《完結》腐敗した世界の空で、世界最強のドラゴンは、3人の少女を竜騎士に育てます。
10-1.地獄のはじまり
教祖を助けられずにシャルリスたちを連れ帰って、その報告に来たさいのことだった――。
「これより、左背面地区と左脇腹地区の緊急閉鎖を行う。閉門せよ!」
各地区は城壁によって仕切られている。こういうときのためだ。
その城壁の歩廊の上にて、エレノアがそう命令を発した。
それを受けて、地響きのような音を鳴らして城門棟の門が閉ざされる。
「良いんですか? まだ感染していない人もいるでしょう」
と、ロンが尋ねた。
この城壁を閉ざすということは、地区内に残されている人は、逃げ場を失うということだ。ゾンビに食われるしかない。
事実、城壁にすがりついている人が大勢いた。「助けてくれッ」「私はまだ感染していないわッ」「せめて子どもだけでもッ」……。
耳を覆いたくなるような悲鳴の嵐のなか、エレノアは毅然と立っている。そして凄みを帯びた表情で、その民を見下ろしていた。コハク色の目には殺気と思われるほどの光が宿されている。
「仕方のないことだ。感染していないかどうか1人ひとり検査するには時間がかかる。いまはこれ以上の感染者を増やさないことが先決だと判断した。すなわち感染区域の民衆を外に出さないということだ」
ロンが覚者だとわかってから、エレノアは言葉を改めようとした。が、上下関係が乱れるので、ロンはそれを拒否した。ひとりの部下として扱って欲しいと言ってある。
以前ほどのトゲトゲしさが感じられないのは、やはりロンのことを覚者だと知ったからだろう。
「そうかもしれませんけどね」
ゾンビをひとりでも、受け入れてしまえば、また別の地区に感染を広げることになりかねない。
おそらくまだ感染していないであろう民衆を見殺しにするのは心が痛む。民衆は城壁をよじのぼろうとモガいていた。悲壮と絶望に満ちた表情を、ここからでも見下ろすことが出来た。
「弱いから」
と、エレノアが呟くように言った。
「え?」
「弱いから死ぬのだ。この世界は弱肉強食でできている。知っているか? 群れで生きる動物は体調不良を隠そうとする習性を持つものがある。なぜか? 弱っているとわかると、群れから切り離されるからだ。弱っている個体は、切り捨てられる運命なのだ」
「人も同じですか」
エレノアはやたらと、強い、ということに拘る癖があったな――と思い出した。エレノアはかつて水汲み隊をやっていたことがあって、ゾンビに襲われたと言っていた。そのさいに、アリエル以外の家族を失っている。それ以来、強い、ということに拘るようになったとか言っていた。
「人も同じだ」
「そういう哲学もあるんですね」
人の数だけ、何かしらの思想があるのだろう。それがエレノアの思想なのだ。エレノアの思想をそのまま受け入れようとは思わない。だが、否定できるほどの哲学を、ロンは持ち合わせていなかった。
「私を鬼だと思うか。無情だと思うか」
「いえ。エレノア竜騎士長を責めたりは出来ませんよ。オレだって、救えたはずの命を助けられなかったわけですし」
ニトと竜神教の教祖のことを思って、そう言った。
「教祖のことは残念だ。が、ロンが自分を責める必要はない」
「ありがとうございます」
と、短く応じた。
ロンが行ったときには、すでに教祖はゾンビ化していた。だが、ニトならまだ救いようがあったのに、と思う。今から考えても、すべては過ぎたことではあるが、早急に気持ちを切り替えられるわけでもない。
「渡したいものがあると、ニトは言っていたが、受け取ることは出来たか?」
「いちおう受け取ったんですがね。ただの年表でした」
と、託された青いハードカバーの本を、エレノアにも見せた。
「年表――か。ずいぶん古くからのもののようだな」
と、エレノアはその本を見分していた。
「オレよりむしろ、歴史学者か誰かに渡したほうが良さそうなシロモノですけどね」
「竜神教は歴史のある宗教だ。大貴族のなかにも、その信徒がいる。それほどの教祖からの品だ。なにかしらの意図が隠されているのかもしれん」
と、エレノアが本を返してきた。
「ガンバって読み解いてみますよ」
しかしそれにしても――と、エレノアはふたたび城壁下の民衆に視線を落とした。
「まさか、ここまで感染が広がっているとは、私も想定できなかった。すべては、甘く見積もった私の落ち度だ」
「都市内でこれほどの感染なんて、何が起きたんですか? 地区担当の竜騎士たちは?」
「みんなやられたようだ」
「ゾンビに?」
ああ、とエレノアはうなずいた。
「ゾンビになっていた。何が起きたのかは不明だ。ゾンビがウヨウヨいやがるから、ロクに調査もできん」
ちッ、とエレノアは舌打ちをした。
竜騎士たちまでゾンビ化しているとなると、なにか尋常ではないことが起きているに違いない。
伝令があってから、感染の広がりが早すぎるようにも感じる。良くないことが起こっているのだ。
紫色に曇っている空を見渡した。
雨でも降るのだろうか。
「オレが行きましょうか。ひとりでも感染していない者を、こちらに運び込むことが出来るかもしれん」
「すでに竜騎士たちを向かわせている。現地にて検査を行い、感染していないことが確認された者から、ドラゴンに乗せて、城壁のこちら側に運んでくるという手筈だ」
冷酷に見えても、さすがは竜騎士長と言うべきか、すでに手は打っているのだ。さりとて、すべてを救えるわけではないだろう。むしろ、切り捨てなければならない命のほうが多いはずだ。
「オレの小隊は、どうしますか? まだゾンビだらけの中で戦えるほどの実力はないかもしれませんが」
シャルリスとチェイテとアリエルの3人は、城壁下の逃げ遅れた民衆を見て、愕然とした顔をしていた。
竜騎士になりたての3人にとっては、凄絶な光景だろう。
ロンやエレノアよりも、世界にたいして敏感な年頃でもある。
「伝令――ッ」
と、伝令官がドラゴンに乗って飛んできた。
「どうした!」
と、エレノアが声を張り上げる。
「右脇腹地区にも大量のゾンビが発生! 仙骨地区にもゾンビの目撃情報がありました! このままでは都市全域が、ゾンビに呑み込まれてしまいますッ!」
「なんということだ……ッ」
と、エレノアは歯ぎしりをしていた。
「いかがいたしましょうか」
と、伝令官がドラゴンからおりてかしずく。
「都市竜全土に緊急避難の鐘を鳴らせッ。生き残っている者は全員、背面中央区に避難させろ。避難が遅れても構わない。検査を徹底しろ。ゾンビ化の疑惑がある者は、その場で首を刎ねろ」
「疑惑の段階で首を刎ねてもよろしいのですか?」
「私が責任を負う。これは命令だ。陽性反応が出た者は、そっこく首を刎ねろ」
「了解です!」
と、伝令官はふたたびドラゴンに乗ると、空へと飛び立った。
「ロンにも、やってもらいたいことがある」
「ええ。もちろん、オレも働きますよ」
「竜読みの巫女のもとへ急いでくれ。この異変を調べるためにも、都市竜の頭部へと向かっている」
頭部――。
以前、ロンとシャルリスで、都市竜の餌をやっていたことがある。場所はわかる。卵黄学園の近くだ。
「巫女を保護すれば良いですか?」
「いや。巫女の手助けをしてやって欲しい。竜語ならば、都市竜の異変を聞きとることも可能なのだろう?」
「ええ」
「都市竜から何か聞き出せたなら、私にも教えてくれ。私はそのときには城のほうに戻っている」
了解です、とロンはつづけた。
「いちおう覚者の援軍も頼んでおきますよ。いい加減な連中なんで、来てくれるかは怪しいですが」
エレノアの目がかがやいた。
「それはありがたい。皇帝陛下直属の地上掃討部隊、ロンの他にも覚者の姿をお目にかかれる機会があるとは」
援軍が来ることよりも、覚者を見れることに喜んでいるようだった。
「期待せずに待っていてください。オレは巫女のもとに向かいます」
「頼む」
と、エレノアはうなずいた。
「これより、左背面地区と左脇腹地区の緊急閉鎖を行う。閉門せよ!」
各地区は城壁によって仕切られている。こういうときのためだ。
その城壁の歩廊の上にて、エレノアがそう命令を発した。
それを受けて、地響きのような音を鳴らして城門棟の門が閉ざされる。
「良いんですか? まだ感染していない人もいるでしょう」
と、ロンが尋ねた。
この城壁を閉ざすということは、地区内に残されている人は、逃げ場を失うということだ。ゾンビに食われるしかない。
事実、城壁にすがりついている人が大勢いた。「助けてくれッ」「私はまだ感染していないわッ」「せめて子どもだけでもッ」……。
耳を覆いたくなるような悲鳴の嵐のなか、エレノアは毅然と立っている。そして凄みを帯びた表情で、その民を見下ろしていた。コハク色の目には殺気と思われるほどの光が宿されている。
「仕方のないことだ。感染していないかどうか1人ひとり検査するには時間がかかる。いまはこれ以上の感染者を増やさないことが先決だと判断した。すなわち感染区域の民衆を外に出さないということだ」
ロンが覚者だとわかってから、エレノアは言葉を改めようとした。が、上下関係が乱れるので、ロンはそれを拒否した。ひとりの部下として扱って欲しいと言ってある。
以前ほどのトゲトゲしさが感じられないのは、やはりロンのことを覚者だと知ったからだろう。
「そうかもしれませんけどね」
ゾンビをひとりでも、受け入れてしまえば、また別の地区に感染を広げることになりかねない。
おそらくまだ感染していないであろう民衆を見殺しにするのは心が痛む。民衆は城壁をよじのぼろうとモガいていた。悲壮と絶望に満ちた表情を、ここからでも見下ろすことが出来た。
「弱いから」
と、エレノアが呟くように言った。
「え?」
「弱いから死ぬのだ。この世界は弱肉強食でできている。知っているか? 群れで生きる動物は体調不良を隠そうとする習性を持つものがある。なぜか? 弱っているとわかると、群れから切り離されるからだ。弱っている個体は、切り捨てられる運命なのだ」
「人も同じですか」
エレノアはやたらと、強い、ということに拘る癖があったな――と思い出した。エレノアはかつて水汲み隊をやっていたことがあって、ゾンビに襲われたと言っていた。そのさいに、アリエル以外の家族を失っている。それ以来、強い、ということに拘るようになったとか言っていた。
「人も同じだ」
「そういう哲学もあるんですね」
人の数だけ、何かしらの思想があるのだろう。それがエレノアの思想なのだ。エレノアの思想をそのまま受け入れようとは思わない。だが、否定できるほどの哲学を、ロンは持ち合わせていなかった。
「私を鬼だと思うか。無情だと思うか」
「いえ。エレノア竜騎士長を責めたりは出来ませんよ。オレだって、救えたはずの命を助けられなかったわけですし」
ニトと竜神教の教祖のことを思って、そう言った。
「教祖のことは残念だ。が、ロンが自分を責める必要はない」
「ありがとうございます」
と、短く応じた。
ロンが行ったときには、すでに教祖はゾンビ化していた。だが、ニトならまだ救いようがあったのに、と思う。今から考えても、すべては過ぎたことではあるが、早急に気持ちを切り替えられるわけでもない。
「渡したいものがあると、ニトは言っていたが、受け取ることは出来たか?」
「いちおう受け取ったんですがね。ただの年表でした」
と、託された青いハードカバーの本を、エレノアにも見せた。
「年表――か。ずいぶん古くからのもののようだな」
と、エレノアはその本を見分していた。
「オレよりむしろ、歴史学者か誰かに渡したほうが良さそうなシロモノですけどね」
「竜神教は歴史のある宗教だ。大貴族のなかにも、その信徒がいる。それほどの教祖からの品だ。なにかしらの意図が隠されているのかもしれん」
と、エレノアが本を返してきた。
「ガンバって読み解いてみますよ」
しかしそれにしても――と、エレノアはふたたび城壁下の民衆に視線を落とした。
「まさか、ここまで感染が広がっているとは、私も想定できなかった。すべては、甘く見積もった私の落ち度だ」
「都市内でこれほどの感染なんて、何が起きたんですか? 地区担当の竜騎士たちは?」
「みんなやられたようだ」
「ゾンビに?」
ああ、とエレノアはうなずいた。
「ゾンビになっていた。何が起きたのかは不明だ。ゾンビがウヨウヨいやがるから、ロクに調査もできん」
ちッ、とエレノアは舌打ちをした。
竜騎士たちまでゾンビ化しているとなると、なにか尋常ではないことが起きているに違いない。
伝令があってから、感染の広がりが早すぎるようにも感じる。良くないことが起こっているのだ。
紫色に曇っている空を見渡した。
雨でも降るのだろうか。
「オレが行きましょうか。ひとりでも感染していない者を、こちらに運び込むことが出来るかもしれん」
「すでに竜騎士たちを向かわせている。現地にて検査を行い、感染していないことが確認された者から、ドラゴンに乗せて、城壁のこちら側に運んでくるという手筈だ」
冷酷に見えても、さすがは竜騎士長と言うべきか、すでに手は打っているのだ。さりとて、すべてを救えるわけではないだろう。むしろ、切り捨てなければならない命のほうが多いはずだ。
「オレの小隊は、どうしますか? まだゾンビだらけの中で戦えるほどの実力はないかもしれませんが」
シャルリスとチェイテとアリエルの3人は、城壁下の逃げ遅れた民衆を見て、愕然とした顔をしていた。
竜騎士になりたての3人にとっては、凄絶な光景だろう。
ロンやエレノアよりも、世界にたいして敏感な年頃でもある。
「伝令――ッ」
と、伝令官がドラゴンに乗って飛んできた。
「どうした!」
と、エレノアが声を張り上げる。
「右脇腹地区にも大量のゾンビが発生! 仙骨地区にもゾンビの目撃情報がありました! このままでは都市全域が、ゾンビに呑み込まれてしまいますッ!」
「なんということだ……ッ」
と、エレノアは歯ぎしりをしていた。
「いかがいたしましょうか」
と、伝令官がドラゴンからおりてかしずく。
「都市竜全土に緊急避難の鐘を鳴らせッ。生き残っている者は全員、背面中央区に避難させろ。避難が遅れても構わない。検査を徹底しろ。ゾンビ化の疑惑がある者は、その場で首を刎ねろ」
「疑惑の段階で首を刎ねてもよろしいのですか?」
「私が責任を負う。これは命令だ。陽性反応が出た者は、そっこく首を刎ねろ」
「了解です!」
と、伝令官はふたたびドラゴンに乗ると、空へと飛び立った。
「ロンにも、やってもらいたいことがある」
「ええ。もちろん、オレも働きますよ」
「竜読みの巫女のもとへ急いでくれ。この異変を調べるためにも、都市竜の頭部へと向かっている」
頭部――。
以前、ロンとシャルリスで、都市竜の餌をやっていたことがある。場所はわかる。卵黄学園の近くだ。
「巫女を保護すれば良いですか?」
「いや。巫女の手助けをしてやって欲しい。竜語ならば、都市竜の異変を聞きとることも可能なのだろう?」
「ええ」
「都市竜から何か聞き出せたなら、私にも教えてくれ。私はそのときには城のほうに戻っている」
了解です、とロンはつづけた。
「いちおう覚者の援軍も頼んでおきますよ。いい加減な連中なんで、来てくれるかは怪しいですが」
エレノアの目がかがやいた。
「それはありがたい。皇帝陛下直属の地上掃討部隊、ロンの他にも覚者の姿をお目にかかれる機会があるとは」
援軍が来ることよりも、覚者を見れることに喜んでいるようだった。
「期待せずに待っていてください。オレは巫女のもとに向かいます」
「頼む」
と、エレノアはうなずいた。
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