ナイトメアシンドローム

ブンカ工場長

-3-

「あの時、優を利用して自分だけ逃げようとしたから…。だからきっと、その代償で腕を持ってかれたんだ」

そうつぶやくキルトは、まるで自分に言い聞かせているようだった。

「優、ごめん…。おいらのせいでこんなことになって。せっかくの出口も、台無しにしちゃって…。ごめんな…っ」

最後はほとんど消え入るような声でそうくり返すキルトは顔を伏せた。
夜空の月はいつの間にか雲に隠れて陰っていた。

「でも、キルトは戻ってきてくれましたよね」
「え…」

優が静かに言った。

「そのまま逃げることもできたのに、私を置いていかなかった。わざわざ引き返してくれたんでしょ?
ソニアの前だって、キルトが来てくれなかったら私、どうなってたかわからないし。
私、キルトがいてくれたから冷静でいられたんだと思うんです」

キルトは臆病だ。
ちょっとしたことですぐ悲鳴を上げ、腰を抜かす。ビビりな性格。
しかし、あの魔人の前で決して背を向けることはなかった。
優の前に立ち、腕を引いて、ここまで導いてくれた。

「助けに来てくれてありがとう、キルト」

そう言って、優は穏やかに笑った。
キルトは目を大きく見開くと、すぐにまた顔を伏せた。そして崩れるように地面へ向け、こみ上げてきたものを一気に吐き出した。

「あ…っ、うぅ、う…、うわぁあああぁああんっ!!」

そうしてしばらくの間、彼の泣く声が辺りに響いた。
優は、ただ静かにその様子を見つめ続けた。
青ガラス同様、彼を恨むという感情はなく、そんなものはどうでもいいことであった。
元の世界へ通じる出口は、今や分厚い氷の下。優はそれをぼんやりと見つめている。

ああ、あの氷、どうにかして壊せないだろうか…。

もしくは溶けるのを待とうか。そんな考えが彼女の頭をよぎっていく。
くだらないとはわかっている。でもせめてもの抵抗であった。
そうでもしないとあの魔人に屈してしまいそうな気がして嫌だったのかもしれない。
万策尽きたというのに、優の心は不思議と落ち着いていた。
とはいえ何もできない状況に、ただただ途方に暮れていた時だった。

(残念だがその氷はどうにもできない…)

どこからか声が聞こえたのだ。
優はハッとし顔を上げる。キルトと目が合うも、彼は首を横にふった。
それが聞こえたのは彼も同じだったようで、突然のことに戸惑っている。
でも優は直感した。姿こそ見えないが、この声はきっと――。

(聞こえているか?君たち)

「お前…っ、まさか青ガラスか!?」

もう一度聞こえてきた声に、キルトが驚いたように言った。それに対する返事はなかったものの、彼は察する。

「なんで、だってお前…」
(私のことはかまうな。悪いがあまり時間は割けない。
もう私は実体がない故、こうして君たちの頭に直接語りかけている。だが、それも長くは持たない。もうじき私は消える…)

彼の身体は炎に包まれ消えてしまった。今の状態はかろうじてその場に留まる残り香のようなものだという。
それが消える時、その時が完全に彼の存在が消えてなくなるのだ。
彼はそう優とキルトに告げた。

(だが安心するといい。私が君たちの出口・・になろう)
「え…?」

青ガラスの言葉に、優もキルトも驚いた顔をする。

「出口になるって…、どういうことですか?だってもう出口は氷に覆われて通れないはず」
(たしかに本来の出口はもう無理だ。主の強い魔力で封鎖されてしまった以上、簡単には壊せないだろう。
だから私が出口をつくる…。幸い私はあちら側・・・・へ渡る翼を授かった。
この身が完全に消える前に私の能力で、あちら側へ通じるゲートを…、元の世界への出口を築こう。
それが私の、最後の使命だ)

最後の使命――
それは誰かから命じられたわけではない、紛れもなく彼自身の決意であった。

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