circulation ふわふわ砂糖菓子と巡る幸せのお話

弓屋 晶都

第1話 赤い宝石 1.はじまりの朝

朝の光が、木々の間に透明で細い筋をいくつも作っている。

冷たく重い夜の気配が、ようやく温かい光に溶かされてきた頃、私達の今朝一番の仕事であった、薬草摘みも終わりを迎えた。

こんな森の中にも拘らず、いつもどおりの真っ白な白衣を膝下で翻しながら、デュナは、数え終わった薬草を丁寧に袋に詰めた。

「予備の数を含めても、これだけあれば十分ね」

肩につかない程度に切り揃えられた紫がかった青いサラサラの髪に、ラベンダー色の瞳。そこにかかる細いシルバーフレームのメガネを指先で軽く押さえて顔を上げると、デュナは周囲を軽く見回しながら声をかけた。

「皆、帰るわよー」
「はーい」
「おう」

私の声とスカイの声。
もうひとつ聞こえるはずだった鈴を鳴らすような可愛らしい声がしない事に気付き、視線を落とす。
すぐ近くに、ふわふわのプラチナブロンドの先を地につけて、フォルテがしゃがみこんでいた。

「どうしたの、どこか痛い?」

微動だにしない後姿に不安を感じつつも、極力いつもと変わらない調子で声をかけ、後ろから覗き込む。

フォルテの視線の先には、黄味がかった透明で薄いサナギから、ぐいっと上体を反らした蝶が、正に今羽化しているところだった。

薄暗い森の中では輝いてすら見えるほどの、白くて柔らかそうな姿。
微かに震えるその瑞々しい羽が、静かに広げられてゆく様に目を奪われていると、不意に背後からスカイの声がした。

「はー……。なんだよ二人して、心配するだろー?」
詰めていた息とともに吐かれた言葉に、先ほどの自分を思い出す。
「ごめんごめん、蝶の羽化って初めて見たけど、すごいね。こんなに早いんだね」
この蝶は、サナギから這い出てくるまで、ほんの二十秒にも満たなかった。
「スカイは見たことあった?」

私の問いに、鮮やかな青い髪をした青年は、頭に巻いた黒いバンダナ越しに頭をかいた。
そのバンダナには、つぶらな瞳と、口が彼自身により書き加えられている。
バンダナの結び目から後ろを尾ひれに見立てると、スカイは頭にクジラを被っているような風貌だった。

「うーん。小さい頃見たことがあったような気がするんだけどな……。あんまし覚えてないや」

思い出そうという努力を早々に放棄して、彼は、姉であるデュナと同じラベンダー色の瞳に朝日を宿して笑った。


「3人とも、あまりのんびりしている時間はないわよ」
デュナの声に我に返る。

こんな早朝にこの森に来たのは、もちろん、この森にしか生えていない薬草を採って来るというクエストを受けていたからだが、その薬草は朝に限らず一日中、むしろ年中取れる。
にもかかわらず、わざわざ眠い目をこすってこんな朝早くに出かける必要があったのは、そうしないと、この森に住む好戦的な黒い獣に襲われる危険があるからだった。

「ほら、フォルテ、行くよー?」

自分より六つほど幼い、ふわふわのプラチナブロンド頭を軽く揺すって、私達は森の出口へと歩き出した。

十分ほど歩いただろうか。そろそろ森の出口も見えようかという頃になって、その音は聞こえた。

低く、底に響いてくるような不愉快な音。
それも、一つ二つではなかった。

「……囲まれたわね」

苦々しく呟くデュナの声が聞こえる。
振り返ると後ろの草陰からも、赤く光る鋭い眼差しがこちらを見据えているのが確認できた。

「あー、でもさ、こう、そーっとやってきて、ガバッと襲ってくるようなのじゃなくてよかったよな」

短剣を両手に構え、若干腰を落とした姿勢のスカイを、デュナは一瞥する。
「そういう手合いは一匹で来てくれるから、あんたが食われてる間に倒せば済むわ」
「俺かよ!」
デュナは弟に取り合う様子もなく続ける。
「こんな風に、団体で来られる方がよっぽど厄介だわ……。こいつら一斉に飛び掛ってくるわよ?」

じりじりと包囲を狭めてくる黒い獣達が、一匹、また一匹と草陰から姿を現してくる。
低く伏せたその黒い塊は、いつ飛び掛ってきてもおかしくなかった。
姿が確認できているだけで、七匹は居る。
そう大きくない毛の長い狼といった風体だが、体格に不釣合いなほど大きな爪と、唸り声を上げる口の端からのぞく鋭い牙。
闇に溶ける黒い毛皮から覘く真っ赤な眼に、否応なく恐怖心を煽られる。

と、右肩がずしりと重い事に気がついた。
見れば、ふわふわのプラチナブロンドがマントの裾にしがみついている。
その顔は明らかに青ざめ、特徴的なラズベリー色をした大きな瞳に恐怖の色が滲んでいた。

「フォルテ、大丈夫だよ、相手はレベル四十くらいだから、十分倒せるよ」

なるべく優しく話しかけて、左手で頭を撫でる。
フォルテが右裾にしがみついているので、少し無理のある仕草にはなったが、今、利き手から杖は手離せない。

まあ、レベル四十くらいの敵を確実に倒せるのは、私達四人に対して、相手が一匹である場合なんだけど。と胸中でこっそり付け足したとき、黒い影が一斉に地面を蹴った。

右前、正面、左後ろ……咄嗟に、正面にから飛びついてきた一匹に杖を向け叫ぶ。

「お願いっ!」

声を合図に、杖の先端の球に宿っていた光の塊が飛び出す。

ギャン! と鳴き声を上げて落下する獣。
それが地面に触れるのを確認し終わらないうちに、視界が塞がれる。

鋭く空を凪ぐ音と、獣の悲鳴。スカイの背中が、その間にあった。
右からの獣は、短剣で額に大きく傷を負ったようだった。

ちらと左を見ると、後ろから飛び掛ってきていた獣は
前足を片方上げてひょこひょこしながら体勢を整えている。
こちらも、スカイにやられたのだろう。

正面の獣が起き上がり、頭を振ってこちらに向き直る。

デュナ側は数匹くらい仕留めたのかも知れないが、後ろを振り返る余裕はない。
目の前の獣達は、まだまだ戦意を失うことなくこちらを睨み付けている。

「スカイ! 獣の気を引いて!! ラズ達はこっちに!」

デュナの声に弾かれるように、スカイが獣達の間に突っ込む。
私の正面の獣が、私から視線を外すやいなや、フォルテの腕を掴んでデュナに駆け寄る。
デュナの足元には三匹の獣が黒焦げになっていた。

「以上の構成を実行!」

デュナの声に、私達と獣達を隔てる見えない壁が生まれる。
障壁だ。

障壁の向こうから、ガチャンという音がくぐもって聞こえたかと思うと、次の瞬間、爆音が響き渡った。

爆風も、土煙も、目の前の壁に弾かれ左右に流れてゆく。
轟音に混じって聞こえてくる、獣達と、スカイの断末魔。

「「スカイ!!」」

私と、フォルテの声が重なった。

まだほんの少し朝の匂いを残した空気に、思いのほか早く土煙が収まってゆくと、地面にはところどころが吹き飛んだ黒い塊がいくつも落ちている。
その中には、デュナが投げ込んだらしきフラスコの破片もあった。
ガラスがあちこち融けかかっているところを見ると、爆心地は相当な温度になっていたようだ。

スカイは、髪こそ鮮やかなブルーだが、服は森に紛れる緑で、肘上からあるロンググローブ、ブーツ、クジラのバンダナに至っては黒づくめだった。
この黒い破片の中に、彼の欠片が混ざっているのではという考えが頭を掠めたとき、少し離れた場所から大いに咳き込む声が聞こえた。
それと同時に目の前の壁が霧散してゆく。

「ちょっ……ねーちゃんっっ! こういう事はやるならやるで事前に一言……っ」

そこまで一気にまくし立てて、またげほげほと苦しそうにむせる。
どうやら爆煙を多少なりとも吸ってしまったらしいスカイが、ふらふらとやってくる。
服のところどころが焦げているのがここからでも確認できた。

「言わなくてもわかってるじゃない」

悪びれるそぶりもなく言い放つデュナに、スカイはその場でがっくりとうなだれた。
肩で、まだ大きく息をしながら咳き込んでいる。
フォルテがトコトコと駆け寄り、「大丈夫?」と心配そうに背中をさすった。

獣にやられたのであろう、切り裂かれた痕が肩や足に残っている。
傷を癒す為、神への祈りを唱えながら、スカイに近付く私に、デュナが声をかける。

「浄化も一緒にお願いね。あの煙、有害物質の塊だから」
「ねーちゃんっ!!」
スカイの抗議の声に、デュナがぴくりと眉を上げる。
「一度ならず二度までも……」
そのままツカツカとスカイに近付くと、スカイの耳をつまんで引き上げる。
「いでででっっ」
「外では、名前で呼ぶように……言ってあるわよね……??」

私も、スカイも、家に居る頃はずっとデュナを姉と呼んでいたのだが、こうやってパーティーで外をうろつくようになって、そう呼ばれることで見知らぬ人にまで自分が一番老けていると気付かれる事が我慢ならなくなったらしい。

私には、まだよくわからない気持ちだが、デュナくらいの歳になると分かってくるものなのだろうか。
それはそれで、遠慮したい気もする……。

途中で途切れてしまった祈りの言葉を、もう一度はじめから唱え直す。
神官達の使う魔法=奇跡の力等と呼ばれるそれは、私やデュナの使う魔法=魔術に比べとても単純なもので、資質のある者なら正確に祝詞さえ唱えきれば発動できるーーのだが、如何せんその祝詞が長すぎると思う。
口に出さねばならない事もまた厄介で、正確な祝詞を覚えていても、噛んでしまうと役に立たない。

もしかしたら、神官見習い達の修行には、早口言葉の練習があったりするのではないかと本気で考えながら、治癒術をかけた。

「ありがとな」
スカイが、屈託の無い笑顔で顔を上げる。
浄化が効いたのか、苦しそうな息も治まっていた。
「こちらこそ、さっきは助かったよ、ありがとね」
私が答えると、フォルテも慌てて
「私も……。ありがとう、スカイ、ラズ」
と嬉しそうに私達を見上げる。

焼け焦げた地面で、あれこれ何かを収集しては、試験管やシャーレに詰めていたデュナが、満足そうにこちらを振り返った。

「さあ、帰るわよー」

きっとまた、デュナは、今日拾った何かで怪しげな薬を開発しては、スカイに飲ませるに違いない。
そして、私はそれを浄化することになるのだろう。

そんな確信にも似た思いを胸に、すっかり得意になってしまった浄化の祝詞を思い浮かべつつ、私達は町へ戻った。

          

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