その華の名は

篠原皐月

(23)ジェスランの抗議

 入団してから、そろそろ六ヶ月が過ぎようとしていたある日。カテリーナは勤務中に騎士団長名で呼び出され、何事かと思いながら指定された会議室に出向いた。


「第十五隊所属、カテリーナ・ヴァン・ガロアです。呼び出しに応じて参上しました」
「入れ」
「失礼します」
(え? どうしてジェスラン兄様がここにいるわけ!?)
 室内からの応答に、緊張しながらドアを開けて入室したカテリーナだったが、隊長達が囲んでいる大きな机の手前に、長兄が仏頂面で座ったまま身体を捻って視線を向けてきたのを見て、立ったまま固まった。するとジェスランが、如何にも嘆かわしいといった口ぶりで話し出す。


「カテリーナ。お前は人が良いにも程があるぞ。今、近衛騎士団の皆様に話を伺ったが、既に確定した勤務や休暇を頻繁に変更する事は、通常なら殆ど無いそうだな?」
「確かにそうかもしれませんが、現に隊長から申し入れがありましたので……。組織の一員である以上、上官の指示には従うべきかと。それに何故か、私の入団が王妃様のお声掛かりだとの話が広まっていて、事を荒立てるのは得策では無いかと思いまして……」
(そう言えば、団長副団長以下、他の隊長方が勢揃いしているのに、アーシア隊長だけ居ないのはどうして?)
 カテリーナは室内の様子を確認しながら控え目に弁明したが、当然それでジェスランが納得する筈もなく、怒りの矛先を弟に向けた。


「それにしても、ここまで続くのは異常だろう。ジャスティン、お前もお前だ! 少しは妹の事を気遣うべきだろう! お前がいるからカテリーナが入団しても大丈夫だろうと安心していたのに、薄情な事だな!」
「……申し訳ありません」
(『安心していた』って何よそれ!? 私の入団が決まってから『貴様がカテリーナを唆したんだろう』とか散々罵倒していたくせに!)
 ジャスティンは余計な事は口にせずに座ったまま頭を下げたが、カテリーナは我慢できずに盛大に言い返した。


「例え兄妹と言えども、仕事で便宜を図って貰おうとは考えておりません! ジェスラン兄様のそういう軽薄な言動の類が、王妃様のお声掛かり等と類する流言蜚語に繋がるのです! 仕事に関して部外者の兄様が口を挟むのは、止めていただけませんか!?」
「部外者で、軽薄な言動だと!? もう一度言ってみろ!」
「ええ! ご希望なら、何度でも言って差し上げますわ!」
「兄上! 屋敷内ならともかく、ここは騎士団の会議室です! 私的な論争は控えてください! カテリーナ! お前も立場を弁えろ!」
「…………」
 ジャスティンが喧嘩腰の兄と妹を一喝し、確かに家名に傷が付きかねないと判断した二人は、何とか怒りを抑え込んで口をつぐんだ。そこで出入り口から見て正面に座っているラドクリフが徐に立ち上がり、ジェスランとカテリーナに向かって謝罪の言葉を口にする。


「まずはこちらの不手際で、部下であるカテリーナに多大な迷惑をかけた上、ご家族に大変不快な思いをさせてしまった事を、騎士団総責任者としてお詫びする。誠に申し訳無かった」
 そして彼が深々と頭を下げると同時に、副団長以下、各隊の隊長達も揃って立ち上がって二人に向かって頭を下げた為、カテリーナは激しく動揺した。


(まさか、騎士団幹部の皆様に揃って頭を下げさせる事態になるなんて。想像だにしていなかったわ……)
 これ以上大事にはしたくないとカテリーナが冷や汗を流してていると、ジェスランも相手が父親の旧友であり面識が有り過ぎる人物である事から、意外と冷静に矛を収めた。


「そちらに非を認めていただき、誠意は理解できました。今後、同様の事が無いのなら、私としてもこれ以上事を荒立てたくはありませんが、当事者からの詫びの一つも欲しいですね」
 それに副団長のチャーリーが、即座に応じる。


「それは当然の要求です。今、呼びに行かせております。実はあなたの訴えを聞いた直後に彼女以外の幹部を召集し、彼女の処分について議論しましたので、その間通常勤務をさせておりました」
 それを聞いたジェスランが、納得して頷く。


「なるほど。私が先程一旦別室で待機させられたのは、それが理由ですか」
「カテリーナ。申し訳ないが、君はそのままそこで待機していてくれ」
「分かりました」
(そういうわけだったのね。だけどそれなら処分が確定という事だと思うけど……。どうなったのかしら?)
 チャーリーからの指示を受け、不安に思いながらそのまま立って待っていると、ほどなくノックの音に続いてドアの向こうから呼びかける声が聞こえた。


「失礼します。第十五隊隊長、アーシア・ヴァン・ライール、参りました」
「入れ」
「失礼します」
 先程のカテリーナと同様に入室したアーシアは、すぐ前に彼女を認めて訝しげな表情になった。更に自分以外の隊長が全員着席しているのを認め、怪訝に思いながら椅子に座ろうとしたが、それより早くチャーリーが鋭い声で呼びかけた。


「アーシア隊長。君はこの五ヶ月程の間に特定の部下、正確に言えばそちらに控えているカテリーナ・ヴァン・ガロアに対して十三回勤務変更要請書を出して、休暇を変更させているな?」
「それは!」
「第十五隊所属の隊員の勤務状況を確認したが、同期間に彼女以外には複数の隊員に対して、勤務変更要請書が六通発行されているのが確認できた。随分一隊員に、片寄り過ぎではないかな?」
 厳しい視線とその口調に、これが通常の会議などではなく断罪の為に呼ばれたのだと察したアーシアは、立ったまま苦しい言い訳を捻り出した。


「それは、その……。彼女が優秀で、人一倍真摯な態度で勤務してくれていますので、ついつい頼ってしまう事があったかもしれません……」
 しかしそれを聞いても隊長達は眉一つ動かさず、ジェスランが明らかに侮蔑的な表情で吐き捨てる。


「ほうぅ? 今年入団したばかりの新人を頼りにしなければならないとは、随分と頼りない隊長殿がおられるのですね」
「何ですって!? 副団長、この部外者は誰ですか!」
 あからさまに馬鹿にされたアーシアはさっさと摘まみ出して欲しいと言外に訴えたが、当然チャーリーは聞く耳を持たなかった。


「カテリーナ・ヴァン・ガロアの兄上だ。勤務が頻繁に変更されている妹を心配して、仔細を質しにいらしてな。どこぞの妹の給金を掠め取ろうとする兄とは違って、なんと妹想いの優しい兄上だ。アーシア隊長、そうは思わないか?」
「……っ!」
 薄笑いさえ浮かべながらの当て擦りの台詞に、アーシアの顔が屈辱のあまり朱に染まった。


(副団長、辛辣過ぎるわ。それに他の隊長達の視線も冷えきっていて、一気に雰囲気が悪化したような……)
 カテリーナもさすがに言い過ぎではないかと思ったものの、騎士団幹部達は誰一人として先程の物言いを咎めず、その事実を悟ったアーシアの顔から赤みが消え、徐々に白くなっていった。


「次にカテリーナに尋ねるが、君は勤務変更要請書を受け取った後、会計課から精勤手当を受領したか?」
「はい? 精勤手当とは何ですか?」
「……」
 全く聞き覚えがない言葉が出てきた為、カテリーナは本気で首を傾げた。それを見たラドクリフが、真顔で説明を加える。


「騎士団の都合で既に確定した休暇を変更する場合の、迷惑料の意味を含んだ手当金だ。君が受領していないのは会計担当者に確認しているし、その様子では制度そのものを知らないらしいな。君は隊員に説明していないのか?」
 台詞の最後はアーシアに向けた物であり、彼女はそこではっきりと顔色を変えた。


「諸制度に関しては、入隊初日に副隊長のユリーゼから、各隊員に説明する事になっています!」
「それはおかしいな。ユリーゼ副隊長は、滅多に発生しない休暇変更要請書の説明を入団初日にしても、実際にそれを受け取った時に忘れてしまっているから、隊長が要請書を手渡す時毎に説明する手筈になっていると言っていた。現に最近初めて要請書を受け取った隊員は、要請書を渡された時に君から説明を受けたと話しているぞ?」
「…………」
(副団長……、予め裏を取っておきながら、そ知らぬふりで尋ねるなんて意地が悪い。でも隊長も変に誤魔化さずに、正直に謝れば良いのに)
 ぐうの音もでないアーシアに、他の隊長達からの咎める視線が突き刺さり、室内の空気は既に誤魔化しが利かないほどに冷えきっていたが、ここでジェスランが呆れ果てたといった様子で声を上げた。


「それではこの女は、妹の勤務を直前になって散々変えさせた挙げ句、隊長のくせに本来妹に支給される筈の手当を横領していたわけか? とんでもない女だな!」
(ちょっと待って、横領!? どうしてそんな大事になるのよ!?)
 全く予想だにしていなかった事態に、カテリーナはひたすら狼狽していたが、そんな彼女とは対照的に、ラドクリフが落ち着き払った声でジェスランを宥めた。







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