3Rの魔法師〜魔力零の異端児は今日も誰かの魔力を糧にする〜

松尾からすけ

第31話 ヴォルフ式情報収集術

 ギシッ……ギシッ……。

 規則正しくベッドの軋む音が鳴り響く。時折聞こえるのは甘えるような女の嬌声。部屋に充満しているのは濃密な性の香り。眩暈がするほどに淫靡な空気がこの空間を支配していた。
 ここにいるのは男が一人に女が一人。共に生まれたままの姿で激しく絡み合っている。男は慣れた手つきで女の肢体をまさぐり、女は男の欲求をすべて享受していた。

 快楽に身をゆだね、互いを求め続ける二人を止める者は誰もいない。

 ………。

 一段落ついたところで、男は煙草に火をつけた。布団から見える身体には一切の無駄な肉はなく、鋼の様に引き締まっている。煙をくゆらせながら、シャワーを浴びる相手を待つその顔は通り過ぎる女性が思わず振り返ってしまうほどに美形だった。

「……いい男は何をしていても絵になってしまうのね。例え煙草を吸う姿でも」

 浴室から戻った女はバスタオル一枚を身体に巻いただけの姿。美人に分類されるのだろうが、身体からにじみ出るフェロモンはいやに艶めかしい。

「いい女と一緒にいると、男ってのはいい男を演じてみたくなるものなのさ」

「くすっ……愉快な人」

 女は楽し気に笑いながら布団の中へと入ってくる。そして、甘えるようにその身を男に寄せた。

「どうして私に声をかけてきたの?」

「君が一番輝いていたからさ。あの酒場で踊っていた誰よりもね」

「お上手ね……でも、女性をこんなにも惑わせる理由としては少し弱いわ」

 男の胸のあたりをまるで挑発するように指で撫でる。その感触を楽しみながら男は苦笑いを浮かべた。

「流石は夜の女王と名高いキャサリンだ。なんでもお見通しってわけか」

「ありがとう。それで? あなたの目的はなんなのダニー?」

 吸い込まれるような黒い瞳で見つめられ、ダニーはピアスの光る耳をぽりぽりと掻く。

「いやー……お恥ずかしい話、懐がすっからかんでさ。君のお店は中々に高級だろ?」

「それはしょうがないわね。いい女が集まる店はお高いのよ?」

「もちろん、そんなこと百も承知だよ。あの店に何の不満もないさ。……ただ、この分だと手持ちがなくて君に会いに行くことが出来なくなってしまうんだよ。でも、君に会えないなんて耐えられるわけがない。だから、何でもいいから稼げる話はないかなって思ってさ」

「私は仕事を斡旋する冒険者ギルドの職員じゃなくてよ?」

「こんな美しいギルド職員がいたら今すぐにでも俺は冒険者になってしまうだろうね。……でも、この街が見せる夜の顔を知っているあなたなら、色々と紹介出来るんじゃないか? 俺は聖人君子じゃないから金が入るなら汚れ仕事だって構わない。そうだな、例えば……」

 ダニーは煙を吐き出すと、意味ありげな笑みをキャサリンに向けた。

「人さらい、とかさ」

「…………」

 身体を這わせていた手がピタリと止まる。キャサリンは値踏みをするようにダニーを見つめると、妖艶な笑みを浮かべた。

「そんな危ない仕事なんてないわ。でも……そうねぇ……」

 唇に手を当て、悩む姿を見せた彼女は不意にベッドから起き上がると、ソファに置いていた自分の服に手をかける。そして、ここにやって来た時と同じ格好に戻り、ベッドの上で自分の着替える様を黙って見ていたダニーに視線を向けた。

「今夜、またうちの店に来て。そしたら……幸せになれるかもしれないわね」

 最後ににこりと微笑むと、そのままキャサリンは部屋を出ていく。一人残されたダニーはしばらく煙を楽しんでいたが、タバコの火を消し、シャワーを浴びるためにベッドから起き上がった。

 宿から出たダニーに朝の陽ざしが降り注ぐ。手のひらで日光を遮りながら、彼は朝の街を歩き始めた。

「かれこれ一ヶ月、か……そろそろ帰らないと双子ちゃんが寂しがっちゃうかな?」

 ダニー……いや、ヴォルフは軽く伸びをしつつ、朝市を眺めながらゆったり朝の散歩をする。彼が今いる街は御三家の一角であるシャロン家が統治するゴルドーラの街。大きい街とはいえ、治安はお世辞にもいいとは言えない。とはいえ、善良な市民も数多く暮らしている。その証拠にこの街で行われている朝市は王都同様明るく、活気があった。

「本性を見せるのは夜って話か。後ろめたい奴ってのはどうにも暗がりを好むからなぁ」

 特に目的もなく歩いていると、サンドウィッチを売っている店が目に留まる。朝ご飯を食べていないという事もあるのだが、それ以上に目を引いたのは売り子の女の子。三角巾を頭につけ、必死に商品を売るその子は、朝市で働くにはもったいないほどに可愛らしい。

「……約束の時間まではまだ時間がありそうだな」

 ヴォルフは襟首を正すと、お店に近づき、売り子の女の子に溢れんばかりの笑顔を向けた。それを見た女の子は頬を僅かに紅潮させる。

「い、いらっしゃいませ!! ご、ご注文は何にいたしましょうか?」

「サンドウィッチを一つもらえる? トッピングで君の素敵な笑顔をつけてくれるとありがたいな」

 耳まで真っ赤になった女の子を見てヴォルフは、こんなことなら宿の予約をしてから来ればよかったかな?と、そんな事を考えていた。



 あの後、結局売り子の少女としっかり楽しんだヴォルフは約束の時間になったということで、キャサリンが踊り子として働く酒場へと足を運ぶ。ゴルドーラでも人気のお店であるここは、日が落ちる前から客が入っていき、ヴォルフが来た時には酒場内が人で溢れかえっていた。
 うんざりしながら人波をかき分けていたヴォルフは目当ての女を見つけ、そっちに近づいていく。キャサリンもヴォルフに気が付いたらしく、笑顔で手を振って自分の居場所をアピールしていた。

「お待たせ。ちょっと遅れちゃったかな?」

「ふふっ、デートの待ち合わせ場所には十五分前に着くのがいい女の秘訣よ」

 そう言ってキャサリンはヴォルフの手をとり歩き始める。ヴォルフも引かれるがままに店の中を進んでいった。
 彼女が向かったのは店の裏口。そこから外へ出て、現れた暗い路地裏を何の躊躇いもなくずんずん歩いていく。

「キャサリン? 俺をどこに連れて行ってくれるつもり?」

「言ったでしょ。幸せになれるかもって。そんな素敵な場所にあなたを連れて行ってあげるわ」

 おおよそ普通の人間なら通らないであろう薄暗い道。にもかかわらず、彼女は笑みを浮かべながらひたすら奥へと進んでいった。

 そして、少し広い場所に出たところで彼女の足が止まる。

「……ここが幸せになれる場所かい?」

「えぇ」

 軽い口調で告げると、キャサリンはヴォルフから手を離し、ゆっくりと歩き始めた。そんな彼女の身体を闇から伸びた腕が抱き寄せる。

「お金なんて必要のない天国に行けるのよ?幸せでしょ?」

 誰もいないと思っていた場所から、ヴォルフを取り囲むように屈強な男達がぬらりと現れた。その中でも、特に筋肉質なモヒカンの男がキャサリンを抱きながら、ヴォルフを睨みつける。

「てめぇか? この街に来て色々と嗅ぎまわっているっていう屑野郎は?」

「……屑野郎ってのはちょっと言いすぎだな」

 三十人以上もの男に囲まれているというのに、ヴォルフはいつもと変わらぬ調子で軽く肩をすくめた。

「お望み通り出てきてやったぞ。こんな時代に『人さらい』なんて危ない仕事をやってのけるヒーローを探してたんだろ?」

 その言葉に、ヴォルフの眉がピクリと反応する。

「だが、残念ながら俺達は『人さらい』だけじゃなく、『人殺し』も生業にしてんだよ」

 なぁ、とモヒカンの男が周りに目を向けると、ヴォルフを取り囲んでいる部下達がバカにしたように笑い始めた。

「つーわけで、闇に深入りしちまった哀れな野鼠にはここで死んでもらうことにするぜ」

 男がドスの利いた声を出しても、ヴォルフは何も言わない。ただその場に佇んで静かに男を見つめていた。

「なんだ? びびって声も出なくなっちまったか?」

 腕の中にいるキャサリンの柔らかさを楽しみながら男が言うと、再び周りの部下達が笑い声をあげる。それを見たヴォルフは小さく笑いながら煙草に火をつけた。

「……何がおかしい?」

「いやなに……ここに来れば幸せになれるって言うのは本当だったんだなって思ってさ。感謝するよキャサリン」

「なんだと?」

 男の顔から笑みが消える。部下達もそれに合わせて殺気を漲らせ始めた。だが、ヴォルフは特に気にした様子もなく、タバコを吸いながらゆっくりと周りを見渡す。

「まぁでも、こんな脳みそ足りなそうなゴリラ共に群がられるのはあんまり気分よくないな。どうせならとびきりの美女達に取り囲まれた方が……」

「殺せっ!!」

 男の怒声が路地裏に響き渡った。それを合図に男達が懐に忍ばせた凶器を取り出し、一斉に襲い掛かる。その様を暢気に眺めていたヴォルフは不敵な笑みを浮かべながら、ピンッと持っていた煙草を指で弾いた。

 数分後、路地裏は死屍累々の戦場跡と化していた。それを一人で作り出した男が、裏社会を生きるボスの上に座り、一仕事終えた顔で煙草をふかしている。

「あっ……あっ……」

 先ほどまで色香を振りまいていた夜の女王は見る影もなかった。腰が抜けたようにその場でへたり込み、怯え切った目でヴォルフを見つめている。

「さて……そろそろ話してもらおうか」

 ヴォルフは静かに煙を吐き出すと、虫の息になって横たわっているモヒカンの男の手を掴んだ。

「人さらいの依頼主は誰だ?」

「はぁ……はぁ……言うわけがねぇだろ……!!」

「まずは一本」

 ボキッ。

 小気味いい音がこの場で反響する。そして、それに続く男の絶叫。それを聞いてもヴォルフの表情に一切の変化はない。

「依頼主は?」

「ぜぇ……ぜぇ……い、言えねぇ……言ったら俺は殺さ」

「二本目」

 再び訪れる何かが折れる音と絶叫。男の顔からは涙も鼻水も垂れ流し状態だが、ヴォルフは気にせず、あらぬ方向に曲がった男の指を見ながらフーッと煙を吐いた。

「誰に頼まれた?」

 先ほどと全く変わらぬ口調。抑揚など一切感じられない声で再度問いかけられる。

「か……勘弁してくれ……お、俺は……ま、まだ死にたく……」

「三本目」

「わかった!! 言うからぁ!!」

 薬指に力がかかったことを感じた男が懇願するように叫んだ。

「サリバン・ウィンザーって貴族だ!! そいつと闇奴隷商のエタンが手を組んだんだよ!! そいつらに足がつかねぇように気をつけながら、なるべく若い奴を攫ってこいって言われたんだ!!」

「その男の目的は?」

「し、知らねぇ!!」

「……もう一本いっとくか?」

 ヴォルフが声のトーンを下げて言うと、男はみっともなく身体を震わせる。

「本当に俺は知らねぇんだ!! いい値で売れるから適当にわけえ奴を捕まえてそいつに売ってただけだ!! それ以上のことは何も知らねぇ!!」

「……そうか」

 ヴォルフは吸殻を投げ捨てると、あっさり男の上からどいた。そして、ブルブルと震えながらこっちを見ているキャサリンに笑いかける。

「怖がらせてごめんね。君のおかげで助かったよ」

「……ダ、ダニー……な、何者なのよあんた……!! こ、こんなのって……!!」

 キャサリンは震える声で叫びながら周りを見回した。まがりなりにも裏の世界を生きてきた男達がピクリともせずに倒れ伏している。

「何者、か……職業柄ここで名乗っちゃうとカシラに大目玉を喰らいかねないんだけどな」

 ヴォルフは少し困った表情で耳の後ろをかいた。

「……まぁ、カッコつけて言うなら、自分の生きる群れを見つけた狼ってところかな?」

 少し照れたように笑いながらヴォルフが告げる。今、まさに恐怖を植え付けられたというのに、キャサリンはその顔に思わず見惚れてしまった。だが、ヴォルフのイケメンスマイルなど効くはずもないモヒカンの男が、彼の言葉だけに反応する。

「狼……金髪……化け物じみた強さ……」

 その特徴には聞き覚えがあった。だが、そんなはずはない。奴はすでにこの世にいないはず。

「て、てめぇ……!! まさか"金ろグヘェ!!」

 男が全てを言い切る前に、自慢のモヒカンごとその頭をヴォルフが踏みつけた。思い切り地面に顔を叩きつけられた男は、恐怖にひきつった表情で目線だけ彼の方へと向ける。

「いいか、クソ野郎」

 その声も視線も氷のように冷え切っていた。

「肉や野菜かなにかと勘違いして人間を売っていたお前が、今もまだ息をしていられるのはその命になんの魅力も感じないからだ」

「あっ……あっ……!!」

 ヴォルフの殺気を全身で受けている男は、もはや声を発することすら許されない。

「だが、余計なことを口走ったり、思い出したりしようものなら……夏場にそこら辺を飛び回ってる鬱陶しい蚊程度にはお前の価値が出てきちまうよな。そうなったら、俺はバチンと叩き潰さなきゃならなくなる」

 ヴォルフが踏み込む力を強めた。男の顔はめりめりと地面にめり込んでいく。

「この世界には知らない方が幸せなこともあるんだよ。勉強になったな」

 そのまま、容赦なくその頭を蹴りぬくと、男はたまらず意識を手放した。

 ヴォルフは軽く息を吐き、胸ポケットから煙草を取り出して口にくわえる。そして、火をつけながら完全に気を失っている男に呆れた顔を向けた。

「たくっ……俺が優しくて命拾いしたな。もしここにいたのがカシラだったら過去を詮索した瞬間、あの世行きだぞ? ……いや、人さらいって時点でアウトか。あの人は容赦ねぇから」

 何も答えない男を見て盛大にため息を吐く。そのまま煙草をふかして歩き始めると、恐怖に支配された女を残し、ヴォルフは路地裏から消えていった。

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