異世界転生で貰ったチートがTS魔法少女変身能力でしたがこの世界で頑張るしか無いようです
57 回想 中学生編 後編
「いらっしゃいませ!!何名様でご来店でしょうか?」
「大人三人、子供三人です。」
「申し訳ありませんが只今込み合っておりまして...離れて座って頂けるなら...」
店内を見渡すと確かに人でごった返している。
スーツ姿の人や見覚えの無い学ランや制服を着た少年少女の姿から察するに俺達と同じくお祝いか記念に...という感じだろう。
人間考えることは同じか...まあうちの場合は井坂家と相澤家の懇親会の面が大きそうだが。
「伊織くん。席が無いそうだから大人と子供で分かれて座らないかい?」
「あ、はい....はい!?」
「それではご案内致します。」
しまった...から返事するんじゃなかった。
もう時既に遅く母さんと相澤の両親は店の真ん中当たりにぽっかりと空いているテーブル席に。
俺達は出入り口近くの窓際テーブル席に案内され、俺と衣音は隣同士に座り、対面席に相澤が腰を下ろした。
「お兄ちゃん、メニュー取って?」
「はいよ。」
席の奥まった場所に立て掛けてあるメニュー表を開きテーブルの中央に置き、皆で覗き込む。
するとタイミング良く店員がやってきて三人分の水とおしぼりを各々の目の前に置いていく。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「んー、私はー...カルボナーラでお願いします!!」
「私はピラフとオニオンスープ。それとカルパッチョを。」
意外と食べるんだな、相澤は。
もう一年ぐらいになるがそんな事も知らない自分に付き合うかどうかの前に自分のその人間性はどうかと思う。
「じゃあ俺は、ハンバーグカレーで。あと水を追加で。ジョッキとかで貰えますか?」
「はい、構いませんよ。では確認させて頂きます。」
飲食店で良く見るタッチパネル式の機械をピッピッと操作しながら注文を繰り返した。
それに対して俺が代表し、はいと答えると「では少しの間お待ちください。」と告げるとそそくさと厨房の方へと去っていった。
「ほんとお兄ちゃんって普通だよねー。」
「何がだよ?」
「ハンバーグカレーとかいつでも食べれるじゃん。こんな時ぐらいさあ、おしゃれなの食べたら?」
「あ?喧嘩売っとんのか?」
カルボナーラなんて今や冷凍食品でもチンすれば食べられるのを注文する奴に言われたくない。
カレーとハンバーグの合わせ技だぞ?男の子なら誰もが喜ぶメニューだろうが。
作ってくれている厨房の方々に謝れ。
「まあまあ、私は好きよ?ハンバーグカレー。唐揚げも豚カツも餃子も。とても美味しいわよね。」
...俺の好物ばっかりなんだけど。
偶然か?いや、偶然合う筈がない。
こいつは一体どれだけ俺の情報を入手しているんだろうか。
もうただ純粋に怖いんですけど!!
「へー、奇遇ですねー。兄さんも好きなんですよ、それ。」
「ふふ、そうなのね。」
多分奇遇どころでは無いぞ、妹よ。
「お兄ちゃんがそういうの食べてるとジャンクフード感ありますけど、相澤先輩が食べてるところ想像すると何だか高級な料理っぽく感じますね!!」
「お、お前な...もうちょい兄に優しくしても...」
「何で相澤先輩と同列とか思ってんの?お兄ちゃんきもっ。」
世の中の妹萌えとかいう幻想を夢見ている奴らにこいつを見せてやりたい。
アニメや漫画にあるような妹は居ない。
実在するのは日常的にキモイだのウザイだの死ねだの言ってくる利己的で自己中な目の上のたんこぶでしかない存在なのだ。
たまに甘えてきたと思っても油断してはならない。
大体何か欲しい時がある場合でしかない。
こういう物言いにはいい加減慣れてきてはいるが腹立つことは腹立つ。
「なんでこんなのが良いんですか?もっと良い男居ますよ?...ほら、あのテニス部の部長さんとか。」
顔か?性格どうこう言ってるのを聞くがやはり顔なのか?
ふつふつとイケメン野郎への怒りを滾らせていると「男は顔じゃないわよ?私からしたら伊織くんの方が格好良いと思うけれど。」と相澤が語った。
「相澤...ん?」
その言葉に初めて少しだけ心を動かされる。
だが俺へのアプローチである事をその怪しい微笑みで気付きプラマイゼロ...ではなくマイナスに戻った。
しかしふと疑問に思う。というよりも今まで疑問に思わないのもどうかと思うのだが。
「なあ、相澤。何で俺の事が好きなの?」
「覚えてないの?...ほら、2年前のクリスマスの時に...」
「.....あぁ?....クリスマス........あっ!!もしかしてあの時の!!」
「思い出した?」
なんて事だ...あれがそうなら完璧に自分のせいで今こうなってるのだとようやく理解できた。
遡ること今から約2年前。
当時中学一年生になって初めてのクリスマス当日の時の出来事だ。
妹へのクリスマスプレゼントを用意し忘れていたせいで、衣音にせがまれて母さんと共に街に繰り出した。
だが買ったは良いものの二人してふらふらと何処かに行ってしまったようなので、動かずにベンチに腰を下ろし街を覆うイルミネーションを眺めていると女の子の怯えた声と男共のチャラいイラつく声が聞こえてきた。
どうやらナンパだったらしいのだが余りにしつこく女の子は怯えきって震えていたのだがナンパ男共は逆に詰め寄り始めた。
「可哀想に...まあ誰か助けてくれるだろ...」
と俺は携帯のゲームアプリを開こうとしたのだが大人達は関わりたくないのか誰も助けようとしない。
その様子にゲームをする気が失せていると女の子の叫び声が耳に入り、そこを見ると。
「や、止めてください!離して!!だ、誰か助けてっ!!」
腕を掴まれ無理矢理暗がりに連れ込もうとしていたのを見てしまった。
「誰も助けに来ねえって。ほらこっち来いよ。」
「お兄さん達が可愛がってやるからよ!!」
「ひっ!!い、いや!!誰か助けて!!誰か!!」
だがそれでも誰も助けようとしないのに業を煮やし俺は立ち上がりその子の腕を握っていた男の手首をひねり。
「いっ!!いででででっ!!てめえ、なにしや...!」
思いっきり蹴っ飛ばした。
俺は女の子の前に壁になるように立ち塞がると。
「この野郎!!よくもやりやがったな!!」
「どこ中だ!!おらぁっ!!」
残る二人が殴り掛かってくる。
しおん
だが父至恩が行方不明になってからというもの母さんと妹を守るため鍛えてきた身体と技のお陰で不良二人を一瞬で滅多打ちにすることが出来た。
「大丈夫か?怪我は?」
「は、はい!!あの...大丈夫...です。」
女の子に振り向くと彼女は半泣き状態で今にも泣き出しそうになっていたが、次第に目を丸くさせていった。
「う、後ろ!!危ない!!」
「舐めてんじゃねえぞ!!ガキがっ!!」
「どっちがガキだよ!!年下にナイフなんか使ってんじゃねえよ!!」
女の子の視線の先に顔を向けると最初に蹴り飛ばした高校生だと思われる男がナイフを懐から取り出し襲いかかるが。
「はっ!!」
「がっ!?」
突き出されたナイフをもっていた右手首を掴み捻り上げ、顔面に一発拳をお見舞いする。
鼻血が宙を舞いビビった男はナイフを持つ手を緩め、落ちるそれを左手でキャッチし、男を引き寄せナイフの刃を首もとにピタリとつける。
「これ以上俺とこの子に関わるな。次は腕の一つは貰うぞ。」
と、耳元でボソッと低音で囁くとびちゃびちゃと足元で音がしたと思ったら男は腰が抜けたのか尻餅をついた。
地面には茶色い液体が水溜まりのようになっており、匂いからしてどうも恐怖の余り漏らしたらしい。
「ひいいっ!!す、すいませんでしたーーっ!!」
「「うわあああっ!!」」
そして情けなく涙を流しながら逃げていった。
「ふう....疲れた...」
「あ、あの!!ありがとうございます!!」
「いいよ。もう気を付けなよ?君みたいな可愛い子が一人で居ると危ないから。」
「はははは、はい...」
恥ずかしさからか顔を紅潮させた彼女の様子を見ているといきなり携帯から音が鳴り響いた。
尻ポケットにいれてある携帯を取り出し通話ボタンを押すと。
『お兄ちゃーん。もう少し遅くなりそうだからレストラン先行っててー。』
妹の衣音からの電話だったらしい。
「レストランってどこの?俺知らないんだけど。」
『ほら、あそこの角のさー。』
「ああ、あそこか。分かった。先行ってるぞ。席取っとけばいいか?」
『うん!!よろ!!』
それを最後にガチャっと音がなりツーツーツーと同じ音が繰り返した。
どうやら通話を切られたらしく画面にも切断されましたと出ている。
「はあ...女の子ってのは買い物が長いな...ったく。」
ポケットに再度携帯をしまいながら彼女に話しかけるが。
「なあ悪いけどこれから...」
「可愛い...可愛いって言われたわ。きゃあああっ!!」
その子は一人身悶えていた。
仕方なく顔を近づけ「おーい!!ちょっといいか!?」と大きめの声を出すと「きゃああっ!」と叫び声を上げた。
肩を上下させている女の子に呆れながらも用事があるからもう行く旨を伝えレストランに歩みを進めることにした。
だがふと気になり後ろに振り向くとまだ同じ場所で立ち尽くしていたので。
「あんたさっき俺何て言った!?早く帰れっつったよな!!」
「う、うん!!あの...お名前だけでも教えて貰えませんか?....」
「はあ...?...伊織だ。井坂伊織。それじゃあな。はよ帰れよ?また襲われても今度は助けてやれないからな?」
「うん...ばいばい。伊織くん。」
「ああ、じゃあな。」
彼女は可愛らしく手を降り俺は歩きながら振り向かずに手を降りその場を去った。
ーー今思い返すと俺の行動って助けられた女の子からしたら白馬の王子様みたいに映るんじゃ...
これってあれか?俺の過失...というか自業自得的な...マジかよ...
「そこで颯爽と去る彼を見て...違うわね...助けてくれた後ろ姿を一目見て恋に落ちたのよ!!」
「ひゃああああっ!!お兄ちゃんきざったらしいーーっ!!でも昔からお兄ちゃん喧嘩強かったんですね?」
「そうよ?もうあんな不良なんか目じゃなかったもの。」
どうやらあちらも俺の昔話に花を咲かせガールズトークを繰り広げていたらしく、タイミング良く話が終わりかけていた。
それにしてもだ...自分の話を誰かが話していると無性に恥ずかしいんですけど。
勘弁してっ!!
「お兄ちゃんやるじゃん。これはますます嫁に貰うしかないね!!」
お前はなにを言ってるんだ?その口にガムテープ張るぞ?
「よろしくお願いね。旦那様。」
ほらね!!本気にしちゃった!!
「昔は昔、今は今だろ?断固拒否する。」
俺の回答に二人して、えーっ!と声を上げるが無視して水を一口含んでいると店員さんが一人こちらにお盆を両手に掲げ、歩いてきていた。
「お待たせ致しました。こちらハンバーグカレーです。そしてこちらがカルボナーラとなります。それと...あれ、何かしら?」
料理を一皿づつ丁寧にテーブルに置いていた最中、店員のお姉さんがふとガラスの向こう側に映る橋を見ながら何やらキョトンとしている。
俺だけでなく、相澤と衣音も外に視線を合わせる。
そこには驚く光景が広がっていた。
見覚えのある女の子が靴と靴下を脱ぎ捨て橋の柵を乗り越えようとしていたのだ。
「おいおいおい。何やってんだあれ...!?ちょっ!!嘘だろっ!!」
「げっ!!飛び降りちゃった!!」
「自殺...かしら...」
確かに昨日の大雨で増水してるし、川の流れもすこぶる早い...自殺するには持って来いだが落ち着いて座っている場合ではないとガタッと立ち上がる。
「どけ!衣音!!」
「お、お兄ちゃん!?お兄ちゃん!!」
「ちょっくら行ってくるわ!!あっ!!良かったらそれ食っといてくれ!!」
「伊織くん!!待ちなさい!!危ないわよっ!!」
二人の制止を振り切りファミレスから飛び出し、すぐ近くにある橋に集まった集団に近寄ると皆一様に青い顔をしながら見下ろしていた。
こういう時に大人ってのはどうして直ぐに動かないんだよ。
「退いてくれっ!!退けっての!!」
人混みを掻き分けようやく橋の手すりに手をつけれると直ぐ様下を覗き込んだ。
女の子は何とか泳いでいるものの何かを抱えているせいか中々陸に上がれないように見える。
「何してんだ?」
「ああ。ウサギが段ボールの中に居て流されててな。それであの子が助けに...」
目を凝らして見てみると確かに白色の小さいのが段ボール箱の隙間から見え隠れしている。
だが問題はウサギではない。女の子の様子が明らかにおかしい。
いくらなんでも進みが遅すぎるし、何よりもどうして方向転換せずに横移動するように泳いでいるんだ?
古式泳法の一種か?だがそんな泳ぎ方するよりも段ボールをビート板代わりにした方が泳ぎやすい筈だ。
そもそも知識があってもわざわざ使わんだろうと考えを巡らせていると不意に嫌な予感に首をもたげた。
そこでハッとする。まさか足、怪我をしたのか?
すると示しあわせたようにドポンと女の子が沈んでしまった。
だが何とか段ボールに手を掛けているのを目にし今なら間に合うと急いで服を下着以外脱ぎ捨てる。
「お、おい!君何をしているんだ!!」
「救急車を呼んで!!多分あの子溺れてる!!」
俺は柵を乗り越え。
「ま、待ちなさい!!」
と声が背後から聞こえたがすかさず荒々しい川に飛び込んだ。
身体が3月のまだ冷たい水に悲鳴を上げる。
濁っているせいで視界が悪いが何とか女の子の近くに寄ることに成功するとどうやら水を飲み過ぎたのか気を失っている。
流石の俺もこの水温に激しい水流で体力が奪われていく。
だが最後の力を振り絞り彼女とウサギ入り段ボールを抱え増水したお陰でよじ登る必要もなくなった普段なら少し高い河川敷に一人と一匹を押し上げることに成功し、俺も命からがら這い上がることが出来た。
「はあ....はあ....げほっげほっ!!...あ~...くそっ!きっついな...おい...あんた生きて...」
未だ目を閉じたままの受験番号を一緒に探した少女が目を覚まさないのに嫌な予感がし這いつくばりながらも駆け寄る。
「マジかよ!!ああっ!!くそっ!!」
口元に耳を近づけると嫌な予感は的中していた。
呼吸をしていなかったのだ。
「こういう時はどうすれば...」
橋の上や歩道を見渡すが野次馬が見ているだけで誰一人として助けようとはしない。
ふとそこで2年生の時にならった人工呼吸を思い出したが躊躇われた。
いくら助けるためとはいえ異性がやっていいものだろうか?
思春期特有の意味の無い自問自答を繰り返していると女の子の姿が目に映る。
バカか、俺は。今目の前で死にかけているのに何を戸惑っているんだ。
俺は意を決して彼女の顎をくいっと上に向かせ気道を確保し唇に唇を被せた。
そして息を吹き込み、唇から離れ胸に両手を置き三回押し込む。
「どうだ!?...ダメか!!ならもう一度!!」
「お兄ちゃん!!どうしたの、その人!?」
「溺れたんだ!!人工呼吸してるから救急車呼んでくれ!!」
ファミレスの店内から遅まきながら駆け付けてきた衣音に指示する。
「えと...えと...」
「早く!!」
もたもたしている妹に苛立ち一言発し三度目の人工呼吸をする。
彼女の身体が揺れる程心臓マッサージをしている最中妙な視線に気付き、手を止めずに振り向くと相澤が俺...ではなく助けようとしている女の子を冷たい目で射抜いていた。
その近くで野次馬の一人から携帯を奪った衣音が電話をしている時だった。
「げほっ!げほっ!」
「お、おい!!大丈夫か!?」
「...う...ん...へへ...君が助けて...くれたの....?....兎ちゃんは...?」
自分が死にかけているのに動物の生死を気に掛けているなんてどうかしていると思いつつ、手元にある段ボールを開けるとバッと白い物体が飛び出してきた。
そいつが俺の胸元に飛び込むなり。
「いってーーっ!!こ、こいつ何しやがるんだ!!」
赤い目をした長耳のド畜生が俺の乳首を噛みやがった。
無理矢理引き剥がそうとしたら逃げるように俺の登頂部に登り勝手に鎮座した。
「...ぷっ!...ははっ!よかった...ホントに...ねえ...君の名前今度こそ教えてくれるかな...?」
「あ、ああ。俺は井坂。井坂伊織だ。あんたは?」
「私は...緒川楓...楓でいいよ。伊織くん...ごめん。ちょっと眠るよ...もう...結構きつくて...」
彼女はそう力無く告げるなり静かに寝息をたて始めた。
すると丁度良く救急車のサイレンがけたたましく辺り一帯に鳴り響いた。
バタバタと足音が幾つも背後に近づくと押し退けられ。
「退いてください!!...呼吸はしてます。...ええ、今すぐ搬入しますのでベッドの方をよろしくお願いします。...君!君が応急処置を?」
「は、はい。ダメでしたか?」
「いや、助かった。後少し遅かったら手遅れだったろう。...君はこの子の知り合いかな?」
「いえ、今日初めて会った人で...」
他の隊員がタンカに彼女を乗せるのを確認しながら少し考えている素振りを見せていると「後はこちらで受け持ちます。一応電話番号と名前をこの書類に」と言われ、渡されたボールペンで書いていく。
それを渡すとガチャっと音を立てながら二人がかりで彼女をタンカで運び始め。
「ありがとうございました。何かありましたら電話しますので。...よし!!行くぞ!!」
そう言い残し救急車に乗り込み、またしてもサイレンを鳴らし病院方面へと姿を眩ましていった。
それを見送っていた俺は疲れがどっと出たのか地面に腰を下ろした。
「はあ...はは...意外と何とかなるもんだな...」
「お兄ちゃーーん!!もーーっ!!心配したんだからね!!あんまり無理しないでよっ!!」
衣音が怒りながら抱きついてきた。
最初こそぷりぷりと怒っていたが次第にその声がかすれ、ついには泣き出してしまった。
「お疲れ様。...大変だったわね。」
「ああ...なあ何でさっき...」
衣音に続いて来ていた相澤の顔を見上げながら先程の目付きの件を聞こうと思ったのだが、あの時感じた恐怖と不気味悪さに嫌悪感を感じそれ以上言えなかった。
「いや、何でもない。」
「そう...ところでそれ何?」
「え?ああ、こいつか。なにって...ウサギだろ、どう見ても。それにしてもどうしたもんかな...」
未だ大人しく頭上で鎮座するそいつを肌で感じながら悩んでいるとガバッと胸に埋めていた頭を衣音が離すと「飼うの?飼いたい!!名前いるよね!!...うーん...兎だから....ラビとかどう?」といきなりそんな事言い出した。
飼うのかよ...とは思うものの助けてしまったのだから最後まで面倒見るべきだろうとラビ(仮)の頭を撫でていたらようやくやって来た母さんを見上げ。
「伊織!!大丈夫なの!?...あら...その子は?」
「母さんこいつ飼ってもいいかな?」
頭に乗っている兎をむんずと掴みずいっと前に突き出す。
「....ちゃんと自分でお世話するのよ?名前は決めたの?」
「ありがとう!!母さん!!そうだな...こいつの名前は...」
「ラビだよ!!」
「却下。」
なんかその名前だけは付けたくなく頭を再度悩ませる。
ふと頭に電球が浮かぶかのように名前が思い浮かんだ。
「...クローリク...いや、クローリクス...」
ロシア語でウサギという意味の名を付け太陽が背になるように高く掲げ。
「これからよろしくな。クー。」
表情は分からなかったが何だか嬉しそうにしている様に感じ俺の顔もいつしか綻んでいた。
「ところでさ、お兄ちゃん。あの助けた女の人、グラビアアイドルの緒川楓?」
「だろうな。顔もそっくりだし。....何だよ、その目は?」
「べっつにー?たださあ、お兄ちゃんも男だったんだなあって。あ~あ~、相澤先輩可哀想~。」
「なっ!?それどういう意味だよっ!!待てって、おい!!衣音!!俺はそういうつもりで助けたんじゃ!!聞けっての!!」
衣音の誤解を解こうと粘るが一向に聞こうとせず、諦めかけ相澤に助けを求めようとしたのだが、彼女が未だに冷たいオーラを纏っているのを感じとり近くに寄るのすら躊躇われた。
「大人三人、子供三人です。」
「申し訳ありませんが只今込み合っておりまして...離れて座って頂けるなら...」
店内を見渡すと確かに人でごった返している。
スーツ姿の人や見覚えの無い学ランや制服を着た少年少女の姿から察するに俺達と同じくお祝いか記念に...という感じだろう。
人間考えることは同じか...まあうちの場合は井坂家と相澤家の懇親会の面が大きそうだが。
「伊織くん。席が無いそうだから大人と子供で分かれて座らないかい?」
「あ、はい....はい!?」
「それではご案内致します。」
しまった...から返事するんじゃなかった。
もう時既に遅く母さんと相澤の両親は店の真ん中当たりにぽっかりと空いているテーブル席に。
俺達は出入り口近くの窓際テーブル席に案内され、俺と衣音は隣同士に座り、対面席に相澤が腰を下ろした。
「お兄ちゃん、メニュー取って?」
「はいよ。」
席の奥まった場所に立て掛けてあるメニュー表を開きテーブルの中央に置き、皆で覗き込む。
するとタイミング良く店員がやってきて三人分の水とおしぼりを各々の目の前に置いていく。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「んー、私はー...カルボナーラでお願いします!!」
「私はピラフとオニオンスープ。それとカルパッチョを。」
意外と食べるんだな、相澤は。
もう一年ぐらいになるがそんな事も知らない自分に付き合うかどうかの前に自分のその人間性はどうかと思う。
「じゃあ俺は、ハンバーグカレーで。あと水を追加で。ジョッキとかで貰えますか?」
「はい、構いませんよ。では確認させて頂きます。」
飲食店で良く見るタッチパネル式の機械をピッピッと操作しながら注文を繰り返した。
それに対して俺が代表し、はいと答えると「では少しの間お待ちください。」と告げるとそそくさと厨房の方へと去っていった。
「ほんとお兄ちゃんって普通だよねー。」
「何がだよ?」
「ハンバーグカレーとかいつでも食べれるじゃん。こんな時ぐらいさあ、おしゃれなの食べたら?」
「あ?喧嘩売っとんのか?」
カルボナーラなんて今や冷凍食品でもチンすれば食べられるのを注文する奴に言われたくない。
カレーとハンバーグの合わせ技だぞ?男の子なら誰もが喜ぶメニューだろうが。
作ってくれている厨房の方々に謝れ。
「まあまあ、私は好きよ?ハンバーグカレー。唐揚げも豚カツも餃子も。とても美味しいわよね。」
...俺の好物ばっかりなんだけど。
偶然か?いや、偶然合う筈がない。
こいつは一体どれだけ俺の情報を入手しているんだろうか。
もうただ純粋に怖いんですけど!!
「へー、奇遇ですねー。兄さんも好きなんですよ、それ。」
「ふふ、そうなのね。」
多分奇遇どころでは無いぞ、妹よ。
「お兄ちゃんがそういうの食べてるとジャンクフード感ありますけど、相澤先輩が食べてるところ想像すると何だか高級な料理っぽく感じますね!!」
「お、お前な...もうちょい兄に優しくしても...」
「何で相澤先輩と同列とか思ってんの?お兄ちゃんきもっ。」
世の中の妹萌えとかいう幻想を夢見ている奴らにこいつを見せてやりたい。
アニメや漫画にあるような妹は居ない。
実在するのは日常的にキモイだのウザイだの死ねだの言ってくる利己的で自己中な目の上のたんこぶでしかない存在なのだ。
たまに甘えてきたと思っても油断してはならない。
大体何か欲しい時がある場合でしかない。
こういう物言いにはいい加減慣れてきてはいるが腹立つことは腹立つ。
「なんでこんなのが良いんですか?もっと良い男居ますよ?...ほら、あのテニス部の部長さんとか。」
顔か?性格どうこう言ってるのを聞くがやはり顔なのか?
ふつふつとイケメン野郎への怒りを滾らせていると「男は顔じゃないわよ?私からしたら伊織くんの方が格好良いと思うけれど。」と相澤が語った。
「相澤...ん?」
その言葉に初めて少しだけ心を動かされる。
だが俺へのアプローチである事をその怪しい微笑みで気付きプラマイゼロ...ではなくマイナスに戻った。
しかしふと疑問に思う。というよりも今まで疑問に思わないのもどうかと思うのだが。
「なあ、相澤。何で俺の事が好きなの?」
「覚えてないの?...ほら、2年前のクリスマスの時に...」
「.....あぁ?....クリスマス........あっ!!もしかしてあの時の!!」
「思い出した?」
なんて事だ...あれがそうなら完璧に自分のせいで今こうなってるのだとようやく理解できた。
遡ること今から約2年前。
当時中学一年生になって初めてのクリスマス当日の時の出来事だ。
妹へのクリスマスプレゼントを用意し忘れていたせいで、衣音にせがまれて母さんと共に街に繰り出した。
だが買ったは良いものの二人してふらふらと何処かに行ってしまったようなので、動かずにベンチに腰を下ろし街を覆うイルミネーションを眺めていると女の子の怯えた声と男共のチャラいイラつく声が聞こえてきた。
どうやらナンパだったらしいのだが余りにしつこく女の子は怯えきって震えていたのだがナンパ男共は逆に詰め寄り始めた。
「可哀想に...まあ誰か助けてくれるだろ...」
と俺は携帯のゲームアプリを開こうとしたのだが大人達は関わりたくないのか誰も助けようとしない。
その様子にゲームをする気が失せていると女の子の叫び声が耳に入り、そこを見ると。
「や、止めてください!離して!!だ、誰か助けてっ!!」
腕を掴まれ無理矢理暗がりに連れ込もうとしていたのを見てしまった。
「誰も助けに来ねえって。ほらこっち来いよ。」
「お兄さん達が可愛がってやるからよ!!」
「ひっ!!い、いや!!誰か助けて!!誰か!!」
だがそれでも誰も助けようとしないのに業を煮やし俺は立ち上がりその子の腕を握っていた男の手首をひねり。
「いっ!!いででででっ!!てめえ、なにしや...!」
思いっきり蹴っ飛ばした。
俺は女の子の前に壁になるように立ち塞がると。
「この野郎!!よくもやりやがったな!!」
「どこ中だ!!おらぁっ!!」
残る二人が殴り掛かってくる。
しおん
だが父至恩が行方不明になってからというもの母さんと妹を守るため鍛えてきた身体と技のお陰で不良二人を一瞬で滅多打ちにすることが出来た。
「大丈夫か?怪我は?」
「は、はい!!あの...大丈夫...です。」
女の子に振り向くと彼女は半泣き状態で今にも泣き出しそうになっていたが、次第に目を丸くさせていった。
「う、後ろ!!危ない!!」
「舐めてんじゃねえぞ!!ガキがっ!!」
「どっちがガキだよ!!年下にナイフなんか使ってんじゃねえよ!!」
女の子の視線の先に顔を向けると最初に蹴り飛ばした高校生だと思われる男がナイフを懐から取り出し襲いかかるが。
「はっ!!」
「がっ!?」
突き出されたナイフをもっていた右手首を掴み捻り上げ、顔面に一発拳をお見舞いする。
鼻血が宙を舞いビビった男はナイフを持つ手を緩め、落ちるそれを左手でキャッチし、男を引き寄せナイフの刃を首もとにピタリとつける。
「これ以上俺とこの子に関わるな。次は腕の一つは貰うぞ。」
と、耳元でボソッと低音で囁くとびちゃびちゃと足元で音がしたと思ったら男は腰が抜けたのか尻餅をついた。
地面には茶色い液体が水溜まりのようになっており、匂いからしてどうも恐怖の余り漏らしたらしい。
「ひいいっ!!す、すいませんでしたーーっ!!」
「「うわあああっ!!」」
そして情けなく涙を流しながら逃げていった。
「ふう....疲れた...」
「あ、あの!!ありがとうございます!!」
「いいよ。もう気を付けなよ?君みたいな可愛い子が一人で居ると危ないから。」
「はははは、はい...」
恥ずかしさからか顔を紅潮させた彼女の様子を見ているといきなり携帯から音が鳴り響いた。
尻ポケットにいれてある携帯を取り出し通話ボタンを押すと。
『お兄ちゃーん。もう少し遅くなりそうだからレストラン先行っててー。』
妹の衣音からの電話だったらしい。
「レストランってどこの?俺知らないんだけど。」
『ほら、あそこの角のさー。』
「ああ、あそこか。分かった。先行ってるぞ。席取っとけばいいか?」
『うん!!よろ!!』
それを最後にガチャっと音がなりツーツーツーと同じ音が繰り返した。
どうやら通話を切られたらしく画面にも切断されましたと出ている。
「はあ...女の子ってのは買い物が長いな...ったく。」
ポケットに再度携帯をしまいながら彼女に話しかけるが。
「なあ悪いけどこれから...」
「可愛い...可愛いって言われたわ。きゃあああっ!!」
その子は一人身悶えていた。
仕方なく顔を近づけ「おーい!!ちょっといいか!?」と大きめの声を出すと「きゃああっ!」と叫び声を上げた。
肩を上下させている女の子に呆れながらも用事があるからもう行く旨を伝えレストランに歩みを進めることにした。
だがふと気になり後ろに振り向くとまだ同じ場所で立ち尽くしていたので。
「あんたさっき俺何て言った!?早く帰れっつったよな!!」
「う、うん!!あの...お名前だけでも教えて貰えませんか?....」
「はあ...?...伊織だ。井坂伊織。それじゃあな。はよ帰れよ?また襲われても今度は助けてやれないからな?」
「うん...ばいばい。伊織くん。」
「ああ、じゃあな。」
彼女は可愛らしく手を降り俺は歩きながら振り向かずに手を降りその場を去った。
ーー今思い返すと俺の行動って助けられた女の子からしたら白馬の王子様みたいに映るんじゃ...
これってあれか?俺の過失...というか自業自得的な...マジかよ...
「そこで颯爽と去る彼を見て...違うわね...助けてくれた後ろ姿を一目見て恋に落ちたのよ!!」
「ひゃああああっ!!お兄ちゃんきざったらしいーーっ!!でも昔からお兄ちゃん喧嘩強かったんですね?」
「そうよ?もうあんな不良なんか目じゃなかったもの。」
どうやらあちらも俺の昔話に花を咲かせガールズトークを繰り広げていたらしく、タイミング良く話が終わりかけていた。
それにしてもだ...自分の話を誰かが話していると無性に恥ずかしいんですけど。
勘弁してっ!!
「お兄ちゃんやるじゃん。これはますます嫁に貰うしかないね!!」
お前はなにを言ってるんだ?その口にガムテープ張るぞ?
「よろしくお願いね。旦那様。」
ほらね!!本気にしちゃった!!
「昔は昔、今は今だろ?断固拒否する。」
俺の回答に二人して、えーっ!と声を上げるが無視して水を一口含んでいると店員さんが一人こちらにお盆を両手に掲げ、歩いてきていた。
「お待たせ致しました。こちらハンバーグカレーです。そしてこちらがカルボナーラとなります。それと...あれ、何かしら?」
料理を一皿づつ丁寧にテーブルに置いていた最中、店員のお姉さんがふとガラスの向こう側に映る橋を見ながら何やらキョトンとしている。
俺だけでなく、相澤と衣音も外に視線を合わせる。
そこには驚く光景が広がっていた。
見覚えのある女の子が靴と靴下を脱ぎ捨て橋の柵を乗り越えようとしていたのだ。
「おいおいおい。何やってんだあれ...!?ちょっ!!嘘だろっ!!」
「げっ!!飛び降りちゃった!!」
「自殺...かしら...」
確かに昨日の大雨で増水してるし、川の流れもすこぶる早い...自殺するには持って来いだが落ち着いて座っている場合ではないとガタッと立ち上がる。
「どけ!衣音!!」
「お、お兄ちゃん!?お兄ちゃん!!」
「ちょっくら行ってくるわ!!あっ!!良かったらそれ食っといてくれ!!」
「伊織くん!!待ちなさい!!危ないわよっ!!」
二人の制止を振り切りファミレスから飛び出し、すぐ近くにある橋に集まった集団に近寄ると皆一様に青い顔をしながら見下ろしていた。
こういう時に大人ってのはどうして直ぐに動かないんだよ。
「退いてくれっ!!退けっての!!」
人混みを掻き分けようやく橋の手すりに手をつけれると直ぐ様下を覗き込んだ。
女の子は何とか泳いでいるものの何かを抱えているせいか中々陸に上がれないように見える。
「何してんだ?」
「ああ。ウサギが段ボールの中に居て流されててな。それであの子が助けに...」
目を凝らして見てみると確かに白色の小さいのが段ボール箱の隙間から見え隠れしている。
だが問題はウサギではない。女の子の様子が明らかにおかしい。
いくらなんでも進みが遅すぎるし、何よりもどうして方向転換せずに横移動するように泳いでいるんだ?
古式泳法の一種か?だがそんな泳ぎ方するよりも段ボールをビート板代わりにした方が泳ぎやすい筈だ。
そもそも知識があってもわざわざ使わんだろうと考えを巡らせていると不意に嫌な予感に首をもたげた。
そこでハッとする。まさか足、怪我をしたのか?
すると示しあわせたようにドポンと女の子が沈んでしまった。
だが何とか段ボールに手を掛けているのを目にし今なら間に合うと急いで服を下着以外脱ぎ捨てる。
「お、おい!君何をしているんだ!!」
「救急車を呼んで!!多分あの子溺れてる!!」
俺は柵を乗り越え。
「ま、待ちなさい!!」
と声が背後から聞こえたがすかさず荒々しい川に飛び込んだ。
身体が3月のまだ冷たい水に悲鳴を上げる。
濁っているせいで視界が悪いが何とか女の子の近くに寄ることに成功するとどうやら水を飲み過ぎたのか気を失っている。
流石の俺もこの水温に激しい水流で体力が奪われていく。
だが最後の力を振り絞り彼女とウサギ入り段ボールを抱え増水したお陰でよじ登る必要もなくなった普段なら少し高い河川敷に一人と一匹を押し上げることに成功し、俺も命からがら這い上がることが出来た。
「はあ....はあ....げほっげほっ!!...あ~...くそっ!きっついな...おい...あんた生きて...」
未だ目を閉じたままの受験番号を一緒に探した少女が目を覚まさないのに嫌な予感がし這いつくばりながらも駆け寄る。
「マジかよ!!ああっ!!くそっ!!」
口元に耳を近づけると嫌な予感は的中していた。
呼吸をしていなかったのだ。
「こういう時はどうすれば...」
橋の上や歩道を見渡すが野次馬が見ているだけで誰一人として助けようとはしない。
ふとそこで2年生の時にならった人工呼吸を思い出したが躊躇われた。
いくら助けるためとはいえ異性がやっていいものだろうか?
思春期特有の意味の無い自問自答を繰り返していると女の子の姿が目に映る。
バカか、俺は。今目の前で死にかけているのに何を戸惑っているんだ。
俺は意を決して彼女の顎をくいっと上に向かせ気道を確保し唇に唇を被せた。
そして息を吹き込み、唇から離れ胸に両手を置き三回押し込む。
「どうだ!?...ダメか!!ならもう一度!!」
「お兄ちゃん!!どうしたの、その人!?」
「溺れたんだ!!人工呼吸してるから救急車呼んでくれ!!」
ファミレスの店内から遅まきながら駆け付けてきた衣音に指示する。
「えと...えと...」
「早く!!」
もたもたしている妹に苛立ち一言発し三度目の人工呼吸をする。
彼女の身体が揺れる程心臓マッサージをしている最中妙な視線に気付き、手を止めずに振り向くと相澤が俺...ではなく助けようとしている女の子を冷たい目で射抜いていた。
その近くで野次馬の一人から携帯を奪った衣音が電話をしている時だった。
「げほっ!げほっ!」
「お、おい!!大丈夫か!?」
「...う...ん...へへ...君が助けて...くれたの....?....兎ちゃんは...?」
自分が死にかけているのに動物の生死を気に掛けているなんてどうかしていると思いつつ、手元にある段ボールを開けるとバッと白い物体が飛び出してきた。
そいつが俺の胸元に飛び込むなり。
「いってーーっ!!こ、こいつ何しやがるんだ!!」
赤い目をした長耳のド畜生が俺の乳首を噛みやがった。
無理矢理引き剥がそうとしたら逃げるように俺の登頂部に登り勝手に鎮座した。
「...ぷっ!...ははっ!よかった...ホントに...ねえ...君の名前今度こそ教えてくれるかな...?」
「あ、ああ。俺は井坂。井坂伊織だ。あんたは?」
「私は...緒川楓...楓でいいよ。伊織くん...ごめん。ちょっと眠るよ...もう...結構きつくて...」
彼女はそう力無く告げるなり静かに寝息をたて始めた。
すると丁度良く救急車のサイレンがけたたましく辺り一帯に鳴り響いた。
バタバタと足音が幾つも背後に近づくと押し退けられ。
「退いてください!!...呼吸はしてます。...ええ、今すぐ搬入しますのでベッドの方をよろしくお願いします。...君!君が応急処置を?」
「は、はい。ダメでしたか?」
「いや、助かった。後少し遅かったら手遅れだったろう。...君はこの子の知り合いかな?」
「いえ、今日初めて会った人で...」
他の隊員がタンカに彼女を乗せるのを確認しながら少し考えている素振りを見せていると「後はこちらで受け持ちます。一応電話番号と名前をこの書類に」と言われ、渡されたボールペンで書いていく。
それを渡すとガチャっと音を立てながら二人がかりで彼女をタンカで運び始め。
「ありがとうございました。何かありましたら電話しますので。...よし!!行くぞ!!」
そう言い残し救急車に乗り込み、またしてもサイレンを鳴らし病院方面へと姿を眩ましていった。
それを見送っていた俺は疲れがどっと出たのか地面に腰を下ろした。
「はあ...はは...意外と何とかなるもんだな...」
「お兄ちゃーーん!!もーーっ!!心配したんだからね!!あんまり無理しないでよっ!!」
衣音が怒りながら抱きついてきた。
最初こそぷりぷりと怒っていたが次第にその声がかすれ、ついには泣き出してしまった。
「お疲れ様。...大変だったわね。」
「ああ...なあ何でさっき...」
衣音に続いて来ていた相澤の顔を見上げながら先程の目付きの件を聞こうと思ったのだが、あの時感じた恐怖と不気味悪さに嫌悪感を感じそれ以上言えなかった。
「いや、何でもない。」
「そう...ところでそれ何?」
「え?ああ、こいつか。なにって...ウサギだろ、どう見ても。それにしてもどうしたもんかな...」
未だ大人しく頭上で鎮座するそいつを肌で感じながら悩んでいるとガバッと胸に埋めていた頭を衣音が離すと「飼うの?飼いたい!!名前いるよね!!...うーん...兎だから....ラビとかどう?」といきなりそんな事言い出した。
飼うのかよ...とは思うものの助けてしまったのだから最後まで面倒見るべきだろうとラビ(仮)の頭を撫でていたらようやくやって来た母さんを見上げ。
「伊織!!大丈夫なの!?...あら...その子は?」
「母さんこいつ飼ってもいいかな?」
頭に乗っている兎をむんずと掴みずいっと前に突き出す。
「....ちゃんと自分でお世話するのよ?名前は決めたの?」
「ありがとう!!母さん!!そうだな...こいつの名前は...」
「ラビだよ!!」
「却下。」
なんかその名前だけは付けたくなく頭を再度悩ませる。
ふと頭に電球が浮かぶかのように名前が思い浮かんだ。
「...クローリク...いや、クローリクス...」
ロシア語でウサギという意味の名を付け太陽が背になるように高く掲げ。
「これからよろしくな。クー。」
表情は分からなかったが何だか嬉しそうにしている様に感じ俺の顔もいつしか綻んでいた。
「ところでさ、お兄ちゃん。あの助けた女の人、グラビアアイドルの緒川楓?」
「だろうな。顔もそっくりだし。....何だよ、その目は?」
「べっつにー?たださあ、お兄ちゃんも男だったんだなあって。あ~あ~、相澤先輩可哀想~。」
「なっ!?それどういう意味だよっ!!待てって、おい!!衣音!!俺はそういうつもりで助けたんじゃ!!聞けっての!!」
衣音の誤解を解こうと粘るが一向に聞こうとせず、諦めかけ相澤に助けを求めようとしたのだが、彼女が未だに冷たいオーラを纏っているのを感じとり近くに寄るのすら躊躇われた。
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