純白の魔法少女はその身を紅く染め直す
5:春霖に身体を濡らす①
晴天だった。
特に風が強いわけではなく、湿度もそこそこと言う過ごしやすい日だった。
そんな天候でも、建物の中にいればさほど関係ない。
机の上に置かれた温度計の数値は、エアコンによって管理されている。だから、なおさら関係なかった。
着物を着込んでいる彼女にとって、少し肌寒いくらいが好みなのだ。
ガチャリと小さな音を立ててその部屋に入ってきた人物が、寒さに震えてしまったのは必然的だろう。
「……女性の部屋に入るときは、ノック必須どすえ」
ましず子は、机に向かってはいたものの特に何かをやっていたというわけではない。しかし、鍵をかけたはずの部屋へその人物が入ってきたことに少しだけ怒りの表情を見せる。
「ごめん、気をつける」
ドアのところには、申し訳なさそうに眉を下げたカイトが立っていた。
彼に、魔力を使っていない鍵などないに等しい。
「……はあ、そんな辛気臭い吸血鬼がどこにおるん?」
「……」
その顔は、見ている人にどこかウサギを連想させてくる。
何か言いたげな表情が、ましず子の苛立ちを加速させた。彼は、いつもこうやって周囲をイラつかせる。
「なんで割り切れへんのやろ……。そんな難しいことですの?」
「僕はもともと暴力が好きじゃない……」
「人殺しておいて、それはないんとちゃいますか?」
「……今日は見てただけ」
先ほどまで、拷問の監視役として別室にいたカイト。途中で具合が悪くなってしまい、勝手に退出したのだ。あとで怒られるに違いない。
目の前で、知らない人とはいえ痛めつけられている姿を見るのは、彼にとって「拷問」だった。いくら必要な情報を聞き出すためとはいえ、良心が許せない。
カイトは、そんな性格の持ち主なのだ。目の下にはっきりと見えるクマが、その痛みを代弁している。
「……はあ。で、なんでここに来たんですの?」
「……わからない」
ましず子は立ち上がって、カイトの方へと歩み寄った。こうなった彼は、誰かが会話の主導権を握ってやらないといくら経っても動かない。それは、昔から変わらないことだった。
そのままカイトの手を握ると、血が通っていないのではないかと心配してしまうほど冷たくなっていた。
「寒いんだ……。魔法も効かない」
「……」
その冷たさは、異常だった。エアコンの効きすぎた部屋ではあるものの、ここまで急激に冷えることはない。元々、冷えていたのだ。
ましず子の、平均よりも高めの体温で触れても温かさが戻らない。魔法で温めても、同様の結果に終わってしまう。彼の皮膚が、温かさを拒絶しているようだった。
ましず子は、すぐにストレスからくるものとわかった。しかし、それを彼に伝えたところで改善される訳ではない。
「血が足らへんとちゃう?」
「……不味くて飲めない」
そう、これも原因のひとつだ。
カイトは、ユキの血を飲んで以降一滴も体内に入れていなかった。
毒を盛られていたものの、あの味が忘れられないのだ。サツキの血と同じ味のそれは甘美で、どこまでも彼を魅了してしまっていた。
しかも、あの血には情報が全くなかった。いつもなら考えや行動が読み取れるのに、それは真っ白なキャンバスが永遠と続いているようにしか感じ取れなかった。
初めての経験に、恐怖心と好奇心を掻き立てられたためか、それ以降に誰を吸血しても不味すぎて身体が拒絶反応を見せるようになってしまう。
「……せやかて」
「飲めないんだ……」
実際、ここ数週間でカイトの見た目が変化していた。かなりやせ細り、食事をずっとしていないことが誰の目で見てもわかるくらいに。
ただ、ましず子にはやはり苛立たしい材料に他ならない。なぜ、こんなにも苛立っているのか、本人にもわかっていない様子。眉間にシワを寄せて、目の前でしょぼくれているカイトを捉えている。
「カイトはんは、なぜこの組織に入ったんですの?」
「……」
「まさか、ダークヒーローに憧れてたとか言わへんどぉくれやす?」
「……違う」
下を向いた彼は、手のひらに力を入れる。
その手は、小刻みに震えていた。
「……サツキがいたから」
「サツキはんはもう居ないんどす!」
ましず子は、苛立ちの原因がここでやっと判明した。カイトの胸ぐらを掴み、
「あんた、サツキサツキって!もういない人の話はしいひんでや!!」
と、食ってかかる。
「そないやから、こんな組織でしか生きられない身体にされてくんやで!あんた、何人殺した?何人、血を抜いて殺したん?」
こんな女々しい奴だったのか。
ましず子は、彼の決意の弱さに苛立っていた。
「……」
カイトは、それをされるがまま。
顔を下に向けて、静かにましず子の怒りを受け止めている。
「……そないやから、サツキはんはあんたから逃げたんとちゃいますか?殺人鬼に成り下がったあんたから!!」
カイトの態度にイラついた彼女は、言ってはいけないとわかっていながらその言葉を口にしてしまった。
「……っ!」
すると、無抵抗だったカイトはスイッチが入ったように瞳を赤くし、両手で目の前にいた彼女の細い首を絞め始める。
瞳孔を見開き、まっすぐにましず子の顔を見ながら。
その威圧感は、今まで辛気臭くいた彼とは正反対のもの。
痛々しいほど鋭い空気が、その場を支配していく。
「……っ、う、っ」
「サツキは、僕から逃げたんじゃない。違う。違う」
彼女の必死な抵抗を気づいていないように、独り言をつぶやくカイト。
何度も何度も、壊れたように同じ言葉を繰り返している。
「っ、っ、……」
こうなってしまえば、なにをしても本気の彼にかなわない。力は、人間よりも強い。たとえ、彼が子どもだったとしても。
酸素を求めて息を吸うも、ましず子の肺にはなにも入ってこない。次第に視界が霞んでいくのを、見ていることしかできなかった。
「……あ。ごめん、なさい」
それに気づき、すぐにカイトが手を離す。
殺したい訳ではなかったようだ。衝動的に身体が動いてしまったと言うことか。
すると、ましず子は崩れるように床に倒れてしまった。
「……」
息はしているものの、完全に気絶していた。
カイトは、申し訳なさそうにましず子を抱き上げると、そのまま目の前にあったベッドへとゆっくり運んだ。
そっと寝かせ、自分もそこに腰を下ろす。そして、起こさないように彼女の頭を優しく撫であげた。
その行動は、贖罪か。
カイトにも、よくわかっていない。
「ごめんなさい」
カイトは、サツキのことになるとどうしても頭に血が上ってしまう。彼自身もわかっていないくらい、別の感情が湧き出てきてしまい吸血鬼の力をコントロールできなくなる。
いつも反省するものの、やはり目の前でそれが起きると冷静には対処できない……。
きっと、これからもこの感情は組織に利用される。
そう思っても、カイト自身にはどうしようもない。それほど、彼にとってサツキは特別なのだ。
「……」
ベッドの上で眠り続けるましず子を残し、カイトは逃げるように部屋を後にした。
彼自身、なぜこの部屋に来たのかわかっていない……。
***
「……」
彩華は、もうすぐ9時になるのにまだ布団の中にいた。いつもは、6時には起きて執務をしているのに。
外が寒いからか、毛布の温かさから離れられない。
ただ、それだけが理由ではなく。
彩華も、皇帝がいなくなったことを今宮から聞いていた。
しかし、彼も詳細が分からないらしく、しどろもどろになりながら「よく分からなくて」を繰り返していた。その様子がかわいそうになってしまい、あまり事情を聞けていない。
結局、彼女はいつまで経っても蚊帳の外なのだ。大事に思われているから故なのだが、それを言い訳にしたくない彩華には辛い現実である。
「……ユキ」
布団を頭から被り、その名前を呼んだ。
今、一番会いたい人の名前を。
「呼んだ?」
すると、当の本人が窓辺から顔を出してきた。
夢かと思いボーッとその人物の声を聞いていたのだが、いつまで経っても気配が消えないためそれが現実であることを悟る。
「……え!?」
急いで布団から飛び起きて、声がした方を見るとやはり思っていた人物……ユキと目が合った。
          
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