その華の名は

篠原皐月

(15)粉砕する思惑

「キャステル公爵、公爵夫人。遅参いたしまして、誠に申し訳ございません」
 カテリーナの捜索を諦めたジェスランとエリーゼは、夜会の開始時刻からかなり遅れてキャステル公爵邸に到着し、広間に入るなり真っ直ぐに公爵夫妻のもとに足を運んだ。そして謝罪の言葉を口にした二人だったが、招待客と談笑していた夫妻が向き直り、彼らに冷ややかな声をかける。


「おや、ガロア侯爵家の……。今日は、どうされたのですか? 妹君は定刻前にきちんと来場されましたが、彼女からは特に、あなた達が遅れる旨の話は無かったのだが」
「よほど念入りにお支度をされて、遅くなりましたの? 何事も、ほどほどにされた方が宜しいでしょうね」
 飾り立てたエリーゼの全身を上から下まで眺めながら公爵夫人が皮肉を口にしたが、仰天した二人は声を荒げて問い返した。


「カテリーナが来ている!?」
「本当に? どちらですか!?」
 半ば自分の台詞を無視され、気分を害した公爵夫人だったが、それを面には出さずに広間の一角を指し示しながら説明した。


「今はあちらで、ご令嬢方をエスコートしておりますわ。先程までは、年配の方々のお相手をされておりましたわね」
「リードが巧みで話題も豊富だから、皆様が大層お喜びになっておられましたな」
「何だ、あの格好は!?」
「男装!? それでご令嬢方をエスコートしているの!?」
 カテリーナの姿を認めたジェスラン達は激しく狼狽したが、公爵夫妻は楽しげに語り合った。


「カテリーナ嬢は若くて、目鼻立ちが整った方だからな。ご婦人方から、引きも切らずにお誘いがかかっていてね。やっとお若いご令嬢達に、順番が回ってきたところですよ」
「その分お若い殿方達が、手持ち無沙汰にお見受けしますわ。ですがカテリーナ様と比べて容姿が見劣りする上、女性に対する気配りも足りないのですから、仕方がありませんわね」
「随分、辛辣な事を言う。比べる若者達が、少々気の毒だ。だがカテリーナ嬢のおかげで、今夜は盛況だな」
「本当にそうですわね。皆様にいつも以上に楽しんでいただけて、良かったですわ」
 そんな事を言って満足げに笑い合う夫妻に断りを入れ、ジェスランとエリーゼはその場から離れた。


「何をやっているのよ……。あなた! シェルド様を探して、連れて来て頂戴!」
「あ、ああ、分かった」
 そこでエリーゼはジェスランと別れ、ダンスを踊り終えて令嬢達に囲まれているカテリーナに歩み寄った。


「カテリーナ!」
 その鋭い口調での呼びかけに、周囲の女性達は何事かとエリーゼに視線を向けたが、カテリーナは惚けた口調で尋ね返した。


「まあ、お義姉様。どうかなさいましたの? このような場でそのような険しいお顔は、相応しく無いと思われますが」
「いいからこちらへ来なさい!」
「皆様、少々お待ちください。すぐに戻って参りますから」
「きっとですわよ!」
「次は、私とダンスをお願いしますわ!」
 有無を言わさず腕を掴んで引っ張っられたカテリーナは、困り顔で周囲の者達に断りを入れた。そして彼女達の残念そうな声に見送られた彼女は、エリーゼによって会場の隅に連行された。


「お義姉様、まさか今、こちらに到着されましたの? 随分とごゆっくりの出発でしたのね。主催者の公爵夫妻に対して、失礼ではありませんか?」
 わざとらしくそう尋ねてみると、エリーゼが怒りの形相になる。


「あなたを屋敷内で探していて、遅くなったのよ!」
「先に行くと、きちんと書き置きを残しておきましたが。誰も目にしなかったのですか?」
「馬車を使わずに出向くなど、想像するのは無理でしょう! それにドレスでは無く、男装をするなんて正気なの!?」
「皆様にはなかなか好評ですが」
「馬鹿にされているだけよ!」
 激しい口調で叱責したエリーゼだったが、ここで夫の声が聞こえた為、慌ててその場を取り繕った。


「エリーゼ」
「あ、あなた。シェルド様を連れて来てくださったのね」
 笑顔で振り返ったエリーゼは、ジェスランが同伴してきた男性に会釈してから、カテリーナに彼を紹介した。
「カテリーナ。こちらは、ザイフェル侯爵家のシェルド様よ。ご挨拶なさい」
 そう促されたカテリーナは、恭しく一礼してから右手を伸ばした。


「シェルド様、初めてお目にかかります。ガロア侯爵家のカテリーナです。今後とも、よろしくお願いします」
「……よろしく」
 差し出された手を無視するわけにもいかず、シェルドは不承不承その手を握り返したが、チラリとカテリーナの足元を見た後は、その顔にはっきりと不満の色を浮かべていた。


(自分と私の目線が殆ど変わらないのが、如何にも面白く無さそうね。ハイヒールを履いているならともかくブーツでこの状態なら、私が普通の女性用の靴を履いたら、絶対私の方が背が高く見えると考えているのでしょうけど)
 挨拶をして手を離した後は、当事者二人が黙り込んでいるため、お互いの話題を出して場を盛り上げようとジェスランとエリーゼがさえずっていたが、すぐに飽きてしまったカテリーナは、これ以上付き合う義理は無いと、さっさと踵を返した。


「それではご挨拶も済みましたし、ご婦人方をお待たせしておりますので、失礼させていただきます。ご婦人方からのダンスのお誘いが、引きも切らぬ状態なので」
「あ、ちょっと、カテリーナ! 待ちなさい!」
「私も、失礼させていただきます」
「シェルド様! お待ちになって!」
 一方のシェルドも、自分と背丈が変わらない上に愛想の無い、更に自分以上に会場内の女性達の耳目を集めているカテリーナに好意など持てよう筈もなく、彼女とは反対方向に歩き出した。そんな彼を宥めて引き止めるべく姉夫婦が彼に追いすがった為、カテリーナは安堵しながら令嬢達を待たせている場所に向かって歩き出す。


(今回引き合わされる方が、あまり背の高くない方で余計に助かったわ。それにしても……。フィアナが探してきた、この『シークレットブーツ』は優れ物ね。外からみただけでは、とても上げ底がしてある特殊加工だなんて見破れないもの。歩く時のバランスは問題ない上、デザインも縫製も完璧だし)
 足元を見ながらしみじみとそんな事を考えたカテリーナは、そこでフィアナから話を聞いた時、首を傾げた事まで思い出した。


(あの時フィアナは、『店員の方が仰るには、ニッチニーズがある方はこだわりが強くて、大量生産できない物にも大金を費やすので、正装時にも十分対応できる品揃えにしてあるそうです』とか説明してくれたけど……。『ニッチニーズ』なんて言葉、初めて聞いたわ。最近は変な言葉が巷で流行っているのね。それにワーレス商会については時々羽振りが良い事で話題になるけど、最近益々方向性の掴めない品物を売り出しているみたいだわ)
 そんな事を考えているうちに、カテリーナは先程までいた場所に戻って来た。


「お待たせしました、皆様」
「それではカテリーナ様! よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 嬉々として声をかけてきた次の順番の令嬢に微笑みかけながら、カテリーナは彼女に手を差し出した。上気しながら彼女がその手を取り、ダンススペースに向かう。


「カテリーナ様。最近、背が高くなられました? 以前よりも颯爽としておいでですし、見違えましたわ」
「特に、背が伸びたと言う事はありませんが……。颯爽として見えるなら、魅力的なあなたをエスコートするのであれば、それに相応しい立ち居振る舞いをしなければいけないと、自分自身に言い聞かせているからではないでしょうか? つまり私がいつもより魅力的に見えているのなら、それはシュザンナ様が私の新たな魅力を引き出してくださったのでしょう。ありがとうございます」 
「まあ、そんな……」
 嬉しそうに微笑んだ相手をさり気なくリードしつつ、カテリーナは見事なダンスを再度披露し始めた。そして会場中の女性陣からは感嘆の羨望の溜め息が、男性陣から失笑と忌々しげな舌打ちが漏れる中、シェルドに振り切られてしまったエリーゼ達が、会場の隅で悪態を吐く。


「全く、カテリーナのせいで散々だわ! せっかくこの場でシェルド様を紹介して、改めて顔を合わせる機会を持たせようと思ったのに! しかも男装して夜会に出向くなんて、どんな噂が立つか分かったものでは無いわ!」
「だが確かにご婦人方には、なかなかの人気みたいだな」
「何を他人事みたいに言っているの! もっと他に言う事は無いの!?」
 エリーゼの怒りは、夫の能天気な発言で更に増長したが、カテリーナはそんな事には一切構わず、夜会終了まで愛想を振り撒いて女性達を誑し込み、今後の根回しをする事に勤しんでいた。



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