イントロバートガール·シヴァルリィ~無気力少女の異世界冒険記
番外編 異世界の先輩~その④
「あぁぁぁッ! また負けたのですよッ!」
白いノースリーブのパーカーを着た少女が叫んだ。
オープンフィンガーグローブを付けた両手を頭に当て、さも悔しそうにしている。
「ふふ、これで俺の十戦十勝だな、リム」
その目の前では、眼鏡をかけた少し頼りなさそうな青年が笑みを浮かべていた。
その様子は、クククと肩を揺らし、当然の結果であると言わんばかりであった。
「くッ!? こんなのおかしいのですよッ! 何回やってもリョウタが勝ち続けるなんてッ! きっと何か汚い手を使っているに決まっているのですッ!」
リムと呼ばれた少女は、自分の人差し指を、リョウタと呼んだ青年に向かってさした。
それから納得がいかないと、ただ喚き続ける。
「わりぃけど俺……ゲームで負けたことねぇから」
少し気取った言い方で返事をしたリョウタに、リムはさらに言葉を荒げるのだった。
二人がやっていた遊びは、オセロという白い石と黒い石を盤面に打って戦うゲームだ。
彼らがいた国――ライト王国で今流行っているゲームで、前に国にいた暗黒騎士の少女が国王であるライト王に頼み、白い石と黒い石を盤面の台を作ってもらったのが始まりだった。
リムはその暗黒騎士の少女とは友人であり、それもあってすぐにのめり込んだのだが、如何せんリョウタにだけはいくらやっても勝てない。
それもそのはずだ。
なにせこのオセロは、暗黒騎士の少女とリョウタのいた世界にあるゲームなのだから。
そう――。
リョウタは、ある日に突然この本やゲームに出てくるようなファンタジー世界に連れて来られた人間だったのだ。
リョウタは現代の日本で大学生をやっていた。
それが、ある日に自宅に突っ込んできた車に潰されて、気がつけば女神の目の前に。
リョウタは、女神から異世界へ行って世界を救わないか言われ、それを承諾。
だが、それがすべての悪夢の始まりだった。
リョウタは転生の特典が付くと女神に言われたというに、未だになんのスキルもアイテムも与えてもらってない。
さらにリョウタは、女神にハーレムイベントはまだかと呼び掛けた。
彼の元いた世界では、異世界転生者は何の努力も無しに、魔王を倒せたり、可愛い女の子たちに言い寄られたりするものらしい。
だが彼のパーティーメンバーには、複雑な事情で仲間になった、飛んでも着地ができないダメ女竜騎士しかいない(彼女の容姿は絶世の美女と言っていいものだが)。
それで、さらにしつこく女神に呼び掛けていたら、急に音信不通になって返事も寄こさなってしまった。
その後、女竜騎士と旅を続け、今はライト王国で落ち着いていたのだが――。
「それにしても何にもねえ村だな」
「文句を言うなら何故ついてきたのです? ライト王国に残っていればよかったでしょう」
今リョウタたちは、リムの故郷である武道家の里ストロンゲスト·ロードへと来ていた。
それはライト王国で魔法を勉強しているリムの里帰りについてきたからだった。
「俺だって来たかなかったよ。でも、レヴィがうるせえから」
レヴィとは、リョウタのパーティーメンバーである女竜騎士のことだ。
彼女はリョウタに救われたことがあり、それ以来彼に自身の槍を捧げている。
金髪碧眼、容姿端麗な女騎士との旅は、さぞ楽しいことだろうと思われるが。
リョウタは、レヴィの常識がないところや、彼女の悪癖である“感情的になるとジャンプしたがる癖”に振り回され続け、毎回その後始末に辟易していた。
「まったく、あいつ一人でここへ来ればよかったのによぉ。あぁ~退屈だ」
「そんな文句ばかり並べていても、リムにはちゃんとわかっているのです」
「あん? 何がだよ?」
「フフフ……なのですよ」
「意味わかんねぇ……」
リョウタがリムの不敵な笑みに呆れていると、部屋の戸が開いた。
そこには、竜の姿をなぞらえた甲冑を身に付けた女性の騎士が立っていた。
彼女がリョウタのパーティーメンバーであり、悩みの種でもある女竜騎士レヴィ·コルダストだ。
「おいレヴィ。一体どこへ行ってたんだよ?」
「リョウタ、さっき腹が減ったと言っていただろう?」
「ああ、小腹が空いたとは言ったけど?」
リョウタの返事を聞いたレヴィは、フフフと笑みを浮かべると、部屋に大量の獣を投げ入れ始めた。
それはとてもすぐには数え切れず、あっという間に部屋の中を埋め尽くしていく。
「あぁッ!? なんだよこの数の猪はッ!?」
レヴィが部屋に投げ入れているの獣は、リョウタの世界にいる猪のような生き物だった。
こちらの世界では大衆にもよく食され、狩りといえばまず狙われる生き物である。
レヴィは近くの森で狩りでもしてきたのだろう。
次から次へと投げ入れていく。
「ふぅー。どうだリョウタ。これだけあれば空腹も満たせるだろう?」
そして、すべての猪を投げ入れると、レヴィは何故かモジモジと照れ始めていた。
「ほ、褒めてくれても、か、構わんぞ」
両腕を組みながら、顔を背けて頬を赤く染めるレヴィ。
きっと気の利く女だとか言われたかったのであろう、その口調はリョウタからの称賛の言葉を待っているのがわかるものだった。
だが、大量の猪に押し潰されそうなリョウタは――。
「俺たちを押し殺す気かッ!? お前、俺が言ったことをちゃんと聞いてたのかよッ!?」
「ハッ!? たしかにこのままでは食えんな。だが大丈夫だ。これから調理場を借り、私がこの獣をさばいて食わしてやるぞ!」
「そういう問題じゃねえッ!」
リョウタはそれから大声で、「小腹が減ったと言ったのに、どうしてこんな生の獣の食べ放題が始まるんだ!」と言い続けたが、すでに猪を部屋から出し始めていたレヴィの耳には届いていなかった。
猪の死体の山に埋まっていたリムがヒョコッと顔をあげると、左手で自分の右拳を掴み、胸を張って笑う。
それは、リョウタの元いた世界でいう“拱手の礼”という中国の挨拶に似ていた。
「リムは感服しました。さすがはレヴィなのです」
「部屋に猪を投げられて感服してんじゃねえッ!」
それからリョウタの小言は続いたが、レヴィもリムもまるで何事もなかったのように調理場へと向かい、夕食の支度を始めることになった。
「これだけの量ならば、里に住む全員に振舞えますね。さすがレヴィなのです。皆喜びます」
「そ、そうか。そ、そいつはよかった」
普段褒められて慣れていないレヴィは、照れながら獣の皮を剥ぎ、その肉をばらし始めていた。
レヴィは元は貴族のお嬢様だが、両親を亡くして傭兵稼業に身を落していたのもあって、料理の手際はかなりいい。
その様子を見よう見まねでやっているリムは、その華麗な包丁さばきに目を奪われている。
両目と口をを見開き、おぉ~と声をあげながら見られているせいなのか。
レヴィは少しやりづらそうだ。
「さすがなのです! レヴィはきっと将来いいお嫁さんになりますね」
「そ、そうかな?」
「なのですよ」
そんな二人のやりとりを調理場の隅で見ていたリョウタ。
リムはそれに気がつくと、彼に声をかけた。
「それで……あなたは見ているだけなのですか?」
それは今までレヴィと話していたときとは対照的に、まるで氷の魔法でも唱えたかのような冷たい言い方だった。
そう言われたリョウタは渋々置いてあった野菜を洗い、その皮を包丁でむき始める。
普段から野宿するときの食事を、すべてレヴィに任せている彼は、お世辞にも手際がいいとは言えなかった。
「リョウタは何をやっても手際が悪いから、リムは安心なのです」
「リムお前……俺にだけなんかキツ過ぎない?」
その後――。
里に住む全員、いやそれ以上の量の猪鍋料理を完成させた三人は、早速皆を集めて食事をすることにした。
「なんだかちょっとしたパーティーみたいだな」
「いいじゃないか。里長の娘であるリムが戻ったんだ」
リョウタとレヴィがテーブルに食器を並べていると――。
「我々ストロンゲスト·ロードの住民が、リム·チャイグリッシュ嬢とその御友人に拝謁いたします!」
いつの間にか集まっていた住民たちが、ずらりと整列していた。
叫ぶように言ったのは、その中の代表らしき人物だ。
そして彼に続き、並んで立っていた屈強そうな男性や女性、子供も、一斉に「リム嬢と御友人に拝謁いたします!」と、声を揃えて頭を下げる。
「おぉ! すごいなリョウタ。これがこの里での挨拶なのだな」
「三国志かよ……」
その様子を見ていた二人――。
レヴィは嬉しそうに声をあげ、リョウタはただ呆れていた。
「皆々様。今日はライト王国から戻ったリムとこの二人、我が友人竜騎士レヴィ·コルダストとその連れから豪快な肉鍋料理を贈るのですよ」
リムも住民たちと同じように頭を下げ、皆に存分に味わってほしいと声をかけた。
「うん。リムはすごいな。まだ若いのにもう里長のようではないか。住民たちの態度を見ると皆笑顔で、彼女が慕われているのがわかるぞ」
「慕われているのはたしかにわかったんだけど。なんか俺の紹介がぞんざいじゃね?」
そして、猪の鍋パーティーが始まった。
住民たちと気さくに話ながら、リムは実に楽しそうにしている。
久しぶりに故郷へ帰ってきたのもあるのだろう。
年齢のわりには落ち着いている彼女も、今は子供のようにはしゃいでいた。
「御両人。楽しんでいるかな?」
リョウタとレヴィも鍋料理を堪能していると、そこへ辮髪に武道着姿の人物が声をかけてきた。
リムの父親であり、この武道家の里ストロンゲスト·ロード里長のエン·チャイグリッシュだ。
彼は、リムや他の住民たちがしていたように左手で自分の右拳を掴み、胸を張る姿勢――拱手の礼をした。
その堂々とした態度に、ついついリョウタも同じように拱手の礼を返してしまう。
「ど、どうもご丁寧に」
「わざわざ気にかけていただき、ありがとうございます。リム嬢の帰郷パーティー、我々も楽しませてもらっています」
リョウタとは違い、その場に片膝をついて頭を下げたレヴィ。
そんな彼女を見たリョウタは、慌てて彼女と同じように片膝をついた。
「いやいや、そんなかしこまらないでくだされ。二人のことはリムからよく聞いています。これからも娘と仲良くしてやってくだされ」
屈んだリョウタとレヴィを手で引きあげたエンは、ニッコリと微笑むと、「では」と言ってその場を去っていった。
一部を除き、こちらの大陸でその名を轟かすストロンゲスト·ロードの里長でありながらもその丁寧な物腰に、リョウタもレヴィも好感を持った。
「立派な人物だな。里長は」
「ああ。ライト王もそうだったけど。偉いのにエラそうにしないのって、それだけで尊敬できるよ」
レヴィとリョウタがそんな話をしていると、突然パーティーの席に兵士が現れた。
その姿は傷だらけで、立っているがやっとのように見える。
「誰かッ! この者の手当てを」
誰よりも先に兵士の体を支えたのは、里長のエンだった。
すぐに屈強な武道家たちに声をかけ、兵士をその場に寝かせる。
「あぁ……エン·チャイグリッシュ殿であらせられますか……?」
兵士は弱々しくも言葉を続けようとしていたが、エンはこれ以上喋らないようにと声をかけた。
近くで見るとよくわかる。
兵士の上半身は酷い火傷で、その甲冑や衣服の下の皮膚もドロドロに爛れていた。
正直長くはもたない――。
今からこの火傷を治す医術は、この里にないことをエンはよく知っていた。
ならばせめて、安らかに眠らせてやるべきか?
エンがそう考えていると――。
「父様ッ! ここはリムにお任せください」
リムがエンの前へと飛び出していき、兵士の体に自分の両手を翳した。
その手から放出された魔力により、酷かった兵士の火傷が次第に癒されていく。
「治癒魔法を両手から同時に唱えている。やるなリム。うむ。さすがは大魔導士を目指す者だ」
レヴィが感動と感心をしている横では、並べられた料理の中に米を見つけたリョウタが泣きそうになっていた。
そして手に取ると、口いっぱいに米を頬張り、ときおり嗚咽している。
「なんだリョウタ。そんなに感動したのか。わかる、わかるぞッ! 私もお前と同じくリムの成長が嬉しいッ!」
レヴィは他人の活躍を見て泣きそうになっているリョウタの姿に、やはりこの者に自身の槍を捧げたことは間違っていなかったと悦に入っていた。
そして、リムの成長とリョウタの仲間思いな面に、彼女はつい泣き出してしまう。
リョウタはそんなレヴィのことを見て、一体何を勘違いしているんだと思いながらも、何も答えなかった。
彼はただこのファンタジーのような世界に来てから、もう食べられないと思っていた自分の国の主食――。
米を口にすることができて感動しているだけだった。
二人がそんなやりとりをしている側で――。
エンが自分である娘リムの治癒魔法を使っている姿を見て、穏やかな笑みを浮かべていた。
「リム……見事なものだな、魔法というものは」
「そんなことないのですよ。リムはまだまだ修行中の身。それに父様こそ……。誰よりも早く怪我人もとへ行くそのお姿に、リムは感服なのです」
その言葉を聞いたエンの表情に影ができ始めた。
何か罪悪感を感じている――そういう顔を彼はしていた。
「……今までいろいろとすまなかったな……。私は魔法で人を救える娘をもったことを誇りに思うぞ」
「はいッ! なのですよ」
そう言ったエンの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
リムは武道家でありながら、攻撃系魔法も回復系魔法も使いこなし、さらには、ほぼすべての属性魔法、さらに別属性の魔法を合体させて使うこともできるほどの手練れである。
その魔力コントロールの上手さは、賢者レベルと言っていい。
だが、彼女は体内にある魔力が極端に低く、一日に唱えられる魔法は三回が限度。
リムはまず回復魔法を同時に唱えると、それから残りの魔力もすべて兵士へと注いだ。
「ふぅ~、これ以上はもう無理ですが、命の心配はもういらないはずなのですよぉ」
体内の魔力を使い果たしたリムは、ヘトヘトに疲れ切った表情でそう言った。
そんな娘を見て頷いたエンは、静かに兵士へ訊ねる。
一体何があったのだ?
その傷や火傷を見るに、生半可なモンスターの仕業ではないだろう? と――。
兵士はなんとか体を起こすと、酷く怯えた表情で説明を始めた。
昨夜に現れた聖騎士リンリとドラゴンによってライト王国が攻め落とされ、ライト王や住民たちも散り散りなり、壊滅状態であること――。
「な、なんだと……ちょっと待てッ!?」
兵士の話を聞いたレヴィが前へと飛び出してきた。
それも当然だ。
彼女は今リョウタやリム――そして姉のラヴィと共に、ライト王国に住んでいるのだから。
「ライト王国には現在この大陸最強の騎士ルバート・フォルテッシがいるはずだッ! それでも敗れたのかッ!?」
ルバート・フォルテッシとは、海の国マリン·クルーシブル出身の吟遊騎士である。
金色の長髪を後ろに束ね、その顔は誰が見ても整っていると思うほどの美貌を持ち、さらに先ほどレヴィが言ったように愚者の大地を抜けば、最強と名高い剣の使い手でもあった。
彼は元婚約者であったレヴィの姉――ラヴィ·コルダストを追いかけて、ライト王国へと来ていたのだが。
兵士は怯えた表情のまま頷くと、その口を重たそうに開いた。
我々の勇者であるはずの聖騎士リンリが、突如ドラゴンに乗って現れ、国を焼き尽くし始めた。
何故聖騎士リンリが攻撃してきたのか理解できないライト王は、彼女を説得しようとした。
だが、ライト王はドラゴンの吐く炎に包まれ、それを助けに入った側近のメイドと共に行方知れず。
聖騎士リンリを止めようと、吟遊騎士ルバートが一騎打ちを挑んだが、リンリの圧倒的な魔力の前に敗退。
自分はライト王から言われていた――。
“何かあればストロンゲスト·ロードのエン·チャイグリッシュを頼れ”
思い出し、ここまで落ち延びてきた。
「どうかお願いでございますエン·チャイグリッシュ殿ッ! 王や民を救うために力……力をお貸しくださいッ!」
兵士は両膝をついてエンにひざまづいた。
エンはそんな兵士にゆっくり休むように言うと、屈強な武道家に声をかけ、彼を医者に見せるようにと運ばせた。
「父様ッ! ここはリムが参るのです!」
左手で自分の右拳を掴み、胸を張る姿勢――拱手の礼をしたリムが叫ぶように声をかけた。
そんな娘の勇ましい姿を見たエンは、早速屈強な武道家たちを連れ、ライト王国へと出発するように命じた。
「だが、今回は王や住民たちの救助が目的だ。けして聖騎士やドラゴンと一戦交えようなどと思うな」
「御意なのです。必ずやライト王国の人たちを連れて戻って参りますなのですよ」
その後――。
「えッ!? 俺たちも行くのかよッ!?」
「当然だ。お尋ね者だった私たちを受け入れてくれた恩を、ここで返さねばいつ返す!」
そして、もちろんリョウタとレヴィも、リムたちストロンゲスト·ロードの救助隊に参加することになった。
リムを先頭に、ストロンゲスト·ロードの武道家たちを率いて出発。
その道の途中、ライト王国の住民たちを見つけては、武道家たちにストロンゲスト·ロードまで案内させ、リムは進む。
「これでほとんどの住民の人たちは里に案内できたと思うのですが……」
「ああ。だがライト王やラヴィ姉、それにルバートの姿は見えないな」
馬に乗り、その振動に揺れながら、心配そうに言い合うリムとレヴィ。
あれだけいた武道家たちはすでに誰一人いなくなり、現在はリムとレヴィ、そしてリョウタの三人となっていた。
「お~い二人とも。ここは一度戻らないか? 俺たち三人だけじゃ、王様やラヴィ姉さんを捜すの効率が悪いし」
レヴィの乗る馬に二人乗りしていたリョウタが、そう提案した。
彼には乗馬の才能が全くないので(何故かリョウタが乗る馬は暴れ馬になる)、しょうがなくレヴィの後ろに乗ることになった。
「ふん。疲れたからもう休みたいってことを、さも立派な正論として言う口の上手さはさすがなのです。リムは感服しました」
「いくら王様やラヴィ姉さんが見つからないからって露骨に不機嫌になるなよ……」
リムの冷たい返事を聞いたリョウタは、別にそういう意味じゃなかったのにと思ったが、彼女の機嫌を損ねてしまったと少し後悔する。
気まずい空気が流れる中、リムは馬の足を早め、一人先へと行ってしまった。
「なあ、リョウタ。お前が言っているのも一理あるんだが」
そんなリムの背中を見ながら、レヴィがリョウタに声をかけた。
彼女は、リョウタが今提案したことはもっともだと思ったが、個人的にはこのままライト王国へ進みたい。
きっとラヴィ姉さんは、怪我をしたライト王やルバードが一緒にいるため下手に動けないのではないか?
そう思うと、じっとしてはいられないのだと、心配そうに言う。
「でもよ。ルバートの傍には、きっとイルソーレとラルーナもいんじゃねえかな? あいつらと姉さんがいりゃ心配はいらなそうだけど……」
イルソーレはダークエルフの男性。
ラルーナは人狼――ワーウルフの女性だ。
二人ともルバートの従者であり、いつでも彼の傍につき従っている。
レヴィの心配を払おうとしてそう言ったリョウタだったが、レヴィは彼のほうを振り向いて悲しそうな顔をした。
目をウルウルと涙で滲ませ、今にも泣きだしそうだ。
「くっ! わかったよッ! 行けばいいんだろッ!」
「リョウタ……」
「ほら、早くしねえとリムに追いつけなくなるぞ」
リョウタのその言葉を聞いたレヴィは笑みを浮かべ、馬を走らせて先へと進んでいったリムを追いかけた。
笑顔で馬の手綱を引きながらレヴィは思う。
(くぅぅぅぅッ! やはりリョウタは優しいッ! 普段は冷たいがそこがまた……って、私は何を考えているんだッ!? ライト王国の一大事だというこんなときにッ!? しかし…… くぅぅぅぅッ!)
そして、自分はこの男に槍を捧げてよかった、とその身を震わせていた。
「おい、今飛ぼうとしたろ?」
「し、していないッ!」
そんなレヴィを後ろから見ていたリョウタは、すぐに彼女が飛びたがっていることに気が付いていた。
レヴィは感情的になると、どこでも構わず竜騎士の必殺技であるジャンプをしたがるのだ。
当然、やれば確実に着地は失敗。
動けなくなった彼女の面倒を見るのは、いつもリョウタだ。
「そ、そんなことよりもちょっと飛ばすぞ! 思っていたよりもリムと離れてしまった」
「はいよ」
反対にリョウタは、しかめっ面になって思っていた。
自分はこのダメ女竜騎士のせいで、また命を縮めそうだ、と。
(はぁ、レヴィにあんな顔をされる断れなくなっちまうんだよなぁ……。自分でもなんでだかよくわかんねぇよぉ……)
彼はレヴィの乞われると、本当は嫌でしょうがないのに引き受けてしまう。
リョウタは馬上で揺られながら、そんな自分に呆れていた。
「着いたのですよ」
それから馬を足早に進め、リョウタたちはライト王国へと到着した。
ライト王国は、三人が想像していた以上に酷い有り様だった。
国を囲っている城壁は崩され、街や城はほぼ全壊。
一体何をすればここまで破壊できるのだと、三人は馬を降りてライト王国の惨状を前に立ち尽くしてしまっていた。
「ひでぇ……一国をここまでボロボロにするって、そのリンリってやつとドラゴンってどんだけなんだよ……」
めずらしくリョウタが口を開くと、リムも続く。
「父様が、けして聖騎士やドラゴンと一戦交えるなと言っていましたが……」
「ああ……ルバートが負けたのも納得できるな……」
その惨状は、一国の軍でもここまでできるものとは思えないほどのものだった。
まだ近くに、その張本人である聖騎士やドラゴンがいるかと思うと、三人はその身を震わさずにはいられない。
「ともかく、生存者がいないか確認をするのです」
リムがそう言うと三人は、周囲を警戒しながら、全壊したライト王国を回ってみることにした。
幸いだったのかはわからないが、生存者も死体も見ることはなく、リョウタたちはまだ屋根が残っていた建物で一泊することに。
「ラヴィ姉さん……一体どこに……」
ポツリと言うレヴィに、リムは彼女と同じように俯くしかなった。
ライト王国の状態が、これほどまで酷いとは思ってもみなかったのだ。
この現状を見たレヴィには、何を言っても気休めにすらならない――。
リムはそう思うと、彼女を元気づける言葉が出てこなかった。
「心配するなよレヴィ。あの暴力メイドと呼ばれたラヴィ姉さんが、そう簡単にくたばるわけないだろ? どこにも死体がなかったのがその証拠だ」
「リョウタ……。そうだな。姉さんがそう簡単に死ぬはずないよな」
リムは自分が言わないでいたことを、あっさりと話し始めたリョウタを見て、この男が考え無しと思うのと一緒に、その口の軽さを羨ましく思った。
実際にレヴィは、リョウタの言葉で笑顔になったのだ。
この男は要領も悪く、何をやっても文句ばかり言い、隙あらば楽をしようとするのだが。
何故か他人に希望を持たすことができる才能がある。
(この冴えない男からビクニっぽさを感じるのは、こういうとこなのですかね……)
リムはそう思うと、二人に気がつかれないように笑った。
焚き火を囲み、交代で見張りをしながら夜を過ごした三人は、次の日にストロンゲスト·ロードへ一度戻ることを決める。
里へ戻って、今度は大人数でライト王やラヴィらを捜すためだ。
「だから俺は最初にそう言っただろ?」
やはり文句ばかり――。
リムはそう言ったリョウタを無視してながら、里へと馬を走らせた。
その帰り道に、三人のいたところが突然暗くなった。
今は朝だというのに、何故と三人は空を見上げると――。
「あ、あれは……バハムートッ!?」
三人の上を巨大なドラゴン――幻獣バハムートが飛んでいた。
バハムートが向かっている方向は、三人が戻ろうとしているストロンゲスト·ロードのほうだ。
「ライト王国を襲ったのは、バハムートで間違いないなさそうなのです。とてつもない狂暴な気を感じました」
リムはそう言うとバハムートを馬で追いかけた。
レヴィも馬の手綱を引き、すぐに彼女を追いかける。
「あんなデカいやつに勝てるのかッ!? それにバハムートって言ったら最初は絶対に勝てないって設定なんだぞッ!?」
「すまんが何を言っているのかよくわからん」
「茶化すなよッ!」
「勝てる高い可能性が低いのはわかってる。だが、かといって里が襲われるかもしれないんだ。放っていくわけにもいかんだろッ!」
二人がそう言い合っているとき――。
リムはすでに馬から飛び降り、バハムートの注意を引くため、攻撃を仕掛けていた。
「はぁぁぁ、オーラフィストッ!」
リムの叫び声と共に、彼女の突き出された両手の掌から、光の波動が放たれた。
チャイグリッシュ家に伝わる、体内にある気を集め、それをぶつける聖属性の気功技だ。
地上から空に飛んでいるバハムートへ光の波動が向かって行く。
だが――。
「なッ!? オーラフィストを吸収したのですかッ!?」
光の波動を受けたバハムートは、その光を体内に取り込んだ。
そしてリムの姿に気がつき、ゆっくりと彼女のいるほうへと向かってくる。
「今の一撃はうぬか?  凄まじいものではあったが我は聖なる竜……光はすべて我の力となる」
バハムートは丁寧でいながら威圧感のある声で、リムに話しかけ始めた。
言葉を喋る幻獣を見たリム、そしてその後ろにいたレヴィやリョウタは驚きを隠せない。
「ちょっと待てよッ!? 喋るのは別に驚かねえけど。バハムートが聖属性の攻撃を吸収するなんて、俺の知ってる設定にそんなのなかったぞッ!?」
だが、リョウタだけは二人とは違う理由で驚いているようだった。
「言葉が通じるのなら……」
レヴィは馬を降り、バハムートへと向かっていく。
彼女はある程度近づくと顔を上げ、空に浮かぶバハムートへ声をかけ始めた。
「ライト王国を襲ったのはお前か?」
怒鳴りつけるわけでも、尋問するかのようでもなく、あくまで自然に落ち着いた様子で訊ねるレヴィ。
訊ねられたバハムートは苦しそうに息を吐いた。
その吐いた息で、周囲にあった木々が揺れ、それらに留まっていた鳥たちが一斉に飛んで行く。
「たしかに我である」
「何故そんなことをした? いや、たとえどんな理由があったとしても、お前をこのまま野放しにはできん」
レヴィはそう言いながら背負っていた槍を構えた。
そして、彼女の横にリムも無言で並び、身構える。
「我はすべてを焼き尽くさねばならぬ……。すべては女神のために……」
バハムートはそう言うと口を大きく開く。
リョウタは慌ててレビィとリムのことを引っ張り、二人を連れて走り出した。
彼につられたのか、側にいた二匹の馬もその場から走り去っていく。
「ど、どうしたというのだリョウタ!?」
「そうなのですよ! 逃げるのなら一人で逃げてください!」
リョウタの咄嗟の行動に、レビィは戸惑い、リムが酷い言葉をぶつけた。
だがそれでも彼は、彼女たちを引っ張る力を緩めなかった。
「バカ野郎ッ! バハムートが口から吐くものって言ったらメガフレアだろッ!? そんなもん喰らったら確実に死んじまうぞ!」
二人が理解しようがしまいが、リョウタはそう叫びながらただ思いっきり走る。
そして、バハムートは口から炎を吐き出した。
凄まじい青白い業火が周囲にあった草や木々を焼き尽くす。
そのあまりの威力に唖然とするレビィとリム。
力任せに引っ張られながら彼女たちが思ったことは――。
リョウタが伝説の幻獣であるバハムートについて、よく知っているということだった。
「リョウタッ!? お、お前はどうしてバハムートのことを知っているんだ!?」
「そうなのです! バハムートは本にしか載っていないような伝説の幻獣なのですよッ!?」
叫ぶように訊いてくる二人にリョウタは、今は説明している暇はないと返事をした。
「それよりも早く逃げるんだよッ! あんなやつ、伝説の勇者でもない限り勝ってこねぇッ!」
だが、そんなリョウタの手は振り払われた。
レヴィとリムは、再び体を掴んできた彼に言う。
「悪いなリョウタ。いくらお前の言うことでも、ここで引くことはできん」
「リムも同じくなのです。バハムートは里へと向かおうとしているのです。ならば、ここでやつを止めねば里も焼き払われてしまうのですよ」
背を向けたまま言う二人を見たリョウタは、その表情を強張らせると、その場が走って去っていった。
バハムートがレヴィとリムの姿に気がつき、その大きな黒銀の翼を広げて飛んでくる。
二人は妙に悟ったような表情で、ただ向かって来るバハムートを見ていた。
「伝説の幻獣バハムートか……。竜騎士として私の磨いてきた腕を振るうのに、これほど相応しい相手もいないだろうな」
「リムもライト王国で鍛えた魔法の力。今こそ見せるときです」
レヴィは槍を構え、竜騎士の必殺技であるジャンプの姿勢に入る。
リムも両腕に魔力を込め、臨戦態勢へと入った。
「我が名はリム·チャイグリッシュッ! 武道の名門チャイグリッシュ家の生まれながら、才能も全くないのに夢は大魔導士ッ!」
突然リムが叫んだ。
それはどこか、彼女の決意表明のような響きに聞こえるものだった。
そんなリムを横で見ていたレヴィは、クスッと笑みを浮かべると、彼女に続いた。
「そしてその友、レヴィ·コルダストッ! 貴族コルダスト家の生まれにして今は流浪の竜騎士ッ! だが、未だに着地もできぬ未熟者だ! しかし、それでも必ずお前をここで止めて見せるッ!」
レヴィは、リムの覚悟に応えるように叫んでみせた。
「愚かな。たかが人間風情が我を止めようと言うのか?」
そして、バハムートは再び口を大きく開いた。
その口からは先ほどと同じく、青白い炎が吐き出される。
高く跳躍する姿勢からすかさず切り替えたレビィは、リムを抱えてその凄まじい業火を避けた。
炎がさらに辺りを焼け野原へと変える。
もしさっきリョウタが無理やり引っ張ってくれなかったら――。
もしあの炎を避けなかったら――。
レビィはそう思い、口に溜まった唾をゴクリと飲むと気持ちを切り替えた。
「よしリム。このまま奴に突っ込むぞ!」
「はい! なのですよ!」
レビィはそのままリムを抱え、再び跳躍。
その流れるような動きは、今までの彼女とは思えないものだった。
ただ、どれだけ高く飛べるかだけに力を注いでいたレビィだったが、今は状況に合わせて跳躍できている。
それは、これまでのリョウタとの旅やリムとの出会い――。
そして、これまでけして諦めず努力をしてきた彼女の成長の証であった。
レビィ本人はそのことに無自覚だが、その成長を彼女の姉であるラビィが見ていたら、堪らず涙ぐむかもしれない。
「うおぉぉぉッ! リムもお空を飛んでいるのですよ!」
「いいかリム。このまま奴の頭に一撃喰らわすぞ」
「御意なのです!」
バハムートの頭上を越え、空へと上がった二人はそれぞれ構える。
槍を下に突き立てたレビィの肩に足を乗せたリムは、そこからさらに上空へと飛んだ。
重力とリムのかけた重さを利用し、レビィは槍をバハムートの頭に突き刺す。
「どうだ! 私の槍、グングニルの味はッ!」
苦痛の悲鳴をあげるバハムート。
額から血を噴き出し、怯んでいるそこへ先ほどさらに高く上がったリムが突っ込んできた。
「これで決めるのですよ!」
空中で回転しながら飛び込んできたリムは、そのままバハムートの額に自身の踵を落とした。
レビィ、リムの連続攻撃を喰らい、バハムートは大地へと叩きつけられる。
まるで砂漠に起きた暴風のように砂が舞い、辺り一面を煙のごとく覆っていく。
跳躍がいつもよりも高くないためか、レビィは失敗することなく着地できていた。
その隣には、リムかまるで猫のようにスタッと軽やかに下りてくる。
「今のは手応えあり! なのですよ」
「だがバハムートは伝説の幻獣。この程度で倒せたとは思えないが……」
レビィがそう思ったように、バハムートはゆっくりと立ち上がった。
黒銀の翼を広げ、それを羽ばたかせると、レビィとリムに強風が吹き荒れる。
バハムートにダメージがないわけではなさそうだが、まだまだ戦う余力はありそうだ。
「やはりそう易々とはいかないか……」
「ならば、倒れるまで続けるだけなのです」
「よし、もう一度飛ぶぞリム。今度はさっきよりも高くだ!」
「なのです!」
二人が互いに声を掛け合い、再び跳躍。
レビィが言った通り、より高く上空へと飛んでいく。
だが、唸るバハムートから放たれた光の波動が、それをさせまいと降り注いだ。
「ぐわッ!? 何の光だッ!?」
「これはオーラフィストと同じ聖属性ッ!? ドラゴンにどうしてこんなことができるのですかッ!?」
そして二人は、その身を削られながら大地へと叩きつけられてしまう。
「いたた……。レビィ、大丈夫なのですか?」
リムが声をかけたが、レビィは苦悶の表情をみせた。
どうやら地面に落ちたときに、リムを庇って両足を痛めたようだ。
これではもう高くは飛べない。
リムがレビィの怪我のぐらいを見て、そう思っていると――。
「少しはできるようだな。だが、その程度は我を倒すことなど、夢のまた夢に過ぎぬ」
光の波動を放ちながら、ゆっくりと二人へと向かってくるバハムート。
そして、その口を大きく開く。
地獄の業火のような炎――メガフレアを喰らわせるつもりだ。
リムはレビィを抱えて逃げようしたが、すでに間に合いそうにない。
「何をしているリムッ!? お前だけでも早く逃げるんだッ!」
レビィが叫ぶ。
リムは彼女を抱えて逃げるのを諦めると、すでに青白い炎を口から吐こうとしているバハムートに向き合った。
「何をしているんだッ!? 奴の炎が来るぞッ!?」
レビィの声を無視して――。
リムはその両手に魔力を溜めていく。
「リムの夢は大魔道士……英雄になることです」
「こんなときに何を言っているッ!? このままお前まで殺られたら私は……」
「リムの命はある人に救われたものなのです!」
突然レビィの言葉を遮って叫ぶリム。
彼女はレビィが驚きで黙ると、そのまま言葉を続けた。
前に精霊に誑かされ、里を破壊しようとしてしまったとき――。
我が身を顧みずに、リムを助けてくれた暗黒騎士がいた。
その暗黒騎士は、操られていた愚かな自分のことを英雄、そして友人と呼んでくれた。
それ以来、もう自分の境遇や才能のなさを恨むのをやめ、ただ夢を追いかけてきたのだと。
「ここでレビィを置いて逃げるようなら、リムはもうその人に合わせる顔がないのです。それに……」
リムは、急に言葉を止めてレビィのほうへと振り向いた。
その顔はいつも見せている笑顔――レビィのよく知るリムの顔だった。
「レビィはもうリムの大事な人なのですよ。だから、置いて逃げるなんてできません」
そして、その微笑みのまま、そう呟くように言った。
「リ、リム……お前……」
レビィは頬に暖かさを感じていた。
それはポタポタと垂れる自分の涙だった。
だが、涙で滲む目には、容赦なく青白い炎が向かってくるのが見えていた。
レビィには、リムが何をするかがわかっていた。
おそらく両手から氷の魔法を同時に唱え、バハムートのメガフレアを相殺するつもりなのだと。
しかし、それが無謀なことなのは、リム本人が誰よりも知っているはずだ。
確かに、リムの合体魔法ともいえる技術は素晴らしいが、国を焼き尽くすほどの炎を打ち消すのは不可能。
それでも、彼女――リムは、吐き出された青白い炎に向かって、氷の魔法を放った。
業火がリムの放った氷の魔法を、まるで飲み込むように近づいてくる。
やはり、どう見ても相殺することはできなそうだった。
「まだまだッ!」
それでもリムは叫び、体内に残った魔力をさらにその掌へと集めていく。
「なんだとッ!?」
慌てふためくバハムート。
それは、リムの放った魔法は勢いを増し、飲み込むようだった業火は、氷塊に寄って相殺されたからだ。
「や、やってやったのですよ……」
リムが一日に唱えることができる魔法の数は三回。
今メガフレアへ向けて放っている二回と、残りは後一回だ。
だがリムはこの土壇場で、同時に三回の魔法を唱えることに成功。
その三倍の威力を持った氷魔法で、メガフレアをかき消したのだった。
「見事なり人間よ。だが、次はもうあるまい」
バハムートは不敵に笑うと、その大きな口を開く。
再びメガフレアを吐くつもりだ。
「くッ!? も、もう魔力が……」
「リムッ!?」
レヴィが叫んだその瞬間――。
大きな鉄球がバハムートの顔面に放たれた。
口から出かかっていた青白い炎は軌道をそらされ、誰もいない焼け野原へと吐かれる。
「それ以上、うちの妹二人を傷つけるのは許さないっすよ」
その声の先には、メイド服を着た半目の女性がいた。
レヴィの実の姉――ラヴィ·コルダストだ。
「よし、イルソーレ、ラルーナ! 行くぞッ!」
「さすが兄貴ッ! やつが怯んだ隙にたたみかけるんですね!」
「さっすがルバートの兄貴ですぅ!」
ラヴィの声に続き、吟遊騎士ルバートと、ダークエルフのイルソーレ、そして人狼のラルーナが飛び込んでくる。
そして、その後ろから現れた人物を見て――。
「リョウタッ!」
レビィが歓喜の声をあげた。
喜びに身を震わすレビィだったが、彼女にはリョウタが来ることはわかっていた。
何故ならば、彼はいつでもレビィの危機に駆けつけるからだ。
「途中でラビィ姉さんたちに会ってさ。これなら勝てるかもって」
リョウタはレビィから目をそらしながら言うと、傍にいたラビィが呆れた顔をした。
大きくため息をつき、やれやれと言わんばかりだ。
「何が勝てるかもとか適当なこと言ってんすか? あんたが一人で泣き喚きながらバハムートのいるほうへ走っているのを、うちらが偶然見つけただけでしょ」
「うわぁわわッ! そのことは言うなよッ!」
ため息まじりのラビィの言葉に、リョウタは慌てふためいている。
そんな彼を見たレビィは涙を拭うと、両足の痛みを堪えながら立ち上がった。
「レビィ、まだいけるすっか?」
「当然だ姉さん。……と言いたいところだが、この足ではもう飛べそうにない……」
「うーん、ルバートが気がついた良い作戦があったんすけどねぇ」
「いや、たとえもう飛べなくなったとしても私はやる……やってみせるッ! 教えてくれ! その作戦とはなんなんだッ!?」
言葉を詰まらすラビィにレビィが声を張り上げて訊ねると、姉は渋々話を始めた。
ルバートは泣き喚いていたリョウタからとてつもなく高い魔力を感じた。
ライト王国にいたときは感じなかったが、何故か今のリョウタからは感じるのだと。
その魔力はライト王国を襲った聖騎士の少女や、吸血鬼族をも越えるほどのもので、それをうまく使えばバハムートを倒せるかもしれない。
「とまあ、そんな感じなんすけど……」
ラビィは人差し指で頬をかきながら言葉を続ける。
残念ながらリョウタ本人は、魔法は何一つ覚えていないし唱えることもできない。
だが、その魔力を誰か別の人間に移すことができたら?
 
そのとてつもない魔力をバハムートへぶつけることができるのでは?
 
それがルバートの考えた作戦だった。
「で、その魔力を移すやり方なんすけど。どうも相手への信頼関係が重要みたいで」
「なるほど。だから私が、というわけなんだな。姉さん、やるぞ私はッ! リョウタの魔力を使ってバハムートを倒してやる!」
はりきってみせるレビィだったが、その震えている両足を見るに、誰でも無理をしているということがわかる。
レビィ以外が静まり返る中、リョウタが口を開いた。
「みんな、俺に考えがある……。聞いてくれ」
リョウタたちが話している間――。
バハムートを止めているルバート、イルソーレ、ラルーナの三人。
彼らは伝説の幻獣を相手に見事に戦っていたが、それももう限界が見えていた。
「あらら、ルバートたちがヤバいそうすっね。じゃあ、あとはあんたらに任せたっすよ」
そして、ラヴィは再び用意していた鉄球をバハムートへ向かって投げ始めた。
鉄球を喰らったバハムートは、メガフレアを吐こうとも吐けないでいる。
ラヴィなりのメガフレアへの対策だったのだろう。
仕留めることはできないにしろ、それなりに効果ありそうだった。
「よし。こちらも行くのです。自分で言ったことなんだから我慢してくださいなのですよ」
「あぁ。……でも、できればあまり痛くしないでくれ……」
まるで注射器を怖がる子供のような顔をしたリョウタは、そう言いながらレヴィのことを自分の両肩に乗せる。
「こらリョウタッ! あまり動くな! 甲冑を着ていないからお前の皮膚が直接触れるだろう!」
「そんなこと言ってもしょうがねえだろ! ただでさえお前は重いんだから」
「重いとか言うなッ!」
肩車したリョウタが不安定せいか、レヴィはなんだか恥ずかしそうにモジモジしている。
「はぁぁぁぁッ!」
そしてリムはリョウタを思いっきり蹴り上げた。
レヴィを担いだままリョウタは、そのまま空へと蹴り飛ばされていく。
「オーラフィストッ!」
リムは、そこからさらに両手の掌に集めた光の波動を放った。
蹴り上げられたリョウタは、その波動を喰らったの勢いでさらに上昇。
リョウタはすでに虫の息だったが、そのままバハムートへと向かって弧を描いて飛んで行く。
「リョウタ! あとはお前の魔力を私に注いでくれればいい!」
「で、それってどうやんだよ?」
「私が知るか! さあ早くやってくれ!」
「お前、わかんないくせに引き受けたのかよッ!?」
言い合いをしながら空を飛ぶリョウタとレヴィに気がついたバハムートは、顔を上げてその口を大きく開こうとした。
だがラヴィが鉄球を投げつけ、それに続いてルバート、イルソーレ、ラルーナの三人がバハムートの体を斬りつける。
「小賢しいッ! これでも喰らえッ!」
メガフレアを諦めたバハムートは、光の波動を全身から放った。
それにより、周囲にいた者たちが吹き飛ばされる。
「次は貴様たちだ! 人間どもッ!」
そしてバハムートは、上空にいるリョウタとレヴィにも光を放つ。
「危ないレヴィッ!」
「バカッ! やめろリョウタッ!」
リョウタはすでにボロボロだというのに、レヴィのことを庇った。
だが、そのとき――。
リョウタの全身から凄まじいまでの魔力が放出され、それが光の波動を弾き返していく。
そして、その魔力はそのままレヴィの槍へと集められていく。
「こ、これがリョウタが持つ魔力なのか……? これほどの魔力……初めて見るぞ……」
「いいからさっさと決めて来いよ、レヴィッ!」
「ああ、任せろッ!」
「ぐわッ!?」
そして、レヴィはロケットがブースターを切り離すように飛びあがった。
「クソッたれッ! やっぱお前といるとろくなことにならねえなぁぁぁッ!」
叫びながら落ちていくリョウタを見ながら――。
さらに上へと飛んだレヴィは、リョウタの魔力を纏った槍を下へ向け、バハムートを狙って降下していく。
こんなときだというのに、レヴィは満たされていた。
今までで一番高く空へと飛んで行けたのもあったのだろう。
そして、何よりも皆の力を合わせ、自分が決着をつける役を任されたのだ。
レヴィは、仲間に信頼されていると思うと、喜ばずにはいられなかった。
「これで終わりだ! バハムートォォォッ!」
レヴィがバハムートの額に槍を突き落とすと、凄まじい魔力がその体に流れ始めた。
バハムートは悲鳴をあげながら、その体内に流れた魔力が内側から爆発していくの感じていた。
「バカなッ!? 我がたかが人間ごときに敗れるのかッ!」
そう叫んだバハムートは、全身から溢れ出す魔力の輝きに飲み込まれて消滅していった。
危機は去り、すっかり安心したレヴィだったが――。
「やったぞ! ……って、うわぁぁぁッ!?」
「ゲフッ!」
そのまま落ちていき、やはり着地できず、すでに倒れていたリョウタの上に落ちた。
リムやラヴィ。
ルバートもイルソーレとラルーナと一緒に、そんな二人の元へと笑いながら向かって行く。
「やれやれ、締まらないっすね」
「でもいいじゃないか。二人とも幸せそうだ」
ラヴィがため息をつくと、ルバートはまあまあと声をかけた。
実際に気を失い、もうボロボロのレヴィだったが、ルバートの言う通りその顔は満面の笑みである。
反対にリョウタのほうは険しい顔で、まるで悪夢でも見てうなされているかのようだが――。
「リョウタ……やったぞ……私は……」
「ああ……レヴィ……お前は……いつまで……俺を苦しめるんだ……」
ムニャムニャと嬉しそうに眠っているレヴィと、呻くリョウタを見て――。
その場にいた全員が大声で笑い合った。
白いノースリーブのパーカーを着た少女が叫んだ。
オープンフィンガーグローブを付けた両手を頭に当て、さも悔しそうにしている。
「ふふ、これで俺の十戦十勝だな、リム」
その目の前では、眼鏡をかけた少し頼りなさそうな青年が笑みを浮かべていた。
その様子は、クククと肩を揺らし、当然の結果であると言わんばかりであった。
「くッ!? こんなのおかしいのですよッ! 何回やってもリョウタが勝ち続けるなんてッ! きっと何か汚い手を使っているに決まっているのですッ!」
リムと呼ばれた少女は、自分の人差し指を、リョウタと呼んだ青年に向かってさした。
それから納得がいかないと、ただ喚き続ける。
「わりぃけど俺……ゲームで負けたことねぇから」
少し気取った言い方で返事をしたリョウタに、リムはさらに言葉を荒げるのだった。
二人がやっていた遊びは、オセロという白い石と黒い石を盤面に打って戦うゲームだ。
彼らがいた国――ライト王国で今流行っているゲームで、前に国にいた暗黒騎士の少女が国王であるライト王に頼み、白い石と黒い石を盤面の台を作ってもらったのが始まりだった。
リムはその暗黒騎士の少女とは友人であり、それもあってすぐにのめり込んだのだが、如何せんリョウタにだけはいくらやっても勝てない。
それもそのはずだ。
なにせこのオセロは、暗黒騎士の少女とリョウタのいた世界にあるゲームなのだから。
そう――。
リョウタは、ある日に突然この本やゲームに出てくるようなファンタジー世界に連れて来られた人間だったのだ。
リョウタは現代の日本で大学生をやっていた。
それが、ある日に自宅に突っ込んできた車に潰されて、気がつけば女神の目の前に。
リョウタは、女神から異世界へ行って世界を救わないか言われ、それを承諾。
だが、それがすべての悪夢の始まりだった。
リョウタは転生の特典が付くと女神に言われたというに、未だになんのスキルもアイテムも与えてもらってない。
さらにリョウタは、女神にハーレムイベントはまだかと呼び掛けた。
彼の元いた世界では、異世界転生者は何の努力も無しに、魔王を倒せたり、可愛い女の子たちに言い寄られたりするものらしい。
だが彼のパーティーメンバーには、複雑な事情で仲間になった、飛んでも着地ができないダメ女竜騎士しかいない(彼女の容姿は絶世の美女と言っていいものだが)。
それで、さらにしつこく女神に呼び掛けていたら、急に音信不通になって返事も寄こさなってしまった。
その後、女竜騎士と旅を続け、今はライト王国で落ち着いていたのだが――。
「それにしても何にもねえ村だな」
「文句を言うなら何故ついてきたのです? ライト王国に残っていればよかったでしょう」
今リョウタたちは、リムの故郷である武道家の里ストロンゲスト·ロードへと来ていた。
それはライト王国で魔法を勉強しているリムの里帰りについてきたからだった。
「俺だって来たかなかったよ。でも、レヴィがうるせえから」
レヴィとは、リョウタのパーティーメンバーである女竜騎士のことだ。
彼女はリョウタに救われたことがあり、それ以来彼に自身の槍を捧げている。
金髪碧眼、容姿端麗な女騎士との旅は、さぞ楽しいことだろうと思われるが。
リョウタは、レヴィの常識がないところや、彼女の悪癖である“感情的になるとジャンプしたがる癖”に振り回され続け、毎回その後始末に辟易していた。
「まったく、あいつ一人でここへ来ればよかったのによぉ。あぁ~退屈だ」
「そんな文句ばかり並べていても、リムにはちゃんとわかっているのです」
「あん? 何がだよ?」
「フフフ……なのですよ」
「意味わかんねぇ……」
リョウタがリムの不敵な笑みに呆れていると、部屋の戸が開いた。
そこには、竜の姿をなぞらえた甲冑を身に付けた女性の騎士が立っていた。
彼女がリョウタのパーティーメンバーであり、悩みの種でもある女竜騎士レヴィ·コルダストだ。
「おいレヴィ。一体どこへ行ってたんだよ?」
「リョウタ、さっき腹が減ったと言っていただろう?」
「ああ、小腹が空いたとは言ったけど?」
リョウタの返事を聞いたレヴィは、フフフと笑みを浮かべると、部屋に大量の獣を投げ入れ始めた。
それはとてもすぐには数え切れず、あっという間に部屋の中を埋め尽くしていく。
「あぁッ!? なんだよこの数の猪はッ!?」
レヴィが部屋に投げ入れているの獣は、リョウタの世界にいる猪のような生き物だった。
こちらの世界では大衆にもよく食され、狩りといえばまず狙われる生き物である。
レヴィは近くの森で狩りでもしてきたのだろう。
次から次へと投げ入れていく。
「ふぅー。どうだリョウタ。これだけあれば空腹も満たせるだろう?」
そして、すべての猪を投げ入れると、レヴィは何故かモジモジと照れ始めていた。
「ほ、褒めてくれても、か、構わんぞ」
両腕を組みながら、顔を背けて頬を赤く染めるレヴィ。
きっと気の利く女だとか言われたかったのであろう、その口調はリョウタからの称賛の言葉を待っているのがわかるものだった。
だが、大量の猪に押し潰されそうなリョウタは――。
「俺たちを押し殺す気かッ!? お前、俺が言ったことをちゃんと聞いてたのかよッ!?」
「ハッ!? たしかにこのままでは食えんな。だが大丈夫だ。これから調理場を借り、私がこの獣をさばいて食わしてやるぞ!」
「そういう問題じゃねえッ!」
リョウタはそれから大声で、「小腹が減ったと言ったのに、どうしてこんな生の獣の食べ放題が始まるんだ!」と言い続けたが、すでに猪を部屋から出し始めていたレヴィの耳には届いていなかった。
猪の死体の山に埋まっていたリムがヒョコッと顔をあげると、左手で自分の右拳を掴み、胸を張って笑う。
それは、リョウタの元いた世界でいう“拱手の礼”という中国の挨拶に似ていた。
「リムは感服しました。さすがはレヴィなのです」
「部屋に猪を投げられて感服してんじゃねえッ!」
それからリョウタの小言は続いたが、レヴィもリムもまるで何事もなかったのように調理場へと向かい、夕食の支度を始めることになった。
「これだけの量ならば、里に住む全員に振舞えますね。さすがレヴィなのです。皆喜びます」
「そ、そうか。そ、そいつはよかった」
普段褒められて慣れていないレヴィは、照れながら獣の皮を剥ぎ、その肉をばらし始めていた。
レヴィは元は貴族のお嬢様だが、両親を亡くして傭兵稼業に身を落していたのもあって、料理の手際はかなりいい。
その様子を見よう見まねでやっているリムは、その華麗な包丁さばきに目を奪われている。
両目と口をを見開き、おぉ~と声をあげながら見られているせいなのか。
レヴィは少しやりづらそうだ。
「さすがなのです! レヴィはきっと将来いいお嫁さんになりますね」
「そ、そうかな?」
「なのですよ」
そんな二人のやりとりを調理場の隅で見ていたリョウタ。
リムはそれに気がつくと、彼に声をかけた。
「それで……あなたは見ているだけなのですか?」
それは今までレヴィと話していたときとは対照的に、まるで氷の魔法でも唱えたかのような冷たい言い方だった。
そう言われたリョウタは渋々置いてあった野菜を洗い、その皮を包丁でむき始める。
普段から野宿するときの食事を、すべてレヴィに任せている彼は、お世辞にも手際がいいとは言えなかった。
「リョウタは何をやっても手際が悪いから、リムは安心なのです」
「リムお前……俺にだけなんかキツ過ぎない?」
その後――。
里に住む全員、いやそれ以上の量の猪鍋料理を完成させた三人は、早速皆を集めて食事をすることにした。
「なんだかちょっとしたパーティーみたいだな」
「いいじゃないか。里長の娘であるリムが戻ったんだ」
リョウタとレヴィがテーブルに食器を並べていると――。
「我々ストロンゲスト·ロードの住民が、リム·チャイグリッシュ嬢とその御友人に拝謁いたします!」
いつの間にか集まっていた住民たちが、ずらりと整列していた。
叫ぶように言ったのは、その中の代表らしき人物だ。
そして彼に続き、並んで立っていた屈強そうな男性や女性、子供も、一斉に「リム嬢と御友人に拝謁いたします!」と、声を揃えて頭を下げる。
「おぉ! すごいなリョウタ。これがこの里での挨拶なのだな」
「三国志かよ……」
その様子を見ていた二人――。
レヴィは嬉しそうに声をあげ、リョウタはただ呆れていた。
「皆々様。今日はライト王国から戻ったリムとこの二人、我が友人竜騎士レヴィ·コルダストとその連れから豪快な肉鍋料理を贈るのですよ」
リムも住民たちと同じように頭を下げ、皆に存分に味わってほしいと声をかけた。
「うん。リムはすごいな。まだ若いのにもう里長のようではないか。住民たちの態度を見ると皆笑顔で、彼女が慕われているのがわかるぞ」
「慕われているのはたしかにわかったんだけど。なんか俺の紹介がぞんざいじゃね?」
そして、猪の鍋パーティーが始まった。
住民たちと気さくに話ながら、リムは実に楽しそうにしている。
久しぶりに故郷へ帰ってきたのもあるのだろう。
年齢のわりには落ち着いている彼女も、今は子供のようにはしゃいでいた。
「御両人。楽しんでいるかな?」
リョウタとレヴィも鍋料理を堪能していると、そこへ辮髪に武道着姿の人物が声をかけてきた。
リムの父親であり、この武道家の里ストロンゲスト·ロード里長のエン·チャイグリッシュだ。
彼は、リムや他の住民たちがしていたように左手で自分の右拳を掴み、胸を張る姿勢――拱手の礼をした。
その堂々とした態度に、ついついリョウタも同じように拱手の礼を返してしまう。
「ど、どうもご丁寧に」
「わざわざ気にかけていただき、ありがとうございます。リム嬢の帰郷パーティー、我々も楽しませてもらっています」
リョウタとは違い、その場に片膝をついて頭を下げたレヴィ。
そんな彼女を見たリョウタは、慌てて彼女と同じように片膝をついた。
「いやいや、そんなかしこまらないでくだされ。二人のことはリムからよく聞いています。これからも娘と仲良くしてやってくだされ」
屈んだリョウタとレヴィを手で引きあげたエンは、ニッコリと微笑むと、「では」と言ってその場を去っていった。
一部を除き、こちらの大陸でその名を轟かすストロンゲスト·ロードの里長でありながらもその丁寧な物腰に、リョウタもレヴィも好感を持った。
「立派な人物だな。里長は」
「ああ。ライト王もそうだったけど。偉いのにエラそうにしないのって、それだけで尊敬できるよ」
レヴィとリョウタがそんな話をしていると、突然パーティーの席に兵士が現れた。
その姿は傷だらけで、立っているがやっとのように見える。
「誰かッ! この者の手当てを」
誰よりも先に兵士の体を支えたのは、里長のエンだった。
すぐに屈強な武道家たちに声をかけ、兵士をその場に寝かせる。
「あぁ……エン·チャイグリッシュ殿であらせられますか……?」
兵士は弱々しくも言葉を続けようとしていたが、エンはこれ以上喋らないようにと声をかけた。
近くで見るとよくわかる。
兵士の上半身は酷い火傷で、その甲冑や衣服の下の皮膚もドロドロに爛れていた。
正直長くはもたない――。
今からこの火傷を治す医術は、この里にないことをエンはよく知っていた。
ならばせめて、安らかに眠らせてやるべきか?
エンがそう考えていると――。
「父様ッ! ここはリムにお任せください」
リムがエンの前へと飛び出していき、兵士の体に自分の両手を翳した。
その手から放出された魔力により、酷かった兵士の火傷が次第に癒されていく。
「治癒魔法を両手から同時に唱えている。やるなリム。うむ。さすがは大魔導士を目指す者だ」
レヴィが感動と感心をしている横では、並べられた料理の中に米を見つけたリョウタが泣きそうになっていた。
そして手に取ると、口いっぱいに米を頬張り、ときおり嗚咽している。
「なんだリョウタ。そんなに感動したのか。わかる、わかるぞッ! 私もお前と同じくリムの成長が嬉しいッ!」
レヴィは他人の活躍を見て泣きそうになっているリョウタの姿に、やはりこの者に自身の槍を捧げたことは間違っていなかったと悦に入っていた。
そして、リムの成長とリョウタの仲間思いな面に、彼女はつい泣き出してしまう。
リョウタはそんなレヴィのことを見て、一体何を勘違いしているんだと思いながらも、何も答えなかった。
彼はただこのファンタジーのような世界に来てから、もう食べられないと思っていた自分の国の主食――。
米を口にすることができて感動しているだけだった。
二人がそんなやりとりをしている側で――。
エンが自分である娘リムの治癒魔法を使っている姿を見て、穏やかな笑みを浮かべていた。
「リム……見事なものだな、魔法というものは」
「そんなことないのですよ。リムはまだまだ修行中の身。それに父様こそ……。誰よりも早く怪我人もとへ行くそのお姿に、リムは感服なのです」
その言葉を聞いたエンの表情に影ができ始めた。
何か罪悪感を感じている――そういう顔を彼はしていた。
「……今までいろいろとすまなかったな……。私は魔法で人を救える娘をもったことを誇りに思うぞ」
「はいッ! なのですよ」
そう言ったエンの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
リムは武道家でありながら、攻撃系魔法も回復系魔法も使いこなし、さらには、ほぼすべての属性魔法、さらに別属性の魔法を合体させて使うこともできるほどの手練れである。
その魔力コントロールの上手さは、賢者レベルと言っていい。
だが、彼女は体内にある魔力が極端に低く、一日に唱えられる魔法は三回が限度。
リムはまず回復魔法を同時に唱えると、それから残りの魔力もすべて兵士へと注いだ。
「ふぅ~、これ以上はもう無理ですが、命の心配はもういらないはずなのですよぉ」
体内の魔力を使い果たしたリムは、ヘトヘトに疲れ切った表情でそう言った。
そんな娘を見て頷いたエンは、静かに兵士へ訊ねる。
一体何があったのだ?
その傷や火傷を見るに、生半可なモンスターの仕業ではないだろう? と――。
兵士はなんとか体を起こすと、酷く怯えた表情で説明を始めた。
昨夜に現れた聖騎士リンリとドラゴンによってライト王国が攻め落とされ、ライト王や住民たちも散り散りなり、壊滅状態であること――。
「な、なんだと……ちょっと待てッ!?」
兵士の話を聞いたレヴィが前へと飛び出してきた。
それも当然だ。
彼女は今リョウタやリム――そして姉のラヴィと共に、ライト王国に住んでいるのだから。
「ライト王国には現在この大陸最強の騎士ルバート・フォルテッシがいるはずだッ! それでも敗れたのかッ!?」
ルバート・フォルテッシとは、海の国マリン·クルーシブル出身の吟遊騎士である。
金色の長髪を後ろに束ね、その顔は誰が見ても整っていると思うほどの美貌を持ち、さらに先ほどレヴィが言ったように愚者の大地を抜けば、最強と名高い剣の使い手でもあった。
彼は元婚約者であったレヴィの姉――ラヴィ·コルダストを追いかけて、ライト王国へと来ていたのだが。
兵士は怯えた表情のまま頷くと、その口を重たそうに開いた。
我々の勇者であるはずの聖騎士リンリが、突如ドラゴンに乗って現れ、国を焼き尽くし始めた。
何故聖騎士リンリが攻撃してきたのか理解できないライト王は、彼女を説得しようとした。
だが、ライト王はドラゴンの吐く炎に包まれ、それを助けに入った側近のメイドと共に行方知れず。
聖騎士リンリを止めようと、吟遊騎士ルバートが一騎打ちを挑んだが、リンリの圧倒的な魔力の前に敗退。
自分はライト王から言われていた――。
“何かあればストロンゲスト·ロードのエン·チャイグリッシュを頼れ”
思い出し、ここまで落ち延びてきた。
「どうかお願いでございますエン·チャイグリッシュ殿ッ! 王や民を救うために力……力をお貸しくださいッ!」
兵士は両膝をついてエンにひざまづいた。
エンはそんな兵士にゆっくり休むように言うと、屈強な武道家に声をかけ、彼を医者に見せるようにと運ばせた。
「父様ッ! ここはリムが参るのです!」
左手で自分の右拳を掴み、胸を張る姿勢――拱手の礼をしたリムが叫ぶように声をかけた。
そんな娘の勇ましい姿を見たエンは、早速屈強な武道家たちを連れ、ライト王国へと出発するように命じた。
「だが、今回は王や住民たちの救助が目的だ。けして聖騎士やドラゴンと一戦交えようなどと思うな」
「御意なのです。必ずやライト王国の人たちを連れて戻って参りますなのですよ」
その後――。
「えッ!? 俺たちも行くのかよッ!?」
「当然だ。お尋ね者だった私たちを受け入れてくれた恩を、ここで返さねばいつ返す!」
そして、もちろんリョウタとレヴィも、リムたちストロンゲスト·ロードの救助隊に参加することになった。
リムを先頭に、ストロンゲスト·ロードの武道家たちを率いて出発。
その道の途中、ライト王国の住民たちを見つけては、武道家たちにストロンゲスト·ロードまで案内させ、リムは進む。
「これでほとんどの住民の人たちは里に案内できたと思うのですが……」
「ああ。だがライト王やラヴィ姉、それにルバートの姿は見えないな」
馬に乗り、その振動に揺れながら、心配そうに言い合うリムとレヴィ。
あれだけいた武道家たちはすでに誰一人いなくなり、現在はリムとレヴィ、そしてリョウタの三人となっていた。
「お~い二人とも。ここは一度戻らないか? 俺たち三人だけじゃ、王様やラヴィ姉さんを捜すの効率が悪いし」
レヴィの乗る馬に二人乗りしていたリョウタが、そう提案した。
彼には乗馬の才能が全くないので(何故かリョウタが乗る馬は暴れ馬になる)、しょうがなくレヴィの後ろに乗ることになった。
「ふん。疲れたからもう休みたいってことを、さも立派な正論として言う口の上手さはさすがなのです。リムは感服しました」
「いくら王様やラヴィ姉さんが見つからないからって露骨に不機嫌になるなよ……」
リムの冷たい返事を聞いたリョウタは、別にそういう意味じゃなかったのにと思ったが、彼女の機嫌を損ねてしまったと少し後悔する。
気まずい空気が流れる中、リムは馬の足を早め、一人先へと行ってしまった。
「なあ、リョウタ。お前が言っているのも一理あるんだが」
そんなリムの背中を見ながら、レヴィがリョウタに声をかけた。
彼女は、リョウタが今提案したことはもっともだと思ったが、個人的にはこのままライト王国へ進みたい。
きっとラヴィ姉さんは、怪我をしたライト王やルバードが一緒にいるため下手に動けないのではないか?
そう思うと、じっとしてはいられないのだと、心配そうに言う。
「でもよ。ルバートの傍には、きっとイルソーレとラルーナもいんじゃねえかな? あいつらと姉さんがいりゃ心配はいらなそうだけど……」
イルソーレはダークエルフの男性。
ラルーナは人狼――ワーウルフの女性だ。
二人ともルバートの従者であり、いつでも彼の傍につき従っている。
レヴィの心配を払おうとしてそう言ったリョウタだったが、レヴィは彼のほうを振り向いて悲しそうな顔をした。
目をウルウルと涙で滲ませ、今にも泣きだしそうだ。
「くっ! わかったよッ! 行けばいいんだろッ!」
「リョウタ……」
「ほら、早くしねえとリムに追いつけなくなるぞ」
リョウタのその言葉を聞いたレヴィは笑みを浮かべ、馬を走らせて先へと進んでいったリムを追いかけた。
笑顔で馬の手綱を引きながらレヴィは思う。
(くぅぅぅぅッ! やはりリョウタは優しいッ! 普段は冷たいがそこがまた……って、私は何を考えているんだッ!? ライト王国の一大事だというこんなときにッ!? しかし…… くぅぅぅぅッ!)
そして、自分はこの男に槍を捧げてよかった、とその身を震わせていた。
「おい、今飛ぼうとしたろ?」
「し、していないッ!」
そんなレヴィを後ろから見ていたリョウタは、すぐに彼女が飛びたがっていることに気が付いていた。
レヴィは感情的になると、どこでも構わず竜騎士の必殺技であるジャンプをしたがるのだ。
当然、やれば確実に着地は失敗。
動けなくなった彼女の面倒を見るのは、いつもリョウタだ。
「そ、そんなことよりもちょっと飛ばすぞ! 思っていたよりもリムと離れてしまった」
「はいよ」
反対にリョウタは、しかめっ面になって思っていた。
自分はこのダメ女竜騎士のせいで、また命を縮めそうだ、と。
(はぁ、レヴィにあんな顔をされる断れなくなっちまうんだよなぁ……。自分でもなんでだかよくわかんねぇよぉ……)
彼はレヴィの乞われると、本当は嫌でしょうがないのに引き受けてしまう。
リョウタは馬上で揺られながら、そんな自分に呆れていた。
「着いたのですよ」
それから馬を足早に進め、リョウタたちはライト王国へと到着した。
ライト王国は、三人が想像していた以上に酷い有り様だった。
国を囲っている城壁は崩され、街や城はほぼ全壊。
一体何をすればここまで破壊できるのだと、三人は馬を降りてライト王国の惨状を前に立ち尽くしてしまっていた。
「ひでぇ……一国をここまでボロボロにするって、そのリンリってやつとドラゴンってどんだけなんだよ……」
めずらしくリョウタが口を開くと、リムも続く。
「父様が、けして聖騎士やドラゴンと一戦交えるなと言っていましたが……」
「ああ……ルバートが負けたのも納得できるな……」
その惨状は、一国の軍でもここまでできるものとは思えないほどのものだった。
まだ近くに、その張本人である聖騎士やドラゴンがいるかと思うと、三人はその身を震わさずにはいられない。
「ともかく、生存者がいないか確認をするのです」
リムがそう言うと三人は、周囲を警戒しながら、全壊したライト王国を回ってみることにした。
幸いだったのかはわからないが、生存者も死体も見ることはなく、リョウタたちはまだ屋根が残っていた建物で一泊することに。
「ラヴィ姉さん……一体どこに……」
ポツリと言うレヴィに、リムは彼女と同じように俯くしかなった。
ライト王国の状態が、これほどまで酷いとは思ってもみなかったのだ。
この現状を見たレヴィには、何を言っても気休めにすらならない――。
リムはそう思うと、彼女を元気づける言葉が出てこなかった。
「心配するなよレヴィ。あの暴力メイドと呼ばれたラヴィ姉さんが、そう簡単にくたばるわけないだろ? どこにも死体がなかったのがその証拠だ」
「リョウタ……。そうだな。姉さんがそう簡単に死ぬはずないよな」
リムは自分が言わないでいたことを、あっさりと話し始めたリョウタを見て、この男が考え無しと思うのと一緒に、その口の軽さを羨ましく思った。
実際にレヴィは、リョウタの言葉で笑顔になったのだ。
この男は要領も悪く、何をやっても文句ばかり言い、隙あらば楽をしようとするのだが。
何故か他人に希望を持たすことができる才能がある。
(この冴えない男からビクニっぽさを感じるのは、こういうとこなのですかね……)
リムはそう思うと、二人に気がつかれないように笑った。
焚き火を囲み、交代で見張りをしながら夜を過ごした三人は、次の日にストロンゲスト·ロードへ一度戻ることを決める。
里へ戻って、今度は大人数でライト王やラヴィらを捜すためだ。
「だから俺は最初にそう言っただろ?」
やはり文句ばかり――。
リムはそう言ったリョウタを無視してながら、里へと馬を走らせた。
その帰り道に、三人のいたところが突然暗くなった。
今は朝だというのに、何故と三人は空を見上げると――。
「あ、あれは……バハムートッ!?」
三人の上を巨大なドラゴン――幻獣バハムートが飛んでいた。
バハムートが向かっている方向は、三人が戻ろうとしているストロンゲスト·ロードのほうだ。
「ライト王国を襲ったのは、バハムートで間違いないなさそうなのです。とてつもない狂暴な気を感じました」
リムはそう言うとバハムートを馬で追いかけた。
レヴィも馬の手綱を引き、すぐに彼女を追いかける。
「あんなデカいやつに勝てるのかッ!? それにバハムートって言ったら最初は絶対に勝てないって設定なんだぞッ!?」
「すまんが何を言っているのかよくわからん」
「茶化すなよッ!」
「勝てる高い可能性が低いのはわかってる。だが、かといって里が襲われるかもしれないんだ。放っていくわけにもいかんだろッ!」
二人がそう言い合っているとき――。
リムはすでに馬から飛び降り、バハムートの注意を引くため、攻撃を仕掛けていた。
「はぁぁぁ、オーラフィストッ!」
リムの叫び声と共に、彼女の突き出された両手の掌から、光の波動が放たれた。
チャイグリッシュ家に伝わる、体内にある気を集め、それをぶつける聖属性の気功技だ。
地上から空に飛んでいるバハムートへ光の波動が向かって行く。
だが――。
「なッ!? オーラフィストを吸収したのですかッ!?」
光の波動を受けたバハムートは、その光を体内に取り込んだ。
そしてリムの姿に気がつき、ゆっくりと彼女のいるほうへと向かってくる。
「今の一撃はうぬか?  凄まじいものではあったが我は聖なる竜……光はすべて我の力となる」
バハムートは丁寧でいながら威圧感のある声で、リムに話しかけ始めた。
言葉を喋る幻獣を見たリム、そしてその後ろにいたレヴィやリョウタは驚きを隠せない。
「ちょっと待てよッ!? 喋るのは別に驚かねえけど。バハムートが聖属性の攻撃を吸収するなんて、俺の知ってる設定にそんなのなかったぞッ!?」
だが、リョウタだけは二人とは違う理由で驚いているようだった。
「言葉が通じるのなら……」
レヴィは馬を降り、バハムートへと向かっていく。
彼女はある程度近づくと顔を上げ、空に浮かぶバハムートへ声をかけ始めた。
「ライト王国を襲ったのはお前か?」
怒鳴りつけるわけでも、尋問するかのようでもなく、あくまで自然に落ち着いた様子で訊ねるレヴィ。
訊ねられたバハムートは苦しそうに息を吐いた。
その吐いた息で、周囲にあった木々が揺れ、それらに留まっていた鳥たちが一斉に飛んで行く。
「たしかに我である」
「何故そんなことをした? いや、たとえどんな理由があったとしても、お前をこのまま野放しにはできん」
レヴィはそう言いながら背負っていた槍を構えた。
そして、彼女の横にリムも無言で並び、身構える。
「我はすべてを焼き尽くさねばならぬ……。すべては女神のために……」
バハムートはそう言うと口を大きく開く。
リョウタは慌ててレビィとリムのことを引っ張り、二人を連れて走り出した。
彼につられたのか、側にいた二匹の馬もその場から走り去っていく。
「ど、どうしたというのだリョウタ!?」
「そうなのですよ! 逃げるのなら一人で逃げてください!」
リョウタの咄嗟の行動に、レビィは戸惑い、リムが酷い言葉をぶつけた。
だがそれでも彼は、彼女たちを引っ張る力を緩めなかった。
「バカ野郎ッ! バハムートが口から吐くものって言ったらメガフレアだろッ!? そんなもん喰らったら確実に死んじまうぞ!」
二人が理解しようがしまいが、リョウタはそう叫びながらただ思いっきり走る。
そして、バハムートは口から炎を吐き出した。
凄まじい青白い業火が周囲にあった草や木々を焼き尽くす。
そのあまりの威力に唖然とするレビィとリム。
力任せに引っ張られながら彼女たちが思ったことは――。
リョウタが伝説の幻獣であるバハムートについて、よく知っているということだった。
「リョウタッ!? お、お前はどうしてバハムートのことを知っているんだ!?」
「そうなのです! バハムートは本にしか載っていないような伝説の幻獣なのですよッ!?」
叫ぶように訊いてくる二人にリョウタは、今は説明している暇はないと返事をした。
「それよりも早く逃げるんだよッ! あんなやつ、伝説の勇者でもない限り勝ってこねぇッ!」
だが、そんなリョウタの手は振り払われた。
レヴィとリムは、再び体を掴んできた彼に言う。
「悪いなリョウタ。いくらお前の言うことでも、ここで引くことはできん」
「リムも同じくなのです。バハムートは里へと向かおうとしているのです。ならば、ここでやつを止めねば里も焼き払われてしまうのですよ」
背を向けたまま言う二人を見たリョウタは、その表情を強張らせると、その場が走って去っていった。
バハムートがレヴィとリムの姿に気がつき、その大きな黒銀の翼を広げて飛んでくる。
二人は妙に悟ったような表情で、ただ向かって来るバハムートを見ていた。
「伝説の幻獣バハムートか……。竜騎士として私の磨いてきた腕を振るうのに、これほど相応しい相手もいないだろうな」
「リムもライト王国で鍛えた魔法の力。今こそ見せるときです」
レヴィは槍を構え、竜騎士の必殺技であるジャンプの姿勢に入る。
リムも両腕に魔力を込め、臨戦態勢へと入った。
「我が名はリム·チャイグリッシュッ! 武道の名門チャイグリッシュ家の生まれながら、才能も全くないのに夢は大魔導士ッ!」
突然リムが叫んだ。
それはどこか、彼女の決意表明のような響きに聞こえるものだった。
そんなリムを横で見ていたレヴィは、クスッと笑みを浮かべると、彼女に続いた。
「そしてその友、レヴィ·コルダストッ! 貴族コルダスト家の生まれにして今は流浪の竜騎士ッ! だが、未だに着地もできぬ未熟者だ! しかし、それでも必ずお前をここで止めて見せるッ!」
レヴィは、リムの覚悟に応えるように叫んでみせた。
「愚かな。たかが人間風情が我を止めようと言うのか?」
そして、バハムートは再び口を大きく開いた。
その口からは先ほどと同じく、青白い炎が吐き出される。
高く跳躍する姿勢からすかさず切り替えたレビィは、リムを抱えてその凄まじい業火を避けた。
炎がさらに辺りを焼け野原へと変える。
もしさっきリョウタが無理やり引っ張ってくれなかったら――。
もしあの炎を避けなかったら――。
レビィはそう思い、口に溜まった唾をゴクリと飲むと気持ちを切り替えた。
「よしリム。このまま奴に突っ込むぞ!」
「はい! なのですよ!」
レビィはそのままリムを抱え、再び跳躍。
その流れるような動きは、今までの彼女とは思えないものだった。
ただ、どれだけ高く飛べるかだけに力を注いでいたレビィだったが、今は状況に合わせて跳躍できている。
それは、これまでのリョウタとの旅やリムとの出会い――。
そして、これまでけして諦めず努力をしてきた彼女の成長の証であった。
レビィ本人はそのことに無自覚だが、その成長を彼女の姉であるラビィが見ていたら、堪らず涙ぐむかもしれない。
「うおぉぉぉッ! リムもお空を飛んでいるのですよ!」
「いいかリム。このまま奴の頭に一撃喰らわすぞ」
「御意なのです!」
バハムートの頭上を越え、空へと上がった二人はそれぞれ構える。
槍を下に突き立てたレビィの肩に足を乗せたリムは、そこからさらに上空へと飛んだ。
重力とリムのかけた重さを利用し、レビィは槍をバハムートの頭に突き刺す。
「どうだ! 私の槍、グングニルの味はッ!」
苦痛の悲鳴をあげるバハムート。
額から血を噴き出し、怯んでいるそこへ先ほどさらに高く上がったリムが突っ込んできた。
「これで決めるのですよ!」
空中で回転しながら飛び込んできたリムは、そのままバハムートの額に自身の踵を落とした。
レビィ、リムの連続攻撃を喰らい、バハムートは大地へと叩きつけられる。
まるで砂漠に起きた暴風のように砂が舞い、辺り一面を煙のごとく覆っていく。
跳躍がいつもよりも高くないためか、レビィは失敗することなく着地できていた。
その隣には、リムかまるで猫のようにスタッと軽やかに下りてくる。
「今のは手応えあり! なのですよ」
「だがバハムートは伝説の幻獣。この程度で倒せたとは思えないが……」
レビィがそう思ったように、バハムートはゆっくりと立ち上がった。
黒銀の翼を広げ、それを羽ばたかせると、レビィとリムに強風が吹き荒れる。
バハムートにダメージがないわけではなさそうだが、まだまだ戦う余力はありそうだ。
「やはりそう易々とはいかないか……」
「ならば、倒れるまで続けるだけなのです」
「よし、もう一度飛ぶぞリム。今度はさっきよりも高くだ!」
「なのです!」
二人が互いに声を掛け合い、再び跳躍。
レビィが言った通り、より高く上空へと飛んでいく。
だが、唸るバハムートから放たれた光の波動が、それをさせまいと降り注いだ。
「ぐわッ!? 何の光だッ!?」
「これはオーラフィストと同じ聖属性ッ!? ドラゴンにどうしてこんなことができるのですかッ!?」
そして二人は、その身を削られながら大地へと叩きつけられてしまう。
「いたた……。レビィ、大丈夫なのですか?」
リムが声をかけたが、レビィは苦悶の表情をみせた。
どうやら地面に落ちたときに、リムを庇って両足を痛めたようだ。
これではもう高くは飛べない。
リムがレビィの怪我のぐらいを見て、そう思っていると――。
「少しはできるようだな。だが、その程度は我を倒すことなど、夢のまた夢に過ぎぬ」
光の波動を放ちながら、ゆっくりと二人へと向かってくるバハムート。
そして、その口を大きく開く。
地獄の業火のような炎――メガフレアを喰らわせるつもりだ。
リムはレビィを抱えて逃げようしたが、すでに間に合いそうにない。
「何をしているリムッ!? お前だけでも早く逃げるんだッ!」
レビィが叫ぶ。
リムは彼女を抱えて逃げるのを諦めると、すでに青白い炎を口から吐こうとしているバハムートに向き合った。
「何をしているんだッ!? 奴の炎が来るぞッ!?」
レビィの声を無視して――。
リムはその両手に魔力を溜めていく。
「リムの夢は大魔道士……英雄になることです」
「こんなときに何を言っているッ!? このままお前まで殺られたら私は……」
「リムの命はある人に救われたものなのです!」
突然レビィの言葉を遮って叫ぶリム。
彼女はレビィが驚きで黙ると、そのまま言葉を続けた。
前に精霊に誑かされ、里を破壊しようとしてしまったとき――。
我が身を顧みずに、リムを助けてくれた暗黒騎士がいた。
その暗黒騎士は、操られていた愚かな自分のことを英雄、そして友人と呼んでくれた。
それ以来、もう自分の境遇や才能のなさを恨むのをやめ、ただ夢を追いかけてきたのだと。
「ここでレビィを置いて逃げるようなら、リムはもうその人に合わせる顔がないのです。それに……」
リムは、急に言葉を止めてレビィのほうへと振り向いた。
その顔はいつも見せている笑顔――レビィのよく知るリムの顔だった。
「レビィはもうリムの大事な人なのですよ。だから、置いて逃げるなんてできません」
そして、その微笑みのまま、そう呟くように言った。
「リ、リム……お前……」
レビィは頬に暖かさを感じていた。
それはポタポタと垂れる自分の涙だった。
だが、涙で滲む目には、容赦なく青白い炎が向かってくるのが見えていた。
レビィには、リムが何をするかがわかっていた。
おそらく両手から氷の魔法を同時に唱え、バハムートのメガフレアを相殺するつもりなのだと。
しかし、それが無謀なことなのは、リム本人が誰よりも知っているはずだ。
確かに、リムの合体魔法ともいえる技術は素晴らしいが、国を焼き尽くすほどの炎を打ち消すのは不可能。
それでも、彼女――リムは、吐き出された青白い炎に向かって、氷の魔法を放った。
業火がリムの放った氷の魔法を、まるで飲み込むように近づいてくる。
やはり、どう見ても相殺することはできなそうだった。
「まだまだッ!」
それでもリムは叫び、体内に残った魔力をさらにその掌へと集めていく。
「なんだとッ!?」
慌てふためくバハムート。
それは、リムの放った魔法は勢いを増し、飲み込むようだった業火は、氷塊に寄って相殺されたからだ。
「や、やってやったのですよ……」
リムが一日に唱えることができる魔法の数は三回。
今メガフレアへ向けて放っている二回と、残りは後一回だ。
だがリムはこの土壇場で、同時に三回の魔法を唱えることに成功。
その三倍の威力を持った氷魔法で、メガフレアをかき消したのだった。
「見事なり人間よ。だが、次はもうあるまい」
バハムートは不敵に笑うと、その大きな口を開く。
再びメガフレアを吐くつもりだ。
「くッ!? も、もう魔力が……」
「リムッ!?」
レヴィが叫んだその瞬間――。
大きな鉄球がバハムートの顔面に放たれた。
口から出かかっていた青白い炎は軌道をそらされ、誰もいない焼け野原へと吐かれる。
「それ以上、うちの妹二人を傷つけるのは許さないっすよ」
その声の先には、メイド服を着た半目の女性がいた。
レヴィの実の姉――ラヴィ·コルダストだ。
「よし、イルソーレ、ラルーナ! 行くぞッ!」
「さすが兄貴ッ! やつが怯んだ隙にたたみかけるんですね!」
「さっすがルバートの兄貴ですぅ!」
ラヴィの声に続き、吟遊騎士ルバートと、ダークエルフのイルソーレ、そして人狼のラルーナが飛び込んでくる。
そして、その後ろから現れた人物を見て――。
「リョウタッ!」
レビィが歓喜の声をあげた。
喜びに身を震わすレビィだったが、彼女にはリョウタが来ることはわかっていた。
何故ならば、彼はいつでもレビィの危機に駆けつけるからだ。
「途中でラビィ姉さんたちに会ってさ。これなら勝てるかもって」
リョウタはレビィから目をそらしながら言うと、傍にいたラビィが呆れた顔をした。
大きくため息をつき、やれやれと言わんばかりだ。
「何が勝てるかもとか適当なこと言ってんすか? あんたが一人で泣き喚きながらバハムートのいるほうへ走っているのを、うちらが偶然見つけただけでしょ」
「うわぁわわッ! そのことは言うなよッ!」
ため息まじりのラビィの言葉に、リョウタは慌てふためいている。
そんな彼を見たレビィは涙を拭うと、両足の痛みを堪えながら立ち上がった。
「レビィ、まだいけるすっか?」
「当然だ姉さん。……と言いたいところだが、この足ではもう飛べそうにない……」
「うーん、ルバートが気がついた良い作戦があったんすけどねぇ」
「いや、たとえもう飛べなくなったとしても私はやる……やってみせるッ! 教えてくれ! その作戦とはなんなんだッ!?」
言葉を詰まらすラビィにレビィが声を張り上げて訊ねると、姉は渋々話を始めた。
ルバートは泣き喚いていたリョウタからとてつもなく高い魔力を感じた。
ライト王国にいたときは感じなかったが、何故か今のリョウタからは感じるのだと。
その魔力はライト王国を襲った聖騎士の少女や、吸血鬼族をも越えるほどのもので、それをうまく使えばバハムートを倒せるかもしれない。
「とまあ、そんな感じなんすけど……」
ラビィは人差し指で頬をかきながら言葉を続ける。
残念ながらリョウタ本人は、魔法は何一つ覚えていないし唱えることもできない。
だが、その魔力を誰か別の人間に移すことができたら?
 
そのとてつもない魔力をバハムートへぶつけることができるのでは?
 
それがルバートの考えた作戦だった。
「で、その魔力を移すやり方なんすけど。どうも相手への信頼関係が重要みたいで」
「なるほど。だから私が、というわけなんだな。姉さん、やるぞ私はッ! リョウタの魔力を使ってバハムートを倒してやる!」
はりきってみせるレビィだったが、その震えている両足を見るに、誰でも無理をしているということがわかる。
レビィ以外が静まり返る中、リョウタが口を開いた。
「みんな、俺に考えがある……。聞いてくれ」
リョウタたちが話している間――。
バハムートを止めているルバート、イルソーレ、ラルーナの三人。
彼らは伝説の幻獣を相手に見事に戦っていたが、それももう限界が見えていた。
「あらら、ルバートたちがヤバいそうすっね。じゃあ、あとはあんたらに任せたっすよ」
そして、ラヴィは再び用意していた鉄球をバハムートへ向かって投げ始めた。
鉄球を喰らったバハムートは、メガフレアを吐こうとも吐けないでいる。
ラヴィなりのメガフレアへの対策だったのだろう。
仕留めることはできないにしろ、それなりに効果ありそうだった。
「よし。こちらも行くのです。自分で言ったことなんだから我慢してくださいなのですよ」
「あぁ。……でも、できればあまり痛くしないでくれ……」
まるで注射器を怖がる子供のような顔をしたリョウタは、そう言いながらレヴィのことを自分の両肩に乗せる。
「こらリョウタッ! あまり動くな! 甲冑を着ていないからお前の皮膚が直接触れるだろう!」
「そんなこと言ってもしょうがねえだろ! ただでさえお前は重いんだから」
「重いとか言うなッ!」
肩車したリョウタが不安定せいか、レヴィはなんだか恥ずかしそうにモジモジしている。
「はぁぁぁぁッ!」
そしてリムはリョウタを思いっきり蹴り上げた。
レヴィを担いだままリョウタは、そのまま空へと蹴り飛ばされていく。
「オーラフィストッ!」
リムは、そこからさらに両手の掌に集めた光の波動を放った。
蹴り上げられたリョウタは、その波動を喰らったの勢いでさらに上昇。
リョウタはすでに虫の息だったが、そのままバハムートへと向かって弧を描いて飛んで行く。
「リョウタ! あとはお前の魔力を私に注いでくれればいい!」
「で、それってどうやんだよ?」
「私が知るか! さあ早くやってくれ!」
「お前、わかんないくせに引き受けたのかよッ!?」
言い合いをしながら空を飛ぶリョウタとレヴィに気がついたバハムートは、顔を上げてその口を大きく開こうとした。
だがラヴィが鉄球を投げつけ、それに続いてルバート、イルソーレ、ラルーナの三人がバハムートの体を斬りつける。
「小賢しいッ! これでも喰らえッ!」
メガフレアを諦めたバハムートは、光の波動を全身から放った。
それにより、周囲にいた者たちが吹き飛ばされる。
「次は貴様たちだ! 人間どもッ!」
そしてバハムートは、上空にいるリョウタとレヴィにも光を放つ。
「危ないレヴィッ!」
「バカッ! やめろリョウタッ!」
リョウタはすでにボロボロだというのに、レヴィのことを庇った。
だが、そのとき――。
リョウタの全身から凄まじいまでの魔力が放出され、それが光の波動を弾き返していく。
そして、その魔力はそのままレヴィの槍へと集められていく。
「こ、これがリョウタが持つ魔力なのか……? これほどの魔力……初めて見るぞ……」
「いいからさっさと決めて来いよ、レヴィッ!」
「ああ、任せろッ!」
「ぐわッ!?」
そして、レヴィはロケットがブースターを切り離すように飛びあがった。
「クソッたれッ! やっぱお前といるとろくなことにならねえなぁぁぁッ!」
叫びながら落ちていくリョウタを見ながら――。
さらに上へと飛んだレヴィは、リョウタの魔力を纏った槍を下へ向け、バハムートを狙って降下していく。
こんなときだというのに、レヴィは満たされていた。
今までで一番高く空へと飛んで行けたのもあったのだろう。
そして、何よりも皆の力を合わせ、自分が決着をつける役を任されたのだ。
レヴィは、仲間に信頼されていると思うと、喜ばずにはいられなかった。
「これで終わりだ! バハムートォォォッ!」
レヴィがバハムートの額に槍を突き落とすと、凄まじい魔力がその体に流れ始めた。
バハムートは悲鳴をあげながら、その体内に流れた魔力が内側から爆発していくの感じていた。
「バカなッ!? 我がたかが人間ごときに敗れるのかッ!」
そう叫んだバハムートは、全身から溢れ出す魔力の輝きに飲み込まれて消滅していった。
危機は去り、すっかり安心したレヴィだったが――。
「やったぞ! ……って、うわぁぁぁッ!?」
「ゲフッ!」
そのまま落ちていき、やはり着地できず、すでに倒れていたリョウタの上に落ちた。
リムやラヴィ。
ルバートもイルソーレとラルーナと一緒に、そんな二人の元へと笑いながら向かって行く。
「やれやれ、締まらないっすね」
「でもいいじゃないか。二人とも幸せそうだ」
ラヴィがため息をつくと、ルバートはまあまあと声をかけた。
実際に気を失い、もうボロボロのレヴィだったが、ルバートの言う通りその顔は満面の笑みである。
反対にリョウタのほうは険しい顔で、まるで悪夢でも見てうなされているかのようだが――。
「リョウタ……やったぞ……私は……」
「ああ……レヴィ……お前は……いつまで……俺を苦しめるんだ……」
ムニャムニャと嬉しそうに眠っているレヴィと、呻くリョウタを見て――。
その場にいた全員が大声で笑い合った。
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