その華の名は

篠原皐月

(14)予想以上の惨事

 一方のケビンはカテリーナを連れて、迷わず玄関ホールに向かった。そして玄関正面の壁際に設置されている石像を見上げながら、誇らしげに語り始める。
「まずはこちらですね。先程目にされたかと思いますが」
「ええ、ラツェル伯爵家の初代当主たるアルベール・ヴァン・ラツェル殿の勇姿は、我が国の建国史での記述でも一際ひときわ光輝いておりますもの」
 カテリーナが心にもないお世辞を口にすると、ケビンが満足そうに頷く。


「誠にその通りです。そして初代に命を救われた臣民達が、彼を慕って何年もかけて巨大な岩を切り出し、更に幾年月を重ねてその初代の偉大な姿を刻んだこれは、未来永劫我が家の随一の宝です」
(その話自体、凄く眉唾物なのだけど。敵軍に囲まれた王を守って一人奮闘し、剣と槍を使い潰した挙句、最後は拳だけで大軍を殲滅させたって何なのよ。あり得ないでしょう? それに素人が何人集まったって、こんな立派な石像が作れるわけないじゃない。そんな事も分からないわけ?)
 自分の腰高程の台座に据え付けられている、右足を後ろに引きながら軽く前傾姿勢になり、前方の的に拳を撃ち込もうとしている瞬間の勇壮な姿を見上げながら、カテリーナは内心でしらけきっていた。しかしそれは全く面には出さず、寧ろ感激した面持ちでケビンに問いかける。


「ケビン殿はその誇り高いアルベール殿の直系でいらっしゃいますから、いざ有事となれば真っ先に王宮に馳せ参じて、ご先祖様と同様に陛下をお守りする所存ですのね? とてもご立派ですわ!」
「え? あ、いや……、それほどでも。そうそう有事などはあり得ませんが」
「本当に、その心がけを見習いたいですわ。初代様に、直に教えを請いたい位です」
「は、ははは……。ガロア侯爵家は代々武門の家系と伺っていますし、カテリーナ嬢自身も近衛騎士団に入っておられますから、そういう事に興味がおありなのですね」
 ケビンは僅かに動揺する素振りを見せたものの、平静を装いながら言葉を返した。しかしカテリーナは興奮状態を装いながら、勇ましい言葉を重ねる。


「ケビン様との縁談が持ち上がっていると聞かされた時には、感激のあまり気を失いそうになりましたわ! あのアルベール・ヴァン・ラツェル様と縁続きになれるなんて!」
「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
「ですから私もケビン様と同様、有事の時は他の方々に負けじと王宮に馳せ参じ、初代様の名前に恥じないよう粉骨砕身して王家に尽くすつもりですわ! ご安心くださいませ!」
「あ、いや……、別にそこまで、気負う必要はありませんから」
「初代様! これからはケビン様と共に、私がラツェル伯爵家を盛り立てて参ります! それに初代様のお名前を汚さないよう、最後まで王家に忠誠を尽くす事を、この拳に誓いますわ!」 
(狙うのは石像左足首、その内側一点のみ!)
 ケビンは完全に気圧されながら、カテリーナを宥めようとした。しかし彼女はここで話を終わらせる気などサラサラ無く、狙いを定めた石像の左足首に、奇声を上げながら勢い良く拳を撃ち込む。


「初代様! この私の、熱い思いを受け止めてくださいませ! とりゃあぁぁぁ――――っ!」
「は? え、えぇえ!?」
(自分で言ってても、訳が分からないわよ! これで上手くいかなかったら、絶対にナジェークを殴ってやるわ!)
 カテリーナが手袋の下に填めていたメリケンサックと石像の足首が激突した瞬間、さすがに鈍い衝突音が生じたが、それはカテリーナの雄叫びとケビンの驚愕の叫びによって打ち消された。
 聞いていたとおりこれで本当に何とかなるのかとカテリーナが疑惑の念に駆られていると、そんな彼女の手首を強く握り締めて石像から乱暴に引き剥がしながら、ケビンが怒りの声を上げる。


「カテリーナ嬢! いきなり何をするんですか!?」
「あら、ケビン様。私の心意気を、初代様にご覧いただきたいと思っただけなのですが……」
 カテリーナはしおらしく弁解してみたが、それはケビンの怒りを増幅させただけだった。


「いきなり石像を殴る事のどこがですか!? これは我が家の家宝なんですよ!?」
「そんな大袈裟な。こんな立派な石像を、素手で少し叩いただけですわよ? 初代様ではあるまいし、ヒビ一つ入るわけはありませんわ」
「確かにそうですがね! 全く、聞きしに勝る粗野な女だな! ジャスティン殿に正式に抗議するぞ! ガロア侯爵家でどんな生活をしているのかは知らないが、我が家に入る以上は真っ当な常識を身に付けて貰うからな!」
「……申し訳ありません」
(見た感じ、外見には何も異常は無いし、縁談自体を壊す事には失敗したかしら。抗議はされるけど、話は進められそうよ。あの時『一発殴ったら壊れるように細工しておく』とか言っていたけど、一体、どんな細工をしたって言うの!?)
 激昂しているケビンに分からないようにカテリーナは舌打ちしたが、ここで石像の方から「ピシッ、ピシピシッ」という微かな異音が聞こえてきた。


「うん? 何か今、変な音が……」
「え? 一体どこから……」
 揃って怪訝な顔で振り返ったケビンとカテリーナの目の前で、石像の左足首に瞬く間に斜めに亀裂が入り、その一部がポロリと欠け落ちた。それと同時に背後に引いた右足の、台座に接している指先にも亀裂が入り、石像は左足首から折れて前方に勢い良く倒れてくる。まっすぐ倒れてきているのだから左右に避ければ良いものの、カテリーナがそうした一方、ケビンは狼狽したのかそのまま後退りし、間抜けにも全身で像を受け止める形になってしまった。


「え? あ、うわあぁぁっ!!
「きゃあぁぁっ!! ケビン様!? 誰か、誰か来て! 大変よ!」
(何てどんくさいの!? 倒れてくるのが分かっているんだから、避ければ良いのに! それにしても、どうやって足首から折れるように細工したのよ!?)
 石像と一緒き床に倒れ込んだケビンは、頭と全身を強く打ってそのまま気を失う。その状態をさすがに放置できなかったカテリーナは、悲鳴を上げて使用人達を呼び寄せた。それに応じて、次々に使用人達が集まって来る。


「どうかしましたか!?」
「今、悲鳴と異様な物音が聞こえましたが!」
「ええと……、それがですね」
「きゃあぁっ! ケビン様!」
「早く、旦那様と奥様に知らせてこい!」
「手を貸してくれ! 像をケビン様から退ける!」
「分かりました!」
「お嬢様、お下がりください!」
「タイミングを合わせろよ! 1、2の、3!」
「それっ! 持ち上げろ!」
 駆け付けた者達にカテリーナが状況を説明しようとしたが、その場の惨状を目の当たりにした彼らが慌てて動き出し、その機会を失った。そうこうしているうちに、知らせを聞いた伯爵夫妻やジェスラン達が玄関ホールに慌ただしくやって来る。


「どうした! なっ、なんだと! 石像が!?」
「ケビン! しっかりして!」
「一体、何事だ。石像が倒れたのか?」
「ケビン様がお怪我を。大丈夫ですか?」
 ジェスランとエリーゼがその場を見て驚愕し、声を失って立ち尽くしていると、伯爵夫妻が申し訳なさそうに謝罪してくる。


「ジャスティン殿、エリーゼ様、申し訳ない。このような状態なので、今日はお引き取りいただきたい」
「わざわざ来ていただいたカテリーナ様にも、申し訳ありませんが」
「分かりました。お邪魔にならないよう、失礼させていただきます」
「どうぞお大事になさってくださいませ。カテリーナ、戻りますよ?」
「はい。失礼いたします」
 当事者のケビンが気を失っている状態でそれ以上話を続けるわけにもいかず、ジェスラン達は残念そうな顔をしながらも、おとなしく馬車に乗り込んだ。


「全く、とんだ災難だったな」
「でもラツェル伯爵家の皆様には、カテリーナの事を随分気に入っていただけたみたいですし、早々に話が纏まりそうで良かったわ」
「ああ。カテリーナ、色々と手を尽くしてくれたエリーゼに感謝しろよ?」
「……ええ。ありがとうございます」
「これ位、大した事無くてよ」
(さて、意識を取り戻したケビン殿から話を聞いて、ラツェル伯爵家の方が今日中に怒鳴り込んでくるかしらね。遅くなったら明日かしら)
 馬車の中で機嫌良く会話している兄夫婦に余計な事は言わず、カテリーナは屋敷に戻るまで、そ知らぬ顔で窓の外の景色に目を向けながら、これからの事について考えを巡らせていた。



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