エクスクラメーション

桜綾つかさ

第1章 Scalar 第2話 本当の自分②


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「いッて………」


 派手に尻餅着いた僕は何が起きたか分からずその場で呆然ぼうぜんとしてしまう。クラクション一つ鳴らして何事もなかったかのように走り去っていくトラックをただ眺める。


「おい、大丈夫か!?」


 聞き覚えのある声に後ろを振り向くと、先ほどまで話をしていた風紀委員の女子生徒が地面に横たわっていた。その傍らにはカラカラと後輪だけが空しく回る倒れた自転車と女子生徒に寄り添うかけるの姿が目に飛び込んだ。


 イマイチ状況をみ込めてないが、緊急事態であることだけはハッキリしていたので慌てて女子生徒の側へと駆け寄る。


「ッ!武田たけだ!良いところに」


「ひ、久田ひさだ。この子気絶してるみたいだけど…だ、大丈夫なの?きゅ、救急車呼んだ方が──」


「いや、普通に脈はあるし呼吸もしてる、見た感じ目立った怪我もねぇからとりあえず一番近い保健室に連れてくぞ」


 気が動転してる僕とは対照的に冷静沈着な翔は迅速に指示を出してくれる。


「俺が玉置たまき運んでくから、武田は俺のチャリ頼むわ」


「わ、わかった」


 翔の指示に従おうとしたその時、彼の右手から血がしたたっていることに気付いた。


「ま、待って!久田!右手怪我してるじゃん!」


「あぁ、こんくらいヨユーだよ」




 かすり傷だから、とニッと笑って見せた。
 しかし、軽傷と言えど万が一もある。それにほぼ無傷の僕がはい、そうですかと自転車を押していくのは人としての道理に反するというか、納得がいかない。それに玉置さんが大優先なのは百も承知だけど、僕にとっては翔も心配だった。


「いや、僕が彼女をぶるから久田は自分の自転車押してきて」


「はぁ?全然大丈夫だって。てかお前にかつげるのかよ?」


 翔の言葉を無視して玉置さんを自分の方へそっと引き寄せる。リュックを背負うように彼女の両腕を肩に掛けて背中に抱える。重い………。


「お前華奢なのに案外力持ちなんだな」


 翔は僕の姿を見て感心する。
 褒められて嬉しい気持ち半分、力持ちという部分に少し引っ掛かりを覚え複雑な気持ちになる。やっぱり翔に任せて非力アピールした方が……って何を考えてるんだ僕は。そんなことしたって何にもなんないじゃん!


 ん………?


「どうした?武田」


「い、いや…なんでもない」


 一瞬僕のよこしまな考えが見透かされたのかと焦ったけど、そんなはずはないとしらを切り通す。
 背中に感じる妙な違和感を今は人命第一と自分に言い聞かせて、僕達二人は保健室へと歩き出した。










     ※     ※     ※










────あの時
 そう、僕が尻餅ついていたあの情けない時。
 風紀委員の女子生徒あらため玉置たまきさんは車にかれそうになった僕を止めようと力の限り引っ張った。勢い余って後退したところに運悪く自転車に乗った下校中のかけると衝突。そしてあの緊迫した状況になった────というのが真相のようだった。
 翔は保健医の鎌渡かまたり先生に事の経緯けいいをそう説明した。 




 翔の報告を黙って聞いていた鎌渡先生だったが、話が済むやいなやダメでしょ!と叱責しっせきされる。どこかの国と日本のハーフだと言う先生の緑がかった瞳の目力は強かった。


「外傷がなくても直ぐにその場から動かすのはとても危険なことなのよ?」


「「はぃ、すいません………」」と二人揃って謝る。


「脈拍、呼吸、意識の有無を確認して応急処置が不要なら楽な体勢を取らせて救助を呼ぶこと!一概いちがいには言えないけど、脊椎せきついの損傷や脳出血してる場合もあるから安易あんいに動かすのは良くないって習ってないかしら?」


「「はぃ、仰る通りです……」」


 まったく、と鎌渡先生は嘆息たんそくし、簡易ベッドの上で気を失ったままの玉置さんを触診する。僕と翔はその場で立ち尽くし、先生の一挙一動いっきょいちどうをただ見守っていた。


「男子はあっちいってなさい」と垂れた赤毛を耳にかけながら、キッとにらまれる。


「あの、先生。俺も一応怪我人なんだけど……」


 翔が弱々しく進言しんげんしてみるもむなしく、仕切りのカーテンをピシャリと閉められる。渋々しぶしぶ僕達はベッドから離れ、応接用のスペースへ移動する。
 高価と言われれば高そうな、安物と言われれば安っぽくも見えるなんとも言えない革張りのソファに僕達は腰を下ろした。


「久田、腕大丈夫なの?」


「ん?あぁ。全然余裕」


 ほら、と言って右手をグーパーグーパー繰り返したあと力こぶを作って異常がないことを見せてくる。


「血出てっから大袈裟に見えるだけだわ。ケンカん時と一緒」


 殴り合いの喧嘩けんかなど生まれてこの方したことが無い僕にとっては理解しがたい比喩ひゆだった。その例えが、喧嘩したあとも同じような状態になるから大したことでもないから普通だよってアピールなのか。はたまた喧嘩で血が出てても見た目以上に酷い傷ではないのと一緒だから平気だよ、という意味合いなのか………。


「そ、そうなんだね」


 なんと返して良いか分からず適当に相槌あいづちを打つ。
 まぁどちらにせよ翔なりに安心させようとしてくれているのだろう。多分…。 僕はそう思うことにした。


 つんと鼻を刺す薬品の刺激臭と煮詰まったコーヒーのやるせないにおいの混ざった独特な部屋にキャー、とホラー映画のヒロインよろしく甲高かんだかい悲鳴が響き渡る。僕と翔はビクリと体を跳ねさせ、同時にカーテンで仕切られた空間へと目を向けた。


「落ち着いて、玉置さん」


「せ、先生!?大丈夫ですかッ?」


 カーテン越しに鎌渡先生の優しい声音こわねが聞こえる。それを聞いて心配には及ばないだろうと思い安堵あんどしたが、ブラックボックスと化した一枚布の向こう側が気になったのか翔は近寄っていく。


「あー、大丈夫だから。あなたたちは向こうに行ってて」


「で、でも」


「良いから。少しパニックになってるだけだから大丈夫。それとも久田くん、覗きたいのかしら?」


「バッカ!ち、ちげぇよ。あ、すみません。違いますよ先生!」


 おちょくるような鎌渡先生の言葉に素が出てしまう翔。直情的というか天然というか、素直な翔の言動が可愛く見えた。
 一人場違いな思考をしてると我に返った僕はかぶりを振って冷静をよそおう。


「な、何笑ってんだよ武田」


 どうやら冷静を装えていなかったらしい。


「いや別に笑ってないよ」


──いや、笑ってただろ。


──笑ってないって。


──いや笑ってた。


──笑ってない。


 そんな彼氏彼女みたいな言葉の応酬おうしゅうをしているとシャーとカーテンが開かれる。
 明るみとなったブラックボックスの内側には、 呆然ぼうぜんとしてベッドに座る玉置さんの姿と 一件落着とやりきった表情の鎌渡先生が出てくる。何故か玉置さんの制服は必要以上に乱れているように思えた。大丈夫だったのだろうか。


「玉置さん」


 鎌渡先生に呼ばれ、ひゃいッ、と情けない声で返事する。


「自分で両手足動かせる?」


 布団を引き寄せて身を縮め、コクコクと首肯する。本当に大丈夫だったのだろうか。
 蛇に睨まれた蛙、という言葉を体現たいげんしている玉置さんの姿を見て心配になる。


「縮こまってっちゃ判らないから。ほら実際にやってみて」


 そう言われた玉置はベッドの上で両手をグーパーチョキでそのまま手の甲を向けた。どうして裏ピースなんだろう?そういう動きも出来るから大丈夫って意味だろうか。それともテンションぶち上げぇ~、みたいな?いやいやこの流れでそれはないでしょ。


「ふーん、そう……。問題無さそうね。じゃぁ次は一人で立って歩けるかしら?」


 鎌渡先生の表情が一瞬だけ凍り付いたような……。刹那せつな的な空気のとどこおりを察知してしまい、僕の背筋も凍り付く。


「いや、それは……」


 逡巡しゅんじゅんした表情でしおらしくこばむ玉置さん。これは間違いなく男子が見たら一発KOだ。つまり効果は抜群。その証拠に隣にいる翔は鼻の下を伸ばしている。
 健全な男子なんだ、という情報を得られたと同時に胸の内が悶々とした。


「あらぁ?どうしたの?どこか痛むの?それとも一人じゃ立てない?先生がまたて上げましょうか?」


 鎌渡先生が楽しそうに告げる。なんで楽しそうなのかは不明だが、その言葉に玉置さんは鎌渡先生を睨んだ。一体全体何がなんやら。


「も、問題ないです。一人で立てますから」


 ふぅー、と一息くと彼女は意を決したようにベッドサイドからゆっくり足を出して立ち上がる。


「…ほら。大丈夫でしょ?先生」


「あらほんとね。問題無さそうで先生安心したわ」


 なんだか含みのある物言ものいいに下手に勘繰かんぐってしまう部分があるが、教員と生徒という関係以外に二人の接点が分からないので推察のしようがなかった。


「それでは先生。私はこれで失礼します」


「待って玉置さん。今はなんとも無いかもしれないけど、脳出血の可能性もあるからできれば今日、それか明日には必ず病院でMRI検査受けること。もし今日行けなくて夜中に吐き気とか気分が悪くなるようならすぐにでも病院に行ってね」


「……分かりました」


──それと


「ブラウスのボタンが一つ外れたままよ」


 そう言って先生は玉置さんに近付くとボタンを留めてあげた。


「…ありがとうございます」


──失礼します


 玉置さんは革張りのソファにある自分の荷物を手に取るとそそくさと保健室を後にした。


「じゃぁ俺もこれで」


「待ちなさい」


 翔が彼女の後を追いかけるようにして退室しようとするも鎌渡先生に引き止められる。


「あなた怪我してるんでしょう?」


「いや。自分はもう平気っす」


 それじゃ、と出ていこうとするが右手をつかまれあえなく失速する。


「ッ!イッテぇ!」


「ほーら平気じゃないでしょ。良いからそこ座って」


 翔は諦めたように示された丸椅子に腰掛けた。


「あなたバドミントン部期待のルーキー久田翔ひさだかける君でしょ?」


「……みたいっすね」


「ふふっ。面白いのねあなた」


 鎌渡先生は口元に手を当て上品に笑う。これぞ大人の女性という余裕のある笑みは淑女然しゅくじょぜんとしていながらどこか妖艶ようえんで、女であることをまじまじと感じさせられる。


「べ、別に。普通っすよ普通」


 多分、翔も本能的に察しているのだろう。先生から目を逸らしてどもっているのが何よりもの証拠だ。


「そんなに謙遜けんそんすることないんじゃないかしら?顧問の内田先生は今年こそ全国行けるかもって息巻いてたんだから」


「あ、そっちっすか…。まぁ、団体戦は分かんないっすけど個人戦だったら全国行くくらいはヨユーですよ」


 実につまらなさそうに答える翔。その心情を読み取るのは難しかったが何か悩んでいるのは明白だった。それが何なのか僕には皆目かいもく検討もつかない。


「急に強気ね」


 先生は手際よく動かしやすいように切れ目を入れた絆創膏を翔の右腕に貼り付けた。


「……そんなんじゃないっすよ。事実を言っただけっす」


「ふふっ。はい、終わり。掠り傷だけど治るまではバドミントンは禁止ね。内田先生には私から伝えましょうか?」


「…いえ、自分で伝えるんで大丈夫っす」


「そう。ならバドミントンできない間に何か新しいことやってみなさい」


「……え?」


 うつむいていた翔は顔を上げ、真意を問いただすように先生を見る。だけど先生はにこりと笑うだけで言葉を発することはなかった。


「それであなたは?怪我はないの?武田君」


 急に話を振られて若干戸惑う。翔の次にかれることは予想していたがタイミングが読めなかった僕はただうなずくことしかできなかった。


「そう。ならもう帰りなさい」






──失礼しました


 僕達二人は保健室を後にして帰路に着く。
 翔は保健室を出てからも思案顔で物思いにふけっていたが下駄箱で靴を履き替える頃にはすっかりいつも通り、いやむしろ清々すがすがしさをたたえた表情をしていた。


 生徒玄関から出て真っ直ぐに正面広場を歩く。左手には特別棟の陰に隠れた第一体育館と更にその奥にグラウンドがある。右手には職員と来客用の駐車場があり、職員駐車場はまだ車でほとんどが埋め尽くされていた。
 校門から出て右に曲がる。正面にはバス停があり、何人かの生徒が談笑しながら待っている。多分、文系の部活動生だろう。
 僕もバス通学だけど、校門前のバス停は登校時に下車する場所で下校時は少し歩いて信号を渡った先にあるバス停から乗らなければならない。
 ほんの少しの距離ではあるけど、翔とこうして肩を並べて歩けていることが嬉しかった。普段接点のない二人の距離を縮めるチャンスだと意気込み、話題を考えてみる。
 玉置さんの話題は…したくないな。鎌渡先生も違うし…。バドミントン……も違うよね。何か悩んでたし。何を話せばいいんだろう。常識的に考れば今日あった出来事の話だよね、共通の話題だし。でも、それをしたら結果的に玉置さんの話に転がりそうだな…。


「チぇっ。玉置にLINE教えて貰おうと思ったのによぉ」


 僕が思考を巡らせていると翔は残念そうにぼやいた。先ほどの保健室での翔の態度を思い出し、気持ちが暗くなる。


「……そう、だね」


 思考が停止して何て返して良いか分からず、適当に間を繋ぐ。


「え?まさか武田も玉置に気があんのか?」


 翔に顔を覗き込まれびっくりする。


「へ?い、いやいや!そんな訳ないよ。そもそも今日初めて知ったし」


「はぁ?!武田お前ひでぇ奴だな。玉置は1組だぞ。俺らの隣のクラスなんだから知らない訳ねぇだろ」


「そ、そう言われても……」


 あまり生徒に、というか学生生活に興味が無いので学友のことなど全く意識してなかったけど、まさかお隣さんだったとは。


「お前いつも一人で本ばっか読んでっから分かんねぇんだよ。玉置悟たまきさとりつったら俺ら一年の間でかなり上位種に入る可愛子ちゃんだろうが」


 そんなモンハンみたいなランク付けで言われましても…。


「そ、そうなんだね。おぼえておくよ」


「………。ほんとお前ってマジ謎だよな」


「そうかな?僕は普通だよ普通。ただ寡黙かもくなだけで」


「つまんなくねぇの?」


 つまらないか、つまらなくないかで言ったらつまらないのだろう。
 だってやりたくもない勉強をするために学校をして先生方にび売って成績向上に努めるだなんて、まるで小さな会社みたいじゃないか。社会人になるための練習を反復させられてるようにしか思えない。一つ違うとすれば責任の所在だけ。
 だからと言ってやりたいことがあるのかと問われれば特にないし、勉学に不服だからと不登校になるでも部活動にはげむでもバイトにいそしむ訳でもない。学生生活にこれといった期待をしている訳じゃないし、大学に行く前の通過点としか考えていないから深く考えたことも無かったのが正直なところだった。
 ただ、入学して翔に出会ってから少しだけ変わったような気もする。


「うーん、そんなこともないよ」


「そうかぁ?余計なお世話かもしんねぇけどよ、せっかくの青春なのに本ばっか読んで勿体もったいねぇなって」


「……青春ね」


「お、その反応。ワンチャン武田好きな奴いんだろ?」


 ドキリと胸が高鳴る。それは期待から生まれる胸の高まりに心おどった訳ではなく、隠し事がバレてしまった時のような恐怖にも似た感情が胸を締め付けて飛び跳ねさせたものだった。
 が一瞬フラッシュバックするが、すぐに頭から追い出す。


「い、いないよ」


「ほんとかぁ?なぁーんか怪しぃなぁ」


 翔はニヤニヤしながら僕の顔をうかがう。
 どうやら僕の早とちりだったみたいだ。に似ていたからひど動揺どうようしてしまったけど、翔は単純に当てずっぽうで言ったに過ぎなかったようだ。


 本当は全てをさらけ出してしまいたい。僕は君が好きかもしれないと…。でもそれをしたらどうなるのか…そんなことは火を見るよりも明らかだった。気付いて欲しい、なんてそんな女々しいことは思わない。だって自分でも認められない気持ちに気付かれてしまったら、それは僕の人生が終了の時間を告げることと同義だからだ。
 常識的に考えればそれが当たり前なんだ。そう何度も自分に言い聞かせてみるけど、どうしてだろう…胸が苦しい………。


「じゃ、じゃあ僕はここで」


 気分の悪くなった僕は信号が青に変わったのを見て足早にその場を去る。


「お、おう」


 後ろ背に翔が困惑こんわくしているのを感じる。でも顔も見れそうにないや。


「車にかれねぇように気を付けろよ!」


 優しい翔の一言に右手をひらりとげてこたえる。
 横断歩道を渡ってバス停に辿たどり着く。向こう岸を見ると自転車に乗って颯爽さっそうと走り去る翔の後ろ姿が遠くに見えた。



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