3Rの魔法師〜魔力零の異端児は今日も誰かの魔力を糧にする〜

松尾からすけ

第38話 あの日の言葉

 前に立つ双子に一瞬見惚れていたクリスが慌てて声をかける。

「二人で戦うっていうんじゃないだろうな!? お、俺も戦うぞ!?」

「ここからはファルと二人でやります。クリスさんがいると足手まとい以外のなにものでもありません」

 ちらりとクリスを一瞥するとファラは冷たい口調で告げた。まったくもってその通りなのだが、その辛辣な物言いにクリスはがっくりと肩を落とす。

「……ですが、先ほどは助かりました。ありがとうございます」

 その声音は温かさで満ち溢れていた。落ち込んでいたクリスもその一言で元気を取り戻す。

「ふ、ふんっ! 貴族として当たり前のことをしたまでだ!」

「最初に頼んだことをお願いします」

「あと、あそこで呆然と立ち尽くしているフランっちの事もお願いね~!」

「任せておけ!」

 意気揚々と走っていくクリスの背中を見送ると、ファルは意外そうな表情でファラの顔を横目で見た。

「……何か言いたげですね」

「いやー? 随分とクリスっちに対する態度が軟化してるなーって思ってさ」

「くだらないこと言ってないで集中しますよ」

「りょーかい!」

 ファルは舌をちょこっと出すと、感触を確かめるようにナイフを玩ぶ。

「やっぱあたしには小さい武器はあわないなー。'穿牙せんが'は持ってないの?」

「持っていたら今頃あの魔物は息をしていませんよ」

「そうだよねー」

 軽口をたたきながらファルはくるくると華麗にナイフを回転させた。それをバシッと掴むと、こちらを警戒しているグリズリーマザーを見据える。

「……ねぇ、ファラ?」

「なんですか?」

「怖い?」

 いつになく真面目な口調で投げかけられた疑問。それは目の前にいる怪物に対してではなく、腕につけられたミサンガについてであることは明白だった。
 ヘアピンから勇気をもらったとは言え、恐怖心が完全に消え去ることはない。また何かの拍子でさっきの状態に戻ってしまってもまるでおかしくなかった。
 だからこそ、気になった。同じ苦渋を味わった双子の姉が、今、何を思っているのか。

 ファラは少しだけ妹に目をやり、すぐに前を向いた。そして、呆れたように大きなため息を吐く。

「まったく……何を聞くかと思ったら……」

 彼女は顔を向けずにナイフを握っている右手をファルに見せた。その拳は僅かに震えている。

「私達は双子ですよ? 同じ気持ちに決まっているじゃないですか」

「……そっか」

 怖いのが自分だけでなくて少し安心した。ファルは軽く笑みを浮かべると、戦闘モードに表情を切り替える。

「あたしがメインでファラがサポート」

「わかりました」

 負傷している自分よりもファルの方が適しているのは明らか。彼女の言葉に文句ひとつ言わず、ファラは頷いた。

「行っくよー!」

 声は呑気なものだが、顔は真剣そのもの。グリズリーマザーに向かって走り出したファルの後を、ファラが追従する。

「皮膚は信じられないくらい硬いです」

「なら皮膚じゃない所を狙わないとね」

 短い言葉で情報を交換すると、ファルは大きく左に回った。ファラは構わずグリズリーマザーへ一直線に突っ込んでいく。

 目の前に餌があるのに何度もお預けを食らっているせいか、苛立ちが募りに募っているグリズリーマザーが脇目も振らずにファラへと攻撃を仕掛けるが、ファラはその全てを最低限度の動きで躱していった。先ほどまでは攻めに転じなければいけなかったため、回避が疎かになりがちであったのだが、今は全力で避けに徹することができる。それならば、いくら隷属魔法で弱くなっていたとしても、幾千幾万の魔物を倒してきたファラに単調な攻撃など当たるわけもない。

「鈍間な魔物ですねぇ……そんなんじゃ、いつまでたってもご飯にありつけませんよ?」

 ちょこまかと動き回りながら、ファラは挑発的な笑みを向ける。その態度に激高したグリズリーマザーの攻撃がより一層激しさを増した。流石に完全には躱せ無くなってきたので、致命傷を避けることだけに集中する。頬や腕にグリズリーマザーの爪がかすった際にできた切り傷が無数につけられているがファラはまったく気にしない。大事なのはこの魔物の意識を引き付けておくこと。そうすれば、必ずファルが仕留めてくれるはず。

「──おつむががら空きだよ~クマちゃん」

 こんな風にね。

 気配を絶っていたせいか、いつの間にやらグリズリーマザーの背後に回っていたファルは、肩車のようにグリズリーマザーの首に跨ると容赦なく眼球にナイフを突き立てた。いくら皮膚を頑強にしようと、目玉はそうはいかない。

「ギ、ギャアアアァァァァオオオオオォォォウ!!」

 鼓膜が破れるほどの大絶叫を上げる。ファルはナイフを抜き、耳をふさぎながらその場から飛びのいた。

「とりあえず一つ目だね~目だけに」

「両目を塞いでしまえば無力化したも同然ですね」

 ナイフに付いた血を振り払うファルに、後ろに下がってきたファラが淡々とした口調で告げる。状況は優勢。しかし、離れたところで二人の戦いを見ているクラスメートは微妙な表情を浮かべていた。

「あの二人……すごいね」

「すごいっていうより……」

「うん……怖い」

 一連の光景を目にしていたクラスメート達は二人の冷酷さが頼もしくもあり、同時に恐ろしくもあった。明らかに自分達とは住んでいる世界が違う。そんな二人を見る目が人の手によって生み出されたモンスターを見るものと少しずつ重なっていってしまう。

「……何を言っているんだ、お前ら?」

 その言葉を耳にしたクリスが怒りの眼差しをクラスメート達を向けた。

「あの二人は俺達のために剣を振っているのだろうがっ! レベルⅣでありながら、まるで戦力にならない情けない男の代わりに、だ!!」

 鬼の形相で怒声をあげるクリスの手からは血が滴り落ちている。それは見ていることしかできない自分に激しい憤りを感じていた何よりの証拠だった。

「俺達はあの二人に救われているんだ! ファラとファルがいなかったら、とっくの昔にあの魔物の養分になっていたんだぞ!? それなのに、そんな二人を化け物を見るような目で見る不埒者はこの上級貴族であるクリス・ラウザーが許さん!」

 クリスがギロリと周囲を睨みつけると誰もが口を噤む。まったくもって彼の言う通りなのだ。グリズリーマザーがこちらに向かって来ないのは、二人がそう仕向けているからだった。攻撃を加えるときも、避けるときも、グリズリーマザーがクラスメート達に背を向けるように立ち回っている。その事に気がつかないほど出来の悪い者はここにいなかった。

 気まずい沈黙がクラスメート達の間で流れる。そんな空気を吹き飛ばすように、突然フランが大声を上げた。

「二人共ー!! 頑張ってけろー!!」

 必死に声を張り上げるフランをクラスメート達が呆気にとられた様子で見つめている。だが、声援を送り続けるフランに一人、また一人と続いていった。

「……こりゃなんとも」

「……やりづらいですね」

 ファルは苦笑いを浮かべ、ファラは僅かに顔を顰める。気づけばグリズリーマザーの雄たけびにも負けないほどの大声援がこの無機質な部屋を埋め尽くしていた。こんな経験、今までなかった二人にとって何とも歯がゆい感じがするが、不思議と嫌な気持ちにはならない。

「さーて! 声援に答えちゃおっかな!!」

「そうですね。いつまでも皆さんに大きな声を出させておくのは忍びないですし」

 右目を押さえるグリズリーマザー。その手の隙間からはドクドクと血が流れていた。

「いくら素早かったり、力が強かったりしても、やっぱり温室育ちじゃねぇ~」

「苦労もしないで餌をもらえる環境にいれば、野生の勘も鈍ってしまうというものです」

 魔物で一番恐ろしいこと……それは、全てを切り裂く爪でも、なんでも食いちぎる牙でもない。危険を察知する野生の勘だ。もし、それがこのグリズリーマザーにあったのであれば、ファルは背後を取ることができなかったであろうし、そもそもファルが来るまでファラが生き残ることなどできなかったはずだ。

「ゲギャァァァァァァァァァ!!」

 二人に向かってグリズリーマザーが吠える。最初にあげた咆哮とは違う、若干の恐怖が入り混じったもの。だが、そんなことは双子には関係ないことだった。
 二人の作戦は変わらない。ファラが陽動役となり、隙をついてファルが攻撃を加える。右目を失ったことでグリズリーマザーの動きは精彩を欠き、自慢の爪をファラに当てることができずにいた。ファラ一人についていけない者が後ろに回ったファルの動きに対応できるはずもない。ファルはその場で大きく跳躍すると、持っているナイフをもう片方の眼に狙いを定め大きく振り上げる。その瞬間、勝利を確信した。

「動くな」

 その呪いの言葉を聞くまでは。

 二人の身体が凍り付いたようにピタリと止まる。大きく目を見開き、そのまま地面に倒れ込んでいった。

「ひっひっひ……奴隷の分際でえらく粋がっていますねぇ」

 振り向こうとしたが、まったく身体に力が入らず、二人は視線だけをガラスの方に向ける。そこには嫌らしい笑みを浮かべている汚らしい男の姿があった。完全に失念していた。隷属魔法は対象の身体能力を抑制するだけの魔法ではない。その行動すらも操作することができる代物なのだ。

「勝手なことしてすいませんねぇ……ですが、そろそろお遊戯の時間は終わりかと思いましてねぇ」

「いや、かまわん。私もこの茶番に飽きが来ていたところだ」

 エタンが視線を向けると、ファラ達の思わぬ快進撃を前にサリバンは額から流れた冷や汗をハンカチで拭う。そして、地面に這いつくばる二人に冷たい視線を向けた。

「派手にやってくれたな、小娘共。戯れにしてはやりすぎたな」

「……サリバン様、いかがいたしましょう?」

 アクールがグリズリーマザーを見ながらサリバンに問いかける。格好の的と化している二人にグリズリーマザーが手を出さないのは、彼がその動きを止めているからであった。

「まずはあの眼鏡の女から殺せ」

「承知いたしました」

 自分の最高傑作に傷をつけた二人に怒りを感じていたアクールが凶悪な笑みを浮かべる。

「グリズリーマザー……前に倒れている女を食い殺せ」

 最高の餌を目の前にして待ったをされていたグリズリーマザーが歓喜の雄たけびを上げる。口からは大量のよだれを垂らし、その隻眼はしっかりとファラの姿を捉えていた。

「な、めんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 隷属の呪縛から気合だけで立ち上がったファルが身体ごとグリズリーマザーにぶつかっていく。だが、その威力は蚊に刺された程度のもの。グリズリーマザーは鬱陶し気にファルを見ると、文字通り羽虫を追い払うように腕を振った。地面を踏みしめる力もないファルはまともにそれを喰らい、受け身もとれぬまま壁に叩きつけられる。

「ファ、ル……」

 ファラは妹が飛んでいった方に目を向け、力なくその名前を呼んだ。声を出すことすらままならない。身体は鉄の鎖でがんじがらめにされたように動かなかった。

「ファラ……!! ファル……!!」

 遠くでクリスの声が聞こえる。おそらく自分達と同じように全身から力が抜けて立てなくなっているのだろう。先ほどのように自分を助けるために駆け付けてくれることは期待できない。
 いや、自分は誇り高き第零騎士団。あそこには他人の助けを願う軟弱者などいない。いついかなる時も自分の力を信じ、窮地を脱する。

「ギャオォォォォォオオォォォォオオオォォォォ!!」

 例えそれが猛る魔物を前にした時でも変わらない。常に冷静な判断を行い、頭をフル回転させ状況を打開する。
 そして、生に貪欲であらねばならない。誰かを守って死ぬなど酒の席で話す美談としては最高に盛り上がるが、第零騎士団としては最悪だ。死ねば終わり。もう何も残らない。
 そう、目の前に命を絶つには十分すぎるほどのおぞましい牙が迫ろうとも、最後の最後まで生きることを諦めない。それがあそこで教わった矜持。諦めなければ必ず希望の光は見えるはず。

 ドゴォン!!

 すさまじい音共に、この部屋に備え付けられている扉が吹き飛んだ。全員の視線が一斉に扉があった方へと向く。そこに立つ男を見た瞬間、ファラの心が温かさで満たされていった。

 第零騎士団の隊色である黒の鎧を身に纏い、顔にあるのは世を忍ぶため与えられた鴉をモチーフとするマスク。
 あの日と全く同じ姿。灰色の虫籠の中でただひたすら耐え忍んでいた私達を救い出しに来てくれたあの日と。

 彼は静かに部屋の中を見回すと、ゆっくりと口を開いた。

「助けに来たよ」

 その言葉も、あの日とまったく同じだった。私達を大空に解き放ってくれた言葉。私達に自分の羽で飛ぶ喜びを教えてくれた言葉。

 自分に自由を与えてくれたその言葉を、私は一生忘れることはないだろう。

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