夢見る頃を過ぎても

篠原皐月

第23話 某作家の多忙な一日(4)

「さっき清人君が言った事を端的に纏めると……、真澄はあなたの父親が好き、もしくは好きだった。そして内藤支社長がその父親に似ている。だから真澄は支社長の事が密かに好きだと、そう思っているわけね?」
「そうです。見事な三段論法ですね、さすが翠先輩」
 真顔で誉め言葉を漏らした清人に、翠は笑顔のまま小声で毒吐く。
「……絞めるぞこのボケナス」
「は?」
 聞き取れずに怪訝な顔をした清人に愛想笑いをしながら、翠は話を続けた。


「何でもないわ、こっちの話。ところで、一つ質問して良い?」
「はい、何でしょうか?」
「どうして清人君が内藤支社長の顔を知ってるの? あなた達、接点は無いわよね」
 そう不思議そうに問い掛けると、清人は俯き加減になってぼそりと呟いた。


「一度だけ、直にお会いした事があります」
「いつ? どこで?」
「内定を貰った後、お礼かたがた柏木本社に手続きの為浩一と一緒に出向いた時、真澄さんと当時直属の部長だった内藤さんが一緒に歩いている所に偶然遭遇しました」
「へえ……、真澄からそんな事聞いてなかったけど」
 一応納得しながらも首を捻った翠に対し、清人は自嘲気味に続けた。


「この前聞いてみたら、記憶にも無かったみたいですね。出くわした途端『部長、弟とその友人の佐竹君です。とても優秀なんですよ? 是非とも営業部に引っ張って下さい! 絶対後悔させません!』って内藤さんの腕を親しげに引っ張りながら、俺が滅多に目にしない位の上機嫌な笑顔で……」
 そこで唐突に口を閉ざして俯いた清人に、翠は何となく危険なものを感じながら先を続けた。


「あの、ね? 清人君。真澄は誉めてくれたんでしょう? 今の話のどこがどう、気に障ったわけ?」
「どこが?」
 すると清人は横の座卓を片手でバンッと力一杯叩きながら、憤怒の形相で絶叫した。


「どこもかしこもですよ! 『君の推薦なら、どんな人間でも引っ張らないと後が怖いな』とか『だって良い人材を入れれば部長の業績だって上がりますよ?』とか『じゃあ君が責任持ってビシビシ鍛えてくれ』とか『任せて下さい、弟の躾で年下の扱いは慣れてます』とか言いながらイチャイチャしやがって!」
「イチャイチャって……、あの、清人君?」
「ふざけんな! 在学中二学年下で散々その差を思い知らされてきたのに、どうして就職してまでそんな思いをしなけりゃならないんだ!? 第一、真澄さんと親父似の内藤の野郎がベタベタしてるのを見ながら働けるかよ! こっちの神経が焼き切れるに決まってんだろ!!」
「おいっ!」
「ちょっと待て、落ち着け!」
「分かった! 取り敢えずお前の言い分は分かったから!」
 怒りに任せて翠に向かって叫んでいるうちに、普段の貴公子然とした表情や言葉遣いをかなぐり捨てた清人に危険なものを感じ、慌てて男三人が清人を取り囲んでその身体を押さえた。
 一方の翠は清人の剣幕に思わず固まったが、すぐに平常心を取り戻して疑いの視線を向ける。


「清人君……、まさかうちの内定を蹴ったのは、真澄と内藤支社長の仲を疑ったからってわけじゃ無いわよね?」
 翠がそう口にした途端、室内に不気味な沈黙が満ちる。そして周囲から居心地が悪くなる様な視線を一身に浴びた清人は、少ししてからふてくされた様に呟いた。


「………………だったら、どうだって言うんですか」
 その呟きが、幾らか落ち着きを取り戻したらしい清人の口から漏れた途端、その場に複数の罵声が轟いた。


「ふざけんなよ? このどアホ!」
「うちを蹴ったのはよくよくの事情かと、密かに心配した俺の時間を返せ!」
「それで作家デビューして瞬く間に人気作家とは、絶対人生なめてるよな!?」
「清人君、あの二人の仲を邪推した挙げ句に敵前逃亡なんて……。顔に似合わずヘタレだったのね」
 達也達の罵声にも動じなかった清人だったが、遠い目をしながら裕子がボソッと呟いた途端、弾かれた様に目つきを険しくして言い募った。


「情けないし、みっともないのは百も承知です! ですが二人の仲が良かったのは事実でしょう!? その何年か後に社内で真澄さんと内藤さんの不倫の噂が流れて、真澄さんが営業部から企画推進部に異動になった位ですし!」
 その叫びを聞いた他の面々は、揃って妙な顔付きをして互いの顔を見合わせた。そして全員を代表して、晃司が清人に話し掛ける。


「清人……、お前がそんな誤解をしてるって事は、柏木が異動になった詳しい経緯を本人の口から直に聞いて無いよな? 誰から聞いた」
「どうして真澄さんから聞いてないと、断言できるんですか。確かに当時付き合っていた彼女から聞きましたが」
 怪訝な顔をした清人に、晃司ががっくりと肩を落とす。


「お前、社内の女にも手を出してたのか」
「悪いですか?」
 完全に開き直って応じた清人に、晃司が溜め息を吐いた。
「ああ、タイミングが悪かったな。多分それは二つの噂が、中途半端に混ざった結果だ」
「二つ?」
 怪訝な顔で清人が見返した為、晃司は諦め顔で話し出した。


「まず一つ目は、柏木が隠れ演歌フリークだって事から生じた事件が元なんだ」
「……演歌?」
 そこでもの凄く疑わしげな視線を投げかけた清人に、晃司が苦笑いを返す。


「やっぱり知らなかったか。大学時代に仲間うちでカラオケに行こうって話になった時、事前に一人で練習しに行ったんだと」
「一人でカラオケって……」
 思わず頭を抱えたくなった清人に構わず、晃司は淡々と続けた。


「そしたら一人だと心配だから、護衛兼運転手さんも一緒に部屋に入って、そこで『黙って座ってるのも退屈だろうから歌って良いわよ?』と半ば強引に歌わせたら、凄く上手だったらしい。そしてその人が熱烈な演歌ファンだったから、教えられた柏木が熱中したらしくてな」
「……良く分かりました」
 静かに頷いた清人の隣で翠も頷く。


「でも流石に恥ずかしいらしくて、普段は隠してるの。だけど会社での新人歓迎会の二次会でカラオケに行った時、最初は大人しくしていたのに、最後の方で誰かが入力を間違って『能登の流れ星』が画面に出たら『私が歌うわっ! 消したらボコるわよっ!』って叫んで人事部長からマイクを奪って熱唱したのよ。一気に酔いが回ったみたいで……」
「あれは凄かったよな~。それからマイクを離さず、歌いながら次の曲を入力して立て続けに演歌を三曲」
「全員ドン引きしてたぜ。それまで慎ましやかに笑顔を振りまきつつ、静かに飲んでたし」
「あれ以降、柏木に酒とカラオケの併用は御法度だと肝に銘じた」
(そんなに演歌が歌いたかったら、声をかけてくれたら幾らでも付き合うのに)
 口々に呆れた口調で述べる面々をよそに、清人はどこまでも真澄本位な事を考えて項垂れた。


「挙げ句の果て、柏木の奴、内藤支社長を捕まえて『部長は顔が似てるから声も似てる筈! だからデュエットするんです!』とかわけが分からん事を言い出して」
 ここで清人がピクリと反応したが、他の者達はそれには気が付かないまま言い合った。


「そうそう、有無を言わせず腕組んで歌って、最後までご機嫌でさ~」
「次の日、真っ青になって部長に頭下げてたっけ」
「でもあれで、だいぶ真澄のイメージが砕けたわよね?」
「確かに。俺達は慣れてたが、他の奴らにとっては社長令嬢って色眼鏡で見てただろうし」
「だけど社長令嬢が演歌フリークなのは対外的イメージに問題があるとか言い出した重役が、止せば良いのに新人歓迎会の内容について箝口令を言い渡して。事情を知らない社員の間で、変な憶測を呼んだのよ。その場で二人が仲良く歌ってたのは事実だし、それが曖昧に変な風に伝わったのね」
 肩を竦めた翠に対し、清人は若干嫉妬混じりの視線を向けた。


「先輩達は、真澄さんと一緒に演歌を歌いに行った事が有るんですか?」
 その問い掛けに、翠が慌てて首を振る。
「冗談でしょ? お酒飲んだ後にそんな怖い事できますか! 素面の時は真澄は恥ずかしがって誘わないし」
「そう言えば……、件の運転手さんが一線を退いたら、後任の息子さんがクラシック専門でつまらないってブチブチ文句言ってたけど、最近は同じ演歌好きな友人ができて、時々ストレス発散してるみたいよ? 確か……、りょうこさんとか、しょうこさんとか言ってたわね」
 裕子が考えながら口にした台詞に、清人が僅かに顔を引き攣らせて確認を入れた。


「ひょっとして……、それは恭子さんとか言いませんでしたか?」
「そうかも。ああ、やっぱり清人君とも知り合いだったのね」
(やっと分かった、あの二人の関係。カラオケ仲間で演歌フリークがバレない様に、友人付き合いそのものを秘密にしてたのか。何もそんな事を俺に隠さなくても……、いや、それより)
 ここで話が逸れた事に気が付いた清人は、気を取り直して翠に問い掛けた。


「それでもう一つの噂って何ですか?」
 その問い掛けに、皆が一気に酔いが醒めた様な顔付きになり、深い溜め息を吐いて雅文が口を開いた。
「聞いても怒るなよ?」
「……話の内容によります」
 軽く睨んだ清人の視線を受け、雅文が如何にも嫌そうに話し出す。


「柏木が上の意向で、希望もしてなかった部署に異動になったのは事実だ。だけどそれは不倫疑惑のせいじゃない」
「それならどうしてですか」
「直接的な原因は頭にカビを生やしたアホ重役の旧態依然の考え方で、間接的には浩一課長のせいだ」
「何ですかそれは? それにどうして浩一の名前が出て来るんですか」
 無意識に眉を寄せて責める口調になった清人に、雅文は小さく肩を竦めた。


「浩一課長が入社した時、営業は花形だし、本人の意思はともかく次期社長を育てる意味でもベストだから、そこに配属されたんだが」
「だけど、浩一課長にとって不幸な事に、そこには既に姉が所属してて徐々に頭角を現しててな」
「不幸?」
 口ごもった雅文の後を引き取って達也が続けると、清人は彼に幾分険しい視線を投げかけた。それに辟易しながら達也が話を続ける。


「怒るな。これはどうしようもない事実だからな。正直に言わせて貰うと、浩一課長は無能じゃない。寧ろ仕事はできる方だ。しかし、それはあくまで中間管理職の立場としてなら、だ。厳しい様だが、いざという時の決断力、下を従えるカリスマ性、人物の鑑定眼その他諸々、組織のトップに必要な資質に関しては、柏木の方がはるかに上だと俺は思う」
「…………」
 途端に室内に満ちた気まずい沈黙に、この場に存在する全員が達也と同じ考えを共有している事を清人は悟った。しかし話題に上がった両者どちらをも貶める様な事は口にできず、清人は直接的なコメントは避けて話を元に戻す。


「資質の違いはともかく、それでどうして真澄さんが異動させられるんですか」
「だ・か・ら、同じ営業部で柏木がバリバリ仕事してたら、浩一課長が目立たんだろうが」
「は?」
 噛んで含める様に説明された清人が思わず間抜けな声を上げたが、周りの者達は苦々し気に言い募った。


「社長派重役の中に男尊女卑の考え著しい奴が居やがってな。そいつが『女のくせに跡取りの長男より目立つなんて生意気だ、適当に腰掛けしてさっさと寿退社すれば良いものを』とか部下に愚痴った挙げ句、人事部に配置転換をねじ込んだらしい」
「異動させ易くする為に、その時例の根も葉もない不倫の噂を流したんじゃないかって話も、チラホラ聞こえてきてな」
「同期は皆、笑い飛ばしてたが。柏木もそんな話を耳にしても、一々目くじら立てる性格じゃないし」
「誰です、その腐れ外道は……」
「え? げっ……」
 清人の呻き声を耳にした達也は反射的に清人に目を向けたが、真正面から明らかに殺気の籠もった目で睨み付けられて、思わずたじろいだ。
(おいっ! ちょっと待て。こいつ、本気で殺る気じゃ無いだろうな?)
 ダラダラと冷や汗を流し始めた達也に、清人が静かに再度問い掛ける。


「誰ですか?」
「いや、その……、誰っていうか……」
「そうですか、実は同期の力量を妬んだ鹿角先輩の仕業ですか。それなら心置きなくそれ相応の報いを」
「社長派で浩一課長に肩入れしてる、鍋島常務と清川総務部長だっ!」
「そうですか、良く分かりました」
 物騒過ぎる清人の台詞を遮り、切羽詰まった叫び声を上げた達也を、周囲は生温かい目で見やった。


(鹿角……、お前上役を売ったな?)
(保身に走る気持ちは分かるが……)
(連中に同情はしないけどね)
 無表情になって再び缶ビールを飲み始めた清人に、翠が冷静に問い掛けた。
「清人君、話が色々逸れたけど、もう少し質問しても良い?」
「……何ですか?」
 缶ビール片手に、もはや不機嫌さを隠そうともしない清人に臆する事無く、翠が質問を続ける。


「どうして真澄があなたのお父さんの事を好きだと思うわけ? それに、確認のしようが無いけど、内藤支社長とお父さんってそんなに良く似てるの?」
 柏木会の面々にしてみれば当然の疑問に、清人は無言のままジャケットの内ポケットから自分の手帳を取り出し、カバーの折り返し部分に挟まれている写真を抜き取った。それを翠に差し出しながら説明を加える。
「それが最後の家族写真です。一緒に写っているのが父と継母と妹ですが……、似ていますよね?」
 余計な言葉を口にしないまま、半ば強引に同意を求められたが、写真に目をやった翠はかなり困惑した。


「そんなに似ているかしら?」
 そう首を傾げながら、翠はその写真を夫と同僚達に手渡した。受け取って回し見た面々も、揃って何とも言い難い顔を見合わせる。
「雰囲気はまあ……、似てない事もない、かな?」
「でも造りが似ているとは……」
「一見、取っ付きにくい感じは似てるかもな……」
「……清人君、母親似で良かったわね」
 思わずと言った感じで裕子が零した言葉を耳にした清人が、僅かに顔を引き攣らせた。


「出来る事なら、親父に似たかった……」
 暗い顔でそう呟いた清人に、思わず翠が問い掛ける。
「え? どうして? お父様には悪いけど、清人君の方が数段格好良いわよ?」
 その正直な感想に、清人は深い溜め息を吐きつつ反論した。


「確かにこんな顔だと女の方から寄って来ますが、大概ろくでもない女ばかりで始末に困るばかりで、大して良いとは思えません」
「清人君、そういう言い方はちょっと……」
 流石に眉をしかめた翠だったが、清人は淡々と続けた。
「第一、鹿角先輩みたいな人でも、翠先輩みたいな素敵な女性と結婚できてるじゃないですか。男の価値は顔じゃありません」
 そんな事を真顔できっぱり言い切った清人に、翠は頭を抱えた。


「……清人君、酔ってる?」
「俺は正気です」
「うん、酔ってるわね……」
 そんなやり取りをしている二人を見ながら、達也が殺気立って腰を浮かせつつ呻いた。


「清人! 黙って聞いてればてめぇ、俺に喧嘩売ってんのか!?」
「いや、違うから! 本人に悪気は無いんだって!」
「そうそう! ある意味お前を誉めてるし!」
「酔っ払いの戯言と聞き流して! お願いだからっ!」
 自分の発言のせいで気色ばむ達也を他の三人が押さえ込み、周囲に不穏な空気が発生している事など気付かないまま、清人は持論を展開した。


「それに……、そこに写っている継母の香澄さんは、真澄さんの叔母に当たる女性で柏木会長の娘ですが、親と兄達の猛反対にも関わらず、十五歳年上のバツイチ子持ちの親父と結婚したど根性の人です。真澄さんはその香澄さんと同じ遺伝子を持ってますから、年上のこの手のいかつい顔の男性が好みなんですよ」
「…………」
 真顔でそう断言した清人を、達也達は幾分白けた様な目つきで見やった。そしてその発言に至る元々の質問をした翠が、呆れた様に清人を窘める。


「あのね、清人君。他人の好みなんてそうそう分からないものでしょう? 勝手な憶測で決め付けるのは、相手にとっても失礼だと思うけど」
 それに些かムキになって、清人が再度反論した。
「勝手な憶測なんかじゃありません。真澄さんが親父を好きだったという根拠は、幾つもあります」
「ああ、そう……。じゃあこの際、それを聞かせて貰えるかしら?」
「分かりました」
 そこで殆ど投げやりに促した翠に対し、清人が真剣な口調でその根拠を語り出した。



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