酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(111)友之の受難

 結局それから沙織と吉村を散々からかい倒してから会はお開きとなり、店を出てから沙織は由良と吉村と共に、最寄り駅に向かって歩き始めた。
「今日は楽しかったわね!」
「そうだけど、由良は痛飲したわね……。明日が休みでも、少しは加減しなさいよ」
「だってワインが美味しかったんだもん! これくらい、全然平気だし!」
「うん、まあ……。一応、平気に見えるけどね……。あれ?」
 進行方向に佇んでいる人物を認めた沙織は、不審そうな顔つきになった。しかし隣を歩く由良は、嬉々としてその人物に手を振りながら声をかける。

「あ、松原課長! 沙織のお迎え、ご苦労様です!」
「……吉村さん?」
 そこで沙織は、一歩後ろを歩いていた吉村を軽く睨む。
「お開きを知らせた。そこまでが、俺が頼まれた内容だからな」
「本当に過保護なんだから……」
「お前が無頓着すぎるだけだ」
「うん、私も吉村さんに1票!」
「諸悪の根源のお前が言うな!」
 由良と吉村が漫才じみた掛け合いをしている間に友之が距離を詰め、二人に挨拶してきた。

「新川さん、こんばんは。吉村、今夜は遅くまですまなかったな」
「いえ、大丈夫です。特に問題はありませんでしたので、安心してください」
「そうか。ありがとう」
「俺は少々絡まれただけでしたが……」
「吉村?」
 そこで微妙な表情になって口を閉ざした吉村を見て、友之が怪訝な顔になった。そんな友之に、吉村が真剣に語りかけて頭を下げる。

「課長、これから色々頑張ってください。現時点で俺に言えるのは、残念ながらこれだけです。仕事以上に、プライベートでの課長の奮闘をお祈りします。それでは俺はこれで失礼します。お疲れさまでした」
「え? あの……、吉村? 今の話は一体どういう意味で」
 慌てて吉村を問いただそうとした友之だったが、二人の間に由良が割り込み、明るく声をかける。

「吉村さん、一緒に帰りましょう! 路線は同じですものね! 本当に運命ですよね!」
「違う! 絶対に近々、引っ越ししてやる!」
「またまた~、そんな照れ隠しを言っちゃって!」
「照れてない!」
「あ、引っ越しするって、私の部屋にですか!? それとも二人で暮らす部屋を探すとか!?」
「違うに決まってるだろ!! あ、おい! 腕を組むな! くっついてくるな!」
 二人が声高に揉めながら歩き去るのを、友之は唖然としながら見送った。その横で、沙織が呆れ気味に呟く。

「騒々しいわね……」
「沙織。さっき吉村が言っていたのは、どういう事だ?」
 真顔で友之が尋ねてきたことで、沙織は一瞬考え込んでから事も無げに答える。

「別に、大した事じゃないのよ? 世の中の共働き夫婦が直面する課題について、独身女性達が熱く議論を交わしただけだし。そこで友之さんの今後の身の振り方についても、色々意見が出ただけよ。吉村さんみたいに、皆から熱いエールを貰ったわ」
「……俺が?」
「ええ。私も貰ったけど」
「具体的な内容は?」
「そのうち分かるから。遅くなるからさっさと帰るわよ?」
「話す気はないのか……」
「今はね」
 すっきりしないものの、沙織の態度からここで聞き出すのは無理らしいと判断した友之は、諦めて歩き出した。そしてすぐに、話しておかなければならないことを思い出す。

「そう言えば、来月の予定だが。以前、八月に一緒に休みを取って、内密に新婚旅行にでも行こうかと相談していただろう? だが事件や入院があった上に、後処理で色々煩わしい事もあるし、先延ばしにしようかと考えているが」
「それで正解よ。十月に決まったしね」
「何が十月に決まったんだ?」
 不思議に思った友之が尋ねると、沙織が意外そうに問い返した。

「あれ? お義母さんから聞いていないの?」
「何を?」
「私達の結婚披露宴よ。結婚の事実が社内外に明らかになったし、早々に設定するからと言っていたでしょう? その日程が決まったからと、私は昨夜聞いたけど」
 それを聞いた友之が、茫然自失になりながら言葉を返す。

「それは初耳だ……。しかも十月って、あと三ヶ月あるかないかだよな?」
「でも、どうにでもやってしまうわよね……。『玲子お義姉さんと清人君に、ものすごく頑張って貰ったの! 近いうちに三人で、直にお礼を言いに行きましょうね!』と、それはそれは嬉しそうにお義母さんが言っていたから……」
「ええと、その……。沙織、色々とすまない」
 この段階で披露宴が、平凡かつ平穏無事に終わりそうもない気配を察した友之は、神妙に沙織に向かって頭を下げた。対する沙織は既に諦めていたのか、淡々とした口調で応じる。

「良いのよ。ただそうなると、どうしてもスケジュールがタイトになるから、夏はその準備に専念する事になりそうだし、必然的にのんびり出掛けている暇はないと思うの」
「その通りだな。分かった。旅行は、秋以降に落ち着いたら考えよう」
「そうしましょう。それからその披露宴について相談する為に、明後日の日曜日に豊が家に来るから」
「……お義兄さんが家に? どうしてだ?」
 話題が変わった途端、友之が警戒する表情になった。そんな彼に、沙織が冷静に言い聞かせる。

「披露宴だから、準備は松原家と関本家の両家で確認しながら進めないとまずいじゃない? 母は名古屋だし、殆どこちらで準備するにしても、建前はそうしないと」
「それはそうだな」
「そうは言っても、母だけに相談したら和洋さんが拗ねるし、都内在住だからといって和洋さんにだけ相談するのも、母が激怒するから論外。両親が顔を揃えるのはもっとあり得ないし。そうなると選択肢としては、関本家の代表として都内在住の豊に頼むしかなくなるわけ」
 そんな懇切丁寧な解説を聞かされた友之は、強張った顔つきのまま了承した。

「良く分かった……。明後日までに、心の準備をしておく」
「何か、見るからに苦手そうな顔つきになっているんだけど……」
「大丈夫だ。日曜日は笑顔で歓待する」
「……お願いね」
(二人が顔を合わせるのは、友之さんが頭をまともに踏まれて入籍した日以来か……。変なトラウマになっていなければ良いけど。本当に豊ったら、変なところで容赦がないんだから)
 自分自身に言い聞かせるように何やらぶつぶつと呟いている友之を横目で見ながら、沙織は最寄り駅に向かって歩き続けた。

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