エクスクラメーション

桜綾つかさ

第1章 Scalar 第7話 友達④

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 -五月十九日- 木曜日 十二時四十分~



「それで?何しに来たのよ」

 リクライニングチェアに座って、こちらには目もくれず気だるげな声でたずねてくるあんず

「何しにって、別にあなたに用はないわ」

 その態度にイラッとしたのでついムキになって言い返してしまう。

「じゃぁ帰りなさい。先生も暇じゃないの」

 片手をしっしっと振って帰れというジェスチャーをされる。
 何よその態度は。本当に気に入らないわね…と言いたいところだけれど、お願いする立場だから我慢しないといけないわよね。気に入らないけれど。
 感情的になってしまった自分を悔やみながらも恥を忍んで軌道修正に掛かることにした。

「っ……。養護教諭としてのあなたに用は無いけど、使用人としてのあなたには、その…頼みたいことがあるの」

「…ふーん。いくら?」

 至極しごく当然かのようにぜにを要求される。

「いやいくらって、あなた雇われてる身でしょう?払わないわよ」

「別にアナタには雇われてないわよ?さとりちゃん」

 ああ言えばこう言うとは正にこのことね。本当に。

──もう軽口は良いから。本題に入らせてもらうわ。

武田たけだ君に女装の件で探りを入れたかったんだけれど、ちょっと色々な邪魔が入って思うように動けてないの。だからお邪魔虫排除のために情報を集めて欲しいのよ」

「ふーん、お邪魔虫ねぇ」彼女はそこでやっとチェアを回転させてこちらを向いた。

「そう。一年二組の久田ひさだかけると三年一組のもさ男、じゃなくて風見かざみ隼彦はやひこ。この二人に関する情報を収集して。なるべくなら弱みになるような」

「はぁ、相変わらずね」杏は嘆息するとやれやれと言った具合に首を振った。

「何よ……。良いじゃない、その方が手っ取り早いんだから。それにこういうやり方はあなたの教えでしょう」

「……まぁそれもそうね」

 思いのほかあっさり引いたことに逆に驚いてしまう。クドクドと小言を言われると思っていた分、拍子ひょうし抜けも良いところだった。
 まぁ無駄に論争を繰り広げないで済むならそれに越したことは無いけれど。

「じゃあよろしくね」

 残りの時間はトイレにでもこもっていようかしら、なんて考えながらきびすを返す。

──あーちょっと待ちなさい。

「久田翔については少しだけ情報があるわ」

 杏の言葉に私は振り返る。目だけ合わせて話の先をうながした。

「彼、バドミントンの特待生としてこの学校に入ってきてるんだけど、そのバドミントンを辞めたいと思っているのよ」

「どうして?」

「さぁねぇ。それは本人に聞いてちょうだい」

「ちょっと冗談は良いから」

 この人は肝心なところで話をはぐらかす。それが意図してやっているのだからたちが悪い。それに回りくどいのはあまり好きじゃないのよね、私。

「冗談も何も本当に知らないのよ」

 彼女はマグカップに入った冷えているであろうコーヒーをすする。

「はぁ?どういうことよ。どうしてかっていう理由が一番重要じゃない」

「だから彼に直接聞きなさい」

「なるべく遠ざけるためにあなたにこうして頼んでいるのに、なんで距離を縮めるようなことしなきゃいけないのよ。矛盾してるわ」

 本当、冗談も大概にして欲しいわ。一刻も早く武田君との関係を進展させたいのに、どうして久田君との関係も築いていかなきゃいけないのかしら。

「そうかしら?悟ちゃん少し勘違いしてるようだから教えて上げるけど。何でも一つの目的に突っ走ることだけが達成するための手段じゃないのよ。特に、アナタは周りが見えなくなりやすいから」

「別に見えてない訳じゃないわ。無駄だからえて無視してるの」

「無駄にしてるのはアナタよ」

 あーなるほど。
 私を苛立たせるような言動の数々…まぁこれはいつもだけれど、中途半端な報告、煙に巻く態度……。私は杏の話し振りからとある疑念に思い至った。

「……まさか私に説教するためにわざと言葉をにごした訳じゃないわよね?」

「さぁどうかしら?」

 暖簾のれんに腕押しとは良く言ったものだわ。私は溜息ためいきを吐いた。

「……もういいわ。他には?」

 杏は首を横に振る。
 時計を見ると十二時五十分を指していた。そろそろ戻らないといけないわね。保健室から出ようとした時「ねぇ」と彼女に呼び止められる。
 何かを思い出したのかと思い、再び振り返ると彼女は「はい」と言って右手を差し出してきた。

「だから払わないってば」



     ※      ※     ※



 -同日- 十三時四十分~



「数列の収束とは、数列αnにおいて、nを限りなく大きくする時、第n項αnが一定の値αに限りなく近づくならば数列αnはαに収束するという。またこのことを────」

 教師が数式を板書していく。私はそれを欠伸あくびしきりにこらえながらノートに書き写していく。
 収束ねぇ…今山積しているこの悩みも早く解決へと収束して欲しいものだわ。
 なんて午後一からの数学という催眠術にあらがうために適当なことを考えてみる。っていうかまだチャイム鳴らないのかしら。もう時計の針は終了時刻をとっくに過ぎていた。

────キーンコーンカーンコーン

 日直が終わりの挨拶をする。それが終わると私は間髪入れずにスタートダッシュを切って教室を出た。一階のトイレにでも行こうかしら。そんなことを考えながら廊下に出ると「玉置さーん」と呼び止められる。
 無視したい、聞こえないフリして逃げたいけれど、皆の目があるからそれはできない…。私は観念すると振り返った。

「やっと捕まった。何度か教室にも行ったんだけど全然いなくてさ」

 避けられてるとは微塵みじんも思っていない久田君が屈託くったく無い笑顔を向けてくる。

「ごめんなさい。色々と忙しくて」

「大変だなー玉置たまきさんも。それはそうと、言ってたLINEの交換なんだけどさ」

「本当にごめんなさいっ。今そのお腹が……」私は恥じらいながら自分の腹部に両手を当てる。

「あ、あぁ。ごめんごめん!どぞどぞ、ごゆっくりトイレに行っトイレなんつって」

「あ、あははは」

「ちょっと待って、マジヤバみッ、俺完全にスベってるわぁ」とかなんとか言って一人ではしゃいでる久田君を冷え切った笑顔で私は見守る。

「あ、五、六時限目うちのクラス移動教室だからまた放課後にでも。それじゃ」

 勝手に約束をこぎつけられ颯爽さっそうと走り去っていく彼の後ろ姿を私はただただ見つめる。
 あぁ、今日って厄日やくびなのかしら。本当に。



 -同日- 十五時五十分~



 帰りのホームルームが終わり、クモの子を散らすように教室から生徒たちが出ていく。それにまぎれるように私も教室を出て行った。

「ねぇ、さとりんさ。今日ずっとコソコソしてない?」

 隠れみのとして一緒に歩いていたクラスメイトの女子が話し掛けてくる。

「しーっ。お願いだから今だけは私に構わないでっ。お願いします」

「う、うん。わかった」

 私は腰を低くしてお願いする。これは形容とかじゃなく実際に腰を屈めていたりする。クラスメイトの女子は私の気迫きはくに圧倒されたのか、それ以上の追求はしてこない。お利口さんで助かるわ。

「本当にごめんなさいね」

 言いながら特別棟四階の風紀委員室に向かうため集団の列から離脱する。今日の見回り代わってもらって学校の外にでも避難しようかしら。
 既にここまでして逃げなくても良いんじゃないかしら、と思い始めている自分もいた。放課後なのだから人気のないところで素直に断れば済む話じゃないと。しかしここまで来たのなら最後まで逃げ通してやる、という謎の意地が湧いてきていたのも事実だった。
 まぁ一回捕まっちゃってるけれどね……。

 一年一組の教室の対角に位置する風紀委員室へと到着する。委員室に入ると先に来ていた風紀委員メンバーの三人が楽しそうに談笑していた。
 お昼休憩の時は雑然ざつぜんとしていた椅子や机たちが「口」の字になるように綺麗に整列させられていた。きっともさ男の仕業ね。

「玉置さんお疲れ~」

「おっつぅ~」

「皆さん、お疲れ様です」

 おっつぅ~のあとに月見バーガー買って来たよ、と続きそうな軽快な挨拶をする女の子は千種ちぐさ紫萌しもさん。今日の外周見回り担当である。
 私は早速見回り役交代の旨を伝えるべく適当な机の上に鞄を置いた。

「千種さん、ちょっと宜しいでしょうか?」

「はいはい?なんやろか」ニコニコと笑顔でこっちにやってくる。

「今日の外回りなんですけど、良ければ私に行かせて貰えませんか?」

「むむっ、逆に良いんですかい?姉御あねご

 何故なぜに姉御なのかしら。と疑問に思いつつも私はスルーしてうなずきを返す。ちなみみに私と千種さんは同い年である。確か一年三組だったかしら。

「あ!あーっ。分かったぞぉ。また何か改善案思いついたんでしょ?ズルいよさっちゃんばっかり。あたいを出し抜こうなんざ百億光年早いんだからね。あたいも同伴させてくれるなら代わって上げてもいいぞい」

 この子の頭の中はどうなっているのかしら。喜怒哀楽の目まぐるしい千種さんに後れを取ってしまう。
 まずそもそも「さっちゃん」って呼び方を辞めて欲しいのよね。なんか昭和感があるし。そして、力量の差をなんで年月で例えるのではなく距離で例えたのかしら。それに同伴って……二人で見回りするのは代わるとは言わないのだけれど。
 なんて全部に一々突っ込みを入れていたらキリがないので私は全ての言葉を呑み込んだ。

 あ、でも二人で行動していた方が仮に久田君に見つかっても気まずさに声を掛けてこれないかも知れないわね。私は少しだけ思案する。

「別に出し抜こうとかは思ってないですよ」

「あー!でも、「とかは」ってことはやっぱり改善案はあるんだっ」

「わ、分かりましたから。なら一緒に見回りに行きましょう?」

「うむ!なら良いぞい」

 よし、これで久田けバリア確保と。改善案のことなんて全く考えていなかったけれど、まぁストックは溜めてあるから何とかなるわよね。

「じゃぁ風見先輩が来たら、見回りに行きましょうか」



    ※     ※     ※



 -同日- 十六時十分~

「というわけで、私と千種さんで検討している改善案のために今回は二人で外回りしてきても宜しいでしょうか?」

 私はもさ男が到着してから少し落ち着いた頃合いを見計らって見回りの件を伝えた。

「あぁ、分かった」彼は眼鏡のズレを正した。

「じゃぁ早速行きましょうか千種さん」

「はいにゃー」とてとてと私の後ろに付いてくる。

 委員室を出て左に曲がり、並んで歩いていく。右側には整然としてはめ込まれた窓が廊下と並走している。窓からは向かいにある教室棟と中庭を見渡すことができた。
 中庭では白の道着を着た空手部か柔道部らしき集団が腕立て伏せをしている。
 良くやるわねぇ。まだ涼しいから良いけれど、夏場もあそこでやるのかしら…?だとしたら頭のネジ飛んでるわね。

「ねぇねぇ。さっちゃんっていつも良い女の香りがするけど、どこの香水使ってるん?」

 隣を歩いていた千種さんはそう言いながら、私の左腕に抱き着いてきて大袈裟に匂いを嗅ぎ始める。

「あははは、良い女の香りって……。なんかオジサン臭いですよ千種さん」

「よいではないか、よいではないか」と頬をスリスリとり寄せられる。

「もぅ、やめて下さい千種さん」

 こういう女の子同士のスキンシップは嫌いではないけれど、過度なスキンシップは女装がバレるんじゃないかしらと、きもを冷やすことが間々ままある。
 特に千種さんはコミカルなマスコットキャラの地位を確立しているので過剰な接触もジョークで済んでしまい、他の女子よりも殊更ことさらに近いから少し困ってしまう。

「そいでそいで?」

 そいで、って何かしら?と思いつつもニュアンスで何となく質問の答えを促されているのだろうなと予想できた。

「えっと、詳しくはおぼえていないんですけど。確かク〇エのだったと思います」

「ふむふむ、ク〇エと」言いながらスマホのメモアプリに打ち込んでいる。

「そんなメモを取るほどのものじゃないですよ」

「そんなことないよ?うち、さっちゃんみたいに可愛くなろぉ思っててな」

 へぇ。少し意外ね。
 彼女の少しべにを差した表情から素直な言葉であろうことがうかがえた。
 私の千種さんに対する評価は、お道化どけることで本来の自分を隠すタイプ。その場しのぎで誤魔化ごまかしていく人だと思っていただけに、こんなに臆面おくめんなく自分の心の内を明かせる人だとは思ってもみなかった。私は少しだけ彼女のことを見直してしまう。

「千種さんは今でも十分可愛いと思いますよ」

「そ、そんなことないって」

 恥ずかしがりながら私の腕から離れる。本気で恥じらうと素の言葉づかいに戻るところも中々に可愛かった。
 胸の内がキュンとして今すぐ抱き締めて上げたい衝動に駆られるけれど、学校ではそういうキャラじゃないから我慢しないといけないわ、と自分に言い聞かせつとめて冷静を装う。

 生徒玄関で靴を履き替え、正面広場へ出る。右側にある教室棟と駐車場との間にある道路から北出入口へと向かう。いつも外回りはここからスタートしているからだった。

「玉置さーーん」

 後方から今日何度目かの呼び声に思わず溜息が出てしまう。
 本当に、メンタルお化けってこういう人を言うのかも知れないわね。
 振り向くと久田君が手を振りながら駆け寄ってくる姿が目に映る。千種バリアの効果はなし。私は少しだけ肩をすくめた。
 でも凄い熱量よね。何度もプロポーズされて結婚してしまう女性の気持ちが少しだけ分かった気がするわ。たった一日でもこんなに疲れるんだから、何年何ヵ月なんて歳月をアタックされ続けたらそりゃ根負けするわよね。

「いやぁ良かった良かった。帰る前に見つけられて」

 そう言って屈託なく笑う彼は何かを勘違いしているみたいだった。

「帰る訳じゃなくて、風紀委員の仕事の一環でこれから外回りするところだったんです」

「あ、そうだったんだ。確かに鞄も何も持ってねぇもんな」あはは、と彼は笑った。

「んで、玉置さんそっちの子は?」

「えぇ。私と同じ風紀委員の──」

千種ちぐさって言います」

 彼女は両手を前で重ねて軽くお辞儀する。いつものコミカルマスコットキャラは鳴りをひそめているようだった。

「え?乳房ちぶさ?」

「「………」」

 この男は本当にロクでもないわね。

「ちょっと、久田君。セクハラですよ?それ」

「いやいやいや。違うって!マジでそう聞こえたんだって!いや普通にマジでごめん」

 彼はそう言って両手を合掌させて頭を下げた。肩に掛けていたスクールバックがズリ落ちるが彼の姿勢は微動びどうだにしない。
 聞き間違いでそう聞こえたとしても普通言わないわよね。普通なら。

「気にしないで下さい。千種って名字珍しいですもんね」

 千種さんが気をつかって彼の失態に対してのフォローをする。そんな気を遣うことないわよ、と内心思いながらも笑顔をやさずに別れを告げる好機を私は見逃さなかった。

「まぁ千種さんもこう言ってくれていますのでこれ以上は何も言いません。それでは私たちは外回りがあるのでこれで失礼しますね」

「あ、あ。ちょっと待って。これ俺の番号なんだけど」

 そう言って制服のポケットから一枚の紙切れを取り出して差し出される。

「普通に最初っからこうすれば良かったなぁって。マジ俺頭悪すぎだってな」

 私は思わず固まってしまう。笑顔は崩れてないかしら、と少し心配になる。
 いやいや、どう考えても可笑しいわ。絶対に可笑しいわよね?あの下品な流れから連絡先渡せるってどんな図太い神経してんのよ。それとも何、さっきまでの世界線とは別の世界線に来ちゃったの?私だけ。エル・プサ〇・コングルゥー…。孤独な観測者になんてなりたくないわよ私。
 どうやら私は想像の範疇はんちゅうを超える異常を前にすると軽いパニックを起こすようだった。
 ってこんなことで間を開けすぎるのは良くないわね。早く断らないと。


「あ、ありがたいんですけど──」

 断ろうとしたその時、先ほどまで隣であわわ、あわわと恋する乙女全開モードで一部始終を見ていた千種さんが久田君の手から紙をひったくると私の手に握らせた。

………は? 

「私っ、先に一人で見回り行ってるから!」

 一人、を強調して言ってウィンクからのサムアップ。私の中で彼女の評価が大暴落する。
 何のウィンクとサムアップよ……!唖然あぜんとし過ぎて私は一言もしゃべられなかった。

「なんか気ぃ遣わせちまったかな」

「……いえ、そんなことは」

「まぁもう渡すもん渡しちまったからなぁ。良ければこの後お茶でもどう?なんて誘いてぇけど、外回りあるんじゃあなぁ。邪魔して悪かったな」

 彼は鼻先に人差し指を当ててはにかんだ。

「え、えぇ…」

「それじゃあ連絡待ってから!」

 彼はそう言い残して自転車置き場の方へと走って行ってしまう。
 えぇと、私なんでここにいるんだったかしら……。ここに居る全ての理由を失った今、私はどうしていいのかを悩んでしまう。
 とりあえず千種さんの後を追いかけた方が良いわよね……。

 ふと昨日のことを思い出す。
 案外、武田君もこういう理由で茫然ぼうぜん自失じしつになっていたのかしら。
 なんて勝手な想像をしながら昨日出会った場所である信号機の方を見ると、武田君の後ろ姿を発見する。

 あぁ。そう言えばそうだったわね。私、武田君に用事があったのよね。
 
 私は信号機の横で立ち止まっている彼の方へと歩き出す。
 今日はずっと散々な目に合ってるし、風紀委員の仕事を少しサボるくらい許してくれるわよね。と自分にとって都合の良い言い訳をしながら私は彼の肩を叩いた。









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