3Rの魔法師〜魔力零の異端児は今日も誰かの魔力を糧にする〜

松尾からすけ

第75話 偽れぬ思い

 ぽかんと口を開いて現れた男を見つめるソフィア。そんな彼女を全く意に介さずにレイは状況を確認していく。

「ゴブリンナイトにゴブリンマージ、それとうんざりするほどのゴブリン。ゴブリンウィザードもいるのか、どうりで魔法の質が高いわけだ。……ここはゴブリンの王国かなにかなのかな」

 冷静なレイの声を聞いて、ソフィアは我を取り戻した。

「ど、どうしてあなたがここに……!?」

 ソフィアに声をかけられたレイは面倒臭そうに振り返る。その目を見たソフィアは思わず口籠った。どうにも彼女はレイを前にすると上手く言葉を出す事ができないようだ。何か言おうとしても、彼に逆らってはいけないという本能が邪魔をしてしまう。そんなソフィアの心境など知る由もないレイは彼女を渋い顔で見つめたまま盛大にため息を吐いた。

「色々言いたいことはあるけど、とりあえず今は一つだけ」

「っ!? う、後ろっ!!」

 レイの後ろから新たな魔法がこちらに向かってきているのを目にしたソフィアが思わず大声をあげる。だが、彼はそちらに目を向けもせず、手のひらを自分の背後に向けた。

「"削減リデュース"」

 またしてもあの言葉。その瞬間、あっけなく消えていく魔法。夢を見ているような光景に、ソフィアの開いた口は塞がらない。レイは何事もなかったかのように腕を下ろすと、彼女の目を真っ直ぐに見据える。

「これから目にすることは何一つ他言無用だ」

「えっ?」

 ソフィアが言葉の意味を理解する前にレイの姿が消えた。次の瞬間、ゴブリンの断末魔が響き渡る。

「えっ? えっ?」

 頭の処理が全く追いつかない。目の前で繰り広げられていることが信じられなかった。なんの取り柄もないと思っていた男が、大量生産された安物の剣で次々とゴブリンを屠っている。しかも、一切の反撃も許さずに。
 時折飛んでくる魔法も、あの謎の魔法で全てをかき消していた。そして、休むことなくゴブリン達を蹂躙していく。

「あ、ありえないですわ……!!」

 確かにレイは自分よりも学年は二つ上だ。そして、自分は今まで剣術を習ったことはない。だから、自分よりも彼の剣技が上であっても不思議ではない。
 ただ、レイの強さは常軌を逸している。はっきり言っておかしいレベル。有名な学校にたかだか三年いたくらいでは絶対に身につかない技術であることはソフィアにもわかった。

「……他言無用」

 彼が言った言葉を復唱する。その意味がようやく分かった。相手の魔法を消す不可思議な力を持ち、魔物を一切寄せ付けない尋常ならざる強さ兼ね備えた男が一介の学生であるわけがない。恐らく、なんらかの組織に所属しているのだろう。彼の実力を見るに、その組織は決して安いものではない。だからこそ、彼が言った『他言無用』というのは学生同士の約束なんかとは比べられない程に重いはずだ。その事をソフィアはしっかりと心に留める。
 そんな事を考えていると、血で汚れた剣を携えたレイがこちらに戻ってきた。だが、その身体に魔物の返り血はない。それだけで彼の戦闘スキルの異常な高さが窺い知れる。

「全滅させるのは厳しいね。どんどん生まれてきているし……でも、結構倒したからもう逃げだせるでしょ」

「あ……はい」

 借りてきた猫のように大人しくなったソフィアを見てレイは眉をひそめた。だが、今はそんな事に構っている暇はない。彼は気を取り直すと、さっさと出口に向かって歩き始める。

「痛ッ……!!」

 レイの後に続こうとした時、ソフィアの左足に激痛が走った。見ると足首が赤々と腫れ上がっている。恐らく魔法を避けるときに捻ったのだろう。アドレナリンがなくなった今、ズキズキと痛みが迫り上がってきた。
 離れていくレイの背中をなんとか追おうとしたが、足がもつれその場で倒れてしまう。その隙を虎視眈々と狙っていたのか、物陰に隠れていたゴブリンがソフィア目掛けていきなり飛びかかってきた。

「ヒッ……!!」

 突然のことで声にならない悲鳴をあげるソフィア。硬く目を閉ざし、現実から目を背けることしか彼女にはできない。

 トスッ……。

 そんな彼女の耳に気の抜けるような音が届いた。恐る恐る目を開けると、そこにあったのは額に鉄の剣を生やしたゴブリン。そして、いつの間にか自分の足の様子を見ているレイの姿だった。

「あ、ありが」

「これは歩けないね。はぁ……まったく、手のかかるお嬢さんだよ」

「ふぇ!?」

 軽々と自分を持ち上げたレイを見て、ソフィアが顔を赤くしながら目を丸くする。

「な、ななな、何を……!?」

「舌噛むから黙ってて」

 レイは面倒臭そうに告げると、彼女を抱えたままダンジョンを疾走して行った。



 ダンジョンの外は混迷を極めていた。学園の教師はもちろん、副団長がいなくなったことで指揮権を得た第四席のエドガー・ロイスの指示により、この場に待機をし続けている第六騎士団の団員達も動揺を隠せずにいる。ダンジョンの中にいるのはただの貴族ではない、あの御三家なのだ。自分達はこんな所で油を売っていてもいいのか、という思いを顔に出しつつも、上司の命令を黙って遂行していた。
 そんな中、落ち着き払っている者が二人。シアンに後を任されたエドガーと、今の状況を完璧に理解しているグレイスだけだ。
 何も言わずにダンジョンの入口を見つめているグレイスの表情に不安の色は一切ない。そんな彼女の横顔をエドガーはのんびり眺めていた。

「あんたが噂の'氷の女王アイスクイーン'かい?」

「……どういう噂が流れているかは知らないけど、冒険者ギルドからその二つ名はいただいたわ」

「へー……」

 そう呟くと、エドガーは値踏みをするようにグレイスを観察する。その不躾な視線に、彼女は僅かに眉を顰めた。

「なに?」

「あぁ、いや悪かった。機嫌を損ねるつもりはなかったんだ。ただ、騎士団にも名が知られている超新星の冒険者がこんなに美人だとは思わなくてさ」

「あら。もしかして口説かれているのかしら?」

「まさか! ゼロさんの女に手を出しちまったら俺は殺されちまうよ」

 エドガーが笑いながら言った言葉が一瞬理解できなかったグレイスは、ゼロというのがレイの偽名であることを思い出し、少しだけ間をおいて呆れたような笑みを浮かべる。

「彼と私はそういう関係ではないわ」

「へ? そうなの? てっきりそうだと思ってたよ。なら友達ってこと?」

「んー……まぁ、そういうことで構わないわ」

 意外そうなエドガーにグレイスは穏やかな微笑を向けた。彼女自身、レイと自分の関係性がよくわかっていない。友達?クラスメート?協力者?どれもいまいちピンっとこなかった。
 彼女がレイに興味を持ったのはその強さ故、それはレイにも言った事ではあるが、最近はそれだけではない気がしている。正体を知った今でもなんとなく彼のことが気になっているのだ。だが、それがなぜなのかは説明することができない。

 そんな事を考えていると、なにやら周りがどよめいていることに気が付いたグレイスはパッと顔を上げる。そして、皆が注目している方へと視線を向けた。そこにいたのは、ここにいる者達に心配されていたソフィアを大事そうにお姫様抱っこしたままダンジョンから出てきたレイの姿。それを見てグレイスは思わず苦笑する。

 ダンジョンから飛び出してきた二人を凝視する観衆。無事に戻ってきたことも、レイがソフィアを抱えていることも俄かに信じがたい光景であった。そんな皆の様子を気にも留めずに、レイはソフィアをゆっくりと地面におろす。

「た、助かりましたわ……ありがとう」

 色々と思う所があり、戸惑いを隠せないままボソボソとはっきりしない口調でソフィアが言った。レイはそんな彼女の顔を静かに見つめる。そして、徐に手を振り上げると、容赦なく彼女の頬をはたいた。

「…………え?」

 突然の事に騒然となる場。平民の分際で貴族に、しかも御三家の娘に手を挙げるとは打ち首に処されてもおかしくない事態。ソフィアはジンジンと痛む自分の頬に手を添え、呆然とした顔でレイを見た。彼はちらりと周りに目を向けると、これ見よがしにため息を吐く。

「本当はこんなこと言いたくないんだけどね、多分誰も言ってくれないだろうから仕方なく僕が言うよ」

「…………」

「子供じゃないんだからもうわかっていると思うけど、君は過ちを犯した。ルールを無視してダンジョンに入ったこともそう、自分の私欲のために家名を悪用したこともそう、そのために友人を危険に巻き込んだこともそうだ。……でも、一番悪いことは他にある」

 そして、彼女に厳しい顔を向けた。

「自分の命を軽んじたことだ」

「……!!」

 ソフィアが大きく目を見開く。その目をレイはまっすぐに見据えた。

「死は平等に訪れる……平民にも貴族にも女王にもね。死んでしまったら地位も権力も関係ない。名高い御三家だろうと墓の下には骨しか残らない。……君には叶えたい願いがあるんでしょ?」

 静かな声でレイが言うと、ソフィアは微かに首を縦に振る。

「それなら、もっと自分を大切にしなきゃだめだ。無茶をするのも程ほどにしないといけない。君はこんなくだらないことで命を落としていい立場じゃないんだから……僕と違ってね」

 レイは自嘲するように小さく笑った。そして、顔を真剣なものに戻し、ソフィアに向き直る。

「もう二度と軽はずみな気持ちで自分の命を危険にさらさないで欲しい。君が死んだら悲しむ人がいることを、ちゃんと理解しておくこと……わかった?」

「…………はい」

 何かを耐えるようにプルプルと身体を震わせながら、消え入りそうな声でソフィアが言った。そんな彼女にレイは柔和な笑みを向け、その頭にそっと優しく手を乗せる。

「よく一人で耐え抜いたね。えらかったよ」

「っ!!」

 その言葉が彼女の理性を崩壊させた。見開かれた双眸からポロポロと泪が零れ落ちる。

「……ごめんなさい……!!」

 身体の奥底から絞り出すような声音。今まで謝ったことなどなかった。謝る相手などいなかった。自分の過ちを叱ってくれる人などいなかった。だから、これから先も謝ることなどないと思っていた。
 だが、目の前にいる男は違った。自分の身を、その人生を案じて厳しい言葉を投げかけてくれる。ただ非難するだけではない、そこに確かな温かみを感じた。その事が何よりも嬉しかった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

 恥も外聞も投げ捨てて涙を流しながら何度も謝罪を繰り返すソフィア。そんな彼女をレイは何も言わずに見守り続けていたのであった。

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