その華の名は

篠原皐月

(11)シェーグレン公爵家での謀り事

 無事に前期が終了し、寮から屋敷に戻ったナジェークは、主だった使用人達に帰宅の挨拶を済ませ、荷物も片付けてから、自室に自分付きの人間を呼びつけた。


「お帰りなさいませ、ナジェーク様」
「学園寮からご帰宅早々のお呼び出しとは、何事ですか?」
 次期シェーグレン公爵を補佐する側近とするべく、子供の頃からナジェークと共に教育されてきた、彼より五歳ほど年長の彼らは、成人後、屋敷内外で経験を積んでいる真っ最中であった。
 そんな彼らは既に、屋敷内で能力も権限もそれなりに認められていたが、本来の主であるナジェークからの指令に、この時ばかりは戸惑う事となった。


「やあ、ヴァイス、アルトー。すまないが、頼みたい事ができたんだ」
「それは構いませんが、学園内の事ですか?」
「それなら私達が、どうこうできる事では無いかと思いますが」
「ガロア侯爵邸に、密偵を潜り込ませたい」
「……はい?」
「できればハウスメイドやランドリーメイドとかではなく、内情を探りやすいパーラーメイドが理想的だな」
 淡々と話を進めるナジェークに、ヴァイスとアルトーは揃って頭を抱えた。


「どうしていきなり、そんな無茶な事を言い出すんですか……」
「単なる掃除や洗濯では無く、接客や給仕も任せられるレベルだと、ある程度の容姿と教養は必要ですし、確かな筋の紹介状も必要になりますよ? それ位、お分かりですよね?」
「勿論。でも君達二人なら、そこら辺は何とでもできるだろう?」
「…………」
 穏やかに微笑まれながらのその物言いに、二人は思わず顔を見合わせてから、諦め顔で盛大な溜め息を吐いた。


「……分かりました。何とかしましょう」
「ですが骨を折る私達に、理由位は教えていただけますよね?」
 それにナジェークが、真顔で頷く。


「ガロア侯爵家の、内情を探りたい」
「それは分かっています。その理由をお伺いしています」
「そこの令嬢のカテリーナと、結婚しようと思っている」
「…………」
 そこで唐突に出てきた単語に二人が咄嗟に反応できず、呆然と自分の顔を凝視してきた為、ナジェークは何気ない口調で尋ねる。
「どうした、二人とも。変な顔をして」
 それで何とか我に返った二人は、呻きながら問い返した。


「どうもこうも……。全然意味が分かりません」
「ナジェーク様にお尋ねしますが、当家とガロア侯爵家との間に、交流らしきものはございませんよね?」
「皆無だな。だから調べる必要があるわけだ」
「……それもそうか」
「おい! うっかり納得するな!」
 そこでヴァイスを叱責したアルトーが、無意識に顔付きを険しくしながら主に詰め寄った。


「ナジェーク様。そのカテリーナ様ご本人と、口約束で婚約でもされたのですか?」
「いいや、全く。まだ本人を口説いてもいないし」
 それを聞いたアルトーは、本気で挫けかけた。


「それでどうやって、結婚する気なんですか……。それに俺の記憶違いでなければ、ガロア侯爵家はアーロン王子派ですよね? 対立派閥の中核でもある当家を、目の敵にしていませんか?」
「しているだろうな」
 平然と頷いたナジェークを見て、アルトーはがっくりと項垂れ、この間に何とか気持ちを切り替えたらしいヴァイスが、同僚の肩を軽く叩きながら主の命に応じた。


「……分かりました。それではナジェーク様が学園の寮に戻られる前には、何とか手配を済ませましょう」
「よろしく」
「それでは、他のご用の向きはございますか?」
「そうだな……。エセリアに午後のお茶を一緒に飲まないか、尋ねてみてくれないか? それが済んだら、本来の仕事に戻って貰って構わない」
「かしこまりました」
「それでは、またご報告します」
 そして室内に一人残ったナジェークは、物憂げに考え込んだ。


「さて……、事を進めるにあたって、できるだけエセリアに迷惑をかけたくは無いが……」
 どう考えても王太子派とアーロン派の駆け引きに巻き込まれる、あるいはこちらから掻き回す必要性を認めていたナジェークが難しい顔で考え込んでいると、お茶の支度を整えた侍女と一緒に、彼の妹が現れた。


「お兄様、お茶をご一緒するのは久しぶりですね。屋敷に戻る早々にお誘いいただいて、嬉しいですわ」
 いまだ子供の域を出ないながら、あと何年かすれば美女間違い無しのエセリアは、その容姿以上に聡明さと意志の強さを感じさせる眼を和ませながら、挨拶してきた。ナジェークも自然に笑顔になりながら、向かい側の椅子を勧める。


「急に呼び立ててすまないね。新作の執筆中だったら悪かった」
「今日は暇潰しに、画期的な構造のヘアピンや、女性向け護身用防具の図案を描き散らしていただけですから、お気遣い無く」
「相変わらずだね、エセリア。凡人の私には、その柔軟な思考の方向性を、微塵も理解できないよ」
「お兄様は頭は人並み以上によろしいですけど、若干考え方が固いのかもしれませんわね。自分自身で、己の可能性を狭めてはいませんか?」
「参ったな」
 二歳年下の妹に、小首を傾げながらそんな事を指摘されたナジェークは、苦笑いするしかできなかった。


(まあ確かに正攻法で考えても、カテリーナとの縁談が纏まる筈は無いがな)
 気持ちを切り替えたナジェークは、それから少しの間、妹と近況を教え合いながらお茶を味わっていたが、頃合いを見計らって慎重に尋ねてみた。


「エセリア。グラディクト殿下とは、仲良くしているかい?」
「『仲良く』とは、どういう意味でしょうか?」
 意味を捉えかねたらしく、エセリアが怪訝な顔で尋ね返してきた為、ナジェークは慎重に言葉を重ねた。


「婚約者同士だし、徐々に交流を深めているのかと思って聞いてみただけだが」
「まだ成人前ですし、偶に公式行事や大掛かりな夜会とかで殿下のパートナーを務める位ですわ。必要な手紙や贈答品のやり取りは、抜かりなくしておりますが」
「それだけかい?」
「それ以外に何か?」
 冷淡と言うのとは違う、少々冷静過ぎる受け答えに、ナジェークは正直肩透かしを食らった思いだった。


「その……、グラディクト殿下はそれなりに見栄えのする容姿だし、王太子であられるし……。もっとこう、好意的な反応と言うか何と言うか……。そういうものを予想していたものだから……」
 ナジェークが弁解じみた台詞を口にすると、頭の回転が早いエセリアは、すぐに兄の言いたい事を理解して言葉を継いだ。


「お兄様。人の価値は、美醜で判断するものではございません。そして美形は、三日で見飽きます。つまりはそういう事です」
 身も蓋も無い、貴族の令嬢としても規格外の発言をしたと思ったら、何事も無かったかのようにカップを持ち上げて優雅にお茶を飲んだ妹を見て、ナジェークはテーブルに突っ伏したくなった。


「……何だか今、年に似合わない辛辣な言葉を、妹の口から聞いた気がする」
「実際に申し上げました。第一、側妃様方が揃って美形であられるのに、その方々から生まれた王子王女殿下方が、並の容姿で生まれるわけは無いでしょう。それにただでさえお姉様やお兄様みたいな、顔面偏差値が高過ぎる身内を間近で見て育ちましたのよ? ちょっと顔が良い位で、ほだされたりはしませんわ」
「随分、面白い事を言うね。『がんめんへんさちがたかい』とは、何の事かな?」
 聞き慣れない言葉を聞いてナジェークが思わず口を挟むと、何故かエセリアは彼女らしくなく狼狽し、しどろもどろになりながら弁解を始めた。


「そっ、それはですね! えっ、ええと……、そう! 最近巷で流行っている、ずば抜けて美形な方を表す言葉ですわ! あまりお気になさらず!」
「最近、変わった言葉が流行っているみたいだね。ワーレス商会に出向いた時にでも、耳にしたのかい?」
「えっ、ええ、そんな所ですわ! 店員の方や来店客の方が、そんな事を口にされていまして!」
 ナジェークが何気なく、数年前からエセリアと組んで様々な商品開発をしている商会の名前を出してみると、彼女はそれに飛び付いて「おほほほほ」と不自然に笑って誤魔化した。そんな妹の反応を内心で訝しく思いながらも、ナジェークは冷静に判断を下す。


(取り敢えず、エセリアがグラディクト殿下本人に対して、それほど入れ込んでいないのは分かったな。そもそも二人の縁談は王家側、もっと正確に言えば、グラディクト殿下のご生母の意向で結構強引に纏められた話だし。万が一、この婚約がご破算になっても、エセリアのダメージは最小限で済むだろう)
 そう考えて安堵したナジェークが無意識に口元を歪めていると、それを見たエセリアが胡散臭そうに声をかけてくる。


「……何ですか、お兄様。急に含み笑いなどするのは止めてください。不気味ですわ」
「ああ、悪いね。ちょっと、思い出し笑いをしてしまって」
 苦笑いで謝ったナジェークは、それからは純粋に妹との会話を楽しんでいた。



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