エクスクラメーション
第1章 Scalar 第3話 本当の自分③
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エンジンのアイドリングでガタガタと揺れる窓越しに花曇りの空をぼぅと眺める。陽が沈み切っていないためかぼんやりと明るい。バスの最後部座席に座り十分程度、何度目かの溜息を漏らしてしまう。
きっと翔は僕のことを変な奴だと思っただろうな…。先ほどの別れ際を思い出して後悔する。
でも、あんな露骨に玉置さんの話なんかしなくたって良いじゃないか。僕は必死に話題を考えていたのに……。八つ当たりにも似た感情が沸き起こるが、翔の反応が普通なんだとすぐに思い至る。
そりゃそうだ、あんなに可愛いらしい女の子を前にして気にならない訳がない。まぁ現に僕はこれっぽちも気にならないけど……。でも常識的に考えたら、それが普通なんだ。
──はぁぁ
また溜息を吐いてしまう。車窓から車内へと視線を移すと杖をひいたお爺さんが吊革に掴まって立っているのが目に入った。
常識的に考えて席を譲るのが正しい、そう判断したであろう天尚高校の制服を着た生徒がお爺さんに声を掛ける。
「あの、良ければ座って下さい」
「…いらん」
「…え?」
「ちっ。だからワシはすわらん。馬鹿にするのも大概にせい」
「……そ、そうですか」
なんとも居た堪れなくなったその生徒は吊革に掴まったまま立ち尽くしている。元々座っていた席に座り直したいのか何度か見ているが譲った手前座り辛かったのだろう、嘆息して諦めたようだった。
一般的に考えたら席を譲ろうとした彼の行いは正しい。ただ常識的行動が必ずしも幸福に繋がる訳ではない。
だけど傍から見ている他の乗客からしてみれば“なんで譲ってくれてるのに座らないの?”だったり“これだから時代遅れの老害は……”と心の中で罵倒していることだろうし、席を譲った彼に対してお金を上げる人はいないと思うけど、少なからず同情くらいは寄せてくれるだろう。
これはあくまで僕の想像に過ぎないが、いつだって非難されるのは非常識な行動を取った側なのだ。
非常識に生きるならば、あのお爺さんのように頑として意地を張り通さなければいけない。そんな生き方は辛いだろうし、苦しいはずだ。事実、僕はそれを知っている。だから僕は非常識な行動はしないし、する勇気も無い。
だけど翔とはもう少しだけ仲良くなりたい、かな…。そんなどうしようもない我儘で心はいっぱいだった。
※ ※ ※
家に着いた僕は玄関から二階にある自室に直行する。
階段を登り切り、左に曲がると両親の寝室に繋がる飾り気のない扉が出迎えてくれる。それを横目に一文字に伸びる通路をまっすぐ歩き左側、階段の裏手に当たる位置に僕の自室がある。部屋に入ると鞄を放り投げてベッドにダイブする。
疲れた…。寝返りを打って天井を見る。夕闇の忍び寄る部屋の壁は白色なのか黒色なのか判然としなくなってきていた。壁掛け時計を見れば薄ぼんやりと午後六時を指しているのが分かる。
翔ともっと話したかったな……。考えるのは翔のことばかりだ。
バスから降りて家路を歩いてる時も保健室で玉置さんの萎らしい姿を前に鼻の下を伸ばす翔を思い出してしまい、上手く気持ちの整理がつかなかった。一頻りショックを受けたらまた振り出しに戻っての繰り返し…。デフレスパイラルならぬセンチスパイラルにどっぷりはまり込んでしまっていた。もう嫌になる。
「しげーー!」
階下から僕を呼ぶ母の声が聞こえる。どんだけ大きい声なんだ……扉と壁を何枚も隔てているというのに。僕はのそのそとベッドから起き上がる。
母の声が響くのか、家の壁が薄いのか、はたまたそのどちらもか。何にしても壁が薄いなら防音対策をした方がいいのではないだろうか。
そんな心配を抱いてしまう。これじゃプライバシーも何もあったもんじゃない。
自室から出て階段を下りる。母が怒号にも近い声で呼ぶ時は大抵ご飯か何か問題をしでかした時くらいだ。
今回は何もトラブルを起こしていないので夕飯の支度が出来たという合図だろう。そう予想を立ててリビングの扉を開けた。
──帰ってきたならただいまくらい言いなさい
──あ、ごめん…
どうやら当ては外れたみたいだった。
「それとお父さんね、帰りがあと一時間くらい遅くなりそうなんですって。だから先にお風呂入ってきちゃいなさい」
分かったとだけ言ってリビングを出る。
玄関を右手に左に伸びる通路を歩き、階段下辺りにある脱衣所へ入る。
あぁそうか、まだ制服のままだった。僕はそこで着替えていなかったことに気付く。自室に戻るのも面倒なので制服を脱いでハンガーに掛けておく。ふと洗面台の鏡に映る自分の姿が目に付いた。白く細い体。中性的な顔立ちはどこか女っぽい。
いっそのこと女性だったらどんなに楽だっただろうか……。こんなに悩むことも無かったのに…。玉置さんほど可愛いければ何も悩まないんだろうな。……なんで玉置さんのことが出てくるんだろう。僕に関係ないじゃん………。
サッと頭と体を洗い、湯船に浸かる。はぁ、と一息。ちなみにこれは溜息ではなく太息だ。どう違うのかは知らないけど。
湯に浸かって血行が良くなったのか全身がポカポカと芯から温まってくるのが分かる。
ああ、そっか…。羨ましいんだ、僕……。翔に好かれている玉置さんのことが……。認めたくないけど。
脳に血液が行き渡ったのか、思いがけないところで自分の感情の出どころに思い至る。
どうにかして諦めさせられないかな………。
そんな邪な考えが浮かんでくる。僕ってどれだけ嫌な奴なんだろう。こんな醜い僕は馬に蹴られて死んじゃうのかな。死因:馬蹴。これは遺族も居た堪れないな。
「ぶふっ」
想像したらちょっと可笑しかった。なに考えてんだろう。でもちょっとだけ気分が晴れた気がした。
……ん?……ちょっ待てよ。
僕の中の木〇拓哉が警鐘を鳴らす。ちょっと気分が晴れたついでに思考力も冴え渡ってきたようだった。スープに浮かぶふやけたクルトンみたいにだらぁと浴槽に溶け出していた僕はザバッと体を起こす。
思い出したッ思い出したぞ!玉置さんを背中に負ぶった時に感じた違和感。翔のことばっかり考えてたからすっかり忘れてたけど。あの背中に当たった感触……。
僕はあの時の感触を鮮明に思い出す。
あの柔らかくふにっとした触感。存在感のある肌触り、いや別に直接肌に触れた訳じゃないんだけど…。
大和撫子宜しく黒髪の可憐な少女の見た目からは絶対に想像も着かない玉置さんの秘密。才色兼備である彼女の真実の姿。
多分、いやほとんど確実に的を射てるであろう。僕の直感がそう告げている。
僕は自分の股間に視線を落とし頷く。
玉置さんは男なんじゃないだろうか……?
もし、もし仮にだ。本当にそうだとしたら…。それをネタに玉置さんを強請ればいいんじゃないか?
そうだよ、それだ。バラされたくなかったら翔に近付くなって。それでもし断られれば翔に真相を伝えるまで。そうしたら翔の方が諦めるはず……。完璧じゃないか。
破竹の勢いで思考が組み上げられていく。僕はなんてワルなんだ。自分が自分で怖ろしいぜ。
柄にもない言葉遣いをするくらいに喜んでいるというのが自分でも分かる。
ズルい奴だと思われようと構わない、いやむしろ言い触らさずに最初に本人に告げてあげるのだから礼儀正しいではないだろうか。興奮冷めやらぬまま湯船から立ち上がるとシャワーを頭から浴びる。
自分の体を伝う流水を見ていると段々と気持ちが落ち着いてくる。
でも……翔に近付くなって言ったら、イコール僕が翔を好きだって思われないだろうか………。
それにそもそも玉置さんが男だって確定した訳じゃないし。
基礎のなっていない僕の画策はガラガラと音を立てて崩れていく。
いや、まだ終わった訳ではない……!
明日、本人に直接確認すれば良いんだ!
この気力はどこから湧いてくるのか。不思議に思いながらも活路が見い出せたような、そんな気がした。
エンジンのアイドリングでガタガタと揺れる窓越しに花曇りの空をぼぅと眺める。陽が沈み切っていないためかぼんやりと明るい。バスの最後部座席に座り十分程度、何度目かの溜息を漏らしてしまう。
きっと翔は僕のことを変な奴だと思っただろうな…。先ほどの別れ際を思い出して後悔する。
でも、あんな露骨に玉置さんの話なんかしなくたって良いじゃないか。僕は必死に話題を考えていたのに……。八つ当たりにも似た感情が沸き起こるが、翔の反応が普通なんだとすぐに思い至る。
そりゃそうだ、あんなに可愛いらしい女の子を前にして気にならない訳がない。まぁ現に僕はこれっぽちも気にならないけど……。でも常識的に考えたら、それが普通なんだ。
──はぁぁ
また溜息を吐いてしまう。車窓から車内へと視線を移すと杖をひいたお爺さんが吊革に掴まって立っているのが目に入った。
常識的に考えて席を譲るのが正しい、そう判断したであろう天尚高校の制服を着た生徒がお爺さんに声を掛ける。
「あの、良ければ座って下さい」
「…いらん」
「…え?」
「ちっ。だからワシはすわらん。馬鹿にするのも大概にせい」
「……そ、そうですか」
なんとも居た堪れなくなったその生徒は吊革に掴まったまま立ち尽くしている。元々座っていた席に座り直したいのか何度か見ているが譲った手前座り辛かったのだろう、嘆息して諦めたようだった。
一般的に考えたら席を譲ろうとした彼の行いは正しい。ただ常識的行動が必ずしも幸福に繋がる訳ではない。
だけど傍から見ている他の乗客からしてみれば“なんで譲ってくれてるのに座らないの?”だったり“これだから時代遅れの老害は……”と心の中で罵倒していることだろうし、席を譲った彼に対してお金を上げる人はいないと思うけど、少なからず同情くらいは寄せてくれるだろう。
これはあくまで僕の想像に過ぎないが、いつだって非難されるのは非常識な行動を取った側なのだ。
非常識に生きるならば、あのお爺さんのように頑として意地を張り通さなければいけない。そんな生き方は辛いだろうし、苦しいはずだ。事実、僕はそれを知っている。だから僕は非常識な行動はしないし、する勇気も無い。
だけど翔とはもう少しだけ仲良くなりたい、かな…。そんなどうしようもない我儘で心はいっぱいだった。
※ ※ ※
家に着いた僕は玄関から二階にある自室に直行する。
階段を登り切り、左に曲がると両親の寝室に繋がる飾り気のない扉が出迎えてくれる。それを横目に一文字に伸びる通路をまっすぐ歩き左側、階段の裏手に当たる位置に僕の自室がある。部屋に入ると鞄を放り投げてベッドにダイブする。
疲れた…。寝返りを打って天井を見る。夕闇の忍び寄る部屋の壁は白色なのか黒色なのか判然としなくなってきていた。壁掛け時計を見れば薄ぼんやりと午後六時を指しているのが分かる。
翔ともっと話したかったな……。考えるのは翔のことばかりだ。
バスから降りて家路を歩いてる時も保健室で玉置さんの萎らしい姿を前に鼻の下を伸ばす翔を思い出してしまい、上手く気持ちの整理がつかなかった。一頻りショックを受けたらまた振り出しに戻っての繰り返し…。デフレスパイラルならぬセンチスパイラルにどっぷりはまり込んでしまっていた。もう嫌になる。
「しげーー!」
階下から僕を呼ぶ母の声が聞こえる。どんだけ大きい声なんだ……扉と壁を何枚も隔てているというのに。僕はのそのそとベッドから起き上がる。
母の声が響くのか、家の壁が薄いのか、はたまたそのどちらもか。何にしても壁が薄いなら防音対策をした方がいいのではないだろうか。
そんな心配を抱いてしまう。これじゃプライバシーも何もあったもんじゃない。
自室から出て階段を下りる。母が怒号にも近い声で呼ぶ時は大抵ご飯か何か問題をしでかした時くらいだ。
今回は何もトラブルを起こしていないので夕飯の支度が出来たという合図だろう。そう予想を立ててリビングの扉を開けた。
──帰ってきたならただいまくらい言いなさい
──あ、ごめん…
どうやら当ては外れたみたいだった。
「それとお父さんね、帰りがあと一時間くらい遅くなりそうなんですって。だから先にお風呂入ってきちゃいなさい」
分かったとだけ言ってリビングを出る。
玄関を右手に左に伸びる通路を歩き、階段下辺りにある脱衣所へ入る。
あぁそうか、まだ制服のままだった。僕はそこで着替えていなかったことに気付く。自室に戻るのも面倒なので制服を脱いでハンガーに掛けておく。ふと洗面台の鏡に映る自分の姿が目に付いた。白く細い体。中性的な顔立ちはどこか女っぽい。
いっそのこと女性だったらどんなに楽だっただろうか……。こんなに悩むことも無かったのに…。玉置さんほど可愛いければ何も悩まないんだろうな。……なんで玉置さんのことが出てくるんだろう。僕に関係ないじゃん………。
サッと頭と体を洗い、湯船に浸かる。はぁ、と一息。ちなみにこれは溜息ではなく太息だ。どう違うのかは知らないけど。
湯に浸かって血行が良くなったのか全身がポカポカと芯から温まってくるのが分かる。
ああ、そっか…。羨ましいんだ、僕……。翔に好かれている玉置さんのことが……。認めたくないけど。
脳に血液が行き渡ったのか、思いがけないところで自分の感情の出どころに思い至る。
どうにかして諦めさせられないかな………。
そんな邪な考えが浮かんでくる。僕ってどれだけ嫌な奴なんだろう。こんな醜い僕は馬に蹴られて死んじゃうのかな。死因:馬蹴。これは遺族も居た堪れないな。
「ぶふっ」
想像したらちょっと可笑しかった。なに考えてんだろう。でもちょっとだけ気分が晴れた気がした。
……ん?……ちょっ待てよ。
僕の中の木〇拓哉が警鐘を鳴らす。ちょっと気分が晴れたついでに思考力も冴え渡ってきたようだった。スープに浮かぶふやけたクルトンみたいにだらぁと浴槽に溶け出していた僕はザバッと体を起こす。
思い出したッ思い出したぞ!玉置さんを背中に負ぶった時に感じた違和感。翔のことばっかり考えてたからすっかり忘れてたけど。あの背中に当たった感触……。
僕はあの時の感触を鮮明に思い出す。
あの柔らかくふにっとした触感。存在感のある肌触り、いや別に直接肌に触れた訳じゃないんだけど…。
大和撫子宜しく黒髪の可憐な少女の見た目からは絶対に想像も着かない玉置さんの秘密。才色兼備である彼女の真実の姿。
多分、いやほとんど確実に的を射てるであろう。僕の直感がそう告げている。
僕は自分の股間に視線を落とし頷く。
玉置さんは男なんじゃないだろうか……?
もし、もし仮にだ。本当にそうだとしたら…。それをネタに玉置さんを強請ればいいんじゃないか?
そうだよ、それだ。バラされたくなかったら翔に近付くなって。それでもし断られれば翔に真相を伝えるまで。そうしたら翔の方が諦めるはず……。完璧じゃないか。
破竹の勢いで思考が組み上げられていく。僕はなんてワルなんだ。自分が自分で怖ろしいぜ。
柄にもない言葉遣いをするくらいに喜んでいるというのが自分でも分かる。
ズルい奴だと思われようと構わない、いやむしろ言い触らさずに最初に本人に告げてあげるのだから礼儀正しいではないだろうか。興奮冷めやらぬまま湯船から立ち上がるとシャワーを頭から浴びる。
自分の体を伝う流水を見ていると段々と気持ちが落ち着いてくる。
でも……翔に近付くなって言ったら、イコール僕が翔を好きだって思われないだろうか………。
それにそもそも玉置さんが男だって確定した訳じゃないし。
基礎のなっていない僕の画策はガラガラと音を立てて崩れていく。
いや、まだ終わった訳ではない……!
明日、本人に直接確認すれば良いんだ!
この気力はどこから湧いてくるのか。不思議に思いながらも活路が見い出せたような、そんな気がした。
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