circulation ふわふわ砂糖菓子と巡る幸せのお話

弓屋 晶都

第1話 赤い宝石 5.赤い罠

その建物は、円柱状で縦に長い、ちょっとした塔のようだった。
階数が三〜四階程度でなければ、塔だと言い切れただろう。
白く塗られただけで、何の装飾もない外観。
窓がまばらについている為、何階建てになっているのかいまいちハッキリしない。

「周りに罠は無さそうね、入ってみましょうか」
簡単なトラップが検出できる魔法で、そこいらを調べていたデュナが、くるりと振り返る。
こういう小技が色々できるのは、やはり分子レベルで精霊達と取引ができる人の特権だろう。
デュナ自身は、原子レベルで取引が出来るようになりたいらしく、まだまだだと言っているが、あいまいなイメージでの取引しか出来ない私では、応用といったところでたかが知れている。

「こういう時にスカイがいれば、試しに突入させられるのに。まったく、肝心なところで役に立たないんだから」
デュナが呟いているが、そのスカイを助けに来ている以上、スカイがいないのは当然だった。
「フォルテ、本当にいいの? 怖い目に遭うかも知れないよ?」
ついて行くと言って聞かないフォルテに、もう一度問う。
「うん……。外で、一人で待ってるほうが怖い……」
うーん。こんなことなら、あのコックさんのところにでも預けておく方が良かっただろうか。
いや、人見知りなこの子の事だ、それも嫌がったに違いない……。

朝食後、あの屋敷を出て、回復アイテムを購入して、犯人が指定してきたこの建物に着いたのが十一時前といったところか。
もちろん、デュナの精神力は十分に回復してあった。
回復アイテム代は、後ほどスカイに請求されるのだろう。
ショップでデュナが領収書を書いて貰っていたのをチラと見たが、宛名がスカイだった。
『捕まったスカイが悪い』とデュナに詰め寄られれば、スカイに勝ち目はない気がする。
実際は私達の代わりに囚われてくれたようなものだったが……。

「私にしっかりついて来てね」
ぎゅっと私のマントを握り締め、フォルテが真剣な表情で頷いた。
「ええと、マントじゃなくて、手を繋ごうね」
このままではいざというときに首が絞まりそうな気がして、私は左手を差し伸べる。
フォルテが小さな手を重ねてきた。
柔らかい皮のグローブ越しにその手をそっと握りかえす。
ぎゅっと力強く握り返してきたフォルテの手を引いて、デュナの後、私達はその建物に足を踏み入れた。

暗い室内。
まだ朝だというのに、その窓のないホールは薄暗く、がらんとしている。
開いたままの扉から差し込む光だけが、私達の後ろを照らしていた。

「何階に来いとかは書いてなかったわよね?」
デュナが確認する。
手紙を持っていたのは私だが、確認するまでもなくそういう記述は無かった。
「うん。無かったよ」
こちらを振り返らず、部屋の隅々を見渡そうとしているデュナに返事をする。
「それじゃ、あの階段から上に上がるしかないかしら……」
デュナが指した階段は、部屋の左奥、壁に張り付くように螺旋状に上へと伸びていた。
ホールには他に扉もなく、部屋もありそうに無い。
無駄に広いホールが、建物の規模に合わない気がしてちょっと違和感を感じる。

階段に向かうべく、部屋の中へ踏み出すデュナの足元を、すっと精霊が横切った。
その先にも同じ精霊が床スレスレの位置を飛んでいる。

「デュナ! 待って!!」
精霊達は、何かを待ち望んでいるように見えた。
待機させられている。
ということはつまり何かが仕掛けられているということで……。

私の声にデュナが振り返る、その瞬間、凛とした声がホールに響き渡った。

「赤い雫の力をもって、出でよ我が下僕達よ!!」

つい最近どこかで聞いたような声に、視線で声の主を探すと、部屋の奥にオレンジがかった金髪を後ろでひとつにまとめた女性がいた。
口元にじわりと得意げな笑みをにじませて、腕を組んでふんぞり返っている。

あれは確か、屋敷で最初に私達の相手をしたメイド服の使用人さん……。

と、足元に赤い光の筋が幾重にも走る。
円柱状の建物の床を、同じく円を描くように走る軌跡が、デュナの居る辺りを中心に建物いっぱいに広がる。

魔方陣だ。

それも随分大きな……。

「ラズッ!」
デュナが呼ぶ。その周囲には大気の精霊が集まっている。
私達の居る場所からでは、魔方陣が描きあがるまでにその外に出るのは困難だ。
せめて、デュナが発動させるはずの障壁の範囲内へ、フォルテの手を引いて全力で走る。

「精神を代償に、以上の構成を実行!」
精霊達が一斉に見えない空気の壁を作り上げていく。
それは、何かが出てくるであろう魔方陣に対して、私達の足元を包み込むように、お椀のような形で広がる。
障壁完成から一拍遅れて魔法陣が完成した。
床を走り続けていた軌跡がすべて繋がり、一層輝きを増す。
その赤い光の中から、土くれのようなものがぼこぼこといくつも盛り上がる。
いびつな形の頭部の下から、首、肩……と徐々にそれは人の形を現していく。

「傀儡の召喚……ね」
デュナが苦々しく呟く。
その胸元が赤い光を放っている。
「デュナ……その光まさか」
「ええ、やられたわ」
デュナの周りに水の精霊が顔を出している。攻撃のための魔法を用意しているようだ。
「この石を誰が持っているかなんて、相手には関係なかった。この魔法陣の中に石があれば、それでよかったのよ」
ギリッと、デュナが奥歯を噛み締める音が聞こえてしまう。

「ふふっ、まさしくその通り!!」
壁際で偉そうにしていた召喚術師がその声を張り上げる。
いかにも、勝ち誇ったかのような表情がなんとも癪に障った。
一番近くの地面から顔を出していた土くれ人形が、ついにその上半身を露わにする。

「実行!」
デュナがその姿を指すと、水の精霊がキッとした表情で土人形に突撃した。
ボロボロとなすすべなく崩れる人形。

デュナの肩口に止まっていた三人の水の精霊達が
それぞれ青い髪をなびかせて人形達に突撃してゆく。

一体、二体、三体……。
次々に土に戻る人形達。
「ほら、ラズ、どんどん潰すわよ」
「あ、うんっ」
デュナを見る限り、勢いの強い水で流し潰すのが一番効果的のようだが、私は水のイメージがあまり得意でない。

「精霊さん達にオーダーお願いしますっ」
とりあえず、いつも使っている光球での攻撃を試みる。
「私の心と引き換えに、この杖に力を集めてください」
精霊への呼びかけは口に出す必要はないが、口にする方が私はイメージを明確にしやすい。
力の強さ、光球のサイズを伝えて、杖に光を宿す。
私の左手にしがみついているフォルテの側に、土人形が胸の辺りまで姿を現している。

それに向けて杖を振り、光球の発射を依頼した。

光の精霊は、こちらにニコっと微笑んで、土人形へ思いきり光球を蹴り飛ばすと、私の精神をほんのちょっとかじって消えていく。
光球が土人形に叩き付けられ、霧散する。
と同時に崩れる人形。
効果は十分のようだ。

この光球なら、ほぼ百パーセントの成功率で発動できる。
ホッとしたのもつかの間、またすぐ足元が盛り上がりをみせる。
デュナのほうを見れば、ざっと十五体ほどは倒したのだろうか、床には崩れ落ちた土くれが広がっている。
しかし、いまだ赤い光を放つ魔方陣からは、次々と新しい人形が生まれていた。

「いつまで持つかしら?」
金髪召喚術師の声がする。
よく見れば、その後ろには四人の男性が立っている。
中には、料理を運んでいた使用人さんの顔もあった。

暗闇に目が慣れてきたのか、それともこの赤い光が部屋を満たしているおかげか。
隅まで見渡せるようになった室内にも、やはりスカイの姿はない。

敵の数は五人で全てなのだろうか……?

ビュッと目の前を水の精霊が過ぎる。
魔法陣の端のほうで生まれつつあった人形、
膝下まで現れたその姿を水の精霊が流し潰した。

「ラズ! 自分達からの距離より、人形がどれだけ地面から出てきてるかで倒して!」
デュナがこちらを肩越しに振り返り忠告する。
「分かった!」
この傀儡達は、その姿を完全に外に出してしまってからしか動き出せない。
高度な召喚術ではまた違うのだが、このレベルの傀儡には自我というものがないため、完全に召喚され終わり、命令をされるまで、動き出すことはなかった。

次々に地面から沸いてくる人形をせっせと土くれに戻す。
だんだん、単調な作業に思えてきた。
デュナの足元に空になった小瓶が落ちる。
精神力の回復剤を飲んだようだ。

「ラズも、すぐ飲めるわね?」
「うん、まだ大丈夫」
ここに来る前、デュナから渡されていた二本の回復剤が、マントの内ポケットにあるのを確認する。

「キリが無いわね……」
背後からデュナの呟きが聞こえる。
「この石は私では抑えられないし」
「魔法陣の外に出たら、止まらないのかな?」
私は疑問を口にしてみる。
「まず無理ね。移動してる間に、動き出した傀儡達に囲まれて終わりだわ」

「よく分かってるじゃない」
金髪の彼女が、ふんぞり返って答える。
なんでそんなに偉そうなのか、そもそも彼女達の目的はなんだというのだろう。

「あなた達の目的は何? この石で何をしようとしているの!?」
デュナがキッと彼女を睨む。
「ふっ、よくぞ聞いてくれたわ」
金髪の彼女がわざとらしく前髪をかき上げた。

「私達の目的は、召喚術の偉大さを世に知らしめる事よっ!!」
胸を張る彼女の後ろで、男達もうんうんと頷いている。

「……どうやって?」
デュナの素朴な疑問に、ピタリと男達の頷きが止まった。
「そっ……そんなことあなた達には関係ないでしょう!!」
もしかして、具体的には何も考えていなかったのではないかと思えるような返事に、さらなる疲労感を感じつつも、次々と床から生えてくる人形達をちまちま崩していく。

「ちょっと前まで、人気術師ランキングでは常に召喚術師がトップだったというのに、ついに一昨年からは封印術師の方が上に来て……。召喚より封印する人の方が多いなんて、どういうこと!?」
金髪の彼女が、その輝く髪を振り乱して叫ぶ。
もしかしたら、この集団は、封印術師に個人的な恨みでもあるのかも知れない。
封印術師と言えば……。
「マーキュオリーさんはどうしたんですか!?」
ふん。と顎を上げ、少しだけ落ち着きを取り戻した彼女が答える。
「彼女も、あなた達の仲間の男も、この上にいるわよ」
やはり捕まっていたのか……。
とりあえず、スカイと同じく生かされてはいるみたいだけど、この状態をなんとかしなくては助けに行きようがない。
少なくなってきた精神力を補う為、ポケットから小瓶を取り出す。
フォルテにはマントの後ろ側で、そちら側の人形の出現を見張ってもらっていた。
瓶に入った青紫の液体を一気に流し込む。
鼻の奥にツンとくるほどの清涼感と、舌が痺れそうな苦味。この味はどうにも好きになれない。
デュナは結構好みらしいのだが。
フォルテの声に、杖に溜めていた光球を飛ばす。
人形は、やはりあっけなく崩れた。
「……クーウィリーさんも一緒ね?」
デュナが問う。その声がいつもより低い気がする。
「あら、分かってたの? そうよ、あの子ったら封印術師を見返してやるんだとか言ってたくせに、私達が苦労してせっかく手に入れた増幅石を持ち出して逃げるんだもの。一体何を考えてるのかしら」
苛立たしげな声。

つまり、クーウィリーさんは、少し前まで彼女達と共に打倒封印術師を目指して(?)いたにもかかわらず、それを裏切ったという事か。

「やっと捕まえたと思ったら、石は持っていなかったし……。まあ、あの子が頼る相手なんて知れてるから、先回りは簡単だったけれどね」

私達に石を託した後、捕まったクーウィリーさんを利用して、マーキュオリーさんを脅したと言う事なんだろう。
コックさんの話してくれた、幼い二人の可愛らしいエピソードを思い出す。
二人は、とても仲の良い姉妹だったそうだ。

「あんた達よりクーウィリーさんの方が、よっぽど物を見る目があったって事よ」
冷たく言い放つデュナの魔法で、水流が三体の人形を刺し貫く。
やはり、デュナの声が低い……気が……する。
何を怒っているのかも、何となく分かってきたが。
すっとデュナが背中からこちらに寄ると、小声で囁いた。
「スカイ達の居場所も分かったことだし、合図したら階段まで走るわよ」
「うん」
同じく小声で答える。フォルテもこっくりと頷いている。

今までデュナを取り巻いていた二〜三人の水の精霊が、急にその数を増やす。
走り出す前に、出現しようとしている人形達を一掃するつもりなのだろう。

床には人形達の残骸で土のような泥のようなものが何層にも積み重なっていた。

ふと、先ほどまで足元をうろついていた召喚術師の精霊達がいないことに気付く。
「赤い雫の力をもって、我が下僕の肉片よ今ひとつになれ!!」

叫んだのはデュナではなく、金髪の彼女だった。

彼女の周囲に集まっていた精霊達が、一気に部屋へ散開する。
床の上を音もなく舞う精霊達によって、辺り一面を覆いつくしていた土くれが一箇所に集まってゆく。

「――っ精神を代償に、以上の構成を実行!」
デュナが、組みかけていた構成で、みるみる人の形を成してゆく巨大な土の塊に大穴を開ける。
しかし、その穴は精霊達がすぐさま塞いだ。

「やっぱりダメね、走るわよっ!」
デュナの言葉に走り出した私達の前に、二体の人形が立ちはだかる。
大きな人形に気をとられて、見逃してしまったのがいたのか。

「お願いっ!」
反射的に、杖に溜めていた光球を飛ばす。
が、光球に肩を砕かれた人形はそのままこちらに向かってきた。
「ラズ! 下がって!」
くるりと踵を返し、フォルテを抱えるようにして走る。
そのすぐ後ろで、轟音と共に小さな雷が落ちた。

音と地揺れに涙目になってしまったフォルテの頭を撫でながら、辺りを見回す。

部屋の中央に戻されてしまった私とフォルテ。
それを助けに戻ってきたデュナも、やはり階段までまだ距離がある位置だ。

床の魔方陣からはまだちょろちょろと人形が湧き出していて、デュナがそれを潰している。
足元に落ちた瓶は、二本目だろう。

動き出した人形は、その全身を砕かなくては倒せないようだけれど、果たして自分の最大出力の光球でも、それが可能だろうか。
せめて、球体以外の形でイメージできれば良いのだろうけれど……ぶっつけ本番で試すほどの度胸はない。

そんな私達を、部屋の天井に頭が届きそうなほどになった土くれの集合体が
目も鼻も口も無いごつごつした顔で見下ろしている。
金髪の彼女を筆頭とする犯人グループは、その巨大人形の向こう側だ。

足元では、デュナが新たに砕いた人形達の破片が、次々に巨大人形の材料にされている。

「二人とも、私の傍に!」
デュナが駆け寄ってくる。その周りを水ではなく大気の精霊が飛び交っている。
結界かな?
なるべくデュナにピッタリ身を寄せるようにして、左手でフォルテを抱え込む。

「実行!」
案の定、私たち三人をぐるりと包んだ空気の膜が生成される。

ホールには、もう五体……いや、六体に増えた人形達がふらふらとこちらに向かってきている。
まだ床からは無数の頭が覗いているし、巨大な人形もその指先まで成形が進んでいた。

デュナは結界を保ったまま上階へ移動するつもりらしい。
そろそろと進む彼女から、なるべく離れないように歩く。
デュナの額には汗がにじんでいた。
おそらく、今は言葉を発することも難しいのだろう。
私の横から結界に触れてきた人形が、電撃に弾き飛ばされる。
衝撃にビクッと身をすくめたフォルテが足を止めそうになる。

「大丈夫だよ」
その背中を軽くさすって、私達はデュナの後に続く。
一瞬私を見上げて、ただコクリと頷いたフォルテの、大きな瞳にいっぱい溜まった涙が、私の恐怖心を吹き飛ばす。
この子だけは、絶対に守りぬかないといけない。
怖い目に遭わせてしまった罪悪感を、強い決意で塗りつぶして、右手のロッドに精一杯の力を集めた。

階段が目前に迫ってくる。
結界の周りを、八体の人形が囲んでいる。
吹き飛ばされた三体も、また起き上がりこちらへ向かっていた。
階段を駆け上がったとして、人形達は追ってくるのかもしれないが、
少なくとも大きな方の人形に、それは難しいだろう。

スカイはまだ眠っているだろうか。

途端、見つめていた階段が姿を消す。
大きな音と地響き。

目の前には大きな土で出来た手が、壁のようにそびえ立っていた。


この壁のような腕を、思いきり振られたら。
私達は三人とも吹き飛ばされ、部屋の壁に叩き付けられて終わるだろう。

背筋を冷たい汗が伝う。
物言わぬ人形達がうごめくホールは、驚くほどに静かだった。


以前にも、こんな風に死に直面したことがある。

あの時は、母が小さな私の体を強く抱いていて、精霊達が母の命を見る間に奪っていて……。
『やめて! お母さんの命を食べないで!! 私の心をあげるから!!』
幼い私の叫び声。あちこちを赤く染めたまま、必死で駆け寄る父。
父の涙を見たのはあの日が初めてだった。


「分かったわ。 赤い石はあなた達に渡す。この腕をどけてちょうだい」
デュナの吐き捨てるような台詞に、私の意識はちょっとした走馬灯から引き戻される。
いけないいけない。
今は目の前の事に集中しないと。

左手で握り締める小さな手。
これが、今、私が守らないといけないものだ。


「やっと力の差が理解できたようね」
姿こそ見えないが、余裕に満ちた声がそれに答える。
「……理解できてないのはあんた達よ」
小さな呟きが、デュナから漏れた。
きっと彼女達には聞こえていないだろう。
その言葉の意味は、私にも理解できなかったが。

金髪の彼女が人形に指示を出すと、
目前にあった巨大な手の平は地響きと共に引っ込められた。

デュナが、まだ光を発している赤い石を白衣の内側から取り出すと、犯人グループに向けて放り投げた。
慌てて石に飛びつく犯人達。

「ちょっと! 何て乱暴なことしてくれるのよ!! 石が割れたらどうするつもり!?」

石を拾ってこけた彼女が、ロングスカートの膝についた土をバタバタと叩き落としながら怒鳴った。
「そのくらいで割れるような石なら、とっくにクーウィリーさんが叩き割ってるわよ」
デュナがしれっと答える。
両手で石を握ったまま、首をかしげる彼女の目の前に、突如、巨大な腕が振り下ろされた。

彼女達に直撃するような位置ではなかったが、
もしかしたら何人か吹き飛ばされたかもしれない。

「……やっぱりね」

呟くデュナに、腕が振り下ろされた辺り、土煙の中から浅緑色の風の精霊が嬉しそうに飛びついてくる。
その3人の精霊がデュナの精神をいただいて消えていったということは……。
「すぐにそのデカイのを解体しなさい!! 狙われてるのはあんた達よ!!」
鋭く叫ぶデュナ。
土煙の向こうから見えてきた金髪の彼女は、ぽかんと口を開けていた。
と、巨大人形が、もう片方の腕を振り下ろす。
金髪の、彼女の頭上目掛けて。

「実行!」
デュナの声に従い、風の精霊達が揃ってその腕を奥へと押しやる。
腕は、彼女達のその向こう、壁にめり込む形で落ちた。

つまり、先ほども、デュナは彼女達を助けていたと言う事か。
「ほら早く!!」
デュナの刺すような声に、ハッと我に返った彼女がみるみる青ざめてゆく。
「なん……で……。暴走……?」
床にめり込んでいた2本の腕が、音を立てて持ち上がる。

「チッ」
デュナの舌打ちと共に、私達の周りの障壁が解除される。
そこでやっと、今まで張り続けられていた事実に驚く。

「以上の構成を実行!」

犯人達の前後に置かれていた腕が、彼女達を挟もうと動き出す。
その両腕をデュナの放つ水流が砕いた。

体から切り離される形になった両腕が、水と共に床に落下する。
「ひ……」
誰のか分からない、小さな悲鳴が聞こえた。
彼女達は目の前の事実に完全に震え上がっていた。

……今の今まであなた達のせいで、私達もそんな目に遭ってたんですが……。
「早く解体しなさい!」
デュナが怒気を含んだ声を上げる。その額を、顎を、流れ出る汗が伝っていた。

「ごめん、開けて」
ぽい、とデュナから渡されたのは三本目の精神回復剤だった。
本人は次の攻撃に備えて、また風の精霊を呼び出している。
デュナが三本、私が二本の回復剤を持ってきたわけで、デュナはこれが最後の一本になる。
「はい」
手早く蓋を開け、こぼれないようにそっと渡す。
デュナはそれを一気に飲みほすと、空き瓶を床に落とした。

「じ、従順なる我が下僕達よ、今その身を土片へと帰せ」
震える声で、金髪の彼女が契約の終了を告げる。
しかし、人形達の反応はない。
傍にいた青年に囁かれ、もう一度言い直す。
「従順なる我が下僕達よ、赤い雫の力をもって、今その身を土片へと帰せ!」
やはり変化はない。
巨大な人形は、先ほどからその腕を修復し続けているし、床から顔を出している人形も、その動きこそ止めたままだが、土に返ろうという気配はさらさらなかった。

「自分で召喚した人形も帰せないなんて、傍迷惑な……」
デュナのため息交じりの台詞に、青ざめていた彼女の顔が赤くなる。
「こ、こんな事今までなかったのよっ!!」
言い返す彼女の声を、轟音が遮る。
いち早く治った巨大人形の右腕が、またも振り上げられたのをデュナが弾き飛ばしたのだった。

「きゃぁぁぁぁ!」
風と地鳴りに金髪の彼女が頭を抱えてしゃがみ込む。
「もういいわ。赤い石を返しなさい。それを持っているから狙われるのよ」
「なっ! その石は元々私達の――」
デュナの言葉に反論しかけた彼女の声は、
続いて治った左腕が持ち上げられたことによって途切れた。
「死にたいの?」
デュナの声に、彼女達は屈するしかなかった。

こちらに向かって投げられた赤い石は、いまだその不気味な輝きを保っている。
「ラズ、フォルテ、触っちゃダメよ」
相変わらず、私達に対しては優しい諭すような声。
「うん」「はーい」
私とフォルテは素直にそれに従った。

その結果、赤い石は誰にも拾われることなく、私達から少し手前の位置に落下した。
床に叩き付けられ、跳ね返る度に、赤い光が飛び散る。

「綺麗……」
フォルテが小さく漏らす。
動きを止めた石には、やはり、傷ひとつ付いていない。

「マーキュオリーさんは何階に居るの? 封印術はすぐ使える状態?」
デュナの問いには、男性が答えてきた。
「さ、三階です。 椅子に縛ってあるだけなので、おそらく……」

巨大人形は、赤い石が金髪の彼女の手を離れてからその動きを止めていた。
もしかして、彼女は倒すべき相手のイメージに
石を持ったデュナを思い描いてしまったのだろうか?
そして、そのまま制御が離れて、イメージの書き換えが出来なくなった……と言うところか。

「ラズ、その光球で、壁の亀裂を狙って」
壁の亀裂……というと、
「あの人達の後ろの?」
巨大人形の右手がぶつかったときの亀裂だ。
「ええ、出口までは遠すぎるわ」
つまり、壁に穴を開けて、犯人さん達をひとまず外に出そうと言う事か。
先ほどの会話から察するに、私達はその後三階へマーキュオリーさんを助けに行く事になりそうだが……。

「突き抜けた後の事を考えて、斜め上に向けて、全力でね」
「うん、やってみる」
デュナのアドバイスを受けて、右手のロッドに力を込める。
当のデュナは結界の準備をしているらしく、周りには大気の精霊が集まりつつあった。

「フォルテ、ちょっと下がっててね」
反動でフォルテまで吹き飛ばされないよう、声をかける。
たっぷりの光を集めたロッドを両手に握り直し、叫ぶ。
「お願い!!」
左後ろでギョリッという耳障りな音がした。
まるで、ガラスの瓶を何かに擦り付けたような……。
その途端、マントが思いきり後ろに引かれ、上半身が大きくのけぞる。
私のロッドから放たれた、私の全力を込めた光球は、真直ぐ真上に
天井を3枚突き破り、青い空へと消えていく。

空の青と、眩しい日差し。

私に残されたのは、今日は洗濯日和だなあという場違いな感想だけだった。


バラバラと頭上から降り注ぐ3枚分の天井の破片を、デュナの障壁が遮っている。
本来なら、壁の破片から犯人達を守るための物だったのだろう。

私はというと、後頭部から地面に叩き付けられる……はずだった。
が、想定していた痛みに反して、背中と後頭部に伝わってきたのは、
ぷにょっとしたクッションのような感覚だった。
次いで「ぷぎゅぅ」という何かの潰れる音。
慌てて跳ね起きる。そこには、私のマントの裾を握りしめたまま、泥だらけの床に顔から突っ伏したフォルテが居た。

「フォルテ! 大丈夫!?」
「ううう……」
涙と泥でにじんだ顔を上げるフォルテ。
額に擦り傷が出来てしまっている。

土が口に入ってしまったのか、泥だらけの口を半開きのまま持て余しているフォルテに
「土は、ぺって吐き出して、ぺって」
と声をかけて、顔の泥をひとまずマントで拭い落とす。

スポットライトのように、私達の居る場所だけが太陽に照らされたことによって、室内はさらに暗く見えづらいものになっていた。

足元には精神回復剤の小さな空き瓶と、土の残る床に滑った痕跡。
フォルテは、私から離れようと後ずさって、これを踏んでしまったのか……。

「フォルテ、大丈夫ね?」
肩越しに、顔だけこちらに向けたデュナが聞く、
デュナはいつの間にか、私達の頭上に展開された障壁とはまた別に、大気の精霊を呼び出している。
天井からの瓦礫が降り止むと、動く物のなくなった部屋はシンと静まり返っていた。

コックリ頷いたフォルテに軽く微笑んでから、デュナが私に目を合わせる。

「ラズ、今のもう一発いける?」
「うん、たぶ……ん……」
幾分頼りない返事を返してしまった私に「じゃあお願い」と笑顔で声をかけて、デュナは巨大人形の方へと向き直る。
本格的に障壁の構成に取り掛かったようだった。

隣でシュンと落ち込んでしまったフォルテの頭をぐりぐりと撫で回して、私も両手にロッドを握り直す。
ちらと横目で見ると、フォルテが困ったように照れ笑いを浮かべてこちらを見上げていた。
まだ目の端には涙が浮かんでいるが、大丈夫だろう様子に、ロッドに光を集め始める。

ひと段落したら、すぐに治癒術をかけてあげよう。
可愛いその顔に擦り傷の後が残らないように。

私が、先程の光球の半分ほど力を集めたあたりで、
デュナは魔法の準備を完了したらしく、犯人グループに声をかける。

「そっち側の壁を壊すから、穴が開いたらすぐ外に出なさい!」
「ちょ、ちょっとあんまりあちこち壊さないでよね!! 誰が修理代払うのよ!」
金髪の彼女の反論に、デュナがうんざりと答える。
「そんなのあんた達に決まってるじゃない」
「に、人形達は止まってるんだから、普通に扉から出ればいいじゃない!」
そう言う割りに彼女達は、動きを止めたままの人形に囲まれた現在地から抜け出す様子がないのだが。

「姿を留めてるって事は、力が供給され続けてるって事でしょ。いつまた動き出すか分からないから、あんた達はそこに団子になって震えてるんじゃないの?」
「ふ……震えてなんかいないわよ!!」
彼女がそう叫んだとき、
今まで床の上で煌々と赤い光を纏い続けていた石が、突如強烈な光を放った。

赤い光に部屋中が飲み込まれる。

床の魔方陣も、呼応する様に輝きを増し、
私達の恐れていた事態が、現実の物となった。


人形達が一斉に動き出す。

大きな腕を振り上げた状態で停止していた巨大人形も、今、その腕を振り下ろさんとしている。

「くっ」
デュナの声が漏れる。今からでは風の精霊も水の精霊も呼んでいる暇が無いだろう。
既に構成を完了させている障壁では、その腕を防ぎきれるか分からなかった。

私のロッドに溜まっている力は、まだ先程の威力には満たないが、今はこれを放つしかない。全力で。

「力を貸して、お願いっ!」
光球は、人形の太い二の腕を貫くとその向こうの壁に小さな穴を開ける。

威力を高めるのに必死でサイズが小さすぎたのか、人形は穴の開いた腕を、そのまま金髪の彼女へと振り下ろした。

彼女に触れる少し手前で、その腕が弾き返される。
デュナの障壁だ。
その衝撃で、巨大な腕は穴の開いた部分から砕け落ちる。
派手な音を立てて落下する腕。
巻き起こる土煙に、つい息を止めてしまう。

犯人達を包み込むように、ぐるりと張られた障壁によって、
彼女達は飛び散る腕の破片や土煙、そして動き出した人形達の手から守られている。
しかしそれも、障壁に取り付いた数体の人形や、腕を折られ尻餅をついた巨大人形に、みるみる腕が再生されてゆく様を見ていると、何だか絶望的な光景に見える。

「ラズ、壁にもう一発。威力は、弱くてもいいわ。サイズ大きめに、穴の開いたところを、狙って」
こちらを振り向かないデュナの声は途切れ途切れだった。
障壁へ真直ぐ伸ばした指先が震えている。
現在も人形達によって、障壁には負荷がかかり続けていた。

「精霊さん達にオーダーお願いしますっ」
慌てて精霊に呼びかけなおす。
「私の心と引き換えに、この杖に光を集めてください」
杖に集まる光を、なるべく平らに、均等にのばしてゆく。
薄い皮グローブの中で、ロッドを持つ手が汗ばんでくる。
急がなきゃ。けど絶対失敗出来ない……。
焦る気持ちが集中の邪魔になる。

「ラズ、頑張って!」
傍から聞こえたフォルテの声。
途端に、狭まっていた視界が一気に広がる。
大丈夫。いつもの光球に、ちょっと応用するだけだ。
慎重にやれば、必ず成功する。
「お願い!!」
勢いよくロッドを振る。
尻餅をついていた巨大人形が緩慢な動作で起き上がる。
その鼻先を掠めた光が壁に激突する。
盛大な音をたてて、ひび割れていた壁が瓦解した。
外の明るい日差しが室内に差し込まれる。

「実行!」
デュナから放たれた水の精霊達が、
障壁に張り付いた人形達を無理矢理引き剥がす。
「走って!!」
デュナの声がまだ地鳴りの残る室内に響き、障壁が解かれた。

這う這うの体で逃げ出す犯人達。
金髪の彼女が、壁を越える直前で名残惜しそうに赤い石を振り返っていたが、背の高い男性に手早く抱えて連れ出される。
一、二、三、四、五……五人で全員だったはずだ。見たところ、逃げ遅れは無さそうだった。

ほっとした途端、膝を付きそうになる。
そんな私に気付いてか、デュナが振り返った。
「まだもうちょっと頑張るわよ、石を封印しないとね」
そう、私達の前方に転がっている赤い石のお陰で、床からはまだ延々と人形が湧き出している。
と言っても、新たに生まれてくる人形達は、出てきたままの姿でじっと立ち尽くしてくれているのだが、部屋には既に二十体以上の人形が出現していた。
動いている一部の人形達も、ターゲットの指定がされていないらしく、誰を狙うでもなくただゆらゆらと前進し続けている。
そのほとんどが、デュナの風魔法で壁へ向かうよう方向転換させられたので、現状としては、立ち尽くす十数体の人形に、壁にぶつかっても尚前進しようとしている人形が壁際に数体、それと、こちらへ向かってきている巨大人形というところだ。

風の精霊を呼び出しかけていたデュナが、それを中断して言った。

「ダメだわ。ひとまず避けましょう」
フォルテの手を引いて、デュナと一緒に巨大人形の直進ルートから離脱しつつ声をかける。

「精神足りない? 回復剤まだ一本残ってるよ」
「ごめん、もらっていいかしら」
やはり、先程の障壁と魔法連射が堪えているようだった。
彼女の額には汗で髪が張り付いている。
「こんな場所じゃなければ、爆発物が使えるのに……」
悔しげに呟くデュナに、私は瓶を取り出し、蓋を開けて手渡す。

振り返ると、私達の居た辺りを通り抜けて、巨大人形がその向こうの壁に激突しようかというところだった。

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