夢見る頃を過ぎても

篠原皐月

第49話 騒動の余波

「……それで?」
「今の話、月曜の話ですよね?」
「清々しい程の切れっぷりですね……」
「御乱心事件って……」
 清人が連絡を絶って姿を消した週末の土曜日。状況確認と情報交換の為に、清香とその従兄達、聡に恭子の面々は、臨時休業の《くらた》に勢揃いした。
 その中で友之、正彦、聡と恭子の四人は、浩一から月曜に真澄が玲子に当て擦られた挙げ句家出し、その余波で柏木産業内で勃発した騒ぎを聞かされ、揃って疲れた様に感想を述べる。それを聞いた浩一も、うんざりとした表情で説明を続けた。


「呼ばれて俺が駆け付けた時、姉さんが清川部長に『二千万逃しかけた位でガタガタ言ってんじゃねぇ! あくまでも女が仕事が出来ないってほざくなら、週末までに新規契約で三千万取ってやろうじゃねぇか!!』ってタンカを切ってて……」
「真澄さん……」
「幾ら何でもそれは無理だろう……」
「週末までって、実質金曜までの五日間ですよね?」
「どうなったんですか?」
 呆れと好奇心が入り混じった口調で問われた浩一は、溜め息を吐いてから結果を伝えた。
「それを聞いた二課以外の全員は無茶だと思ってたんだが……。金曜までに合計で三千二百万超の新規契約締結にこぎつけた」
「マジ?」
「本当に規格外だな……」
「勘弁して下さい……」
「よほど真澄さんの怒りが凄かったんですね」
 しみじみと評した恭子だったが、ここでふと気になった事を尋ねてみた。


「それで、真澄さんの部下の方達と、その清川部長って方は無事なんですか?」
「二課の人達は昨日、勤務時間が終了すると同時に揃って屍になってましたが、一応大丈夫です。ですが清川部長が、昨日から音信不通で行方不明になってます」
「はぁ? 行方不明って、どうして」
「色々あって。詳細は聞かないで欲しい」
「……そうですか」
 思わず口を挟んだ聡から目を逸らし、浩一が低い声音で懇願した。それで聡も、これ以上踏み込んではいけない内容だと悟る。そこで会話が途切れたのを契機に、今度は浩一が問を発した。


「それで……、まだ清人からの連絡は無いんですよね?」
 それを受けて、恭子が小さく頷いて説明を始める。
「はい、姿を消した翌々日に、広島に出没したのは判明しましたが」
「広島?」
 男達が揃って怪訝な顔をすると、恭子が説明を加えた。


「以前暮らしていた団地で親しくお付き合いしていた、岡田さんって言う方の、娘さんの家に出向いてます。それで仏壇に手を合わせて、長い事拝んでいたとか。それで『携帯を忘れてお帰りになったので、お送りします』と清香ちゃんに連絡がきたんです」
「えっと……、例の万年筆の、あの人?」
「だよなぁ……」
「携帯を忘れるなよ」
 顔を見合わせて呻いた浩一達に、恭子は淡々と続けた。
「連絡をくれた娘さんが仰るには『仕事のついでに寄らせて貰ったと言ってましたが、顔色がどことなく悪くて長い事神妙に母の位牌に向かって拝んでいたので心配になって。まさか佐竹さん、どこかお悪いんじゃ無いですよね?』って相当心配されていたそうです」
「……確かに頭は悪いな」
「浩一さん……」
 苛立たしげに目を細めながら吐き捨てた浩一に、聡は思わずうなだれた。しかしそんな事には構わずに、恭子の報告が続く。


「それから昨日の話なんですが、以前暮らしていた団地に現れて、住んでいた部屋を夜に暗がりから見上げていたそうです。住人の方が不審人物がいると通報しかけたんですが、念の為近くに寄ってみたら、見知っていた清人さんで驚いたとか」
「何で夜……」
「通報って……、洒落にならないぞ」
「マジで通報されなくて良かったな」
「寧ろ通報して貰って、警察に身柄を確保されれば手間が省けましたね。それ位だったら不審者リストには載るかもしれませんが、前科持ちにはならないでしょうし」
「…………」
 冷静に突っ込みを入れた上、雇い主を容赦なく切り捨てる発言をした恭子に、男達は揃って黙り込んだ。そして苛立たしげに恭子が話を続ける。


「その日中、ご両親の遺骨を預かって貰っているお寺に出向いて、ご夫婦の為に読経して貰ったとか。法要の年でもないし突然一人で来るしで、ご住職が『突然いらして何も事情を語っていかれなかったのですが、そちらで何か悩み事がおありなんでしょうか?』と夜に電話を寄越されて。下手に心配をかけられないと、先生が今現在行方不明なのをご住職に何とか誤魔化して電話を切った後、『都内に居るなら連絡の一つ位寄越せ、馬鹿やろうぅっ!!』と清香ちゃんがキレまくってました」
「…………」
 それを聞いたその場全員は、反射的に少し離れた座卓で先ほどから玲二と明良相手にくだを巻いている清香を見やった。


「……だっ、大体ねっ! 四日も真澄さんと二人きりで、何やってたのよお兄ちゃんはっ!! 信じられないっ!!」
「うん、そうだよね?」
「本当に困った人だよね~、清人さんって」
 ガンッと空になったグラスを座卓に叩き付ける様に置きつつ喚いた清香に、玲二と明良の笑顔が引き攣る。するとその横から顔を出した奈津美が、清香に新しいグラスを差し出した。


「ほら、清香ちゃん、叫んで喉が渇いたでしょう? はい、梅サワーをどうぞ」
「いただきますっ!!」
 そして奈津美の手から引ったくる様にグラスを受け取った清香は、迷わずそれに口を付けて一気に飲み出した。
「ああぁ、清香ちゃん! そんな飲み方しちゃ駄目だって!」
「清人さんに知られたら怒られるよ?」
「はんっ! ここに居ない奴が怒れるもんなら怒ってみやがれってんだ!!」
 そんな雄叫びを上げて飲み続ける清香を見て、少し離れた所から奈津美を引っ張った修が小声で妻を叱責した。


「おい、奈津美! お前どうして清香ちゃんに際限なく飲ませてんだ? 幾ら梅酒ベースでも駄目だろうが!?」
 しかし奈津美は苦笑いしながら夫を宥めた。
「大丈夫よ。最初の一杯は確かに梅サワーだけど、二杯目以降はただの梅ジュースの炭酸割りだから。酔いが回ってるのか、苛ついて味覚が鈍くなってるのか、すっかり誤魔化されてるし」
「グッジョブ奈津美! ……しかし梅サワー一杯であれなのか?」
 修が懐疑的な視線を向けた先では、相変わらず清香の叫びが続いていた。


「しかも、しかもよ!? 据え膳に手を付けないで突っ返すって何事よ! 何様のつもりだてめぇ、あぁん!?」
「ちょっ! 俺、清人さんじゃないから!」
「清香ちゃん、もう少しだけ冷静に! 落ち着こうね!?」
 胸倉を掴まれて狼狽する明良と清香を宥める玲二から視線を戻した夫婦は、互いの顔を見合わせてから深い溜め息を吐いた。
「……日曜からのあれこれで、清香ちゃんも色々溜まってるみたいね」
「やっぱり店を閉めておいて正解だったな……」
 修達がそんな感想をしみじみ述べる間も、清香の訴えは続いた。


「なっ、何が一番ショックだって言われたら……、私が真澄さんを可哀想だと思う事なんて、天地がひっくり返っても有り得ないと思ってたのに……。それがよりにもよって、お兄ちゃんのせいだなんてっ……」
「そ、そうだよね」
「清香ちゃんには二重の意味でショックだよな」
 手にしたグラスがプルプルと震えているのに肝を冷やしながら、明良と玲二が同調すると、清香は再び座卓にグラスを乱暴に置きつつ絶叫した。


「あんのボケナスぅぅっ! 甲斐性無しのズンドコヘタレ! 相手限定チキン野郎! 帰って来たって家になんて入れてやるもんかぁぁぁっ!!」
 そう叫んでから清香は座卓に突っ伏し、「うわぁぁぁぁん!!」と堰を切った様に泣き出した。慌てて宥める明良達から視線を年長者達に戻し、聡が思い切ったように口を開く。


「その……、両親にも言われたんですが、このまま兄さんから直接連絡が来ないようなら、一応捜索願を出しておいた方が良いんじゃないかと……」
 しかしその控え目な主張に、周りの者は難色を示した。
「聡君、流石にそれは……」
「一応都内には戻って来てるみたいだし……」
「必要以上に騒ぎを大きくしない方が……」
「その方が良いかもしれませんね。思い出巡りがつつがなく終了した後は、心置きなく入水するかもしれませんし」
 その中でただ一人聡の意見を肯定した上、容赦ない事を言ってのけた恭子に、当事者の聡は勿論、他の者も一斉に顔つきを険しくした。


「川島さん!」
「言って良い事と、悪い事が有るでしょう!?」
 しかしそんな責める口調もなんのその、恭子は真顔で主張した。
「最悪の場合を想定すると、と言う事です。失踪常習者ならともかく、いきなり行方をくらまして『ただいま』と笑顔でひょっこり帰ってくる可能性は少ないと思いますが?」
「…………」
 冷静に問い掛ける恭子に、思わず黙り込む面々。それに構わず恭子が事務的に話を続ける。


「取り敢えず一週間は待ってみる事にしていましたので、明日まで待ってみて、明後日の月曜日に清香ちゃんと一緒に警察に行こうと思っています。何もしないで待っているより良いでしょう。何か異存がありますか?」
「……いえ、お願いします」
 ピシャリと言い切られて反論できず、その場全員を代表して浩一が頭を下げた。すると恭子が苛立たしげに呟く。
「全く……、清香ちゃんと真澄さんを放ってどこをフラフラしてるやら。……帰って来たらシメるので、手を貸して下さいね?」
「………………」
 いきなり視線と共に声をかけられて男達が返事に窮すると、恭子は冷え冷えとした視線と声音で再度迫った。
「返事は?」
「……はい」
 声を揃えて頷くと、恭子は冷静に話を終わらせた。


「宜しい。奈津美さん。私にも梅サワーを貰えますか? 勿論本物を」
「はい、今お持ちしますね」
 小さく笑って奈津美が一度遠ざかり、戻ってきた彼女がグラスを恭子に手渡すと、恭子は剣呑な目つきでグラスの中身を飲み干した。そして空のグラスを見下ろしながら、おそらく清人に対する悪口雑言らしい呟きをブツブツと小声で漏らす。
 未だ号泣している清香と、目の前の恭子を交互に見ながら、周囲の男達はこれから一体どうなる事かと、げんなりしながら肩を落とし、波乱含みの《くらた》の夜は、騒々しいまま更けていった。



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