酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(124)高まる緊張感

 披露宴当日。友之と沙織が食堂に出向くと、既に座っていた義則が声をかけてきた。

「二人とも、おはよう。良く眠れたか?」
「まあ、なんとか……」
「はあ、それなりに……」
「今日一日問題なく過ごせれば、何事も気にせずに旅行に行けるからな。頑張ってくれ」
「そうだな……、それを励みに頑張るか」
「披露宴で新郎新婦が頑張ると言うのも、変な話だけどね」
 微妙に強張った表情で言葉を交わした三人は、緊張を醸し出しながらテーブルを囲む。すると朝食の支度を済ませ、台所から料理を運んできた真由美が、不思議そうに三人に声をかけた。

「あら、三人とも変な顔をしてどうしたの? それに主役の二人ならともかく、あなたまで緊張することはないでしょうに。それに互いの家族だけとはいえ披露宴を一度済ませているのに、今更緊張するなんておかしいわよ?」
「ああ、うん。それはそうなんだが……」
 呆れ気味に言われた義則は、曖昧に言葉を濁した。そこで真由美は思い返しながら、実父についても言及する。

「そういえばお父さん達も、伊豆から出てきたのにこっちに来ないで、わざわざ会場のホテルに泊まるだなんて……。話を聞いた時、何を言っているのかと思ったわよ」
「それは……、偶々お父さんも、こちらでゆっくり会いたい人がいたとか……」
「今朝は移動とかで慌ただしいし、お祖母さんもいるから時間に余裕を持ちたかったとか」
「確かにその方が、のんびりできるかもしれませんね」
 三人から口々に言われて、真由美も首を傾げながらも納得した様子を見せた。

「そうなのかしらね? それじゃあ朝食を食べて諸々を準備したら、沙織さんと友之は一足先に準備に向かってね」
「はい、そのつもりで準備しています」
「今日はホテルで一泊して、明日からは新婚旅行に出かけるから」
 余計な追及を避けたかった友之と沙織は、手早く朝食を食べ終え、スーツケース持参で早々にタクシーに乗り込んだ。


 ※※※


 会場であるホテルに乗り込んだ二人は、担当者に迎えられて別行動になった。
 友之は最終的な披露宴の進行と打ち合わせを済ませてから、準備されてある黒のフロックコートに着替える。当然花嫁の支度よりははるかに短時間で終了し、新郎控室に入って手持無沙汰にしていると、ドアを開けて義則と今日の仲人を引き受けた田宮がやって来た。

「友之、準備ができたと聞いたが」
「ああ、父さん。それに田宮常務。この度は奥様共々、仲人を引き受けていただき、ありがとうございます」
 披露宴を開催する以上、形式だけでも仲人を立てる必要があり、友之は沙織ともども自宅を訪問して仲人を依頼した経緯があった。例の愛人疑惑事件に関しては友之と沙織が事実婚の間柄であることを隠していたことから騒動が広がった一面もあり、更に友之の縁談を斡旋した事などに関してもこれで手打ちにしようと申し出たのだった。
 幸い、田宮の妻が世話好きで仲人を務めるのを半ば趣味のようにしており、快く夫婦で引き受けて貰ったのだが、披露宴に桜査警公社の会長社長夫妻が出席すると伝えた瞬間、田宮の顔色は白くなった。さすがに大企業の重役だけあって、その名前に聞き覚えがあったらしいが、事ここに至って彼の腹は据わっていた。

「いや、社長や君には借りがあるし、仲人を引き受けるのには問題ない。妻も社長令息の仲人を引き受けられて、満足しているしな」
「その……、奥様は例の会社に関してご存じでは……」
「知るわけがない。下手に知らせて卒倒されても困るから、何も知らせていない。社長もそうなのでは?」
 真顔で問いかけられ、義則も真剣な面持ちで頷く。

「ああ。これから親戚付き合いをするわけだが、どこまで伝えておいた方が良いものか、未だに判断がつかなくて。幸いというかなんというか、妻は沙織さんの父方母方双方と、良好な関係を築いているみたいで安堵しているが」
「さすが、創業家直系の方です。心強いですな」
 友之からすれば落ち着き払った田宮の反応の方が心強く、深々と頭を下げる。

「専務。ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。今日はよろしくお願いします」
「いや、私は松原工業に骨を埋める覚悟で、これまで会社に尽くしてきた。その一環と思えば、どうという事はない。それに実際、仲人など披露宴では雛壇で座っているだけで、大した役目はないからな。それよりも、友之君にはしっかりして貰わなければ。松原工業が衰退するのもこれまで以上に発展を遂げるのも、君の働きにかかっている。頑張ってくれたまえ」
「全力を尽くします」
(どうして披露宴の開催だけで、一部上場企業の将来に関わるような話になるのかとツッコミを入れたいが、そんなことを言える雰囲気ではないな)
 祝福の空気が一切ない、生きるか死ぬかの瀬戸際っぽい空気すら漂う室内に、ここで新たな人物がやって来た。

「失礼します、清人です」
 ノックの後に軽く断りを入れて入室した清人は、挨拶も祝福の言葉も抜きで単刀直入に告げる。

「友之、客人がいらした。挨拶に出向くぞ。松原さんもいらっしゃいますか?」
「ああ、清人君。そうだね。仲人の田宮常務も同行するよ。田宮さん、こちらは柏木清人君。義理の甥だ」
「柏木家の方ですね。今回はお世話になります」
「あなたもご苦労様ですね。それでは参りましょうか」
 生真面目に頭を下げた田宮に、清人は一瞬同情する視線を向けてから、先頭に立って歩き出した。

「今、このフロアの吹き抜けのロビーで、顔見知りと談笑しているところだ。遠目で見た感じでは、お二人とも機嫌は悪くない」
「そうですか……。面倒な方ではないですよね?」
「……普通ならな」
 フォローになっているのかいないのか分からない言葉を口にしながら、清人は足を進めた。すると廊下の角を曲がって少しして開けた場所が見えてくると、四十代後半に見える夫婦が、見覚えのある者達に囲まれているのが目に入る。

「あの方たちがそうだ」
「ああ、お義父さんが先にご挨拶していたか」
「久米川頭取もご一緒ですね。それに東条議員まで……」
「……あの中に割って入れと?」
「当たり前だろうが。ほら、行くぞ」
 清人が指し示した方向を見て、義則や田宮が一気に緊張した面持ちになった。前社長を筆頭に、松原工業メインバンクの重役や国会議員、その他招待客の中でも重要人物がこぞって挨拶をしているらしい状況に、友之の顔が否応なく引き攣る。しかし彼の心境など全くお構いなしに、清人は一直線に話題の人物達の所に向かった。


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