3Rの魔法師〜魔力零の異端児は今日も誰かの魔力を糧にする〜

松尾からすけ

第117話 最愛の人

「がっ……」

 ハリマオの口から、はかない断末魔が漏れる。砕け散った賢者の石が朝日を受けて鮮やかな青い光を反射させる中、ヴォルフはハリマオの身体から無慈悲に自分の腕を引き抜いた。支えを失ったハリマオは、そのまま地面に倒れ伏す。
 何も言わずにかつての仲間だった男の亡骸なきがらを見つめていたヴォルフは、思いを断ち切るようにすっぱりとそれに背を向けた。少し、離れたところに仲間達の姿が見える。どうやら、そちらはとっくの昔に片付いていたようだ。ヴォルフは小さく笑みを浮かべると、仲間達の方へと歩み寄っていった。

「流石は零騎士、仕事が早いねぇ」

 ポケットから取り出した煙草を口に咥えながら、いつもの調子で話しかける。そうすれば、いつものように答えが返ってくることを期待しての事だった。だが、返事どころか彼らは自分の事など見ていない。そのもっと奥、ハリマオが倒れている辺りを驚きの表情で見つめていた。あの感情をほとんど表に出さないレイまでもが、だ。不審に思って振り返ってみたヴォルフの口から、まだ火のついていない煙草がポロッと地面に落ちる。

 そこには幻想的な光景が広がっていた。

 ヴォルフの拳により散らばった賢者の石が陽光をその身に宿し、青色の光を放っている。その光は段々と強さを増していき、密集して楕円形の塊になると、まるで生き物のようにグニャグニャと動きながら何かの形を成していった。それが何なのか、レイ達にはいまいちよくわからなかったが、ヴォルフはすぐにピンッと来た。今でもまぶたの裏に焼き付いている、がれ続けた姿に変わっていくのだから。

「あれは……」

「へい……恐らくオリビア嬢かと……」

 光の集合体が見目うるわしい女性に様変わりしたのを見て思わずレイが呟くと、同じく呆然とその光景を見ていたクマが心ここにあらずといった様子で答える。

「これは……驚いたね」

 額から一筋の汗を流しながら、半笑いでレイが言った。賢者の石の伝説などにわかに信じがたいと思っていたレイではあるが、目の前で起こったことを考えると、もはや信じざるを得ない。

 しばし食い入るようにオリビアを見つめていたヴォルフだったが、彼女から柔和な笑みを向けられ、視線を斜め下へと向けた。自分の記憶と寸分違わぬ可憐な笑顔。直視するには太陽なんかよりもずっと眩しすぎる。
 苦しむようにギュッと固く目を閉じたヴォルフだったが、その表情を少しずつ和らげゆっくりと目を開いた。そして、フッ、と小さく笑うと、きびすを返してレイ達の方へ歩いていく。

「あ、兄貴……?」

「さーて! '雷帝'の旦那が来る前にさっさとここからずらかろうぜ!」

 困惑するクマに肩にポンと手を置くと、ヴォルフは不自然に明るい声で言った。そんな彼にレイが視線を向ける。

「……いいの?」

「いいも悪いもシアンの旦那に会いたくないのはカシラの方でしょ? ……それに、今更どんな顔して会えばいいのか俺にはわからねぇからさ」

「……そっか」

 賢者の石が起こした奇跡にすがるかどうか決めるのは、本人の意思のみ。ヴォルフがそう言うのであれば、レイがこれ以上言葉をかけるのは野暮やぼ以外のなにものでもない。

 だが、そう簡単には頭を切り替えられない者もいた。

「あー、早くシャワーを浴びてぇわ。どっかの誰かさんのせいで血まみれ……ん?」

 ヴォルフの身体に何かがぶつかる。目を向けるとそこにいたのは、あの女性が現れてからずっと下を向き、石像の様にその場で突っ立っているファルだった。

「どうしたファル? 調子でも──」

 ドゴッ。

 鈍い音がヴォルフのお腹の辺りで鳴った。ファルの手加減なしの一撃をもらったヴォルフは思わずその場に膝をつく。

「げほげほっ!! ……ってぇな!! いきなり何すんだよ!?」

 ヴォルフが恨みがましい目でファルを見るが、彼女は顔を上げようとはしない。

「……まで…………ねぇよ」

「あ? なんだよ一体……」

「こんな時までカッコつけてんじゃねぇよ!!」

 うつむいたまま、ファルはヴォルフの胸ぐらを両手で力いっぱい握り締め、無理やり彼を立たせた。

「何がどんな顔して会えばいいのかわからないだよ!! ふっざけんじゃねぇ!! そのあほ面、見せてあげればいいだろうがっ!!」

「なっ……!!」

「あたし達から離れておきながら、山賊側にもなりきれない……そんな宙ぶらりんなことをしてるから、会いたい人に会っても、何も言えずにすごすご退散しちゃうんだよっ!!」

「なんだと……!?」

 痛い所をつかれたヴォルフの顔が怒りで赤く染まる。ファルはその顔に一切目を向けずに、それでも力任せにヴォルフを引き寄せた。

「惚れてんでしょ!? 会いたかったんでしょ!? だったらつべこべ言い訳なんかしないで、面と向かって話してきなさいよっ!! 過去から逃げるなっ!!」

「っ!?」

 ヴォルフの目が大きく見開かれる。自分の服を掴むその手も、叱咤するその声も、付き合いが長くなければわからないほどかすかに震えていた。

「今までずっと後悔してきたんでしょ!? この期に及んでまだ後悔する気!? 最後のチャンスかもしれないんだよ!?」

「…………」

「あそこに待っている女性がいるっていうのに平気な顔をしていられるの!? そんな男じゃないでしょ!? 女には優しく紳士的でっ!! 男にはぶっきらぼうでも義理堅いっ!! それがあたしの……あたしの大好きなヴォルフって男だよ……!!」

「ファル……」

 ファルの一つ一つの言葉が、ヴォルフの胸に突き刺さる。だが、痛みは感じない。むしろ温かみだけがヴォルフの心を包み込んでいった。
 決して顔を上げようとしないファルの頭に、ヴォルフは優しく手を乗せる。

「……ありがとうな」

「…………うん」

 聞こえるか聞こえないかの声で頷き、ファルはヴォルフの胸ぐらから手を離した。そんな彼女を見ながらヴォルフは小さく息を吐き出すと、表情を引き締め、来た道を戻っていく。そして、微笑んだままこちらをずっと見ているオリビアの前で立ち止まった。

「……よぉ。久しぶりだな」

『……うん、久しぶり』

 柔らかい声がヴォルフの脳を刺激する。ずっと聞いていなかったはずなのに、つい最近耳にしたと錯覚するほど、その声を彼は憶えていた。

『せっかく会えたのに何も言わずに行っちゃうんだから、少しだけ寂しかった』

 オリビアは笑いながら僅かに眉を落とす。その顔を見るだけでヴォルフの心がギュッと締め付けられるようだった。
 オリビアに会ったらたくさん話したいことがあった。自分がこれまで何をしてきたのか、どんな人と出会ったのか、どんな思いで生きてきたのか。それなのに、いざ彼女を目の前にした自分は、全くと言っていいほど言葉が出てこない。

『少しだけ痩せたかな? ちゃんとご飯食べてるの?』

「……お前が心配することじゃねぇよ」

『……そう』

 出てきたとしてもがさつな言葉だけ。口説き文句なんてそれこそ星の数ほど持っているというのに、肝心な時にその引き出しは固く口を閉ざしたままだった。それでも、オリビアはとても楽しそうに笑っている。ヴォルフとまたこうして会話ができるだけで彼女は幸せを感じていた。それはヴォルフも同じだというのに、話し方はおろか笑い方すら忘れてしまったようだ。
 静寂が辺りを包み込む。聞こえるのは、風に揺れて木の葉が擦れる音だけだった。

「オリビア……俺は……!!」

『ん? なに?』

 意を決して話しかけてみても、彼女の顔を見ると、またすぐに黙り込んでしまう。わかってる。なんのためにここにいるのか。わかってるはずなのに、身体が言うことを聞いてくれない。一番伝えたいことが何なのかはっきりしているというのに……女々しい自分に怒りすらこみ上げてきた。

 ズキッ。

 突然、腹部に痛みが走る。それはレイに斬られた傷などではない。もっと強い思いが込められた一発。ファルから勇気を出せ、と贈られたものだった。
 ヴォルフは自分のお腹に手を当て、静かに目を瞑る。そして、ゆっくり目を開くと、微笑を浮かべている最愛の女性の目をしっかりと見据えた。

「オリビア……お前が好きだ」

 あんなにもしゃべれなかったというのに、その言葉は流れるように自然とヴォルフの口から出た。それも当然の事だろう。なぜなら、彼女と出会ってからずっと心の中で言っていた言葉なのだから。
 少しだけ驚いた表情を浮かべたオリビアだったが、すぐに笑顔に戻る。

『……ありがとう。嬉しいわ』

 だが、その顔に少しだけ影が差した。

『でも、ごめんなさい……あなたの気持ちには応えられないわ』

「……そうか」

 ヴォルフの気持ちが急激にしぼんでいく。この未来は予感していた。オリビアにとって自分はただの幼馴染。恋愛感情など抱かれても、迷惑なだけだ。
 そんな思考を読み取ったのか、オリビアはヴォルフの顔を見て困ったように笑った。

『……だって、愛する人がいつまでも死んだ女に縛られている姿なんか、見たくないから』

「っ!?」

 俯き加減だったヴォルフが勢いよく顔を上げる。彼女は慈しむ様にこちらを見ていた。

『あなたもわかっているのでしょ? 私が今あなたと話せているのは奇跡……奇跡は長くは続かない。だから、ずっとそばにいてあげられない私じゃ、あなたを幸せにしてあげられないの』

「…………」

『でも、本当に嬉しいの……ずっと待ってたのに、全然好きだって言ってくれないんだもの。だから、てっきりあなたは私の事をただの幼馴染だと思ってる、って諦めてたわ』

「そんなことない! 俺は最初から……!!」

 ヴォルフが必死に言い返そうとするのを、オリビアは首を左右に振って止める。

『言ったでしょ? そばにいてあげられないって。……だから、昔の恋はここで終わり。あなたは前に進まなければいけないの』

「オリビア……」

 苦しみと悲しみが混ざったような顔をしているヴォルフに微笑みかけると、オリビアは下を向きながら震えているファルに視線を向けた。

『そこの優しいお嬢さん?』

 ファルの肩がビクッと跳ねる。だが、彼女はオリビアの方を見ることができなかった。

『ヴォルフの事、頼めないかしら? この人はいつも強がって独りで生きていけるように見せてるけど、本当は誰かが側にいてあげないとダメなの』

「…………」

『中々自分の弱いところを見せようとしないから、一人で抱え込んでしまわないか心配で……でも、あなたにだったら私も安心してこの人を任せることができるわ。ヴォルフの事を自分の事のように考えてくれるあなたなら、きっと彼の支えになれるはず。……消えてしまう女の最後のお願い、聞いてもらえない?』

「…………は、い…………!!」

 ファルの目から零れた清らかな雫が地面を濡らす。振り絞るようにして出した声は、小さくても力強かった。本当は誰よりもオリビア自身がヴォルフの支えになりたい、と思っているはずなのに、それを人に託すことがどれほど辛いことか、ファルには痛いほど理解することができた。
 ファルの答えを聞いたオリビアは嬉しそうに笑うと、彼女の隣に立つレイに目を向ける。レイはオリビアの目をしっかりと見つめ返し、こくりと頷いた。

『……いい人達に巡り合えたようでよかったわ』

「……俺にはもったいないくらいだよ」

『ふふ……そうかもね』

 オリビアの笑顔につられる形で、ヴォルフの口角が上がる。それが、嘘偽りない彼の本当の笑みなのだろう。

『……もう行かなくちゃ』

「……あぁ」

 残念そうに告げるオリビアに、ヴォルフは短い言葉で答えた。終わりが来ることなんてわかっていたはずだが、心構えなどできるわけもない。
 オリビアは大きく深呼吸をすると、少しだけ真面目な顔でヴォルフに向き直る。

『私に素敵な時間を与えてくれてありがとう……今日だけじゃない、あなたと過ごした全ての日々が私にとってはかけがえのない宝物として心に残っています』

 一緒に料理をした事、狩りの仕方を教えてもらった事、家具を二人で作った事。昨日の事のようにヴォルフの脳裏に浮かび上がってくる。

『でも、あなたは残してはダメ。私との思い出をかてとして、新しい人生を進んでください。……それが私のたった一つの願いです』

 オリビアの身体が発光し始めた。思わず伸ばしそうになる自分の手を、ヴォルフは血が出るほど握りしめ必死に抑える。

『もう一度、あなたに出会えてよかった。最後に見れたのがあなたの顔でよかった。私は今……とても幸せです』

 そう言うと、オリビアは涙を流しながらニッコリと笑った。

『さようなら──私の最愛の人』

 ヴォルフの目の前で光の粒子が舞い散る。そして、それは空高く昇っていき、静かに消えていった。

 しばらく無言で空を見上げていたヴォルフは、ガサゴソとポケットを漁り、煙草を取り出す。

「……あーぁ。女を見る目には自信があったんだけどさ」

 それを口に咥えると、今度はマッチに火をつけた。

「見る目がありすぎるっていうのも考えものだな」

 その言葉に答える者は誰もいない。ヴォルフは小さく笑うと、朝焼けが広がる空にゆっくりと煙を吐き出した。

「……今日の煙はどうにもしょっぱくていけねぇな」

 こちらに背を向けているので、レイにはヴォルフの顔が見えない。ただ、彼がどんな表情をしているのかはなんとなく想像することができた。
 朝日が差す小高い丘の上で何も言わずにヴォルフは煙草を吸い続ける。その耳を震わせるのは、自分に勇気をくれた少女の嗚咽おえつだけだった。

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