したティナレアは声を荒らげたが、予想外の話の流れに怒りを忘れて問い返した。


「え? それって誰のことですか? 今の話だと、ご両親ではありませんよね?」
「実はカテリーナには、以前から婚約している人間がいてね。少々面倒な事情があって、今のところは婚約自体を公にできないんだが……」
 それを聞いたティナレアは、驚愕して声を裏返らせた。


「えぇえ!? そんな人がいたんですか!? カテリーナったら、そんな事は微塵も言っていなかったのに! でもそうなら、確かにその人は怒りますよね!?」
「ああ。それで彼が、カテリーナの婚約自体を潰す為に、今現在色々と手を打っているところだ」
「そうでしたか……。隊長は、その人を良くご存じなんですか?」
「ああ……。何回か顔を合わせているしな。あまり知りたくは無かったが……」
 そのジャスティンの微妙な表情と物言いに、ティナレアは別な意味で心配になってくる。


「隊長は、その人とカテリーナの結婚に、反対しているんですか?」
「いや、反対はしていない。馬鹿でも阿呆でもないし、寧ろ実力はあり過ぎるくらいだ。ただ……、色々と苦労はするかもしれないが、本人が決めた事だからな……」
「なんですか、それは……。微妙に不安を感じるんですけど。でも取り敢えず、ダマールよりはましなんですよね?」
 最期は自分自身に言い聞かせるようにジャスティンが呟いた内容を聞いて、ティナレアが確認を入れると、彼は気を取り直して力強く頷いてみせる。


「当たり前だ。そこでカテリーナの為に、ここに突撃までした君を見込んで、頼みがある。君はカテリーナの為に、秘密を守れるか?」
 急に話が変わったことで、ティナレアは戸惑いながら問い返した。


「はい? いきなりなんですか?」
「カテリーナの秘密の婚約者が、ダマールとの話を水面下で潰す工作をしている最中だが、人手不足が否めなくてね。できれば、君に手伝って貰いたい。どうかな?」
「分かりました。安心してください。絶対に秘密は守ります」
 即決して頷いたティナレアを見て、ジャスティンは真顔で話を続けた。


「それでは急で申し訳ないが、五日後と十三日後に休みを取って欲しい。明後日が建国式典式典で忙しいから、それが済んだ五日後に詳しい打ち合わせして、十三日後の婚約披露の午餐会に備えるつもりだ」
「なるほど。了解しました。偶々五日後は休みが入っていましたし、十三日後はシフトの交換を同僚の誰かと調整します」
「感謝する」
 そこでペンを手にして手元の用紙に何かを書きなぐったジャスティンは、それをティナレアに差し出した。


「五日後、ここに書いてあるワーレス商会本店に来てくれ。人目につかないよう、会頭子息のデリシュが商談に使う応接室を貸し出してくれることになっている。店員に私の名前を出して『デリシュに取り次いで欲しい』と言えば、伝わるようにしておく」
「分かりました。ワーレス商会本店に十時ですね」
「他にも何人か来るから、全員分の昼食を手配している。食べていってくれ」
「ありがとうございます。ご馳走になります。それでは失礼します」
「ああ、よろしく」
 書かれた内容を確認してから話を終わらせて退出したティナレアは、ドアの横に立っていた先程の隊員に頭を下げた。


「お待たせしました。お仕事の邪魔をして、申し訳ありませんでした」
「いや、隊長の妹さんの噂は耳にしていたから君の気持ちは分かるし、気にするな。見なかった事にするよ。妹さんに、気を落とさないように伝えてくれ」
「……分かりました。ありがとうございます」
 相手の口ぶりから、騎士団内でカテリーナとダマールの婚約話が既成事実化していることに歯噛みしながらも、ティナレアは頭を下げてその場を離れた。


(よし、やるわよ! 絶対にあいつとカテリーナを、結婚なんかさせるものですか! でもその前に、ちゃんと断りを入れておかないと。……あ! ちょうど良かった!)
 やる気満々で歩いていたティナレアは、いつの間にか自分の前方を歩いていた人物に気がつき、駆け寄りながら声をかけた。


「クロード! ちょっと待って!」
 その声にクロードは足を止め、驚いた顔で振り返る。
「ティナレア? どうしたんだ? 仕事は終わりじゃないのか?」
「終わったけど、こっちに用事があってね。ところで、五日後に一緒に出かける約束をしていたけど、勤務シフトが急に変更になって、その日に休めなくなったの。ごめんなさい。他の日にして貰える?」
 唐突な申し出だったものの、それを聞いたクロードは何故か安堵した表情で言葉を返した。


「偶然だな。実は俺もその事で、ティナレアに連絡しようと思っていたんだ。俺も急な勤務シフトの変更で、休みが取れなくなってさ」
「え? そうなの?」
「ああ。建国記念式典が間近だから、上の方も色々バタバタしているんじゃないかな?」
「確かにそうかもね……。それじゃあ、また休みを繰り合わせて出かけましょうか」
「そうしよう。それじゃあ、また」
「ええ。それじゃあね」
 思いがけず円満に予定の変更ができたティナレアは、すっかり気分を良くして再び歩き始めた。


(ちょうど良かったわ! それにしても、凄い偶然! それじゃあ十三日後の勤務は、誰かに代わって貰わないとね。誰に頼もうかな……)
 脳裏に代わって貰えそうな同僚達の顔を思い浮かべながら、ティナレアは来た時の険しい表情とは雲泥の差の笑顔で、寮に向かって行った。



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