その華の名は

篠原皐月

(24)後味の悪い解任劇

「ジェスラン殿、それは違う。横領していないから、今まで問題が発覚しなかったのだ。これは言い訳にもならないが」
「どういう事ですか?」
 怪訝な顔になったジェスランに、ラドクリフが重々しい口調で続けた。


「先程も触れたが、勤務変更要請書は頻繁に出る物ではない。それなのに同一人物に対してだけ何枚も出ていたら、すぐに会計担当者が異常に気付く。加えて本来本人が受給する前に、各隊長から連絡をする事になっているが、それが全く無かった為に発覚が遅れた」
「なるほど。そうなると自分の悪事が露見しないように、敢えて妹に制度を教えない上で、会計担当者に精勤手当を申請していなかったのですね。余計に悪質だ」
「そういう事になる」
 ジェスランが納得して頷くと、アーシアが必死の形相で弁解してくる。


「違います! 説明していなかったのは初回にうっかり説明を忘れただけで、会計係への連絡も!」
「ついうっかり、十五回忘れたわけだ。それはそれは。悪意でやったのでは無いと言うなら、とんだそこつ者だな。隊長を務めるだけの能力は皆無なのではないか?」
「このっ……」
 ジェスランからあからさまに見下されて、アーシアは歯軋りしながら彼を睨み付けたが、チャーリーは彼女に対して容赦なく決定事項を伝えた。


「確かにジェスラン殿の言う通りなので、先程、昨日提出されたアーシア隊長の退職願を受理する事を決定しました」
 それを聞いたアーシアは、血相を変えてチャーリーに食って掛かった。


「何ですって!? 私は退職願など、提出していません!!」
「ああ、君は出していない。一昨日騎士団を来訪し、退職願を提出されたのは君の兄上だ」
「あのろくでなし! そんな物は無視してください! 退職願は本人が申し出る物ですよね!?」
 怒り心頭で規定を口にしたアーシアだったが、チャーリーは素っ気なく応じた。


「基本的にはそうだ。だから一昨日は兄上に丁重にお引き取り願ったが、退職願に関しては例外規定がある。『やむを得ない事情がある場合に限り、家族等からの代理提出を認める』という物だ」
「兄上の話では、君は来月に結婚する事が決まっているそうだし、皆で再考の結果、無理に引き留めるのは人道に反するだろうと意見が一致した」
 後を引き取ったラドクリフの台詞を聞いたアーシアは、驚きのあまり目を見開いて叫ぶ。


「結婚!? 私が一体、誰と結婚すると言うのですか!?」
「王都内に店を構えるブラウズ殿と聞いている。なんでも持参金は不要で、逆に相当な支度金を出して貰えたとか。随分と太っ腹な事だな。『これで下の妹の持参金が賄えるし、当面は暮らしに困らない』と、兄上が嬉々として語っておられた」
「あはははは、そいつはいい! あのブラウズが結婚相手とはな!」
 そこでジェスランがアーシアを見ながらいきなり爆笑した為、カテリーナは不思議に思いながら尋ねた。


「その方を、ジェスラン兄様はご存じなのですか?」
「直接には知らん。だが最近羽振りが良いらしい、成金商人だな。金回りが良い分、黒い噂の多い年寄りの筈だ。密輸で私腹を肥やしているとか、仕入れ先毎に愛人を囲っているとか」
「年寄りって……、具体的にはどの位のお年だと……」
「父上より少し上の筈だ。出入りの商人と契約について話していた時に、四方山話の一つとしてそんな事を聞いた」
「それは……、お父様が聞いたら『俺を年寄り扱いする気か』と怒りますわよ?」
「お前が詳しい年の頃を聞いてきたんだろうが」
 勝手に結婚を決められた上、相手がそんな人物だと知らされたアーシアは、ラドクリフ達に向かって訴えた。


「冗談ではありません! 私はそんな人と結婚なんかするつもりはありませんし、騎士団を辞めるつもりもありません!」
「そうは言っても、既に家同士で話は纏まっているからな。こちらとしては、無理に引き留める事もできん」
「支度金を返却するのに加えて慰謝料を払えば、縁談が解消できない事も無いから、兄上と父上にお願いすれば良かろう」
 ラドクリフに続いてチャーリーも淡々と応じたが、アーシアは喚き散らした。


「うちにそんなお金、あるわけないわ! それに支度金だって、とっくに手を付けているに決まっているし!」
「勿論、結婚相手のブラウズ殿が君の勤務を認めるなら、結婚後も勤務してくれて構わない」
「そんな事、認める筈無いでしょう!?」
「それなら懲戒免職での解雇という扱いになるが、それで文句は無いな?」
「なっ!」
 唐突にラドクリフが口にした予想外の言葉にアーシアは絶句したが、チャーリーが肩を竦めながら素っ気なく言い放つ。


「さすがにそれでは外聞が悪かろうと、我々としては恩情をかけた結果なのだがね。君を無理に引き留めてライール男爵家に訴えられるのは不本意だし、身一つで放り出されるならともかく、嫁ぎ先があるのだから文句はあるまい」
「そんな……」
 最後通牒を突き付けられ、愕然となったアーシアを見たカテリーナはさすがに同情したが、そこで更に驚愕する事実を聞かされる事になった。


「それから退職に伴い、勤続年数に応じた功労金を規定通り支給するが、そのうち半額を今回の慰謝料としてカテリーナに渡す事が決定している」
「何ですって!?」
「えぇ!? 慰謝料なんて、そんな物は要りません!」
 騎士団から放り出される上に功労金を半分も取られるという事実にアーシアは怒りで声を荒げ、カテリーナは反射的に断った。しかしジェスランがもっともらしく言い聞かせてくる。


「当然の権利だ。遠慮せずに頂きなさい」
「ジェスラン兄様は、ちょっと黙っていて貰えますか!!」
 長兄の能天気な口調にカテリーナが苛つきながら声を荒げる中、これまで一言も発していなかったジャスティンが、軽く片手を上げながらラドクリフに向かって呼びかけた。


「団長、意見具申」
「どうした、ジャスティン隊長」
「慰謝料を受けとる事に関して妹は納得していませんし、後々ライール男爵家に難癖を付けられたり逆恨みされるのは御免です。功労金は、全額国教会に寄付する事にしてはどうですか?」
「国教会に寄付するだと?」
「はい。今後の生活に苦労せずに済む、裕福な結婚相手に巡り会わせてくれた神への、せめてもの感謝の気持ちとしてです」
「…………」
 どう考えても本人にとっては不本意以外の何物でもない縁談に対して、それは最大級の皮肉であり、アーシアは怒りで全身を震わせ、ラドクリフ達は無言で顔を見合わせた。するとここでジェスランが楽しげに笑い出す。


「あははははっ! ジャスティン! お人好しのお前にしては、ずいぶん辛辣な事を言うようになったものだ! 見直したぞ!」
「恐縮です、兄上」
 そのやり取りをきっかけとして、騎士団幹部達が納得したように頷き合う。


「なるほど。そうするか」
「そうですね。それが適当かと」
「結婚おめでとう、アーシア隊長」
「長年ご苦労だった」
「お疲れ様」
「そんな……」
 もう取りつく島もない騎士団上層部の台詞に、アーシアはとうとう力なく床に崩れ落ちて座り込んだ。そんな彼女に、チャーリーが追い討ちをかける。


「そういうわけで、君の退職願は今日付けで受理した。ライール男爵家にそれを既に通知したから、今日中に迎えが来るだろう。ユリーゼ副隊長に君の私物を纏めさせてあるから、迎えが来たらすぐに帰宅して構わない」
「…………」
 それを聞いてもアーシアは項垂れて無反応だったが、ラドクリフはそれには構わずに話を進めた。


「ジェスラン殿。改めて私的にガロア侯爵邸に出向いて、経過について説明するつもりなので、父上によろしく伝えて欲しい」
「分かりました、伝えておきます。それでは失礼させていただきます」
「本日はご足労いただき、申し訳なかった。皆も解散。通常業務に戻るように」
「了解しました。失礼します」
 機嫌良く引き上げたジェスランに続き、ラドクリフに促されて隊長達が続々と会議室を退出し、いまだに床に座り続けているアーシアの事が気になったものの、ジャスティンに「お前も早く持ち場に戻れ」と促されたカテリーナは、そのまま会議室を後にした。  
 色々と差し障りがある事から、詳細が明らかにされなかったこの唐突なアーシアの解任劇は、それから暫くの間騎士団内で憶測を呼ぶ事となった。



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