その華の名は

篠原皐月

(12)それぞれの意思統一

「さて、思いもよらず気を遣わせてしまったから、二人だけで話しておきたい内容を話そうか」
「何の話?」
「君の上司の話。あまりお義兄さんに心配をかけたくはないし、お義姉さんに変に勘ぐられたくは無いだろう?」
 チラッと二人が出て行ったドアを横目で見てから、ナジェークが若干声を潜めて話し出した内容に、カテリーナは無意識に眉根を寄せた。


「以前にアーシア隊長が、ジャスティン兄様に言い寄っていた話を聞いたの?」
 それにナジェークが頷き、話を続ける。
「ティアド伯爵が把握している内容を、イズファインに教えて貰った。どうやら本人は、相当迷惑がっていたらしいが」
「そうでしょうね」
「それで? 実際のところ、その女にこれまで何をされた?」
 睨まれてはいないものの、僅かに冷気を含んだその声音に、カテリーナは慎重に言葉を返した。


「大して実害は無いわよ? 折れた剣を渡されたけど、その時に気がついてすぐに交換して貰ったし、渡された訓練予定表の日時が違っていたけど、同じ班の人が気付いて正しい日時を教えて貰ったし、指導役の班長がすぐに退団したけど、他の班長が指導を引き受けてくれたし。それに申請した休暇が直前で変更になった事に関しては、それで夜会参加が潰れたから、私にとっては好都合だったし」
 だから事を荒立てないで欲しいという含みを持たせたカテリーナの主張に構わず、ナジェークが冷静に問いを重ねる。


「それだけか?」
「ええ、取り敢えずは」
「それなら、ほぼ把握している通りだが……。彼に訴えるつもりは無いんだな?」
 そう確認を入れたナジェークに、カテリーナは肩を竦めながら応じた。


「ジャスティン兄様に? だって自分のせいかと気にするかもしれないし、申請した休暇が潰れて、こっちは助かったもの。下手に抗議されて、今後申請した休暇が撤回されなかったら寧ろ困るわ」
「それもそうだな……」
 彼女の言い分を認めたナジェークは、少しだけ考え込んでから結論を出した。


「それなら当面は様子を見る。ただし実害が出た場合は、すぐに知らせるように。騎士団内部の事なら、私より先にお義兄さんかイズファインに知らせるのが妥当だが」
「勿論、そうするわ。だけどジャスティン兄様は隊長だし、イズファインは騎士団長の息子だし。なんだか依怙贔屓されていると難癖をつけられそうだから、本当に仕事に支障が出そうな時だけにするわ」
 きっぱりと断言したカテリーナに、ナジェークが苦笑を堪えるような表情になる。


「君がそのつもりなら、私が横から口を出すつもりは無いが。変なところで頑固だな」
「何とでも言って」
「まあ、そういう気が強くて、自分の考えをきちんと持っているところが好きなんだが」
「……それはどうも、ありがとう」
「どういたしまして」
 さらりと口にされた言葉にカテリーナが咄嗟に口ごもると、その反応がおかしかったのかナジェークは小さく笑った。しかしすぐに真顔になり、服のポケットから取り出した用紙を彼女の前に広げる。


「それからこれが、向こう三ヶ月間に君の兄夫婦が君の参加を画策しそうな、各種催し物の一覧だ」
 ナジェークがあっさりと告げてきた内容に、カテリーナは唖然としてから当然の疑問を口にした。


「それなら早い段階でその日に休暇申請を出しておけば、隊長が嫌がらせをする場合、その休暇を変更してくれる可能性が高くなるでしょうけど……。どうしてそんな、的を絞るような事ができるの? 公式行事ならともかく、各家が個別に開催する物なんて無数にある筈よ?」
「君の結婚相手候補と引き合わせるつもりなら、主催者の交友関係や参加者の顔触れを推察できれば、大体の予想がつく」
 如何にも当然と言わんばかりの彼の様子を見て、カテリーナは思わず溜め息を吐いた。


「あなたにしてみれば簡単な事でしょうけど、あらゆる催し物の情報収集をする、側近さん達のご苦労が忍ばれるわ……。自分の手柄みたいに言うだけじゃなくて、たまには労ってあげなさいよ? あなたにこき使われていそうで、気の毒で仕方がないわ」
「へぇ? ふぅん?」
「……何かしら?」
 少々意外そうに自分を観察しながら思わせ振りに呟いたナジェークに、カテリーナは何か気に障るような事を口にしたのかと、居心地悪そうに問い返した。するとナジェークが冷静に言葉を返してくる。


「私の頭の冴えを誉めるより、部下の働きを評価するわけだ」
「それはそうよ。下の人間がしっかり働いてくれないと、上がきちんと仕事をできないでしょう? それは基本的に、どんな仕事でも同じではないの?」
「そうだな。そういう意味でも合格だ。喜ばしい事だな」
「だから、何が合格だって言うのよ」
 話の流れが分からず、カテリーナが苛ついてきたタイミングで、ナジェークが常には見せない嬉しそうな笑顔になる。


「将来の公爵夫人としての心構えさ。下の人間はこき使って奉仕させて当たり前、なんて考えの人間を、我が家に入れるつもりはないからね」
「……それはどうもありがとう。及第点を貰えたみたいで嬉しいわ」
 珍しい笑顔を向けられて内心で動揺したカテリーナは、面映ゆい気持ちを誤魔化しながら少々素っ気なく言い返した。ここでナジェークが顔付きを変えつつ、話題も変えてくる。


「それから、私がこういう物を君に渡しているという事は、お義兄さん達には内緒だ。彼の立場的に、兄夫婦が画策している見合いや縁談の席を回避する企みに、進んで手を貸すわけにはいかないだろう」
 その意見に、カテリーナも瞬時に真顔になって同意した。


「確かにそうね。気を付けるわ。同じ騎士団に所属しているから、ジャスティン兄様の耳には遅かれ早かれ休暇変更の話は届くだろうけど、その日にどんな用事が入っているかなんて、本来兄様には知りようが無いもの」
「ああ。さすがに立て続けに予定が潰れたら、お義兄さんも訝しく思う筈だ」
「そうなると、やっぱりひと月に二件から四件はあるわね……。これらに休暇申請を出しても、全部隊長に覆されるとは限らないわよ?」
 さすがに片っ端から変更できないだろうと思いながらカテリーナが指摘したが、対するナジェークはあっさり言い切る。


「それはできるだけ、こちらで何とかする。君の予定が覆らなければ、相手の都合を悪くすれば良いだけの話だ」
 それを聞いたカテリーナの脳裏に、過去の騒動の記憶が甦った。


「ちょっと! まさかあの時の義姉様のように、襲撃して怪我をさせたりしないでしょうね!?」
「それが一番手っ取り早いんだが」
「王都内で騒ぎを起こさないでよ!」
「王都外だったら良いのか?」
「そうは言って無いわよ! 一々挙げ足を取らないで!」
「それだと色々面倒なんだが」
「面倒でも、あなただったらどうとでもやれるでしょう!? 怪我人を出さずに、何とかしなさい!」
 ここで安易に妥協したら駄目だと、カテリーナが思わずナジェークに掴みかかりながら叱りつけると、ナジェークはおかしそうに笑いながら了承した。


「そこまで私を買ってくれているなら、その期待には応えないといけないな。分かった、その方針厳守でいかせて貰うよ、奥様」
 クスクス笑いながら、どう見てもからかっているとしか思えない物言いに、カテリーナは僅かに頬を染めながら盛大に言い返した。


「あっ、あのねっ! 私の話を真面目に聞いているのかしら!?」
「酷いな。この上なく真面目に、拝聴しているのに」
「その顔が、どこからどう見ても胡散臭いのよ!」
(似合わない笑い方をしてるんじゃないわよ! だけど怪我人は出したくないけど、確かにかなり面倒な事になる可能性が……。ナジェークの部下の皆さん、仕事を増やしてしまったらごめんなさい!)
 カテリーナが内心で狼狽する一方で、廊下に居たジャスティンとタリアには詳しい話の内容までは分からなかったが、ドアの隙間から覗いた限りでは二人が親しげに語り合っていると認識し、満足げに囁き合っていた。


「良い雰囲気で、会話が弾んでいるようだな」
「本当ね。凄くお似合いだと思わない?」
「ああ。ちょっと曲者っぽいが、大貴族の御曹司はあれ位が当然だ。カテリーナとは違う意味で、俺は異端児だからな」
「あなた……」
 どこか自嘲気味に呟いた夫にタリアが気遣う視線を向けたが、次の瞬間、彼は明るく笑いながら告げた。


「ここはやはり年長者として、二人の行く末を見守るのが順当だよな」
「ええ、王太子殿下の婚約破棄云々は大事過ぎて怖いけど、二人の仲が上手くいくと良いわね」
 そこで顔を見合わせて微笑んだ二人は、妹の恋の行く末を温かく見守る事を誓い合った。



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