酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(114)家風の違い?

 友之と沙織の披露宴の打ち合わせに、関本家側の代表として出向いてきた豊を、松原家の面々は笑顔で出迎えた。

「一之瀬さん。本日はお休みのところご足労いただき、ありがとうございます」
「いえ、色々思うところがありましたが、無事に対外的な結婚披露宴を開催する運びとなり、こちらも安堵しております。この件に関しては私が実家の母から一任されておりますので、なんでも仰ってください」
「ありがとうございます。それでは真由美、詳細の説明を頼む」
「はい。それでは開催日時と会場からご説明します」
 ソファーに豊と沙織が並び、その向かい側に真由美と義則が座る。その横に置かれた一人がけのソファーに座った友之が見守る中、真由美が話し始めた。そして一通り真由美が説明を終えると、渡された用紙を確認しながら豊が頷く。

「これまでお伺いした中で、特に再考の必要がある点はないと思います。現時点で確認しておかないといけない内容はこれくらいですね。期日が近くなれば、改めて詳細について詰める必要がある事柄が出てくるかと思いますが」
「そうですね。それにしても、お兄様はさすがに既婚者ですわね。段取りが一通り分かっていらっしゃるので、話がどんどん進んで助かります」
「私の結婚の時も実家の母は殆ど手を出さず、私と柚希で諸々を決めましたから。一度経験しているので、関本家側の親戚関係の取りまとめは、私の方で滞りなく進めておきます。あまり日程に余裕がありませんし」
「豊、お願いね」
「よろしくお願いします」
 ここまで無言を保っていた沙織と友之が頭を下げると、豊は二人に目を向けながら真顔で忠告してくる。

「元々そのつもりだったから構わないが、当日揉めないように親父とお袋の席をどうするのか熟考しておけよ? 言うまでもないが、それがこの披露宴における最重要課題かつ最大の懸念だ」
「……それは重々分かっているから」
「肝に命じておきます」
(間違いなく、これが披露宴における最大の不安要素なのよね)
 沙織と友之が揃って顔を強張らせていると、真由美が座ったまま僅かに身を乗り出して問いを発した。

「話は変わりますが、一之瀬さんに少しお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょうか?」
「針金製のハンガーと、プラスチック製ハンガーを捨てる場合の収集日をご存じですか?」
 その問いかけに、豊は意表を衝かれながらも律儀に応じる。

「はい? ハンガーを捨てる時の収集日ですか?」
「はい。勿論、今現在一之瀬さんがお住まいの地域での収集日で構いません」
「はぁ……。それであれば、針金の物は金属ごみの日になりますので第2・第4木曜日で、プラスチック製は燃やすごみなので、毎週火・金ですね」
「それなら、クーラーボックスは?」
「一辺が30cm以下であれば燃やすごみで毎週火・金、30cm以上であれば粗大ごみで回収を依頼します」
「それでは、プラスチック製の食品トレイならどうですか?」
「汚れを落としたものは資源ごみなので、毎週月曜回収。汚れを落とせない物は燃やすごみで毎週火・金が収集日ですが……。あの……、それがどうかされましたか?」
 さすがに訝しげな表情になった豊だったが、ここで義則が妻を制した。

「真由美、いい加減にしろ。一之瀬さん、いきなり変な事をお聞きして申し訳ありません。妻は最近息子の再教育と称して、ごみの分別と回収日のテストをしておりまして。世間一般の同年代の男性が、どの程度それらを把握しているのか確認したかったのです」
「本当にできる殿方というのは、こういう所で差がつくものだと感心いたしましたわ! さすがは沙織さんのお兄様ですね!」
 義則は神妙に謝罪したが、その隣の真由美は笑顔で豊を褒め称えた。そこで事情が分かった豊は、苦笑いで応じる。

「はは……、恐縮です。ですが私の場合、母が仕事を持っていて忙しく、子供の頃からできることは自分でするをモットーに育てられましたので。兄弟全員、自然にごみ分別の仕方や回収日を覚えましたから」
「さすが女手一つで三人のお子さんを育てた方は、心構えが違いますね。子供の頃から自立心を育まれるなんて。因みに、他の家事とかもなさいますの?」
「私は一通りできますし、その時点で私と妻のどちらかの手が空いている方が、家事をこなすことにしております。二人でこなす場合もありますし」
「さすがですわ! それなら妊娠中の奥様がこれから出産育児中、一之瀬さんが十分サポートできるから心配要りませんわね! 育休も取得するおつもりでしょう?」
「はぁ……、それは勿論そのつもりですが……」
 感心しきりの真由美と冷静にと会話していた豊だったが、ここでなぜか困惑顔になった。それに違和感を感じた沙織が、思わず口を挟む。

「豊、どうかしたの? 柚希さんのお母さんが実家から来てくれるから、それほど育休を取らなくて済むとか?」
「いや、そうじゃなくて、親父が育休を取る気満々なんだ」
「…………」
 そこで室内に微妙な沈黙が漂い、沙織は少し考え込んでから怪訝な表情で確認を入れた。

「……ちょっと待って、どうしてそうなるのよ? 柚希さんのお腹の子供は、豊の子供だよね? 和洋さんの子供じゃないわよね?」
 それを聞いた豊は、さすがに気分を害したように言い返した。

「真顔で馬鹿な事を口走るな。勿論、俺の子供に決まっている。今のは言い間違っただけだ。つまり、親父は初孫の育児を理由に、社長業務を部下に丸投げできることは丸投げ、他はリモートワークに切り替えを目論んで、着々と準備を進めているんだ」
 苦々しげに告げられた内容を聞いた沙織は、呆れ返りながら問い返した。

「丸投げって……、仮にも代表取締役がそんなことで良いの? それにそんな事が可能なの?」
「可能かどうかと言われたら、可能だな。親父は独り暮らし歴が長い上に、『万が一お袋が家に立ち寄った時に綺麗に整っていないと、また愛想を尽かされる』との強迫観念から家事は完璧だし。少し前にお前が親父の所で世話になった時、急に出向いたのに埃一つ無かっただろう?」
「確かに無かったわね。料理も手の込んだ美味しいものが、山ほど出てきたわ」
「秘書の香川さんから聞いたんだが、社長室のパソコンには、既に離乳食ファイルが作ってあるそうだ」
「どれだけ先走ってるのよ……。初孫誕生に向けて、脳内麻薬が放出しまくりってことね」
 沙織は父親の暴走ぶりに頭痛を覚え、豊は沈鬱な表情のまま話を続ける。

「もう社内では、実際の育休ではないが《社長育休シフト》運用に向けて、着々と準備が進んでいるんだ。それで親父が『お前は安心して現場を仕切っていろ!』と高笑いしていた。父親の俺の立場は……。万が一、産まれた子供が親父を見て『パパ』とか言い出したら、俺は失踪するぞ」
「豊、気を確かに。和洋さんに悪気があるわけじゃないんだからね?」
「それは一応、分かってはいるがな……」
 豊が愚痴っぽく呟いて話を終わらせると、一連の話を聞いていた真由美が心底感心した声を上げた。

「やはり先進的な事業を己の才覚と身一つで興すような方であれば、色々と心構えが違いますのね! 私、一之瀬さんのお話を伺って、すっかり感動してしまいましたわ! 旧態依然の家で申し訳ありませんが、沙織さんをお迎えしたからには、これからどんどん良い方に家風を変えていく所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ『女手一つで育てたもので、色々と至らないところがあるかと思います。遠慮なくご指導ください』と母が申しておりました。改めて、よろしくお願いいたします」
「まぁ、そんな事を仰らなくても! 沙織さんはしっかりしておりますから、殊更私が教える事などありませんわ!」
 神妙に頭を下げた豊に対し、真由美が満面の笑みで断言する。しかし沙織と友之は、先程から黙りこくっている義則を横目で見ながら気が気ではなかった。

(あぁ……、なんだかお義父さんが心なしか項垂れている気がする……)
(確かに豊さんもお義父さんも、家事は完璧みたいだからな。俺と父さんでは、勝負にもならないだろう……)
 それぞれの家庭事情が異なるからには、家事云々の運営状況が異なるのは致し方ないものの、それから少しの間、沙織と友之は居心地の悪い思いをすることになった。

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