酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(93)弱り目に祟り目

 沙織に詫びを入れる前に、事の発端の見合い話にけりをつける必要があった友之は、義則と共にとある料亭に田宮を呼び出した。
「田宮さん、今日は時間を取って貰って申し訳ない」
 まずは義則が頭を下げると、田宮が満面の笑顔で応じる。


「それは構いません。社長ともども友之君が用事があるのなら、先日の見合いの話ですな? いやぁ、手を回した甲斐があったというものです」
「いや、田宮さん。本当に申し訳ないが」
「田宮さん。実は今夜は見合い話を全てお断りするために、お呼び立てしたのです」
 父の台詞を遮りながら友之が話を切り出すと、田宮が怪訝な顔になる。


「全て? そうか。紹介した女性が気に入らなければ」
「いえ、気に入る気に入らない以前に私には既に決まった相手がおりますので、見合い話自体をお断りさせていただきたく、本日ご足労願いました」
「決まった相手がいる? しかしこの前、特にそんな事は一言も言っていなかったが?」
「それに関して、少々事情がありまして。それをこれから田宮さんにご説明します」
「是非聞かせて貰いたい。どういう事かな?」
(訝しく思われるのは確実だからな。用意した話で、田宮さんが納得してくれれば良いが)
 驚いた後は不審そうな顔になった田宮を見ながら、義則は心配そうに息子の様子を窺った。


「実は私はその女性の父親に、相当嫌われておりまして」
「ほう? それはまた、一体どうしてかな?」
「その……、これまで複数の女性と交際したのは事実ですが、誰一人として不誠実な交際などせず円満に別れておりますし、同時に複数の女性と交際をした事も皆無なのですが……。相手の父親の目には女性を取っ替え引っ替えしていたように見えるらしく、『貴様のような女たらしに、娘は渡さん』の一点張りでして」
(うん。一之瀬さんにしてみれば、今でも色々思うところはあるだろうな。何と言っても、初対面で殴り合った仲だし)
 義則が遠い目をする中、友之が神妙に語った内容を聞いた田宮が、微妙な表情になる。


「ははぁ……、それはまた、何とも……。しかし相手の女性は、未成年ではないのだろう?」
「勿論です。社会人として勤務して、生活を営んでいます」
「それなら親の意見などは、無視して良いのでは? 父親は少々気の毒だが、結婚に関しては本人の意志が重要だろう? 君に変な欠点など無いし案ずるより産むが易しと言うし、そのうち許してくれるのでは?」
(正論だ。田宮さんは社の運営で意見が対立する事はあっても、極めて常識的な人だからな)
 軽く首を傾げながらの田宮の真っ当な意見に、そこで頷くわけにはいかなかった友之は、慎重に話を続けた。


「それは確かにそうなのですが、少々厄介な事情がありまして……」
「厄介な事情?」
「その……、これは本当に偶然なのですが、相手の父親が松原工業と取引のある企業の代表取締役社長なのです」
「それはそれは……」
(うん。これは本当の事だからな。嘘は言っていないぞ、嘘は)
 義則が心の中で弁解していると、友之が口からでまかせを言い出す。


「それで相手の父親に、難癖をつけられまして。『貴様、社長の息子である事を傘にきて、社内で娘との事を言い触らして既成事実化して娘を盗るつもりだな!? 俺が頑強に反対したら即刻取引中止を命じる腹積もりとは、なんて姑息なゲス野郎だ!』と、とんでもない邪推をされまして、益々聞く耳を持って貰えず……」
(これは嘘八百だが、立場的には脅すのはこちらではなく、向こうだよな。実際にこの前、脅されたし)
 溜め息を吐きそうになった義則だったが、それを懸命に堪えた。すると田宮が、大真面目に応じる。


「それは難儀だな。他では知らんが、松原工業ではいくら社長令息と言えども、一課長の裁量で即刻取引中止の決断などできないのに」
「ええ。ですが私が既成事実化を狙っていると思われないよう、細心の注意を払って彼女との交際を社内には伏せたまま、彼女の父親を説得している真っ最中なのです」
「なるほど……。それで先月、私が見合い話を提示した時、それについての明言を避けたというわけだ」
「はい。決して田宮さんを信用していないわけではありませんが、人の口に戸は立てられないと申しますし、躊躇してしまいました。誠に申し訳ございません」
「私からも謝らせて貰いたい。せっかくお骨折りいただいたのに、申し訳なかった」
 息子に続いて義則も頭を下げると、田宮は少し驚いたように問い返した。


「それでは、社長もご存じの話なのですか?」
「ええ。打ち明けられたのは最近ですが、田宮さんの話を聞いた時には知っておりました。しかし咄嗟にどう説明すれば良いのか、判断に迷ったものですから」
 そんな苦し紛れの弁明を聞いた田宮は、深く頷いて了承した。


「そうでしたか……。そういう事情なら致し方ありません。まさか付き合っている女性と別れろなどとは言えませんし、今回の縁談は全て無かった事に致しましょう」
「宜しくお願いします」
「友之君。勿論、君の交際云々に関して社内外で口外するつもりは無いから、安心してくれたまえ」
「ありがとうございます」
 田宮が確約してくれた事で友之は安堵したが、ここで義則に言い含められていた内容を口にした。


「それで余計なお手数をおかけした上、更なるご迷惑をおかけする事になりますが、事が上手く運んで披露宴を開催する暁には、是非田宮さんに仲人をお願いしたいのですが」
「え? 仲人?」
「はい。奥様のご意見もあるかと思いますし、早くとも半年以上は後の事になりますので、すぐにご返事をいただけなくとも構いませんが」
 友之からそんな予想外の要請をされた田宮は、一瞬困惑顔になってから快諾した。


「分かりました。これまでにも引き受けた事はありますし、社長のご子息の仲人を務める事に対して、家内にも異存は無いでしょう」
「ありがとうございます」
「宜しくお願いします」
「社長と友之君からの直々の頼みとあっては、断れませんな。友之君、まずは相手の父親の攻略に励みたまえ。吉報を楽しみに待っているよ」
「なるべく早くご報告できるように努力します。それでは、まずは一杯どうぞ」
「おう、ありがとう。今夜は友之君の健闘を祈って乾杯しよう」
「ありがとうございます」
 すかさず友之が冷酒を入れてあるカラフェを持ち上げて勧めると、田宮も機嫌良く杯を差し出し、それからは三人で談笑しながら和やかに飲み進めた。




「何とかあれで、納得して貰えたかな?」
 二時間ほどの会食の後、店を出たところで田宮と別れた二人はタクシーを拾って家路についたが、後部座席で友之が少々不安げに呟いた。それに義則が、落ち着き払って答える。


「多分、大丈夫だろう。ただし事実婚している事については伏せたから、事が公になったら改めて頭を下げなければいけないが、仲人を頼んだからな」
 それを聞いた友之は、父親の話を聞いた当初から感じていた疑問を口にした。


「ところで、どうして仲人を頼むと大丈夫なんだ?」
「彼の奥方は、大層社交的な人でな。今どき珍しい位に、若い人の縁を結びたがるんだ」
「それって要するに、仲人をしたカップルの数を誇るのが生き甲斐の、単なるお節介」
「友之」
 軽く父に睨まれた友之は、神妙な顔で言い直した。


「昨今珍しい、ボランティア精神溢れる得難い人種という事か」
「社内で田宮夫妻が纏めた縁談がかなりの数になっているのは、お前は知らなかったのか?」
「業務に全然関係ないだろう。そんな事まで知るか」
 かなりうんざりしながら友之がなげやりに告げると、義則が説明を付け加える。


「本当の事が明らかになったらさすがに彼も多少腹を立てるかもしれんが、予め仲人役を頼んでおけばあからさまに嫌な顔もしないだろう。社長派からの反発は、お前の仲人を引き受ける事で防げるだろうし、反社長派側からは、社長に嘘を吐かれても仲人を引き受けるとは度量の広い人間だと思われて、どのみちそれほど彼の損にはならない」
「なるほど。そういう事か。父さんが直前になって『田宮さんに仲人を頼め』と言った時には、どういう事かと思ったが」
 納得しながら友之が頷くと、何故か義則は微妙に言いにくそうに話を続けた。


「少し前から、考えとしてはあったんだがな……。一つ問題があったから、お前に提案するのを躊躇っていた」
「問題って?」
「彼に仲人を頼むと言ったら、沙織さんは承諾するだろうか?」
「…………」
 思わず無言で顔を見合わせた二人は、少ししてから重い溜め息を吐いた。


「まあ……、田宮さんを上手く丸め込んで首尾良く口止めはできたし、とにかく頑張れ」
「……ああ」
 そこで車内に微妙な空気が流れたが、取り敢えず問題が一つ解決したから良しとしようと自分自身を慰めながら帰宅した友之が、自室で部屋着に着替え終わったのを見計らったようなタイミングで、清人から電話がかかってきた。




「よう、姫に逃げられた哀れな下僕。今頃はプールではなく自分の流した涙の池で溺れて、しょぼくれた濡れ鼠になっているか?」
 挨拶代わりの第一声に、友之は不吉な予感を覚えながら慎重に問い返した。


「……いきなり何ですか、清人さん」
「今日の日中、真由美さんは大層ご立腹で、玲子お義母さんは爆笑しまくっていた。俺も一緒に観させて貰ったが、笑いを堪えすぎて腹筋が痛いぞ。どうしてくれる」
 あまり当たって欲しくない予想が的中してしまった友之は、肩を落として呻いた。


「今日、母さんがそっちに行きましたか……」
「ああ。後生大事に、メモリアルムービーを抱えてな。お前、知らないところでキャラが変わったな」
「変わってませんよ! 今現在、色々な事で精神をゴリゴリ削られているので、いたぶるのはまたの機会にして貰えませんか!?」
「馬鹿話はそれ位にして、本題に入るぞ。春先に、あの女が東京に戻って来ている」
 清人が急に声を低めながら告げてきた内容で、友之の顔も瞬時に真顔になる。


「あの時から半年は監視すると言っていましたから、昨年末で終了したのでは?」
「常時監視を付けるのは半年で止めたが、定期的に動向を把握させていた」
「そうでしたか」
「この間の事を端的に報告すると、あの女が金を借りた先のタチの悪い債権者どもに、さりげなく実家や兄弟の勤務先などの情報を流したら食い付いて、あちこちに押し掛けた。それで仰天した実家の連中が、あの女を大阪に呼び戻したそうだ」
 それを聞いた友之は、深く納得した。


「ああ、それで俺や教授の妹さん達を訴えようと悪あがきをしていたのが、頓挫したんですね? 全く音沙汰が無くて、少し不思議に思っていました」
「そもそもまともな証拠がないのに、裁判を引き受ける馬鹿な弁護士はいないからな。しつこくあちこちの弁護士事務所を回って、初回相談料をむしり取られての繰り返しだ。俺としては親切心で無駄を省いてやったつもりだが」
 そこまで聞いた友之は、思わず苦笑してしまった。


「本当に、お優しい事ですね。しかしよほどの事が無いと、親兄弟に借金を肩代わりする理由はありませんよね? 大阪にいたなら、保証人でもないでしょうし」
「確かに支払い義務は無いが、世間体とか信用と言うものがあるからな。特に客商売とか公務員とかだと、大変だろう。それで家族全員で揉めまくった末、親が子供達に財産を生前贈与する事になった。ただし嫁達が結託して、あの女は両親の面倒をみない代わりに、兄弟より額は格段に少なくなった。だが何とか借金を返せる位の額は貰ったそうだから、文句を言う筋合いでは無いな」
「それで借金は返せたと?」
「返せたんだがな……。これで懲りておとなしくすれば良いものを、東京に舞い戻った」
「それが春先ですか。何の為にですか?」
 話が冒頭に戻った為、友之が改めて問いかけると、清人が呆れた口調で答えた。


「ホストクラブに押し掛けて、貢いだホストに『金を返せ』と迫ったそうだ」
「……そこまで馬鹿だとは思いませんでした」
「寧ろそこまで馬鹿だと、次の行動が読めなくて楽しいがな」
「笑い事では無いと思いますが」
 呆れ果てて一瞬言葉が出なかった友之に、清人は笑いを含んだ声のまま続けた。


「結局、ホストに鼻であしらわれた女は激昂して店内で暴れて、ホストの顔に傷を付けた挙げ句、備品や調度品も複数壊してな。傷害と器物破損の現行犯逮捕だ」
「それで?」
「当初、誰も保釈金を払おうとせずに、拘留が長引いた。身内や親しい人間に連絡がいった筈だし、本人が裁判時にきちんと出廷すれば、保釈金は全額戻るのにな」
「そこら辺の信用が全くない上に、これまで色々迷惑をかけられた挙げ句、更にかかわり合いなりたくなかったのでしょうね。それで、結局どうなったんですか?」
 思わず頷いた友之に、清人が淡々と説明を続ける。


「結局は親が出したらしい。初犯だし、計算すると辛うじて被害額を弁償する位の金は手元に残っているだろうし、執行猶予が付いて終わりじゃないのか?」
「いっそのこと、前科持ちになりやがれ」
「ところでそろそろ女が釈放されそうだから、お前はともかく嫁に警護を付けるか? お前の住所は知られているし、そこに彼女が出入りしているのを見られたら、逆上して何をするか分からんと思ってな。このタイミングでそこを離れていて、正解だったかもしれん」
 思わず悪態を吐いた友之だったが、冷静な清人の指摘に瞬時に真顔になった。


「それは……、そうですね。思い至りませんでした。社内では人目があるから心配要らないと思いますが、通勤時の手配をお願いできますか?」
「分かった。あからさまな感じではなく、尾行しつつ警護する感じて良いな?」
「はい。周囲に不審に思われるのは避けたいです」
「念のため、父親のマンションにいる間から始めさせるぞ? 嫁の予定を逐一知らせろ。あの女の方も、引き続き動向を把握するようにしておいて、変わった事があればすぐに知らせる」
「宜しくお願いします」
 そこまで事務的に話を進めた二人は、無駄な話はせずに通話を終わらせた。そしてスマホを机に置きながら、友之が疲労感満載の声を漏らす。


「本当にこのタイミングで、厄介事が重なるとはな」
 しかしすぐに気持ちを切り替えた友之は、父親に経過を知らせておくべく、いつもの表情で部屋を出て行った。



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